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Rosy Star  作者: 桐央琴巳
3/3

(3)

 秋から冬へと、季節は移ります。

 夜毎雄羊の背に身を預けはするものの、ロージィの心はうじうじとして晴れません。無気力にぼんやりと、雪化粧された地上を 眺めていたロージィは、セイランジュを攫っていった若者を見つけました。

 賑やかに人が行き交う大都会。だらしなく酒に酔った若者は、セイランジュではない派手な女の人と身を寄せ合って歩いています。

「どうして……?」

 一体何が起こったというのでしょう? ロージィは大急ぎで、セイランジュのお家に眼差しを向けました。いいえ、そこにも戻っていません。灯が消えたがらんどうのお家からは、お父さんの姿さえもなくなっていたのです。

「セイランジュ……?」

 喪失感と後悔に蝕まれながら、ロージィは懸命に見渡しました。街を村を山を森を海を草原を。

 ああ! セイランジュはどこへ消えてしまったのでしょう? 身を焼き尽くすような焦燥は、ロージィを鮮やかに煌めかせます。冷たく張りつめた(そら)の片隅で、薔薇色の星がきらきらと輝きました。ぼくはここにいるのだと、きみを求め、きみを捜しているのだと、言葉にできない想いを告げるように――。

「……お星さま……」

 その微かな呟きを、ロージィは聞き逃しませんでした。

「セイランジュ!」

 まるで、ロージィの呼び声に応えるように。

 瞳いっぱいにロージィだけを映して、セイランジュは両手を差し伸べました。あの日以来、雲の向こうに隠れていたロージィが、今宵はとてもはっきりと見えるのです。それは彼女が、大人になることと引き替えに、見失ってしまっていた、小さな幸福の光でした。

 セイランジュの頬を、止め処なく涙が、伝います。

 移り気な恋人に裏切られて、傷心を抱え故郷に戻ると、お父さんは病に倒れて死の床についていました。

 取り戻せない時を悔やみながら、セイランジュはたった一人でお父さんを看取りました。疲労と孤独がセイランジュを苛んでいました。白く雪を被ったお父さんとお母さんのお墓の前で、セイランジュは力なく崩れ落ちます。

「セイランジュッ!!」

 雪積もる墓地で、夜を明かせば。

 セイランジュもまた、神さまのもとへ召されてしまうでしょう。

 人は死んでも星にはなれないのです。この世のどこにも、いなくなってしまうのです。

 ロージィは雄羊の首を抱き締めて、ぎゅっと額を押しつけました。闇に沈んだ大地は遙か遠く、あまりの高さに眩暈がしそうです。

 ああ、けれど……!

 主人の強い決意を察して、雄羊は寂しげにめぇめぇと啼きました。そのまろく温かな背に、ロージィはそろりと立ち上がります。

「ロージィ! 何をするんだ!」

 呼び止める声に振り返れば、血相を変えたマシュキートが、星々の軌道を乱しながら駆けつけてくれようとしていました。ロージィは断るように首を振ると、マシュキートにお別れを告げました。

「さようなら」

「ロージィッ!!」

 夜の闇を切り裂くようにして、星が一つ、流れました。



*****



 ――お星さま。

 呼びかけると、その星はいつも、恥ずかしそうに瞬いてくれました。

 ――お星さま、あのね。

 淡い薔薇色の星のはずなのに、窓辺でおしゃべりをしていると、紅くなったり、蒼くなったり、しているように、見えることもありました。

 ――お星さま。セイラだけの、お星さま。

 その星は、セイランジュのお母さんではありません。けれども遠い(そら)からずっとずっと、見守ってくれているような気がしていました。

 子供じみた独占欲だと、若者は、笑いました。

 そうしてそれが重いのだと、知らない町で、セイランジュを突き放したのです。

 お母さんは、ずっと昔に。お父さんも、いなくなってしまいました。昔気質な村の人たちは、駆け落ちから出戻ってきたセイランジュに冷ややかです。

 ――ひとりぼっちに、しないで……。

 熱に浮かされたセイランジュの指先を、誰かの指が、絡め取りました。

 ――しないよ……。

 朦朧とした、意識の中。

 愛おしむように囁かれ、抱き締められたように感じたのは、気のせいだったのでしょうか?

 セイランジュがおもむろに目を開けると、静やかに夜明けを迎えた礼拝堂の中。薄紅色の髪をした、見ず知らずの少年が傍らにいました。

「助けて下さったのね……。ありがとう……」

 少年は何も言わず、ただ横に、首を振ります。

 初めて逢ったはずなのに、少年の瞳は、恋しくて懐かしくて、胸が締め付けられるような色をしていました。幼い頃に亡くした、お母さんの瞳の色。いいえ。今はもう夜空から欠けてしまった、大好きだったお星さまの色です。

「わたしは……セイランジュ、よ……」

 セイランジュが名乗ると、少年は頷きました。その声がどうしても聞きたくて、セイランジュは尋ねました。

「あなたの……、お名前は……?」

「ロージィ」

 星々がそっと触れ合うような清かなる声で。

 短く答えて少年は、ふわりと優しく微笑みました。



*****



「お星さま」

 窓辺の床に跪き、少女は切に祈ります。

「お星さま、お願いします。どうかお父さんの病気を治して下さい」

 色取り取りの星々がひしめく、真冬の夜空。少女はただひたすらに、最も強く清冽に輝いている、冬の一番星を見上げます。

 少女の大好きなお星さま――。

 青く堂々とした大きなその星が、不意に長く尾を引きながら流れ墜ちました。

「お父さん!」

 絶望的な思いで、少女は自分のお部屋を飛び出して、お父さんの寝室に駆け込みました。

「お父さん、お星さまが墜ちてしまったわ!」

「うん、見ていたよ」

 寝台に横になったまま、お父さんは穏やかに言いました。

「泣かなくていいんだよ、エランゼア……」

「だって……」

 何日も何日も、少女が――エランゼアが、お星さまに向かって祈り続けてきたのは、他でもないお父さんの快復なのです。寝台に顔を伏して、泣きじゃくるエランゼアの髪を、お父さんは慈しみを込めて撫でてくれました。

 どんどんと、扉を叩いて、おとなう音が、響きます。

「エランゼア、お客さまだよ」

 お父さんに促されて、エランゼアはのろのろと立ち上がりました。涙を払って玄関へ行き、扉の向こうに尋ねます。

「どなたですか?」

「きみのお父さんの知り合いだ」

 答えたのは、エランゼアがまるで知らない男の人の声でした。

 訝しみながら扉を開けて、エランゼアははっと息を飲みました。魂を吸い込まれてしまいそうな碧眼の、素晴らしく美しい青年が立っていたのです。

「こんばんは、お嬢さん。不躾で申し訳ないが、お父さんに会わせてくれないか?」

 跳ね上がる心を静めながら、エランゼアは気丈に首を横に振りました。

「お父さんは病気で……、床から離れることができないんです」

「そのままで構わない」

「……どうぞ」

 真摯な眼差しに押し切られて、エランゼアが躊躇いながらもお父さんの寝室へ案内すると、青年は仲の良い兄弟のような親しさで、お父さんの名前を呼びました。

「よう。久しいな、ロージィ」

「マシュキート……」

 眩く麗しい、冬の一番星。マシュキートは別れたその日と変わらぬ姿でそこにありました。

「ったく、何て様だよ。ロージィ」

 エランゼアが勧めてくれた椅子にどっかりと腰掛けて、マシュキートは溜め息混じりにぼやきました。

 人として齢重ね、煌めく星であった頃の容色は、とうに衰えてしまっていましたが、彼を彼と識別させる薔薇色の瞳を細めて、ロージィは懐かしそうに微笑みました。

「そうだね、だけど……。幸せだったよ、ぼくは……」

「知っているさ」

 ロージィの嘘偽りない感慨を受け止めて、マシュキートは身を屈め、エランゼアには聞えないよう声を潜めました。

「このおれを、エランゼアの死んだ母親に、仕立て上げたのは誰だ」

「そうだったね」

 それは人にとっては遠く、星にとっては近い日の出来事でした。

 妻を野辺に送った悲しみの夜、ロージィは幼い娘を宥めながら、迷わずマシュキートを指さしたのです。あれがエランゼアの、お母さんなのだと――。

「きみにはよくあることだから、一人増えても大丈夫かなあって」

「賢明な選択だな」

「今までは、ぼくだってそう思っていたよ。マシュキート、どうして、ここに……?」

 心底不思議そうなロージィの問いかけに、マシュキートは自嘲するように肩をすくめました。

「きみと、同じ理由さ」

 そう言って、マシュキートが振り返る視線の先に、薔薇色の瞳を涙で濡らしたエランゼアがいました。

「おれも、ただ一人の女性の傍で、生きたくなって来たんだ」

 エランゼアは、いつの日にか、マシュキートを愛するようになるのでしょうか?

 ああ、きっと、そうなるのでしょう……。マシュキートにじっと見つめられて、エランゼアの頬は赤らんでゆきます。マシュキートは、エランゼアが幼い頃から心を込めて語りかけ、憧れ見上げ続けてきたたった一つの星。彼が人としての時をエランゼアと刻んでくれるならば、心に残すことなど何もないのです。

「……頼んでいい?」

 ロージィの最期の願いに、マシュキートは力強く頷きました。

「任せておけ」

「不幸せにしたら……、承知しない……」

「無用な心配だ」

 不遜に言い切るマシュキートに微かな笑みで答え、ロージィはエランゼアを手招きました。愛しい妻が残してくれた、大切な大切な愛娘です。どれだけ慈しんでも、足りることなどありません。

「お父さん……?」

 エランゼアの顔が、霞んでゆきます。

「ロージィ……?」

 マシュキートの声が、朧に聞こえます。

 ――あなた……。

 亡き妻がそこにいる気がしたのは、幻でしょうか?

 ――セイランジュ……。

 迎えに訪れた妻の面影を包み込むように抱き締めて、ロージィは安らかな眠りにつきました。

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