金の獣
小さな体で、どうやったのかは解らない。
しかし、辺りには血が飛び散り、少女の体を赤く染めた。
ルイスは呆然とその姿を見つめていたが、キールが小さく呻いた為に、我に返る。
彼に駆け寄り、自分の上着を裂いて止血を施す。視線は、彼と少女の間を忙しなく移動する。
キールが目を開いた。
「…プライム……」
あまりの痛さからか、一瞬、意識が遠ざかっていただけらしい。目が覚めたとたん、自ら起き上がろうとする。
ルイスが手を貸した。
「あのチビ…一体何なんだ……?」
ルイスの言葉に、キールは首を左右に振る。
水壁の向こうは、惨劇の場と化していた。
小さな体が縦横無尽に動き回る。水魔たちの足元をすり抜け、鋭い爪で、牙で、必死の一撃を食らわせる。
さすがの水魔たちも、完全に恐れをなした。それぞれ、逃げ出そうとする。中にはその場にへたり込んだまま、動けなくなる者もあった。
そんな者にも、少女は容赦ない。冷徹な最期を与える。
キールは立ち上がろうとした。しかし弱った体では、立ち上がることさえ出来ず、再び膝をつく格好となった。
ルイスが体を支える。
「どうする気だ?」
「止めないと…あの子が……」
今のところ、何の問題もないように見える。少女は圧倒的に押している。
だが、それは水魔相手だからだと、キールは知っていた。
あらかたの水魔は片付けた。もう、彼女の前に立ちはだかる者はない。
彼女の周りには、息も絶え絶えの水魔たちが散乱しているだけだ。
プライムは、鋭い視線を水妖の王に向けた。
王もまた、この不思議な存在に驚かされていた。突然現れて、選りすぐりの精鋭達を、あっという間に薙ぎ払ってしまった。
王は低く笑い出す。
「そうか…なるほど……」
一人納得し、何度も頷く。
プライムは血を払う。
「…先生を……」
金の光がますます強くなった。大地が鳴動を始める。
◆◆◆◆◆◆
地鳴りの音が闇に響く。
それはミンスの町にまで届いていた。人々が、不安そうに夜空に目を向ける。
町から離れたキールの自宅にも、低い振動が伝わっている。
(この波動…あの人じゃない……まさか?)
痛みの感覚が狭まる中、シルフィーラはぼんやりと気付いた。
枕もとの女性に目を向ける。
「プライム、は……?」
「あの子なら、先生を呼んでくるって、飛び出して行っちまったって」
女性は答えた。
シルフィーラは眉を顰める。
こんな時にとも思うし、こんな時だからかと納得もする自分がいる。
彼女はふっと、一つ息を吐き出す。同時に、穏やかで静かな笑みを浮かべた。
「ダメよ、プライム……」
虚空に向って呼びかける。手を伸ばし、宙に何かを描いた。うわ言のように繰り返す。
「感情に流されてはダメ。自分をちゃんと持って…貴方、もうすぐお姉ちゃんになるんだから……」
室内に、そよ風が吹いた。居合わせた女達は目を丸くする。
呆れ果てた様子の者もいる。
「あんたって人は……」
シルフィーラは額に汗を浮かべたまま、にっこりと微笑んだ。
◆◆◆◆◆◆
風が吹く。柔らかで、優しい風が。
それはキール達の脇をすり抜け、プライムに届く。
プライムの目が丸くなった。何かを凝視するかのように、その場に固まる。
彼女を取り巻く金のオーラが、いくらか弱まった。
キールが渾身の力を込めて叫ぶ。
「プライム!戻りなさい!!」
びくんと、プライムの体が跳ね上がった。
瞳に正気が戻る。
彼女はそのまま、動けなくなった。目の前のものから、視線を外せなくなってしまう。
水妖の王は、口の両端を吊り上げた。
プライムは後退りをしようとした。しかし、足が巧く動かず、尻餅をついてしまう。
その肩に、触れるものがあった。思わず身を竦める。
彼女を引き寄せ、腕の中にその身を拘束する。縮こまる彼女の左右から、銃弾が撃ち出された。
それはいとも容易く弾き返される。
「掠りもしないか」
「まぁ、当然といえば当然だろう」
プライムは目をぱちくりとさせていた。
何故、こんな事になっているのか。非情に理解できない事態になっている。
彼女の左、やや前方には、キールが立っている。左手に銃を構えて、真っ直ぐに水妖の王を見つめている。
そして、彼女の目の前に、もう一つの銃…あの、蛇の紋章が入った銃があった。
肩越しに腕が伸び、水妖の王に照準が定められている。空いたもう一方の手は、しっかりとプライムを抱えていた。
プライムの混乱を無視して、キールはルイスに訊ねた。
「後、何発残っている?」
「4。お前は?」
「2…と、必殺の1」
プライムを抱えたまま、ルイスは悪戯小僧のような笑みを浮かべた。
「代わってやろうか?」
「冗談…と、言いたいところだが……」
僅かに視線を向け、キールは小さく息を吐く。
「外すなよ」
「と~ぜん!」
二つの銃が宙を舞う。それぞれの手を離れた銃は空中で入れ替わり、それぞれの手に渡る。
キールが、蛇の装飾の入った銃を手に、前に飛び出した。
水妖の王は、すっと身を下がらせる。
水壁が行く手を阻む。が、キールが銃を一閃させると、元の水に戻り、崩れ去った。
水妖の王まで、後数歩のところまで迫る。狙いを定めた銃が火を噴く。
王は自らの手で、それを弾いた。手から、赤い雫が滴り落ちる。
「…この……っ」
王の爪が、キールに襲い掛かった。
金属同士がぶつかり合うような音が響いた。銃に、鋼鉄の爪が食い込んでいる。
王の表情が、怒りに歪む。
「半人如きが…っ、我に逆らうか!!」
「貴様に従ったことは、一度たりともないつもりだが?」
キールは皮肉を込めた笑みを返した。
同時に、渾身の力を込め、爪を押し返す。そこに、別方向から銃弾が打ち込まれた。
怒り狂った王に、それをかわすだけの冷静さは残っていない。腕を掠める。
王が怒りに満ちた目を、打ち込んだ方向へ向けた。
そこにすかさず、キールがゼロ距離から撃つ。それは確かに、頭を貫通した。
が、それでも王は倒れなかった。
「…マジかよ……」
ルイスが呆れたような、疲れた声を出した。
再び蒼い世界が広がる。しかし、それは明らかに今までのものと違った。
どす黒い水が、渦を巻いている。
プライムが手を伸ばす。
「先生…っ」
キールと王の周囲を、黒い水が取り囲んだ。
プライムが暴れだす。
「先生っ。先生!!」
「…ったく、しょうがねぇな……」
ルイスの手が離れた。
プライムは泣きそうな顔で、彼を見上げる。
ルイスは顔を顰めている。そして怒鳴った。
「何やってんだ!行くんなら、さっさと行け!!」
プライムは慌てて走り出す。金の光が、再び彼女を包もうとしていた。
ルイスは、その後ろから銃を構えた。
彼女は黒い水に手を伸ばす。水というより、ゼリーに近い感触があった。
ぐっと奥歯をかみ締め、手に力を込める。
先ほどの感覚が蘇る。水魔を一匹残らず叩きのめした、あの時の五感。違うのは、今はまだ、冷静な自分がいるということだけ。
金の光が膨れ上がった。
繰り出した爪撃と共に、水が切り裂かれる。黒い水が金の光の前に消え去り、二人が現れる。
プライムは愕然とした。危うく、退きそうになる。
中から現れたのは、不気味な化け物。
青銀の鱗に、巨大な魚の鰭。長い体をくねらせ、不気味な唸り声をあげる。
プライムはその巨体の傍に、倒れたキールを見つけた。
駆け寄りたいが、暴れる化け物が邪魔で、近づく事さえ出来ない。化け物を睨みつける。
「邪魔だぁ!!」
叫ぶと同時に、化け物に食らいつく。
が、化け物が軽く身を震わせただけで、あっさりと弾かれてしまう。プライムは地面に投げ出された。
そんな彼女に、化け物が目を向ける。耳を劈く咆哮があがった。巨体がプライムに襲い掛かる。
体勢を立て直す暇はなかった。目の前に、恐ろしい牙が迫ってくる。
ルイスが銃を撃つ。しかし、鉄壁の鱗に弾き返されただけで、妨げにもならない。
プライムはギュッと目を閉じた。
耳に、もう一発の銃声が届いた。
それを撃ってしまえば、後が無い事はわかっていた。
もし外してしまえば、それこそ終わりである。誰一人助かる事はないだろう。
解っていても、撃たねばならないと判断した。
キールの言葉を信用するなら、この一発だけがあの王を倒すことが出来る。
そして、それこそが彼の、たった一つの願いであることを、ルイスは知っていた。
だから撃った。
全ての願いを込めて。
目の前にいるあの子供が、殺されるのが嫌で。
弾が、狂った王の右目を潰した。絶叫が上がる。
ルイスは力なく、その場にへたり込んだ。
当たった。貫通はしていない。弾は体内に残っている。ならば、確実に効果を表してくれるはずだ。
プライムはいつまでも来ない衝撃に、ゆっくりと目を開けた。
化け物が暴れ狂っている。その目が潰されている事に気づいた。ルイスの方に目を向ければ、放心状態の彼がいる。
プライムは痛む全身を酷使して、立ち上がった。キールの姿を探す。
彼は倒れたまま、あの場所にいた。
思わず身を竦める。キールの傍に、女性が立っている。
アーティスウェラとも、エークリューデとも違う。新たな水妖の女性。
彼女は膝をつくと、うつ伏せのキールをひっくり返した。
プライムが駆け出す。
「先生!」
彼女は声に気づき、振り返った。プライムの姿を認めると、穏やかな笑みを浮かべる。
キールが呻いた。その傷に、彼女は手をかざす。
「ごめんね、キール……」
彼が目を開いた。唇が動くが、声は出ない。
女の手が離れる。
プライムが駆け寄ってくると、彼女はすっと立ち上がり、キールから離れた。
傷は塞がっている。完全に治ったわけではないが、動いて痛む程度だ。
だが、キールは起き上がることさえ出来なかった。失血と、黒い水の邪気に当てられたせいだ。
すがるプライムに手を伸ばし、それでも視線は、水妖の女から離れない。
彼女は悲しげに微笑み、彼らに背を向けた。なおももがく哀れな王に目を向ける。
「お父様!いつまでそんな、醜いお姿を晒すおつもりです!?」
凛とした声が響き渡る。
声に反応したのだろうか。化け物の姿が小さくなった。すうっと、元の人型に戻る。
水妖の王は、潰された目を押さえ、娘を睨みつけた。
「グウィンディス…貴様の差し金か……!!」
「自業自得ですわ」
娘は冷たく言い放った。チラリと、二人の妹達の方へ、目を向ける。
エークリューデは身を竦め、アーティスウェラはただ泣くばかりだ。
小さく息を吐く。
「…ご自分の事ばかりで、他人を一切省みなかった……当然の報いではありませんこと?」
「我の物でありながら、我に逆らうか!」
「私は、誰のものでもありません」
ぴしゃりと言い放つ。
王はガクリと膝をつく。娘の言葉に傷付いたからではない。弾丸に込められた呪詛が、体を蝕みつつあるからだ。
娘は冷ややかな視線で、父王を見下ろした。
「私は、私だけのものです。私の生き方は、私が決めます」
「グウィンディス…!」
「どなたの人生も、貴方が勝手にしていいものではありません。亜人種であれ、人であれ……道は、誰もが自分で決めるものです。ですが、貴方はあまりに多くの人を犠牲にした。
だから今、そのつけが回ってきている…それだけの事……そうでしょう、お父様?」
水の檻が、水妖の王を囲った。王には、それに対抗するだけの力さえ、持ち合わせていなかった。
女が振り返る。
視線の先には、ルイスがいた。
「…貴方の妹様は……」
「そいつが殺したんだろ?もう、何も聞きたくない」
ルイスは力なく応えた。普通に反応できた事に、内心、自分でも驚いた。
女が首を左右に振る。
「確かに、殺したのは父です。ですが、妹様……セラ様は………」
女は視線を落とす。固く目を閉じ、唇を引き結んだ。
やがて決心したように、ゆっくりと顔を上げる。
「セラ様は、私達の兄と恋仲でした…兄は全てを捨て、セラ様と地上へお逃げになるつもりでした……」
「そんな話、早々信じられるものか」
ルイスは素っ気無く言い放った。顔を背ける。
「何も聞きたくないと言ったはずだ」
女は俯いた。それから、頭を下げる。
ルイスは舌打ちを漏らす。
「間違えるなよ。アンタの声を聞かせてやるのは、他にいるんじゃないのかって意味だ」
女は目を丸くした。驚きに満ちたその表情が、ゆっくりと笑みへと変わる。
だが、彼女は首を左右に振った。
「あの子はもう、子供ではありません」
「……」
「お父さんになるのですもの。私など、必要ありませんわ」
「だが、親にとって子供は子供だ。子にとって、親がいつまでたっても親であるようにな」
それでも彼女は首を横に振るだけだった。
妹達を振り返る。
「さあ、帰りましょう」
軽く手を上げると、アーティスウェラを取り囲んでいた水牢が消えた。
ふわりと地面に下ろされる。
湖に向かう。
「そのままじゃ、死ぬだけだよ!!」
プライムの声が響いた。
彼女は足を止め、ゆっくりと振り返る。
プライムは女性に駆け寄った。小さなアンプルを、彼女へ差し出す。
「あのタマは、先生のおじさんがつくった特別なもので、水妖にはドクになる成分が入ってるんだって。死ぬまでには時間がかかるけど、体がだんだんくさってしまって、苦しい思いをするって」
彼女は眉を顰めた。アンプルからプライムへ、そして、向こうにいるキールへ視線を移す。
再びプライムに視線を戻す。彼女は身を屈めた。
「いらないわ」
「でも…っ」
「ありがとう」
優しい手が、プライムの手を包んだ。アンプルを再び握らせる。
「でも、必要ないの」
「どうして…?あんな人でも、お父さんでしょう?」
プライムは真っ直ぐに彼女を見上げる。
彼女は微笑んだ。寂しげな微笑は、彼女の息子によく似ていた。
「いい子ね。お名前は?」
「…プライム」
「いい名前ね」
両腕が伸び、プライムを包み込む。腕は温かく、とても優しかった。
「もう、あの人は王ではないの」
「王ではない……?」
「そうよ」
目の前に水妖の、とても綺麗な顔がある。穏やかだが寂しげに微笑んでいる。
「…戻っても、殺されるだけの人よ……」
プライムは何も言えなかった。手が離れる。
女性は立ち上がった。
後ろからエークリューデが、甲高い声で叫ぶ。
「グウィンディスお姉様!それはどういう意味ですの!?そんな馬鹿な事、誰が許すものですか!!」
喚きたてる妹に、彼女は鋭い視線を向けた。
エークリューデは、びくりと身を竦める。
ゆったりとした動作で振り返る。
「…誰が……と言いましたか?妹よ」
「と…当前です!王を死刑にするなど…そんな大それた真似、誰に出来ると言うのです!?」
「国に」
彼女は静かに告げた。
ゆっくりと、流れるような動作で、妹に近付く。
エークリューデは、一歩二歩と後退りをする。顔色が悪い。
「国に住まう者、全てが許しました」
「それが馬鹿げているというのです!お父様は国を統べるお方!何者も、その存在を脅かす事は出来ません!!」
生来の気質なのか、なおも反論する。甲高い声が耳障りだ。
姉の表情は冷徹そのものだ。
「その考えこそ愚かというもの。いかに強大な力を持っても、全てに存在を否定されれば、その力も無いに等しいでしょう」
彼女の手に水が集まる。それは一振りの剣を形作った。
エークリューデの顔色がますます悪くなる。
「愚かな父…エシャレードお兄様を処刑された事で、全てを失ってしまわれた」
彼女は嫣然と微笑む。それはすぐに厳しい眼差しへと変わった。
「選びなさい。お父様と共に逝くか、大人しく私に従うか」
エークリューデは、僅かに父に視線を向けた。
姉に目を戻すと、力なく項垂れる。それは降伏の合図だった。
彼女はゆったりと微笑んだ。振り返り、プライムを見る。
「騒がせてしまって、ごめんなさいね」
そう言ったきり、その姿は水に包まれた。
その場に居た水妖・水魔、全てに、水が覆いかぶさる。
水が消えた瞬間、その場に残るものは三人だけになっていたのである。




