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王太子を手に入れた!


それからの殿下の行動はとても速かった。

私はその日のうちに王宮の客間に身を移すことになり、リラと顔を合わせることもなく公爵邸を後にした。

全てが一級品の広い客間は居心地が良く、呼び鈴を鳴らせばすぐに侍女が傅いてくるし、食事も部屋に運ばれてくる。唯一の不満と言えば、危ないから部屋から出ないように言われている事くらいだろうか。何が危ないのかわからないし、時折会いに来る殿下以外と喋れないのはつまらないが、特に行く当ても会いたい人もいないのでおとなしくしていた。

その後程なくして、リラと殿下の婚約は破棄されたらしい。

何も心配はいらないと、今日も殿下がほほ笑みかけてくる。


そして今、私は、幸せの絶頂にいる。


荘厳な白亜の神殿を起点としたパレードは、六頭立ての黒い馬車を中心にゆっくりと王宮に向かっている。屋根を取り払ったその馬車は、王族のみが使用する特別なものだ。

美しく磨かれた黒檀に金の縁取りと金糸でできたモール飾り。その中心に座る殿下の衣装は純白の正装。その黄金の髪を縫い取りに使ったかのような金糸の刺繍と相まって眩しいほどに輝いている。

そして殿下の隣に座る私はといえば、やはりその身に纏うドレスは純白以外の何物でもない。ごく薄く柔らかで真っ白なチュールを幾重にも重ね、淡く光を反射する光沢の強い真珠とキラキラと輝やかんばかりに光を反射するようにカットを施されたダイヤモンドをふんだんに縫い付けた、この日のためだけのウェディングドレス。

息を呑むほど美しい王太子とその妃の誕生に、王都の民すべて、否、国中が沸いていた。

隣に座る殿下に身を寄せながら、笑顔で沿道に手を振る。

喜び。羨望。感嘆。憧れ。人々の顔には、いろんな感情が飛び交っている。

美しい夫。王太子である夫。いずれ国の頂点に立つ夫。そしてその妻という地位。

全ての女性が羨むものを、私は手に入れたのだ。


少し心配していた初夜は、無事に終えることができた。

以前のちょっとしたトラウマでそういった行為には嫌悪感が拭えなかったが、イールとの行為はそれほどでもなかった。イールという呼び方も、初夜のベッドでそう呼んでほしいと熱っぽい声で言われてから、口にするようになった。

イールはといえば、とても勤勉で昼間は大抵彼の執務室で過ごすらしい。時折視察や訓練に出かけたりもするそうだ。

公爵邸にいる頃から彼の人となりに触れることはままあったが、王宮に移り、結婚して寝食を共にするようになると、もっとイールのことを知るようになった。

勤勉で正義感も強いが、思い込んだら一直線な部分もある。

貴族間の上下関係にはとても厳しい。下の者が上の者の言うことを聞くのは当然だが、上の者が下の者を抑圧するのは良しとしない。上も下も差があるのは当然で、それぞれの職務と責任を全うするべきだ、というのが彼の持論だ。

なので不正や賄賂へも厳しい処罰を下すことで有名らしい。

そしてイール自身の美貌も相まって、ある一定層の熱烈な部下たちがいると聞く。時折彼らと顔を合わせることもあるが、あの熱には私もついていけそうにない。

その一方で、これまである程度の不正や賄賂が前提で成り立っていた一部の政務が立ち行かなくなったとも聞いた。ヒソヒソしていたのが主にお爺ちゃん達だったから聞かなかったふりをして通り過ぎたものの、『これだからまだ青いガキは…』とか『慣習の大切さをわかっとらん』とかのセリフには、とてもじゃないが同意する気は起きなかった。

最近のイールの専らの関心事は、隣の帝国との関係らしい。

周辺国を吸収し平定し国土とすることで広大な土地を手にした大帝国からしてみれば、決して小さくはないが対して大きくもない我が国はそれほど魅力はないだろうと思うのだが、政治についてはわからない上に興味もない。そーゆーマツリゴトはイールに任せておくに限る。イールもその側近達もそれでいいと言ってくれているし。

なので私の王太子妃としての仕事はほぼないに等しい。

なのでかなり暇な私は、美容に時間をかけ、衣装選びに時間をかけ、化粧に時間をかけ、時々茶会を開いたり招かれたり、夜はイールに愛でられて、毎日をのんびりと過ごしている。

王宮には美容マッサージのゴッドハンドを持つ侍女、別人になれるほどの化粧を施してくる侍女、衣装選びの秀逸な侍女と、ありとあらゆることに一級な侍女たちが揃っている。彼女たちに任せていれば、私の可愛いは美しいに生まれ変わり、イールの愛を一身に受け続けることができる。

そんな彼女たちによる武装を整えて、今日は公爵邸での茶会に参加する。リラに呼ばれたからだ。

リラとはあれから一度も会っていない。会ったところで話すことなど特にはないが、彼女の婚約者を奪った身としてはリラがどうしているのか多少気にはなった。

王太子から婚約破棄をされた令嬢として肩身の狭い思いをしているのではないか。もっとも彼女からの依頼というか命令でイールを奪ったのだから、それについてあれこれ言われる謂れはないが。


「王太子妃殿下におかれましては、拝謁賜りまして光栄に存じます」


いつもの中庭に面したテラスで私を迎えたリラが、完璧な所作で開口一番に告げた言葉に鳥肌が立った。

彼女に敬語を使われるなんて、確かに立場としては間違ってはいないのだがどうにも落ち着かない。


「堅苦しいのはよしてちょうだい。私たちは、お友達、でしょう?」

「ありがとう。嬉しいわ」


ちっともそう思ってない声でリラが笑った。


「それよりも私達だけなの?せっかく社交でもしようかと思ってきたのに」

「あら、私だけじゃ不満かしら?」

「そういうわけじゃないけど…」


椅子に腰かけると、侍女が茶器の乗ったカートを押してきてそのまま下がった。今日はリラがその手ずから茶の用意をしてくれるらしい。こんなことは初めてだ。

迷いなく茶器を扱う手は相変わらず美しい。私も負けないくらいに手入れをしているはずなのに、どうしても生粋の令嬢である彼女には対抗心を燃やしてしまう。


「今日ここへ呼んだのはね、ちょっとした報告があるからなの」


青いバラの描かれた白磁のティーカップを受け取りながらリラの声を聴く。

普段は感情が乗らないのに上品に聞こえるその不思議な声は、今日はほんの少しだけ色がついているように聞こえた。


「結婚するのよ。あなたのおかげね」


あまりの驚きに、一瞬声を失う。王太子に婚約を破棄された身では、国内で彼女を娶ろうとするものはまずいないであろうと思っていた。いたとしても年寄りの後妻か、よほどの数奇者か。

ところが彼女の声も表情も、ほんのりと喜色を含んでいる。


「…どこの、どなたかしら?」

「帝国の方よ。私にはもったいないくらいの方でね…紹介するわ」


リラが立ち上がり、軽やかな足取りで私の横を通り過ぎる。

振り返るとそこには、濃紺の軍服を着た一団がいた。その先頭に立つ男の横にリラは寄り添う。


「帝国の公爵閣下よ。帝国軍の准将でもいらっしゃるの」

「リラ、あちらが?」

「えぇ。王太子妃のジュリア様ですわ」


リラを見つめる愛おし気な視線とは対称に、私を一瞥する瞳はあまりにも凪いだそれだった。

立ち上がったものの、王太子妃の私と帝国の公爵で准将である彼、どちらが礼を取るべきなのかわからず立ちすくむ。

その様を見透かしたかのように、准将が嗤った。


「よい、どうせすぐに牢だ。連れていけ」

「牢って…どういうことよ!?」


准将の指示と共に、後ろに控えていた同じような軍服の男達がわらわらと取り囲んでくる。

叫び、暴れても、両腕を拘束され、鍛え上げられた男たちの前ではなす術もない。後ろ手に縛られた手首と、強く捕まれた両肩がひたすらに痛い。


「君の夫である王太子も、王宮で捕まっている頃だろう」

「どうして…」

「我が帝国に挙兵しようとしたからだ」


挙兵ってなに。帝国と戦おうとしたってこと?帝国との関係に頭を悩ませていたあのイールが?

不正を許さないイールが。

正義感にあふれるあのイールが?


「イールが理由もなくそんなことするわけないじゃない!」

「理由、ね。君が聞いたところで理解できないだろうし、そもそも君に聞かせる理由もないな」

「は?どうゆうことよ」

「そのままの意味なんだが…もういい、行け」


どんなに叫ぼうと暴れようとびくともしない屈強な男たちに連れられて、王城のはずれにある地下牢に押し込められた。

一応ベッドと小さな机と椅子はあるが、生家で使っていたのものと大差ないほど簡素なものだ。

なによりここは、薄暗くて、湿っぽくて、肌寒い。

私がいるべきはここじゃない。ちゃんと王城内に部屋がある。私とイールのあの豪奢で温かい部屋に帰りたい。

あまりの理不尽に泣きそうになるが、ここで泣いてなんかやるもんか。

きっとイールがここから連れ出してくれるはず。イールが捕まっているなんて嘘だ。

…そう信じて、五日程経っただろうか。

なんとか査問官とかいう神経質そうな男が、いくつかの書類をもって訪ねてきた。


「まずあなたにはいくつかの罪状がかけられています。細かいものを上げるときりがないので、とりあえず虚偽、不退去、横領について確認させていただきます。

まず虚偽について。これはあなたの身分にかかわる虚偽申告です。自己申告と更にはその立ち居振る舞いから貴族の令嬢だとされていましたが、どこの家もあなたのような娘はいないと首を振りました。最新の貴族年鑑を確認しましたら『ジュリア』と記載されているのはお二方いらっしゃいましたが、どちらも別の方であると確認がとれております。あなたは貴族籍を持ちません。

ちなみにこれは次の不退去にも関係があるのですが、王族の結婚相手は貴族籍を持つものと決められております。ですので、あなたはイジャリール殿下と結婚なさったという事実はございません。皆があなたを王太子妃であると思い込んでおられますが、王家の系図を確認しますとイジャリール殿下は未婚でございます。まだ更新されていないだけ?まぁそう思いたくなるお気持ちもわかりますが、これは王宮の事務方や一部の高位貴族の皆様の中では公然の秘密でございましたよ。殿下ご本人も相当悩まれていたようですし。結婚式とパレードを強行なさることで外堀を埋めたつもりでしょうが、ただそれだけです。

さて次の不退去についてですが、イジャリール殿下と何の関係もないあなたが殿下の私室に侵入し、居座っている。いかに周囲があなたを王太子妃として扱おうとも、そもそもそれが間違いなのですから当然です。

そして横領について。殿下の生活やお衣装代は王宮規定に基づき予算が組まれております。それを勝手に使うなどとは、先程と同様に殿下とは赤の他人であるあなたには許されない事です。

その他にも殿下付の侍女達への強制労働や、茶会の開催など王宮の私物化、公爵邸への不当な滞在…あぁこれは公爵の恩情により取り消されているのですか、失礼しました。

さて、何かご質問もしくは否認意見などございますか?」


驚愕のあまりわなわなと唇を震わせる私の口は、何も言葉を発することが出来なかった。

そもそも、彼が何を言っているのかわからない。

私はイールの妻で、王太子妃で、ここ王宮はイールと私の家でしょう?

何も言えない私に、彼は小さく首を振って背を向けた。


「わ…わたしは、イールの妻よ!イールに会わせて!!」

「違いますよ、あなたはただのジュリアです」




その二日後、リラの隣で帝国の准将と名乗った男が現れた。しかも厳重に人払いをして。


「イールに会わせて」

「会わせてもいいが…彼はもう頭と身体が離れているぞ。それでもいいかね?」

「嘘よ…」


なぜだ。

イールが死んだなんて、信じない。


「嘘ではない。君に言ったところで理解できないだろうが…それでも聞くかね」

「…聞くわ。だって私は、イールの妻ですもの」


呆れたように肩をすくめた准将だが、その目にはなんの色も浮かんでいない。リラと同じだ。


「まずどこから話そうか…そうだな、君の愛するイジャリール殿について語ろうか。

確かに彼はそれなりに勉強ができて整った容姿をしている、まるで絵本の王子様のようだな。民に愛されまた彼も民を愛し、そして本当に絵本の王子様のように熱く正義を語った。絵本の中であればそれで終わりだ、だが実際はそうもいかない。民衆の正義と彼の正義は一致するが、貴族の腹の中にある正義などそれぞれみんな違う。自領のことだけを考える領主や、私腹を肥やすことだけに熱心な貴族、権力を振り回すことだけが喜びという奴もいるかもしれない。そんなわがままな貴族連中をなんとか宥めすかし、時には威厳を保ち、隣接する国々には媚びへつらう事さえある王の姿とは、きっと彼には耐えられなかった。余談になるが、だからこそ平民と知りつつも権力に捕われない君を愛し、手元に置いておきたかったんだろうな。憶測だがね。

まぁそれはさておき、イジャリールは現王の一粒種だ。血統重視の王族としては、彼が立太子するのはごく自然な事だろう。けれど潔癖すぎるほどの正義感を持つ彼を、受け入れられない連中もいる。慣習やら通例やらで生きてる連中が多いが、まぁ奴らも一概に老害とは言い切れないところもあるからな。私から言わせればどっちもどっちだがね。

そんな連中とイジャリールがそれまで何とか誤魔化しつつ築いてきた関係に、決定的なヒビが入ることになった。我らが帝国とのあり方についてだ。

イジャリールはもちろん誇り高く独立国でいることを選ぶ。何せ彼は王太子だからね、王になれない未来なんて描いたことはない。

一方、他の連中は戦ってまで独立性を保つことに旨味を感じない。戦うのは金がかかるしね。だから考えた、イジャリールだけを排除すればいいのだと。

自身の公務に加え妃の公務まで背負い、老猾な連中とのやりとりにすり減っていたのだろうな。ほんの些細なきっかけで彼は挙兵した、させられてしまったのだ。そこに付け込まない帝国ではあるまい?もとよりどこぞの公爵は、娘を手土産に真っ先に帝国と繋がりを求めてきた。だからこそ、挙兵して間を置かず、イジャリールを捕らえることができたのだ。まぁ君はついでのようなものだ。新たに属国となる王宮の膿は、すべて出しておかなくてはならないのでね」


彼の言っていることが何一つ理解できない。

わからない。

ただ、イールに会いたい。

そう思ったら、涙が溢れた。


「君は…見目だけは美しいな。その身、我が皇帝陛下に献上いたそう」




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