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クルシェは殺すことにした  作者: 小語
第2章 標的を暗殺しに行こう
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第9話 一方は穏やかな夜

 すっかり日が沈んだ街は、天空から降りかかる闇に抵抗するように人工の明かりで暗黒を払拭していた。


 昼間は無表情だった電飾も今は煌々と華やかな光を放ち、媚びを売って腹のなかへと客を収めようと必死な面持ちだ。


 陽光の下では閑散としていた通りには、酔客や鼻の下を伸ばした男で溢れ、欲望の坩堝と化している。

 そのような喧騒のただなかにあって、端然と静謐を保って営業しているのは〈白鴉屋〉をおいて他にはない。


 その〈白鴉屋〉にはクルシェたちの姿があった。主人であるスカイエは例によって所用があり、店番をしているのはソウイチだ。


 まだ宵の口であるのと、この店の客は少数の常連しかいないというのもあって、クルシェとソナマナンしか客はいない。


「おかわりくださいな。ソウイチ、あなたも結構腕を上げたのではなくて?」


 ソナマナンが杯を差し出して微笑んだ。

 酔いが回って艶美さを増したソナマナンは、その恐ろしさを知るソウイチですら見惚れている。


「は、はい。どうぞ。明日も仕事なんだから、飲み過ぎるのはよくないっすけど」

「あら、ご心配なく。この程度はいつものこと」


 そう言ってソナマナンは湯気の立つ黒い液体を口に含む。ソナマナンが好むのは、麦焼酎の珈琲割りという飲み方だ。

 珈琲の覚醒効果と酒の陶酔を同時に味わう粗野な酒だが、冬の寒さのなかでは温まるとソナマナンは言う。


 上機嫌のソナマナンを尻目にクルシェが口を開いた。


「相手は〈月猟会〉だと思っていたのに、〈巡回裁判所〉まで関わっているなんて予定外だったわ。イヤな感じ」

「ま、あの〈巡回裁判所〉とかいう奴らの狙いは〈月猟会〉だろう? 元々あいつらを探っていたみたいだし」

「そうだけれど、問題は〈巡回裁判所〉が標的とするのは魔女だということ。もしかしたら、〈月猟会〉には王国が恐れるほどの魔女がいるのかも」

「それは、歓迎できない事態だなー」


 ソウイチはクルシェの酒杯(グラス)が空になったのを見計らい、新しい酒を差し出した。スカイエに店番を任されるだけあって、こういうところは如才ない。


「お二人さんてば、本当に若いわね。私にもそういうときがあったわ」


 ソナマナンは遠い目をし、また焼酎の珈琲割りを喉に流し込む。


「どういうこと」

「〈月猟会〉を〈巡回裁判所〉が調べているなら、邪魔者同士相食(あいは)んでもらえばいいのよ」


 ソナマナンの言うように〈月猟会〉と〈巡回裁判所〉が潰しあえば、クルシェたちが危険を冒す必要はなくなる。


「確かになー。今日会った、ハチロウとリヒャルトだっけ? 険悪な雰囲気だったし、あいつらがやり合ってくれれば、俺も楽なんだけど」


 手の空いたソウイチが酒杯に満たされた麦酒(ビア)を呷る。この男も酒が嫌いではなく、男性だけあって量だけならば二人よりも飲めるのだ。


「でも、それだとフリードを殺害した相手が分からないままよ」

「私たちの標的はクオンなの。クオンさえ殺せればいいのだし、第一に手を下したのは別にいるとしても、命令を下したのはクオンのはずよ。ほら、同じことじゃないの」

「そっか。暗殺には実行した人間だけでなく、それを命令した人間もいるのよね」


 珍しくクルシェが素直に頷いた。


「そうでしょう、そうでしょう⁉ ほら、これでめでたし、めでたしね! はい、ソウイチ、お代わり!」


 酔っぱらい過ぎて色気よりも陽気さが先行してきたソナマナンに、ソウイチは黙ってお代わりを用意してやる。


「まったく。これで最後にしときなよ」


「はーい。ソウイチちゃん、あとで家まで送ってちょうだいね」

「イヤっす」


 断られても理解していないのか笑い声を上げるソナマナンを横に、クルシェは静かに杯を傾けた。


「〈巡回裁判所〉が勝ったり、共倒れになったりするとは限らないと思うけれど」

「え、どういう意味だ」


 もはやまともな会話はできそうにないソナマナンの代わりに、ソウイチが応じる。


「〈月猟会〉が損害なく勝つことだって考えられるわ。昼間に会ったハチロウからは、それくらいの凄味を感じた」

「そんな……」


 信じられないというよりは、信じたくない、といった面持ちのソウイチだ。

 しばしの静謐が場に満ちる。ソナマナンは泥酔したらしく、上半身を卓上に預けて寝息を立てていた。


「それでも、わたしは諦めない」


 クルシェが蒸留酒の牛乳割りに視線を落としながら呟く。


「フリードさんの仇だもんな」

「……フリードはわたしを育ててくれた。フリードの仇を諦めるわけにはいかないわ。絶対に」


 クルシェは再び決然とした殺意を露わにしてみせた。

 二人が沈黙していると、不意に酒場の扉が開かれた。


「ごめんなさい。思ったよりも帰りが遅くなってしまったわ」


 この酒場の主、スカイエがそう言いながら婉然と微笑んでいた。


「あ、スカイエさん、お帰りなさい」

「みんな、楽しんでいるみたいね」


 スカイエはカウンターの奥まで入ると手を洗った。


「ソウイチ、もういいわよ。後は私がやるから」

「分かりました」


 ソウイチは頭を下げると、調理場に相対する座席のクルシェの隣に腰かける。


「今日の首尾はどうだったの?」


 スカイエの問いかけにクルシェが応じる。


「うん。〈月猟会〉に探りを入れて幾らか分かったことがあるわ。あんまり喜ばしい情報ではなかったけれど」

「あら、どうしたの」

「〈巡回裁判所〉まで〈月猟会〉を調査していたの。下手をすれば、どちらとも敵対することになるかもしれない」

「〈巡回裁判所〉……」


 スカイエがソウイチを見やった。クルシェもその視線を追うと、ソウイチは目線を落としていて二人に見られていることに気付いていない。


 ソウイチもそれなりに神妙な表情をしているが、ことの深刻さを理解してはいないだろう。


「クルシェ、今からでも遅くはないわ。やっぱりこの仕事は……ね?」

「ううん。もう遅いの。どっちにも喧嘩売っちゃったから」


 依頼からは逃げないクルシェの意思を受け、スカイエは口を噤んだ。

 重くなりかける空気を払拭するようにスカイエが笑顔を見せる。


「そう言えば、どう? ソウイチの作ったお酒の味は?」

「美味しいわ。これならお金を出してもいいくらい」

「ソウイチもウチで働き始めて一年くらい経つものね。私から見ても、随分進歩したと思うわ」

「いやー、はっはっはっ、照れますね」


 ソウイチが頭に当てているのを見詰め、クルシェが疑問を発する。


「ソウイチは何で〈白鴉屋〉で働き始めることにしたの?」

「まあ、時給が良かったからな」

「ソウイチはお金のことばかり言うけど、何か理由でもあるの」


 クルシェの問いを受けて、ソウイチは苦笑しつつ麦酒を呷った。


「親が商売人だからかな。やっぱり血は争えないってことかもなあ」

「いつも愚痴っているお父様のことね」

「ああ。俺は大陸北部に移住したハクランの子孫で、祖父が反物っていう布の商売を起こして成功した人でさ。それからウチは商人の家系なんだ」


 ソウイチは中身が半分残った酒杯を両手で包み、その表面に瞳を向けている。黄色い液体に映るソウイチの顔は気泡に揺られて安定しない。


「俺は長男だから後を継がないといけないんだけど、それが嫌だったんだ。親父のやっているような商売は、俺の性格に合わなそうで。家を飛び出したんだ」

「大胆なことをするのね」

「ま、家を出た理由はもう一つあるんだけど。とにかく、何かにつけ商売の心得を押しつけてくる親父に反発があったのは事実かな」


 酒杯の表面には水滴が浮かび、一筋が涙のように滴って卓上を濡らした。


「親父に言われたよ。『お前には金を稼ぐ器量が無い』って。俺の親父ってのは、そういう人間だったんだ」

「それじゃあ、後悔はしていないの」

「うん。俺よりも優秀な弟が二人いるからな。後悔も心配もしていないよ。ただ、親父とは違うやり方で金を稼ごうって、意地になっているのかな」

「……ただの酒場の店員ではなく、私たちの手伝いをするようになったのはどうして?」


 酔っているせいか、クルシェは常よりも口数が多い。


「それはスカイエさんから誘ってくれたことだからな」

「ソウイチは気が利くから、クルシェを手助けしてくれると思っただけよ」


 これ以上スカイエから有益な情報を引き出せないと知るクルシェは、諦めたように揃って酒杯を傾ける。


「二人とも、明日も忙しくなるでしょうから、そろそろ切り上げた方がいいわね」


 スカイエの言葉にクルシェは同意だった。


 問題は泥酔しているソナマナンの世話を誰が行うか、とうことである。互いに押しつけ合うような視線を交わすクルシェとソウイチの間に、不可視の火花が飛び散った。


「い、いいのよ。私が起こして帰らせるから。二人は気にしなくても」


 三者の思惑を知らずにソナマナンは眠り続けている。

どうでもいいソウイチの生い立ちです。

あんまりクルシェが他人に対してどう思っているか表面に出ないのが難しいところです。

少なくともソウイチと会話するのは嫌いではなさそう。

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