第1話 宝石の魔女
人の苦しみは四つある。病、老い、死……そして、生。そう、生きている限りつきまとうこの苦しみはもはや呪いの一種である。
では、それがなければ? あるいはそれを苦しみとして感じなければ? それこそまさに、人類の求める理想郷なのかもしれない。
はるか昔。とある帝国にも、民のため理想郷を求める皇帝がいた。
その強大な力を持ってして創り上げようとした理想郷は完成間近であったが、しかし彼の試みは一人の邪悪な魔女によってことごとく破壊されるのだった。
その魔女は、恐ろしいほどに美しく輝いた……そう、まるで、宝石のような瞳を持っていた。
☆☆☆
ヴァイスヴァルト、というのがこの森の名前だ。ラーマ帝国プレンシア自治区。その首都の北にひっそりとある、誰も足を踏み入れることのない森……の、はずである。
しかし今、そのヴァイスヴァルトには銃声が響いているのだった。
「おとなしく来い、魔女!」
「逃げても無駄だ!」
火薬の音に、乱暴な足音。そして叫ぶ人々の目線の先には、森に差す微かな光を浴びてきらめくブロンドの髪があった。
魔女と呼ばれたその人は、細く白い手足に長い睫毛、陶器のように滑らかな肌を持ち、端麗な顔をしていた。しかし何よりも特徴的なのはその目だ。一度合ってしまえば吸い込まれてしまいそうな、ワインのように深い、深い魅惑的な紫色の瞳。光の加減で時折他の色がちらちらと現れる、それはまるで宝石のように美しいものだった。
「はっ、はっ」
踏みつけられた小枝が折れる音、木の葉が勢いよく揺れる音、その中に混じってひときわ大きな破裂音が、魔女の動きを止めた。
白い脚から流れ出る鮮明な紅。痛む脚に崩れ落ちる魔女に、ついに人々は追いついた。
「間違いない、こいつが宝石の魔女……」
「っ、宝石の、魔女?」
「しらばっくれてんじゃねえ! 厄災の元凶が!」
魔女がわからないという顔をすると、痺れを切らしたのか一人が魔女の頭に銃を突きつけた。
殺される。
……刹那、魔女の目が強い光を放った。いや、光というには禍々しすぎるかもしれない。瘴気のようなそれが周りの人々を取り囲む。
「! なんだ、苦し」
「……そうか、これが、くっ、厄災の……」
一人、また一人と倒れていく。魔女は目の前に広がる光景に絶望した。しかし己の力を制御する術を、魔女は知らないのだ。
「やめ、なんで、いやだ」
いくら嘆いても、倒れた人々の息は細くなっていくばかりだった。恐怖が膨れ上がる。それに応えるかのように、その禍々しい力は森さえも呑み込もうとする。
こんなこと、望んでいない。なのに。
ふと、足音がした。咄嗟にあたりを見渡す。動かない人間の体を最後に、魔女の記憶は途切れた。
☆☆☆
「やあ、魔女さん」
目が覚めたとき、魔女を覗き込んでいたのは見知らぬ青年だった。眼鏡をかけた、黒髪の青年。やけに古めかしいコートに身を包んでいる。
「…………誰だ」
「そんなに怖い顔しないで。ここはお前の家?」
青年が視界から逸れると、見慣れた部屋に気づく。といってもそれは殺風景なものだった。ベッドと、シェルフ。サイドテーブルが申し訳程度に置かれ、花瓶の中には何もない。
「勝手に入ってごめんよ。でも緊急事態、ってやつだったろ?」
「……! そうだ、あいつらは」
「ああ、あの人たち? 息はあったから森の外に放り出したよ。そうしたら変な顔して逃げてった」
「い、生きてたのか。よかった」
「優しいんだね」
青年は微笑んだ。
魔女は少しずつ状況を理解し始めていた。自分を襲ってきた人間たちに対して、意図せぬ反撃をしてしまったこと。でもこの青年のおかげで、自分も彼らも助かったこと。そして今、家にいること。
では、この青年は何者なのか?
「お前、何者だ?」
「俺? ああ、そっか。魔女さんにとって俺は今不審者だ」
けらけら笑う青年にふざけているのかと問いたくなるが、また「ああなって」しまっては大変だ。静かに答えを待つことにした。
「俺は、ニコラウス。まあ、旅人みたいなものかな。ニコラって呼んでよ」
「旅人?」
ただの旅人にしては格好が古めかしいことだ。どう見ても怪しい。
「さ、俺も名乗ったんだから魔女さんも」
「……俺は、テオドール。魔女じゃねえ。男だし」
「テオドール?」
魔女……テオドールの名前に、ニコラウスは少し驚いたような顔を見せた。それから何か考えると、また笑顔に戻って明るい声を出した。
「じゃあ、テオね」
「はあ?」
あまりに馴れ馴れしい態度に今度はこちらが驚きを隠せなかった。テオドールが会ったことのないタイプの人間だ。こういう人間にどう対応してよいのか、テオドールはわからない。何も言葉を返せずにいると、ニコラウスが話を続けてくれた。
「テオはさ、さっきの『あれ』が何だったのか知ってる?」
さっきの「あれ」……テオドールの目から放たれた禍々しいあの光のことだろう。
テオドールは頷かなかった。理由は、「あれ」の正体を知らなかったから。しかし首を横に振ることもできなかった。正体は知らなくても、「あれ」がどんなもので、どれほど危険なものであるかは知っていたから。
あの現象は、テオドールにとって初めてのものではない。
「……お前は、知ってるのか」
それを言うだけで精一杯だった。聞いてくるということは何か知っているのだろう。旅人を自称しているが、こんな森を好んで訪れるのは己の度胸を誇示したい学生か、先ほどのように「目的」のある連中くらいだ。
ニコラウスはどうも前者には見え難い。かといって、その目的はテオドールにとって害となるものではないはずだ。
テオドールの問いに、ニコラウスはやけにあっさりと答えた。
「うん、知ってるよ。それは旧文明に由来するものだ」
「旧文明……」
その言葉は森で暮らすテオドールでも聞いたことがある。いや、正確には森で暮らす前のテオドールが学んだことの一つだが。
はるか昔、このラーマ帝国が位置する大陸には今とは異なる文明が築かれていた。それが旧文明だ。
「今とは異なり魔法で築かれた旧文明は百年前に滅んだ……『厄災』によってね」
厄災。先ほどテオドールを襲った男たちもその言葉を口にしていた。もちろんテオドールもその言葉を知っている。おそらく、この帝国にいる者は皆知っているだろう。
定期的に起こる、災害のような何か。それが厄災だった。厄災が起こった時、作物は枯れ、機械は止まり、空は光を失う。一度厄災が起こると、世界には感染症の急速な蔓延や急激な老化現象による死者が大量に発生し、生きていくことすら恐ろしいディストピアへと変貌するのだ。最後に起こった厄災はテオドールが生まれるより少し前のことらしい。それはまるで新文明の発展を阻害するかのようだったという。
「厄災の原因はこう伝えられてる。『宝石の魔女』……テオと同じ宝石のような目をした、おそらく旧文明時代の人間だ」
「ちょっと待て、俺は違う! そいつのことも今知ったし、厄災に関係なんて」
「もちろんわかってる。テオは見た目から察するに十代半ば、前回の厄災は十七年前、無理な話だ。もっともお前が魔法を使って年齢を操作していなければ、だけどね」
「魔法なんて」
使えるわけがない。
そう言いかけて、テオドールは言葉を飲み込んだ。使えるわけがない、なんて言い切れなかった。先ほどの現象は、魔法ではなかっただろうか? 旧文明時代の人間である「宝石の魔女」、その特徴である宝石のような目、厄災の一部のようなあの現象……偶然にしてはできすぎている。無関係であるとは思えない。
「どうすりゃいいんだよ、俺は、俺は厄災なんて知らねえし、あの現象だって、何だかわけわかんねえし」
「大丈夫だよ、テオ。お前が厄災の元凶じゃないのはわかってる。テオのそれは、たぶん『宝石の魔女』の呪いだ」
「呪い……?」
「うん。宝石の魔女は前の厄災で人々に呪いを残した。その一つだ」
呪い。そう言われれば合点がいく。あの現象は幾度となくテオドールを苦しめてきた。もちろんテオドールだけではない。周りも。
ニコラウスはテオドールに手を差し伸べた。
「俺はお前を救いに来たんだよ、テオ。一緒にその呪いを解こう」
それはあまりにも突然の出会いで、信じられないような話。
本来のテオドールなら、こんな見知らぬ人間の言うことを信じなかっただろう。そもそも、この青年がなぜそんなことを言い切れるのか、この先本当にテオドールに危害を加えないのか、何も定かではないのだから。
が、この呪いとやらのせいか、あるいはこの青年の屈託のない笑顔のせいか、気づいたときには伸ばされた手を取っていた。
タラノリオと申します。読んでくださりありがとうございます!
中学の時に構想して、高校で書き上げた思い入れある作品です。チャート片手にヒーヒー言いながら書いておりました……。最初、この紫水晶の章は特に伏線いっぱいなのでじっくり読んでいただけると嬉しいです!
引き続きよろしくお願いいたします!
タラノリオ(2026.8.12)




