第22話 不穏な予感
次の日の朝、テオドールは早速リーフェンシュタール邸へと向かった。エドゥアルトにアドムのこと、キョースケのことを話すと彼はどこか昔を思い出すようなしみじみとした様子で熱心に話を聞いてくれた。
「あのテオに友達がこんなにたくさん」
「前も言ってたよなそれ……まあ、友達。友達だな、うん」
「テオ……!」
「なんだよ、そりゃ宝石眼の呪いを解くための仲間って部分がでかいけどさ。ああやって一緒になんか食ったり、変なことで笑ったりすんのが友達なんだろ? 俺は、そう思ってる。あいつらがどうかは知らないけどな!」
友達。あまりにも曖昧で不確実なその定義。それでもテオドールは彼らのことを友達だと……あるいは、友達になれると思いたかった。
「呪いだって最近は発動してない。俺も普通の人間として生きていられる気がする」
たまに、自分が呪われているという事実を忘れてしまいそうになる。
もはやテオドールにとって、宝石眼の呪いを解くことはさほど必要なことではないのだろう。リーフェンシュタール家についての誤解は解け、ニコラウスたちといることでテオドール自身は呪いを発動するほどに激しい負の感情を抱くこともない。今テオドールが宝石眼の呪いを解こうとするのは、ひとえに仲間……もとい友人のためなのだ。
しかしだからこそ恐ろしかった。宝石眼は得体が知れないのだ。まさに今、テオドールが幸せとも言える状況にいるところを一気に突き落とす……それこそがテオドールへの呪い返しかもしれない。
「……それで、家の調査結果はどうだった? 義兄上」
「ああ、そうそう。やっぱりあの家の記録は確認できなかったんだけどね、エネルギー源は魔法で間違いない。あれは旧文明の遺物だ。建築様式も旧文明的な……簡素な寮のようなものだったみたいだね」
「簡素? あれが?」
「旧文明の建物は本来ならもっと豪華絢爛なデザインが多いからね。魔法の繁栄を表してるような」
「ふうん。ま、あれは確かに何の装飾も無いか」
それにしても寮があんな森の中にあって良いものだろうか。あの家が隠れ家のようなものだったとしたら大きすぎる。もしかしたら隔離施設だったのかもしれない。
何にせよ、あの家については調べてみる必要がある。どこかに何か記録が残っているかもしれない……もっとも、あの家を使っていた人間が魔法で記録を残す人間でなければ、だが。
「またしばらくはプレンシアに留まるつもりだからさ、家の中も一通り調べてみるよ。ありがとう義兄上」
「いえいえ。その後はどうするんだい? ツィトリンの所持者はまだ会えないんだろう?」
「うーん……あ、そうそう。一度イグリシアに行ってみようって話はニコラとしたんだ。あそこは魔法じゃねえけど伝説? みたいなのが色々あるだろ。妖精がいるだとか湖に怪物が住んでるだとか」
イグリシア地区には妖精がいる。その話を最初にニコラウスから聞いたときはテオドールも信じなかったが、魔女に呪われた宝石眼が存在する以上いてもおかしくないのかもしれない。噂では、妖精というのは旧文明時代の魔法の名残だとか。
「なんかの手がかりになるかなって。もしかしたら魔女もそこにいるかもだし」
「なるほど。プライベート船を手配しておこうか」
「いいのか?」
「もちろんだよ」
家の権力というものはこういう使い方をするものさ、とエドゥアルトが笑う。
「家といえば、君たちがアラブリアに行っている間に釘を差す意味も込めてジキル ・ ロルバッハ卿と会ったんだけどね。彼、意味深なことを言っていたんだ」
「あいつが? なんて?」
「『もう宝石を探すのはやめたんだ』って」
その言葉にテオドールは固まった。ジキル ・ ロルバッハといえば紳士の皮をかぶった怪物、善人を演じる悪魔だ。地区ごと実験に使うほど非道で、ハイドの感情を奪うほどに残酷。そして彼を動かすのは魔法への執着……そんなジキル ・ ロルバッハが宝石、つまり宝石眼所持者を探すのをやめたとは。
エドゥアルトがテオドールたちの後ろ盾としてついていることに勘づいているのかもしれない。あるいは、アラブリアのラハブという強大な信仰を集める存在に気づいてしまったのかもしれない。特にムハンマド家を敵に回せばそれはアラブリア地区を丸ごと敵に回すことになる。リーフェンシュタール家だってプレンシア地区一つを動かすことなど造作もない。
しかしジキルはそれで終わるだろうか? 彼の言う「やめた」は本当に素直に宝石眼所持者を諦めるという意味だろうか?
『あの人は強引だ。目的のためなら何だってする』
ハイドの言葉を思い出す。彼の瞳にはやはり恐怖の色がちらついていたようにテオドールは思った。それほどまでにジキル ・ ロルバッハ卿は強欲で狡猾、少なくともムハンマドやリーフェンシュタールのために己の計画を諦めることはないだろう。
「もしかしたらツィトリンの所持者はもうあいつに捕まったんじゃ……?」
「かもしれないね。こちらはロルバッハの動向に注意しておくよ、テオ。君たちは家の中を調べたりイグリシアの調査をしていてくれ」
まだ会えないと言ったツィトリンの所持者。もしかしたらロルバッハに捕まって、かつてのハイドのような状況に追い込まれているのかもしれない。ニコラウスがそれを知ったら絶望するだろう。彼のあのいつもの笑顔が悲しみに変わるのを、テオドールは見たくなかった。
とはいえ確定事項ではない。今わかっているのはあの家が旧文明時代の遺物であることと、イグリシアに行くための交通手段は確立されたということ、ロルバッハの動向には引き続き注意しておいたほうが良いということだ。
テオドールはエドゥアルトにお礼を言って、それからお菓子をいくらかもらってリーフェンシュタール邸を出た。少し暗い、夕方の空。ヴァイスヴァルトはきっとテオドールたち以外から見ればかなり不気味な森だ。
「……ん?」
テオドールの進行方向に、森の方をじっと見つめる女性の後ろ姿が見える。ツィトリンの所持者かもしれない。テオドールは直感的にそう思って走り寄った。女性がゆっくりとこちらを向く。テオドールと彼女以外のすべての時間が止まったような気がした。
「…………」
女性の顔は白い仮面に隠されていた。顔全体はおろか、目元すら覆われている。彼女はヴァイスヴァルトが見えていたのか、それとも目では見えない何かを感じていたのか、わからない。それでもその仮面の下の瞳が金に輝く宝石だったとしたら、このまま通り過ぎるわけにはいかない。テオドールが勇気を出して声をかける前に、彼女の細く儚い声が仮面越しにテオドールの耳に届く。
「セオドア?」
「は?」
かつてニコラウスがツィトリンの所持者と出会ったという記憶の中で、唯一覚えていたその名前。それが己に向けられたことへの驚きのあまり、テオドールは思考を止めた。そしてつい、何も聞かずにそれを訂正した。
「俺はテオドールだ」
「……そう。そうよね。ええ……」
やけにあっさりと、彼女は食い下がる。
「会えないの。まだ、貴方にも、デイヴィッドにも、ナジフにも」
「さっきから何言ってんだ? 誰だよそれ」
「…………ごめんなさい」
悲しそうなその声に、しまったと思った。女性を悲しませるつもりはなかったのだ。テオドールはつい強い口調を使ってしまうきらいがある。
もう少し優しく話を聞こう、何を言っているかはわからないが。
そう思って改めて一歩踏み出した時、風が一際強く吹いた。
「またね、セオ」
「は? おい!」
風にテオドールは目を瞑る。再び目を開けた時、目の前にいたはずの女性はそこにいなかった。そう、まるで魔法のように、忽然と彼女の姿は消えてしまったのだ。
「………………あれ、俺、誰と話してたんだっけ」
誰もいない森の手前、テオドールは一人呟いた。




