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公爵令嬢と友人になった!



離宮と見まごうばかりの大豪邸に圧倒されているうちに一人馬車を降ろされ、そのまま馬車は去っていく。広い前庭の、これまた広い玄関ポーチにポツンと残され途方にくれかけた私を、音もなく開いた大きな扉の中から現れた執事らしきおじいちゃんが招き入れてくれた。

長い廊下をしずしずと突き進み案内されたのは、柔らかく明るい光に満ちた中庭に面したテラス。陽の光が適度に入るように計算された斜めの天井は、曇りガラスとはいえそこらでは見かけない程の大きさで。その光をキラキラと色とりどりに反射するのは、床と腰板までの壁に施された色ガラスとモザイクタイルだ。その中心に磨かれた飴色のテーブルと柔らかそうなクッションをいくつも乗せた藤の椅子が二脚。

そのひとつに、彼女は座っていた。


「このテラスにはね、本当に仲の良いお友達しかお招きしないの」


腰まで届くまっすぐなプラチナブロンド、琥珀にも見える黄色い瞳。

一見冷たくも見える少しつり気味の目だが、こじんまりとしつつも通った鼻筋とふっくらとした唇、薔薇色に染まる頬、全てが相まって高貴な美しさがある。

生まれてから一度も水仕事などしたこともないであろう、白魚のような手。

音もなくティーカップを持ち上げる優美な仕草。

肩から手首までを細やかなレースで覆った品の良いデイドレス。

私が目指した、完璧な淑女がそこにはいた。


「ねぇ、私のお友達。名前を聞かせて?」

「ジュリアよ。あなたのお名前は?」

「リラって呼んで頂戴。どうぞお座りになって」


公爵令嬢に対する言葉使いではないことはわかっている。

でも彼女は私の事を友達だと言った。どういう意図があるかはわからないが、友達という関係を望むならそれ相応の言葉遣いをするのが正解じゃないだろうか。

私の返事にリラはほんの少しだけ目を細めて、手元のベルを鳴らした。


「ジュリアにお茶の用意を」


音もなく現れた侍女が白磁のティーカップを置いていく。この華奢なカップ一客で、子爵家で使っていたティーセットがいくつ買えるだろうか。


「ここの店のお菓子、美味しいのよ。遠慮なくお食べになって」

「…頂くわ」


言われるがままに振る舞うのはしゃくだけど、一人置いていかれた身としては逆らうという選択肢はない。

彼女の目的は、なに?


「あぁ、やっぱりここにいたのか」


その時、かつかつと軽やかな靴音を立てて現れたのは。

肩口に流された豪奢な金色の巻き毛に、とろりと溶けそうな黄金の瞳。その色彩に見合うだけの美丈夫が、明るい灰の軍服を纏い立っていた。

全身に、雷を打たれたようだった。

彼だ。

彼こそが、私の隣に並び立つにふさわしい。そう確信する。


「まぁ殿下。ごきげんよう」


立ち上がり礼をとるリラにはっと我に返り、慌てて私も立ち上がる。


「私的な場では、そんなにかしこまらずとも良いといつも言っているだろう」

「けじめ、ですわ」


うふふと笑うリラに、苦笑で返すその微笑みさえも涼やかで。

彼は、誰だ。

さっきリラが『でんか』と呼んだが…まさか、でんかって殿下?

あの、王太子殿下ってこと?


「そちらは?」

「ご紹介が遅れましたわね。彼女は私の友人で、ジュリアですわ」


何気なく、金色の瞳が私を視界に捉えた。それだけでどうしようもなく心が躍る。

動揺しそうになる顔に精一杯の虚勢を張り付け、この半年の成果を今出さなくてどうする!と自分を奮い立たせる。

身体の軸はぶらさずに。

指の先、爪の端まで神経を行きわたらせ、私が一番美しく愛らしく見える仕草で。


「ジュリアと申します。ご尊顔を賜りますこと、恐悦至極でございます」


視線は合わせずに、殿下の顎下あたりのままほんのりと笑みを浮かべる。

体を起こしたタイミングで、おくれ毛がはらりと顔の横に落ちた。

視界の端に、殿下の目元がほんのりと色づくのを捕らえた。感触は悪くないんじゃない?


「彼女の家の都合で、しばらく我が屋敷で過ごしていただきますの」

「ならば今後も顔を合わせることもあるかもしれないな。我が婚約者殿共々、よろしく頼む」

「まぁ殿下ったら」


ちょっと待て。情報過多で追いつかない。

彼が王太子殿下であることはわかった。その後だ、リラは何と言ったか。

私が、しばらく、この屋敷で過ごす、と。聞いていない。てかここに来て、ろくに会話するほどの時間も滞在していない。本当に仲の良い友達と嘯いていたが、そもそもが初対面だ。それなのに、しばらくここに滞在する?

そして殿下だ。彼はリラの婚約者、らしい。

私の隣に立つべきなのは彼しかいない。そう思った矢先に発覚した婚約者。半年前に婚約破棄のいざこざに巻き込まれて、なぜかその後スパルタ教育という良くわからない代償を払わされた身としては、婚約者のいる男はタブーである。せっかく見つけた上物だったが致し方ない。


「邪魔をして悪かった。また改めよう」

「えぇ、お待ちしておりますわ」

「ごきげんよう」


物思いにふけっている間に、殿下が現れたときと同じ唐突さで去っていった。その後ろ姿まで美しい。

どうしても名残惜しくて、その背をつい目が追ってしまう。


「素敵でしょう?」


何が、とは言わなくても分かる。もちろん殿下のことだ。

婚約者の自慢かとも思ったが、それにしてはリラの声も表情も平坦だ。


「目がそう言っていたわ」


カッと頬に熱が走る。見透かされていた。半年間ずっと、感情に左右されずに表情を作る訓練をしてきたのに。

思わず指先を握りこんでしまうが、無表情を保つので精一杯だった。

リラがゆったりと座るのに合わせ、私も椅子に浅く腰を下ろす。彼女は公爵令嬢で、私はただのジュリアだ。今更だが、私が彼女に逆らう余地はない。


「あなたが気に入ったのならそのほうが都合がいいわ」

「…どういう事?」

「そのままよ。私からあの人を…婚約者を奪いなさい」


得意でしょう?

あまりの言葉に頭に血が上りかけるが、リラの声はあくまで淡々としている。ただそこにあるものを取れとでも言うように。

ひとつ小さく息をついて、なんとか平静を装う。彼女の前では児戯にも等しいだろうが。


「私と殿下は家同士の都合で婚約しているけれど、破棄しなければならなくなったの。いろいろ事情はあるけれど、それはあなたには関係のない事よ」

「だから私に、殿下を奪えと?」

「えぇ。そしてそのための手助けもしてあげる」


婚約を破棄する。

リラは簡単に言うけれど、それが容易ではないことは身をもって知っている。王家と公爵家の婚約ならばなおのことだろう。


「そしてその責任はだれがとるの?私のせいにして、切り捨てるの?そんなの嫌よ」


あのパーティーの夜、誰の彼もが責任について私を詰った。

ジョルジオをたぶらかした責任は。

婚約者の令嬢に対する責任は。

伯爵家の責任は。

提携していた事業の責任。

親類縁者に対しての説明責任。

他にも事業資金や違約金、賠償金、数えきれないほどのお金について。

責任という言葉で頭がパンクするかと思うほど、皆が口々に責任を叫んだ。

それを今度は私一人に押し付けるっていうの?冗談じゃない。


「まがりなりにも相手は王族よ。それこそ殿下の言葉には責任が伴うわ」

「殿下の、責任…」

「そう、殿下に言わせればいいのよ。あなたを愛してる、責任はすべて自分がとる、ってね」


そんな簡単に上手くいくだろうか。

立場が違えばその言葉の重みも違うだろう、それは理解できる。

子爵家のお父様とお母様の顔を思い出した。いつもは穏やかな二人が、侯爵を前にしたときには蒼白になっていた。あれは、侯爵と子爵という身分の違いだけではなかったが、それも踏まえた上でのあの結果だったのであろう。

確かにこの国で殿下の上に立つのは、国王くらいのものであろう。殿下が責任を取ると言えば…なんとかなる、のか?


「殿下はね、驚くほど正義感にあふれた公平な方よ。いつもこの国の民すべての暮らしが良くなるように寄り添ってくださるの。そんな彼が責任を取ると言ったら、必ずそうしてくださるわ」


だから安心しろとでも言うのか。そんな、ただの推測と口約束で。

私の非難じみた視線を真っ向から受け止め、リラは笑った。

驚くほど美しく、妖艶に、恐ろしいほどの凄味を込めて。


「あなたに拒否権はないの。言われた通りになさい」





殿下はリラをよく訪ねてきた。事前に使者をよこすこともあれば、そうでないこともしばしば。

その度にリラは、不自然ではない程度に私を連れて殿下に相対する。

先触れのあるお茶会の時には、侍女に混ざって茶菓子の準備をし、ついでに二人の話し相手になる。

突然の来訪には、リラはまだ帰っていないからと嘯き私に殿下の相手をさせて、遅れた非礼を詫びつつ交代することもあれば、仮病を使い部屋に引きこもるリラの代わりに殿下をもてなす。


「王族であらせられるので、すべてに対して目が肥えてらっしゃいます。女性の仕草や作法なんかは特に。社交界の女神と謳われた王妃殿下のお側で育ったのですもの、美しさはもちろん、並みの女性じゃ目に留まることも出来ませんわ」


リラのアドバイスは、逐一参考にした。

だからこそのあの半年間だったのかと理解したからだ。

テーブルマナーや茶の作法はもちろん、背筋の伸び、指先のそろえ具合、首をかしげる角度に歩幅と手の位置、ドレスで歩く際の足さばきまで、すべて私がより美しく優雅に見えるように計算されたそれらを、身体に何十回何百回位と叩き込んだ。


「殿下は礼儀や礼節を重んじる方です。けれどそれだけでは、殿下の気を引くことは出来はしない」


事あるごとに、貴族の令嬢からほんのわずかだけ外れた行為をする。

体調を慮るふりをして、至近距離からその瞳をじっと見つめる。決してここで軽々しく触れることはしない。

書類仕事を労わる言葉をかけながら、ペンだこの出来た指に少しだけ触れる。癒されますようにと無意識に見えるよう呟きながら。

庭の石畳に躓いたふりをして、先を行く殿下の袖を小さく悲鳴を上げながら摘まむ。振り返ったその顔と一瞬だけ目を合わせてから、慌てて頬を染めて申し訳ありませんと早口にまくし立ててから手を放しつつ俯く。

初めはさも不敬だと咎めようかけれど注意する程でもないかと、ありありと表情を浮かべていた王太子殿下である。その絶妙なラインを図りながら毎回少しづつ接触していたのだ。そして何度か接するうちに私の普段は完璧な淑女然とした姿から、他意はないと判断したようだ。ほんとは全部わざとだけど。

そうやって細かな常識の範囲をはみ出ることのない些細な接触に慣れた彼は、ついに私からの接触を待つようなしぐささえ見せた。健全な年頃の青年が、女性に興味を抱かないはずがないのだ。ましてや私は婚約者の信頼する令嬢であり、その私に悪意はないと信じている。


「あなたってほんと適任ね。他のご令嬢じゃ、恐れ多くて殿下に触れるなんて出来ないもの」


リラへの不定期報告は、殿下を見送った玄関ホールでそのまま話すことが多い。公爵令嬢として茶会などの社交や来客の対応などなにかとリラが忙しいこともあり、普段は顔を合わせることもない。同じ家で過ごしているにもかかわらず、この広い屋敷では意識して時間を作らなければそんなものだろう。殿下を誑し込むという共通の目的がなければ、私と顔を合わせたくもないだろうし。その目的がなければ、そもそも私はここにはいないけれど。


「とても光栄な役回りですわ」


実際、私は適任だったのだろう。

容姿が美しいだけの令嬢ならば、衣装や化粧で作り上げることも出来ただろう。

美しい作法と所作を身に着けた令嬢であれば、ほかにもっと適任がいたはずだ。

だがそれだけではダメなのだ。

貴族社会の常識にとらわれ、身分の上下をよく理解して弁えた行動の出来る者では、王太子の目には留まらない。

美しく、完璧な容姿と所作を持ち、尚且つほんの少しだけ大胆に。

私はそれを体現して見せたはずだ。

事実、最近ではリラに贈り物をする際には必ず私にもちょっとしたものをプレゼントしてくれるようになった。菓子だったり、一輪の花だったり。明らかにリラとは差があるとわかる程度のささやかな。


「そろそろ次の段階に進んでもよさそうかしら…」

「次の段階?」

「あなた、ちょっと泣いてみなさいよ」


いきなり泣けと言われても…まぁ泣けるけど。

涙は女の武器である。誰が言ったか知らないけれど、可愛いの次に使うものは涙と相場が決まっている。

これまでの人生で感じた理不尽や怒りを思い出せば、泣くなんて造作もない事だ。

すぐにほろりと涙を見せた私に、さすがにリラもちょっと驚いたようだ。すぐに口元を笑みの形に整えていたけれど。


「さすがね…ほんと適任」

「どうも」


零れた涙もそのままににっこり笑えば、もっとしおらしい顔をしてなさいとたしなめられた。


「殿下は貴族の頂点に立つお方ですから、身分にはとても厳しくあらせられます。下の者が出すぎた態度を取れば、必ず釘を刺されます」


それは身に染みて感じている。だからこそ、逸脱しないラインを見極めて接してきたのだ。

今更なんだというのだ。


「それとは逆に、上の者がその立場を笠に着て横暴に振舞うのも良しとされない方です。潔癖なほどにね。だからそれは、私にやられたとでも言っておきなさい」


話は済んだとばかりに立ち去るリラを、立ったまま見送る。

それ、とはこの涙の事か。どういう事だろう。

去っていくデイドレスの裾が視界から消えても首をかしげていると、突然後ろから手を引かれた。驚き振り返ると、そこには先程見送ったばかりの王太子。


「でん、か…」

「どうした、なぜ泣いている」


あまりの事に、とっさに俯いてしまう。

落ち着け。ほんの少し涙を見られただけだ。貴族令嬢としてあるまじき姿ではあるが、リラがさっき利用しろと言っていた。落ち着け。考えろ。

握られた手に力が籠る。

そういえばいつもなら、婚約者であるリラにさえうかつに触れるようなことはしない。エスコートですらも必ず服や手袋などの布越しであった。

それが今、私の薄いレースグローブに包まれた手首を、殿下のむき出しの手が握りしめている。


「あの…少し、リラと口論になってしまって。大したことじゃないんです」


なるべくか細く、微かに震える声になるように意識する。大したことないと。明らかに強がっているふり、なんて簡単だ。


「本当に?」

「リラはこんな私にも、いつも良くしてくれています。もったいないほどですわ」


生家にはいられずに公爵家にお世話になっていると、以前から少しづつ伝えてある。生家とは折り合いが悪いとも。

なおかつこの国でこの公爵家よりも格上の家など王家を除いてありはしないことを前提に、少しだけ自分を卑下する発言。察しの良い者であれば、そこに家の力に恐れをなして、歯向かうことのできない気弱な令嬢の姿を垣間見るかもしれない。リラの先程の発言は、殿下にそう思い込ませても良いという許可だった。

とどめは、いじましく笑う目元の大粒の水たまりである。

けれどこれ以上は踏み込んでこないでほしいとの意思表示として、半歩、後ろに下がる。


「ジュリア…泣くな」


その小さくも明確な拒絶を、殿下は一歩で踏み越えた。

殿下の意志で、距離を詰めてきた。

この事実が大事なことである。


「君の、力になりたいんだ」


痛いくらいに握りしめていた手が、手首から掌に移動する。指を取られて、彼の口元へ持ち上げられる。それを察して手を引くも、逃がさないとばかりに力を籠められる。まぁフリだけど。


「いけませんわ、殿下にはリラがいるのに…っ」


さながら今の殿下は、気になる女の子が自分の婚約者にいじめられたであろう現場を目撃して、初めて私への執着を自覚した、といったところだろうか。

その執着は、きっと恋と呼ぶにはまだ早い。けれども事は進めておかなければならない。

ここは適度に引いて、殿下が戻れないところまで踏み込んでくるのを誘う所だ。そうでなくては、こっちの身も危ない。


「そのリラが、君を泣かせた」

「ちがいます!」

「違わない。そうだろう?」


レースの手袋越しに、殿下の熱い吐息を感じる。反対の手はいつの間にか腰に回されていて、こんな場面を他人に見られればもはや言い訳できないところまで来ている。

あと、もう一押し。


「公爵家の権威を笠に着て君を泣かせるような女は、私の妃にふさわしくない」

「殿下、いけません…」


瞳はちゃんと潤んでいるだろうか。

唇は微かに震えているだろうか。

今にも泣きそうな、庇護欲をそそる表情を作れているだろうか。

拒絶は言葉だけ。

指先は、彼の指を握り返したくてたまらない。

リラが、正当な婚約者がいるのに、でも私を選んでほしい。

これは演技か、それとも本心なのか。

もう私にもわからない。


「彼女との婚約を破棄する。これから歩む未来は、君と一緒がいい」


そっと触れた唇は、涙に濡れていた。





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