第7話 〈月猟会〉と〈白鴉屋〉
「そろそろハチロウも帰ってくるだろう。調査した結果をみんなに聞かせたい。……九紫美、出てきてくれ」
執務室でクオンがそう言った声を聞き、『彼女』は部屋のなかに入る。
ただ、『彼女』が入るのはドアからではない。
まず壁の表面に黒いものが浮かび出た。それはすぐに人間の形だと判別出来るようになり、壁から離れて室内にその全貌を現す。
壁をすり抜けたとしか思えない方法で出現したのは、細身の女性だった。
黒の長髪が腰までその背中を包んでいるが、頭部の右側の一部分だけが深紅に染まっているのが特異だった。
双眸は無明を宿した黒瞳で、容易に感情を窺わせない底知れなさに沈んでいる。
着用している黒いワンピースと対照的に肌が白く、顔や手などの露出している部分が浮き立っているようにも見える。
目尻が鋭く、その表情の冷たさが相貌にきつさよりも無機質さを感じさせた。
その女性、九紫美は腰かけるクオンの横に並ぶ。
「ハチロウだけでなく、エンパたちも呼んでいる。彼女らもすぐ来るだろう」
「私とハチロウの旦那だけで十分だと思うけれど」
「まあ、そう言わないでくれよ。手勢は多い方がいいだろ?」
クオンからそう言われ、九紫美は頷いた。
ほどなくして執務室を訪れたのは、三人の女性だった。
「あんたらは壁際に立ってな」
ソバカスのある小柄な女性が命じる。その後ろに続いていた二人の女性、長身の方は肩を竦めて壁に寄りかかり、青髪の女性はふざけたように敬礼してから壁際に立った。
「若頭、お待たせしました。話したいことって何です?」
「ああ。月猟会にとって厄介な存在がいるんだ。ハチロウも来たら説明しよう」
「はあ。身の程知らずもいるもんすね」
小柄で金髪、粗野な言葉とは裏腹にどこか素朴な顔立ちをした女性は執務室の中央にある革張りのソファに腰かけた。
九紫美はその女性に蔑みの視線を向ける。
〈蜂の巣〉エンパ。ハチロウとは異なり正式な〈月猟会〉の構成員である。ただ、どちらかというとクオンよりは現会長のラザッタの息がかかった人物だ。
クオンの支援という名目でラザッタから貸されているが、クオンの情報を飼い主に流していることは明白である。
人手不足のクオンからすればいないよりはマシな女だが、有益なのはエンパに付き従っている二人の女性だ。
今もエンパの後ろに控えており、機関銃を乱射するだけが精々のエンパ本人より二人の方が有能ですらある。
その二人を利用するためにエンパの受け入れを許容しているようなものだ。
エンパの入室後、十数分ほどしてからハチロウが現れる。
沈みかかって赤くなった日差しを浴び、全身が血に染まったようなハチロウはドアを開けて軽く頭を下げる。
「ご苦労だったな、旦那」
クオンが執務机から労いの言葉を投げると、ハチロウは笑った。
「その分、タダ酒を楽しませてもらった。役得かな」
「遅いと思いましたよ。早く帰ってもらわないと困るすよね。こっちも忙しいんだからさ」
声を上げたエンパにハチロウが鋭い視線を向ける。
「若頭には先に電話で報告を入れている」
ハチロウのにべもない口調からも、エンパの評価が高くないのは察せられた。
「旦那のおかげで先方の身元が分かった。助かったよ」
クオンは客分のハチロウに改めて謝意を伝える。
〈花散らしのハチロウ〉。
何人もの若い女性が花散るように命を失った〈花散らし事件〉の濡れ衣を着せられ、その事件をもじった二つ名で呼ばれる彼は大陸各所で令名を誇る。
クオンが配下のなかでは最大限の礼を以て遇する主力の一人であった。
ハチロウはエンパの向かいのソファに腰を下ろす。長脇差は邪魔にならないように腰から外し、手で持っていた。
「それじゃあ、本題に入るか。九紫美も聞いていただろう。巡裁がウチを嗅ぎ回っているらしい。ハチロウの旦那にも目的は話さなかったようだが」
「急激に勢力を伸長した〈月猟会〉に、強力な魔女がいると考えたとしても不思議ではないわ」
九紫美はクオンの横顔を見ながら応じた。
「奴等の狙いは魔女だと分かっているからな。また後で考えよう。それで、もう一組の素性についてだ」
クオンは一度言葉を切ってから続ける。
「まず、金髪の少女だ。名前はクルシェ。有名な仲介人である〈白鴉屋〉のスカイエからの依頼を専属で請けているようだ。若いが、殺し屋らしい」
「今度の敵は、その小娘ということね。でも、少し安く見られたのではなくて」
「まあ、ウチを過小評価しているわけではないだろう。クルシェも活動期間はここ半年だけで、それなりの実績を上げている」
クオンが調査結果の報告書を見て、眉間にしわを寄せる。
「ヒュー・プラントを殺したのもクルシェだ。まったく、警察にも顔の利く貴重な俺の配下を殺しやがって」
苛立つクオンの声音に返答したのは、このなかで実際にクルシェと会ったハチロウだ。
「あのお嬢ちゃんのことを侮ってはならないでしょうな。恐らく、俺と影嬢しか相手にできまいと存ずる」
『影嬢』というのは、ハチロウが九紫美を呼ぶときに使う言葉である。ハチロウなりに敬意を払っているらしく、九紫美はその呼び方を咎めることはなかった。
ハチロウの言葉にエンパが毒づく。
「けっ、あたしじゃ相手にならないとでも?」
「お前の後ろの二人ならやれるだろうがな」
「旦那。あんまりこのエンパを舐めてもらっちゃあ……」
「エンパ」
九紫美の静かだが有無を言わせない声を聞き、エンパは言葉を喉の奥に飲み込んだ。
「旦那に口答えしないで。彼は得難い存在だわ。幾らでも替えの利くあなたと違って」
エンパは反感を隠そうともしなかったが、反駁するほどの度胸も無いようだった。二人の険悪な空気を浄化しようとしたのか、クオンが口を開く。
「エンパ、悪く思わないでくれ。ハチロウは相場に比べて格安でウチに来てもらっているからな。本当なら俺の下働きをする人間じゃない」
「はあ……」
クオンからそこまで言われてエンパは頷くしかない。
「……話を戻そう。クルシェの活動期間は短いが、その実力は評価されていて〈黙約のクルシェ〉とも言われている」
「ほほう。その〈黙約〉とは?」
「狙われた人物は必ず命を落とす、それが暗黙のうちに約束されているという意味の二つ名らしい。軽視していい存在ではないのは分かるだろう」
一同はその認識を共有したようだった。クオンの言葉を軽んずる気配は誰にもない。配下の様子を見たクオンは満足そうに首を縦にゆっくりと振った。
「次にクルシェと一緒にいたもう一人の女。あのソナマナンだということだ」
この街の裏社会に詳しくない九紫美とハチロウの反応は薄い。ソナマナンについて顕著な驚きを示したのはエンパだ。
「〈毒婦〉っすか! あの怪物が〈白鴉屋〉の手駒だったんで⁉」
「クルシェよりも、むしろソナマナンの方が脅威だろう」
クオンが説明を続ける。
ソナマナンは初めからこの街で活動していた訳ではなく、ここ二年ほど前にカナシアに流れてきた。
〈毒婦〉という二つ名を有するのは、魔女であるソナマナンの魔力に由来している。
ソナマナンの魔力は体液を強力な神経毒にするというものだ。ソナマナンの体液が付着した者はその毒に侵され、確実に落命すると言われている。
毒という魔力を発現する媒介が体液であるため、その美貌も手伝って男性を標的とした仕事では、ソナマナンは無類の成功率を誇る。
近隣の都市を含めれば、年間で男性を軽く四十人以上は殺害しているとされる。ソナマナンは、殺した数だけなら間違いなくこの街で五指に入るはずだ。
「厄介なのは、体液が猛毒なだけあって、ソナマナンを傷つけて一滴でも返り血が付着すれば自身も死んでしまう点だ。旦那は〈別離にさよなら亭〉で浅慮を避けて正解だった」
「はは、命拾いしましたな」
ハチロウが恬淡として笑う。九紫美が言葉を引き継ぐ。
「ソナマナンは私が引き受けてもいいわ。魔女にはそれなりの対処が必要よ」
「ありがとう。九紫美ならソナマナンの魔力も効かないだろうからな」
クオンは最後の紙片に目を落とす。
「そして残った男が、ソウイチ・エアイ・カバシマ。〈白鴉屋〉の雑用だそうだ。クルシェとソナマナンの手伝いをしている」
クオンが情報を上げても声を出す者はいない。
別段取り上げることもない存在なのだ。
「えーと……、とりあえず、〈白鴉屋〉への見せしめとして殺しておいてもいいかな。以上」
とりあえず殺されることが決定したソウイチの話題は十四秒で終了した。
「〈白鴉屋〉の手勢はこの三人だ。経験の浅さを加味してクルシェにソナマナンをつけたのだろうが、俺達からすれば取るに足りない相手のはずだ。いつでも始末できると考えていい。そうだろう?」
配下の沈黙が肯定を意味していると知るクオンは、双眸を細めて笑みを作る。
主要な敵が出払う回です。
九紫美とハチロウという強敵。エンパは扱いが軽いですが、その部下が強いらしいです。
地味にソナマナンが大物っぽい説明が入ります。お気に入りなので、えこひいきですね。
体液が毒になるので、美女なだけに男性相手だとほぼ無敵状態です。
本当は二つ名が〈毒女〉(どくじょ)になる予定だったのですが、辞書によると『毒女』と書いてブスと読むそうです。残酷スギィ!
ソナマナンをブスにするのは可愛そうだったので〈毒婦〉になりました。それもいい意味じゃないけど。




