夜明けの向こう
プライムは湖畔に佇んだまま、呆然としていた。
湖は静かで、穏やかに凪いでいる。空は白んできており、いつの間にか、夜が明けようとしていた。
「プライム!」
掠れた声が精一杯、彼女を呼ぶ。
プライムは振り返った。
キールが体を起こし、座っているのが見える。
彼女は駆け戻った。横にしゃがみ込む。アンプルを渡す。
「…受け取ってもらえなかったよ……」
「仕方ない。これが運命なんだろう」
アンプルをポケットにしまう。
あの弾を使うとき、もし、あの男が改心するようならば…僅かでも人の心があるように見えれば、渡そうと思っていた。
残念ながら、その兆候は見えなかったが……
プライムの顔を覗きこむ。
「あの人に…母に会えたからね……いいんだ」
「お母さん?あの女の人がお母さん!?」
「本当に、それだけで良かったのか?」
上から声が降り注いだ。
ルイスが立っている。疲労困憊といった様子だ。呆れた口調で言う。
「せっかく、人が気ぃ使ってやったのに」
「いいんだよ。もう一度会いたかった…それだけだから……」
キールは一度、視線を下げた。
それから思いっきり顔を上げる。口の端を吊り上げる。
「お前こそ、良く当てたな」
「当然だろ。あんなでっかい的、どうやったら外せるんだよ?」
「お前なら在り得る」
「ホンット、ムカつく奴だな!」
ルイスは顔を顰める。
まるで子供のようなやり取りに、プライムは目を丸くした。
が、ある事に気付く。
「先生…の事、知ってるの?」
「あ?幼馴染だっつっただろ?」
「そうじゃなくて!先生が…半人だって……」
「当たり前だろ。何言ってんだ?」
あっさりと言い返され、プライムは拍子抜けした。
ルイスは鼻を鳴らした。
「生まれた場所で、いちいち差別なんぞしてられるか」
「自分の生まれは自慢するけどな」
「当然だ!俺様の運の良さを自慢して、何が悪い!?」
高らかに笑い声が響き渡る。
キールが溜息を吐いた。プライムに視線を戻す。その目は真剣そのものだった。
「何故来た?」
低い声で訊ねる。
プライムははっとした。
「あれほど待っていろと……」
「先生!シルフィが…赤ちゃんが産まれそうなの!」
キールの動きが止まる。ポカンとして、プライムを凝視している。
その腕をプライムが掴んだ。引っ張ろうとする。
「早く帰らないと!」
キールは、困惑した目をルイスに向ける。
ルイスは軽く肩を竦めた。
「俺はあの女たちに、セラの事を聞こうと思っただけだ」
海に帰る前に。ただ、本当の事を。
思わぬ形で知ることになったが、真実を聞けただけで十分だ。
閉じ込められたのは納屋のようなところで、武器も取り上げられなかったのが幸いした。
高い場所にあった小窓によじ登り、そこから抜け出してキールたちの後を追ったのである。
ルイスはキールに銃を返した。代わりに、近くに転がっていた自分の銃を拾う。
「結構、時間食ったな。もう産まれてんじゃないか?」
空の向こうに、朝陽が見え始める。
目まぐるしく変化する長い夜が、ようやく明けようとしていた。
◆◆◆◆◆◆
ボロボロになって戻ってきたキールたちに、町人達は目を丸くした。
あまりにも帰りが遅い上、湖から爆音も聞こえる。奇妙な唸り声も聞こえる。
さすがに心配になって、様子を見に行こうとした、矢先の事であった。
「その男は逃げ出すし!プライムは飛び出すし!!一体何があったんですか!?」
「いや、まぁ……」
「水妖に襲われたんだよ。そのガキと、キールの母親のお陰で助かったけど」
言いよどむキールを前に、ルイスがしれっと答えた。
彼は今、屈強な男達にふん縛られている。
プライムはその様子をじっと見つめていた。不意に視線がかち合って、慌てて逸らす。
ルイスは小さく息を吐いた。
「助かった、礼を言う」
「…!!」
「それから…すまなかった……」
虚空を見つめたまま、彼は言った。
プライムの顔が歪んだ。泣き出しそうになるのをぐっと堪え、唇を噛む。
キッと、ルイスの顔を睨みつけた。
「ねぇ!」
「…何だよ?」
「アンタをおそった奴の中に、ここにこう…キズのある奴、いなかった!?」
頬を指でなぞる。
ルイスはあからさまに嫌そうな顔をした。それが答えだった。
プライムはスカートを握り、俯いた。
その様子を見つめていたキールを、町人達が急かす。
「先生は、早く家に戻んなさい!」
「せっかくの目出度い日に、何やってんですか?」
キールはわずかに眉を顰め、プライムを呼んだ。
彼女はキールに駆け寄り、飛びついた。コートに顔を埋める。
「帰ろう、家に……」
キールはその手を引き、町外れの家へと向かった。
ボロボロの体では、急ぐ事は出来ない。熟練の産婆たちが付いている以上、急がねばならない必要も見つからない。
キールはプライムの手を握りながら、ゆっくりと丘を登っていた。
遥か向こうに見える我が家から、煙が立ち昇るのが見える。
「…ときどき……」
俯いたまま歩いていた彼女が、口を開く。
キールは彼女を見下ろした。顔は見えない。金色の髪が揺れている。耳も尾も力なく項垂れている。
「ときどき…お父さんが、とっても高そうな物を、持ってくることがあったの」
ポツリポツリと語りだす。
キールは黙ったまま、その話を聞いている。
「お父さん、買ったんだって言ってたけど…そんなお金、猟師がかせげるはずないって……頭のどこかで解ってた。でもね、お父さんはすごい人だから、そんなこともできるんだって…見ないふりしてた」
「……」
「…本当は、あの人の言うとおり…『知らない』で、すむ話じゃないの。きっと、私知ってた。知ってて、知らないふりしてただけ……」
プライムはキールを見上げる。その目には、いっぱいの涙が浮かんでいた。
「お父さんたちが、あの人の仲間を殺したの。私のお父さんが、誰かのお父さんを奪ったのかもしれない」
キールの手を握るプライムの手は、小さく震えていた。
家が目の前に迫る。玄関の前に、誰かが立っているのが見えた。
人影は彼らの姿に気付くと、大きく手を振る。そして、慌てて中へと消えた。
キールは息を吐いた。
「プライムのお父さんは、確かに悪い事をしたかもしれない」
足が止まる。
キールは真っ直ぐに彼女を見た。小さな手を強く握る。
「お父さんの罪は、お父さんのものだ。プライムが悪いわけじゃない」
「でも…!」
「お父さんは、自分のやってる事を、何も言わなかったんだろう?それは、プライムだけには絶対、知られたくなかったからだ。自分が人殺しだという自覚があったから、何も言えなかった」
静かに…ただ静かに。
プライムは首を左右に振る。手を振り払った。涙を堪えるように、唇を噛む。
キールは身を屈めた。視線を近づける。
「母は祖父の横暴を知っていた。知っていて、止められなかった。何もせず、逃げ出して…それが父を死なせる結果になった。ルイスの妹も。今のプライムは、そんな母に似てる。責められるはずがない」
涙が溢れる。
キールは、しゃくり上げる彼女を抱きしめ、抱き上げた。プライムがすがりつき、泣きじゃくる。
再び歩き出す。
家の中は、大変な騒ぎになっていた。町の女達が、キールを取り囲む。
「全く!何してきたんだか知らないけど、もうちょっと、奥さんの事も労わってやんな!」
「ホントだよ。肝心な時に医者がいなくて、どうすんだい?」
「ほら、ご覧。プライムだって不安がってんじゃないか」
口々に文句を言う。が、その顔は晴れやかだ。
ボロボロの姿に顔を顰める者はあっても、咎める者はいない。
奥の部屋へのドアが開かれる。
現れた姿に、シルフィーラは微笑んだ。
「…お疲れ様……」
キールが僅かに眉を顰める。
「シルフィ。それを先に言われたら、夫として立つ瀬がないんだが」
「ふふ。仕方ないわ…事実ですもの」
ベッドに横たわる彼女の傍らに、新しい命は眠っていた。
キールは傍らに立つと、プライムを下ろした。そのまま膝をつく。
「女の子?」
「えぇ。あなたの期待通り」
「…やはり、天空人の血が濃く出たな」
「そうね。飛べるかどうかは分からないけど…でも、蒼い翼なんて見たことないわ」
「その辺は、水妖だろう。母と同じ色だ」
静かに語らう二人に、女達はそっと部屋を出た。勿論、プライムだけは例外だが。
キールが子供を突つく。産まれたばかりの子供は、迷惑そうに顔を歪めた。
「ちっちゃい……」
プライムが呟いた。涙は消え、呆然と佇んでいる。
キールとシルフィーラは顔を見合わせ、それから笑った。
「お前の妹だよ、プライム」
「えっ?」
「おちびちゃん、この人がお姉ちゃんですよ~」
「えぇっ!?」
慌てふためくプライムに、シルフィーラはクスクスと笑った。
キールが彼女の頭を抱き寄せる。
「娘が二人か……」
「お父さんは、肩身が狭いわね」
「むぅ」
抱き寄せた手は優しかった。
プライムは、恐る恐る赤ん坊に手を伸ばす。握られた手は本当に小さい。
指先でそっと触れると、それは驚くほど暖かかった。
赤ん坊の顔を覗きこむ。
まるでサルのようだ。客観的に見れば、あまり可愛いものではない。
それでも、彼女の眼には驚くほど愛らしく見えた。その目が、驚きに包まれる
触れた指先を、小さな手が握りこんだのだ。
傷付いた彼女の励ますように。力の限り、握り締める。
後に、それが赤ん坊の反射的動作だと知るが、この時はまだ、そんな知識に乏しかった。
ただ、この新しい命が、全てを許してくれたような…そんな気がしていた。
◆◆◆◆◆◆
数日後。
ルイスは、散々町人達に怒られた挙句、罪を許された。
彼らを襲った惨劇に、同情の声も上がった。それに加え、キールの知人をどうこう出来る立場の者はなかったのだ。
戻ってきた部下を纏め、最後の旅支度を整えながら、彼は愚痴た。
「ホンットに、昔っから貴様に関わると、ろくな事がない」
「それはこっちの台詞だ」
キールが呆れたような口調で言い返す。
傍らにはプライムがいたのだが、もう、睨むような態度は取らなかった。
代わりに、不思議そうな表情をしている。
「ねぇ」
「何だ?」
「ルイスって幾つ?」
ルイスが妙な表情をした。キールを見る。
「年齢なら、コイツと同い年だが」
「先生って、幾つ?」
キールも妙な顔になって、ルイスを見返した。
二人が声を揃える。
「「32」」
「!!」
驚きは、町中を駆け巡った。
(年上!)
(てっきり、二十代だと……!!)
いや、良く考えればその通りなのだ。あんな事態ではあったが、良く話を聞いていれば解った事である。
二人が学院で出会ったのは七つの時。それが二十年ほど前だという。
正確には25年前であるが、5年くらいならこの二人のことだ、端折ってしまう。
それに、キールは医師なのだ。知識豊富で、きちんとした経験をつんだ……
しかし、半妖であるキールが、見た目若いのは分かる。
問題はルイスだ。ちゃんと、キールと同い年に見えるのが怖い。
くらくらしながら、プライムは更に訊ねた。
「シルフィーラって、いくつだっけ?」
「22」
(10歳年下!)
(ありか?ありなのか!?)
聞き耳を立てる町人達の様子など、彼らはさっぱり気にしない。
というか、そんな質問をするプライムが解らないのだろう。
不思議そうにしていると、ルイスの部下が、彼を呼んだ。
「準備、出来ましたよ!!」
「おう」
軽く返事をして、改めてキールに向き直る。
「世話になったな」
「いや…」
「……ここであった事を口外するつもりはない。ないが、気をつけろよ」
「分かっている」
プライムがきょとんとする。一瞬だけ、キールの表情が険しくなったように見えた。
ルイスはプライムに視線を移した。
「お前にも…ちゃんと詫びなければいけないのかも知れんが……今はまだ、出来そうにない」
「…いいよ。別に」
そんなものが欲しいわけじゃない。
ルイスの言う事が事実なら、むしろ、謝らなくてはいけないのは自分の方だ。
あの日、彼らが殺した亜人種の中に、プライムの父の姿はなかったと言う。
ルイスにとって、一番憎い仇である。探しに探したが、見つけることは出来なかったらしい。
最初の頃は、確かにいたようなのだが。
生きているかもしれない。そんな希望が、今、彼女の中に溢れている。
ルイスは失ってしまったままなのに。
ルイスがじっと、プライムを見つめていた。
彼女は居心地の悪さを感じ、視線を逸らす。
ルイスがポケットに手を突っ込んだ。何かを引っ張り出す。
「これをやろう」
ペンダントだった。銀の鎖に、小さな金のメダルが付いている。
メダルには女性の横顔が掘られていた。裏側には、例の蛇の紋章がついている。
プライムは首を左右に振る。
「いらない」
「いいから、持っておけ。いざとなったら、売って金に換えてしまえ」
「いらないってば!」
「俺が持ってても、意味ないんだよ!」
強引に押し付ける。返そうと試みるが、駄目だった。放り投げるのも忍びない。
黙ってそれを見ていたキールは、ルイスに訊ねた。
「本当にいいのか?」
「気休めくらいにはなるだろ」
「そうじゃなくて……」
キールは僅かに言いよどんだ。一つ、呼吸を置く。
「セラの形見だろう?」
プライムは目を見開いた。ペンダントとルイスの顔を、視線が往復する。
ルイスは苦笑した。
「しゃあねぇな。コイツ、セラに似てる。放っておけんよ」
ルイスの手が、プライムの頭に乗った。クシャリと髪を撫でる。
それから二人に背を向けた。声が低くなる。
「あの方は、まだお前達を諦めてない」
「…だろうな」
「お前の父親…正確には伯父か。そう長くはないという話だ」
「そうか」
二人だけの会話だった。プライムも、何の話かは聞けなかった。
ルイスが軽く手を上げ、ひらひらと振る。
「テメェの面は、二度と拝みたくねぇな」
「奇遇だな。僕もだ」
それっきり。
キールは何も言わなかった。ただ、遠ざかる馬車の群れを見送っていた。
その姿が小さくなり、深い森の中へ消えても。
プライムが顔を見上げる。
「先生」
「うん?」
キールがプライムを見る。穏やかに、優しく微笑んでいた。
プライムは慌てて、首を左右に振った。手の中で、ペンダントが微かな音を立てる。
その存在を思い出し、顔を顰めていると、キールが手を差し出した。
「つけてあげよう」
「でも…」
プライムは躊躇った。手を広げ、ペンダントを見つめる。
死んだ妹の形見。自分は、彼女に似ているのだという。だから、放っておけないのだと。
そんなふうに言って寄こすくらいだから、これは相当意味のあるものなのだろう。
迷っていると、キールがそれを取った。留め具を外す。
「これは護符なんだ」
「護符?」
「ああ。フェルナー大公家に代々伝わる、とても貴重な物だよ」
キールはそう言って、プライムの首にそれをかけた。
プライムは、不思議そうにそれを見つめた。
「大事にしなさい」
「…うん……」
彼女は頷いた。
護符がどんな物か、良く分からないが、とても高価な物なのだろう。せめて、礼を言うべきだった。
そんなふうに思っていると、目の前に再び手が伸びてきた。キールの手だ。
「さ、帰ろう。お母さんとレナが待ってる」
「うん!」
勢い良く頷いて、プライムはその手を取った。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
とりあえず終わりです。物語としてはまだ続くのですが、ここではこれで。
この先は、またいつか。
誤字脱字ありましたら、ご指摘ください。




