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鐘の記憶を読む令嬢は、辺境都市で未来を鳴らす  作者: 銀細工ナギ


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12/20

偽りの師匠の証言

 市場に集められた証言は、夕暮れまでに三冊の帳面となった。


 水門の見張りを申し出た職人たちは、交代の時刻を決め、子どもたちは倉庫街へ通じる道を見張ることになった。誰かが声を上げるたび、街の空気は少しずつ変わっていった。恐怖に閉ざされていた人々が、自分の見たものを、自分の言葉で語り始めたのだ。


 リゼットは臨時の記録所となった旧商館で、証言の整理を続けていた。


「三年前の冬、水路の水位が下がった。東の商会が井戸を買い取ろうとした……」


 羽根ペンを走らせていると、扉の外で馬の蹄が止まった。


 ユアンが顔を上げる。


「王都からの使者か」


 次の瞬間、扉が荒々しく開いた。


 ヴァルドが入ってきた。昨日までの苛立ちを隠す気もなく、二人の兵士を背後に従えている。その隣には、灰色の髪をした老人が立っていた。


 リゼットの指から、羽根ペンが落ちた。


「師匠……」


 老人はかつて、王都の記録院で彼女を教えた男だった。名をアーベルという。紙の匂いを嗅ぎ分け、古いインクの年代まで言い当てる。リゼットに音の記憶を読む術を教えたのも彼だった。


 だが、追放の日から一度も姿を見ていない。


 アーベルはリゼットを見た。そこには驚きも、懐かしさもなかった。ただ、疲れた役人のような無表情だけがあった。


「この男を知っているな」


 ヴァルドが言った。


「知っています」


「ならば、彼の証言を聞け」


 ユアンが一歩進み出た。


「ここは私の管轄だ。令状を示せ」


「君の権限は停止された」


 ヴァルドは一枚の文書を掲げた。王都監査局の印が押されている。


「辺境都市の混乱を招き、偽造犯を使って虚偽の告発を行った疑いにより、ユアン・レインデル代官を職務停止とする。証言が終わるまで、彼は監督下に置かれる」


「こんなもの、昨日まで存在しなかった」


「必要になったから発行されたのだ」


 ヴァルドは薄く笑った。


 アーベルが前へ出る。


「私が証言します。リゼットは記録院にいた頃から、独断で記録を書き換えていた。鐘の記録も、交易記録も、彼女が勝手に作ったものだ。私は何度も注意したが、彼女は聞かなかった」


 リゼットの耳の奥で、遠い雨の音がした。


 師匠の机。窓辺に積まれた紙。夜更けに灯されたランプ。アーベルの低い声。


『記録は人の記憶を守る。だから、書く者は自分の都合を混ぜてはいけない』


 その声を、リゼットは何度も信じてきた。


「違います」


 彼女は言った。


「私が署名したのは、師匠に命じられた記録です」


「命じた覚えはない」


 アーベルの返答は早かった。


「彼女は自分の能力を誇示するため、存在しない鐘の音を記録した。異議を唱えた私は、彼女に逆恨みされたのです」


 室内の兵士がリゼットの腕をつかんだ。


「証言を妨げるな」


 ユアンが手を伸ばす。


「触るな。彼女は逃げない」


「代官ではない者の命令を聞く必要はない」


 兵士の手が強く締まった。


 痛みよりも、屈辱のほうが大きかった。市場でようやく立ち上がった人々の声が、たった一人の証言でまた踏みにじられようとしている。


 リゼットはアーベルを見た。


「師匠。私が単独で偽造したというなら、なぜ記録院の封印があったのですか」


「お前が盗んだのだろう」


「では、なぜ私の署名の横に、あなたの訂正印があるのです」


 アーベルの眉がわずかに動いた。


 しかし、ヴァルドがすぐに口を挟んだ。


「細部にこだわるな。彼女は罪から逃れるため、恩師まで巻き込もうとしている」


「恩師……」


 リゼットはその言葉を繰り返した。


 胸の奥に、別の記憶が蘇った。追放前夜、アーベルが彼女の机から鍵を取り上げたこと。何かを尋ねようとした彼女に、背を向けたこと。そして、閉じた扉の向こうで聞こえた、誰かと話す声。


『あの子なら、音を読んでしまう』


 その続きは、記憶の霧に沈んでいる。


 兵士が彼女の腕を後ろへ回した。


「リゼット・ベル。虚偽記録の作成、および都市騒乱の扇動の疑いで拘束する」


「彼女だけではない」


 ユアンが低く言った。


「私も同行する」


「代官職務停止中の者に拒否権はない」


「ならば、彼女の証言を記録しろ。拘束の理由と、証拠の出所もすべてだ」


 ヴァルドが鼻で笑った。


「最後まで役人のつもりか」


「役職は奪えても、見た事実までは奪えない」


 ユアンはそう言って、リゼットを見た。


 その眼差しに、守るという色はなかった。逃げ道を示すことも、代わりに戦うこともできない。ただ、彼女が自分の足で立つことを信じている目だった。


 リゼットは小さく頷いた。


 二人は別々の兵士に連れ出された。


 通りには、知らせを聞いた住民たちが集まっていた。パン屋の女が叫び、荷車職人が兵士の前に立ちはだかろうとする。だが、ユアンは首を横に振った。


「今は、争うな。見たことを忘れず、記録してくれ」


 その言葉を聞き、住民たちは道を開けた。


 リゼットが振り返ると、止まった大時計が夕闇の中にそびえていた。


 鐘は鳴らなかった。


 けれど、師匠の証言が終わった瞬間、時計塔のどこかで、聞き慣れない小さな金属音がした。


 ひとつ。


 また、ひとつ。


 誰かが遠くで、偽物の時間を刻み始めていた。

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