7 中性反応
「悪霊は入って来ないんじゃ……」
先ほど説明された事を思い出して、目の前の女性の霊を凝視する。やはり詐欺だったかと、キッと美代を睨むと、彼女も心底驚いた顔をしていた。
その様子に、こちらも拍子抜けだ。とても彼女が演技をしているようには見えない。
雪月は、見えない分、霊達に説明を受けて、困惑した表情を浮かべている。店の従業員である彼女達は、どうして、と言いたげだった。
「お前、何でここに」
仕方ないので、いつものように霊に話しかけてみる。どんな人でもコミュニケーションは大事だ。昔そう教わった事を行動に移すと、霊は不敵な顔をして、近寄って来た。
『やっと会えたね。片時も離れたくないって、言ったのに』
「はあ?何だそれ。そんな事、聞いてないぞ」
『言った。言ったよ、ワタシ。貴方以外いらない。だから離れたくないって。覚えてないの?』
「……知らない」
『……ホントに?』
嘘でも覚えていると言った方が良かった、と後悔をし始める。何故なら、彼女の周りを纏う雰囲気が、以前のように黒いものに覆われつつあったからだ。
夜は霊達の力を増長する。ここで完全に取り憑かれたら今後自分はどうなってしまうのだろう。今になって馬鹿正直な自分の性格を咎め、どうするべきかと顔を渋らせる。
だが、時すでに遅し。
彼女の周りは、悪霊に相応しき空気に染められ、見えていた服装すらも覆い隠す。逃げなければ、と思った時には遅かった。
「ぐっ……!」
悪霊が前からのしかかり、重圧をかけてくる。体重はないはずなのに、とても重い。思わず膝をついて息を荒げると、悪霊はそのまま押しつぶさんばかりに、身体を押してくる。
『ヒドイ。ヒドイ。だからウラギッタンダ。忘れタから。裏ギッて。ワタシを、ワスレテ。ユルサナイ。ユルサナイ』
ぶつぶつ、ぶつぶつ。不愉快な声が脳内に響いて、止まない。
ユルサナイ。ユルサナイ。貴方を、絶対に、許さない。
そんな彼女の気持ちが、黒い感情の中に、溢れんばかりに心の中で舞う。重すぎる自身の身体に吐き気を覚え、口元を押さえる。何か胃の中からせりあがって来そうだった。
身体が重くて、吐き気がするだけなのに、何故か死を予感し、身震いする。このまま放っておいたら、自分はどうなるのだろう。重圧で押しつぶされて、死ぬのだろうか。それとも、中身を出し切って、内臓まで吐いて死ぬのだろうか。
それとも、この女に、乗っ取られるのだろうか。
訳も分からず、涙目で地面を見つめる。オレンジの照明が、虚しく手元を照らしていた。遠くで美代の声がする。誰かを呼んでいるようだ。雪月はどうしているのだろう。死に場所がこんな得体の知れない店なんてやだな。
あまり働かない頭では、それ以上の事は考えられず、どうしようもない。
やがてとてつもない疲労感が襲った時、遠くの方で、誰かが足音を立てて近寄って来る音がする。
身体が汚れるのも気にせず、うずくまって、その音をぼんやり聞く事しか出来ない。
「うっ……」
『ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ』
真上から声がする。悪霊と、誰かが近寄る足音と、美代の叫び声が不協和音になって響く。
限界を感じて、口元を抑えた時、誰かの気配がした。
薄れゆく意識を何とかして保ち、その気配を追う。
そこには、ひょろりと痩せ細った男性が立っていた。
「大板、早く!アンタ何のためにここに居るの!」
「分かってる!」
男性は、懐から何かを取りだしたかと思うと、それを投げつけてきた。痛そう、と無意識に目をつむっていたが、数秒経っても何も感じない。ただ、男性のか細い声が聞こえるだけだ。
「落ち着きなさい、貴女の見ているものは、まやかしですよ。そう、気を楽にして。そして、ゆっくりと、目の前の人を見て。誰に見えますか?」
誰かと話をしているようだ。目を開けて、その光景を拝む。
すると、男性が悪霊に手を添えて、まるで慰めるかのように、優しい表情で語りかけていたのが見える。
状況が理解出来ない、というよりこんな人物を初めて見た。対話をする事はあるが、こんな、慈愛に満ちた表情で、労わるように話をした事はない。
そう、それは霊としてではなく、一人の人間に語る時のようだった。
「分からなければ、一度目を閉じて。そして、ゆっくりと、開けて。さあ、貴女の見ているものを、是非僕に教えてください」
『ち……が、う。この人、じゃ、……ない』
「そうです。貴女が思っている人ではありません。なら、するべき事は分かりますか?良ければ、お手伝いをしましょう」
『い、イ。……迷惑をかけて、ごめんなさい』
ふっ、と身体が軽くなった。今までの重圧感、吐き気、疲労感。全てがまるで嘘のように消え失せ、うずくまる身体を、すんなりと起こす事が出来た。
勢いに任せてガバッと起き上がると、男性は安心したように頬笑み、悪霊を見ていた。
その悪霊も、安心したように口元を歪ませていて、そのまま何もなかったかのように店を出て行く。
その光景に驚きを隠せないものの、立ち上がって謎の男性の姿に視線を移した。
「……あれ?」
この男性、何処かで見た事ある。そう思って首を傾げた時、男性が振り返ってにこり、と微笑んだ。
誰もが安心するようなその笑顔と、柔和な目元。スーツを着ていないものの、きっちり揃えられた髪と、清潔感漂う雰囲気は相変わらずだ。
ようやく思い出した頃、彼の方から名乗り出て、少し恥ずかしそうに握手を求めてきた。
「やあ、来てくれたんだね。ありがとう。僕は大板明。……覚えてる、かな?」
不安そうにしているその姿は、先ほど悪霊を落ち着かせて、堂々とした態度で説いた人とは思えない。
骨ばった手に握手をし返して、こくり、と頷く。忘れるわけがない。
「夕方、空き地で会いましたよね。……ここの人だったんですか?」
そう言うと、大板はホッとしたように顔を歪ませ、握手をしている手を離す。そして、その手で自分の着ているエプロンを指し示した。緑がかかった色に、下の辺りに変わったデザインが施されている。それは、美代の着ているものと同じだった。
「そう、ここの管理者。夕方は騙してごめんね。お客様ならちゃんと案内しなきゃって思ったんだけど、本当の事言っても信じてくれないだろうし……」
眉をへの字に曲げて申し訳なさそうに言う彼はこの店の管理者とは思えない。店主である美代よりも上の立場だろうに、そうは見えない所が不思議だ。
「大板、遅すぎ。何してたのさ!この子が来る事も分かってたんだろう?」
「うん、ごめんね、美代さん……。いや、ちょっと書類に追われててね」
ハハッと笑う彼は、ポリポリと頭をかいた。どうにも怒る気力を削ぐ人物らしくて、気の強そうな美代もふん、と鼻を鳴らしてそれ以上は追及しない。
「それよりも、君、体調はどう?悪くない?」
「あ、はい、大丈夫です。助けてくれてありがとうございました」
「いいよいいよ、困った時はお互いさまって、よく言うからね」
「大板は人が良すぎるけどね」
「……それも、大板さんの、魅力だと思います」
雪月の庇うような物言いと、美代の呆れているけれど、優しさのこもった言い方に、大板がどれだけ信頼されているかが伺える。悪霊をお祓いもせずに、言葉だけで退かせた。きっと見た目以上に凄い能力を持った人に違いない。
一体彼はどんな人なのだろう、と想像していると、目の前で美代がよっこらしょ、なんて声をあげてしゃがむ。
そして、手が汚れる事も気にせずに、人差し指で、スッと、地面を擦った。
「……反応は?」
大板の質問に、美代は眉根を寄せて、首を振る。どういう意味なのかは知らないが、何か緊迫したものが漂っていることから、あまりよくない事らしい。
「盲点だった、というべきだね。久しぶりに騙された気がするよ」
「つまり陰性反応だったと?」
「……いや、中和してる。少しだけ陰性に偏っているけれど、不定期に揺れるみたいだ。多分、それが原因で入って来れたんだと思う」
何の話か分からず首を捻っていると、大板がその様子に気づいて、美代の指先に視線を移すように促す。
されるがままに指先を見ると、彼女は何処からか小さな小瓶を取り出して、何か粉のようなものを中に落としていた。その粉は、薄い紫をしていた。
「それ、もしかしてさっき投げてたものですか?」
そういえば先ほど、大板が悪霊に話しかける前に何かを投げつけていたのを思い出す。特に痛みもなく、 何か振って来た感覚もなかったから、きっとその粉が投げられたのだろう。
予想通り、二人は頷くと、美代が小瓶に蓋をして、手渡してくる。
「この粉はね、霊の善悪を検査するものなんだよ。で、あの霊をちょっと試してみたわけ」
「……善悪?」
「そ。陽性だったら赤色で、陰性だったら青色になる。陰性だったら、霊がどういう状況なのか、判断はつくね?」
「もしかして、悪霊って事ですか」
「そういうこと」
手に持った小瓶を見つめる。中の粉は紫で、どちらでもない。先ほど中和していると言っていたが、どういう事だろう。次から次へと生まれる疑問に、答えたのは大板だった。
「紫は中和反応なんだ。どちらにも成りきれてないってこと」
「……なるほど」
確かに、あの霊は悪霊と言いきれない所も多々あった。襲ってきたのはつい最近だし、それまでは話声はするものの、ただ背後について回るだけ。それならそういう結果が出てもおかしくない。
「悪霊かどうかなんて、一目見りゃ分かるもんだけどね……。賢い霊は姿を変えて騙すし、こうやって中和が出るような奴は、案外分からないんだ」
「だからこの粉を使ったんですか?……変わったものですね」
さすがにこれほど理解しがたい事が起こると、驚く事もなくなるが、それでもこれらのものが変わっている事は分かる。粉といい、あのペンダントといい、つくづく不思議なものが置いてある。
小瓶を眺めていると、何か違和感を覚え、更に顔に近づけた。不思議なもので、粉は虹のようにゆらゆらと暗い色を変化させている。紫が薄くなったり、キラリと光ったり。しかし、その中で発見した違和感は、不安を覚えさせるものだった。
「これ、少しだけ青みがかかってません……?」
そうなのだ。
僅かではあるが、よく注意して見ていると、ほんのりと青みがかかっている。中和している紫を上乗せしようとするかのように、青みがかかった粉は、さら、と揺れた。
「……こいつは、時間がないね。急いだ方がいい」
美代の言葉に、雪月と大板は深く頷く。訳が分からない事だらけはあるが、それでも、さすがにあの霊の状況は分かりつつある。青みがかかっていると言う事は、完全な悪霊になりかけていると言う事だ。
「となると、やる事は決まりだね」
「そ、雪月、覚悟しなよ」
「大丈夫です。……そのための、私、ですから」
ぼそっと雪月が言うのを合図に、三人は同時に頷き、それから店内に散っていく。唯一カウンター前に残った店主の美代は、にやり、と笑みをたたえて、嬉しそうに手を広げた。
「インチキだと疑ってもいい、詐欺扱いされてもいいさ。でもね、金は取らないと約束しよう。だから、少し騙されたと思って、私達を頼りな。あんたに憑いてる霊を、どうにかしてやるよ」
「……どうにか?」
「そう。まあ、店の方針で行くけどね。成仏させず、尚且つあの霊に、死よりも安寧をもたらしてやる。どうだい、乗らないかい?」
不敵に言ったその言葉と、仰々しくて、わざとらしい態度。見るからに信用に値しないものだ。
だけど、何故だろう。
先ほどあんなに疑っていた気持ちが、薄らいで、乗ってあげても良いかな、という気持ちが出てくる。
階段の隅で、霊達とこそこそ話しながら不安げに揺れている、盲目の雪月。
先ほど店の奥に引っ込んでいった、言葉だけで霊を落ち着かせてしまう大板。
態度がでかくて、常に状況を楽しんでいそうな、美人の店主、美代。
そして、その三人に引き合わせた、必要な者しか入る事の出来ない、霊が集う不思議な店。
全ての要素を足して、もしかしたら命に関わるかもしれない事を任せられるか。答えは否。
しかし、彼女らに、興味があるのも事実だ。
深くため息をついて、下を向く。地面には、拾い残した粉が散らばっている。薄い紫が照明に反射して、キラリと光ったのを合図に、顔を上げた。
「いいですよ。ただし、俺が少しでもあなた達に危険を感じたら、この話は終わりにします」
「ふふ、そうこなくちゃね。生者の依頼は久々だ、パーっとやろうじゃないか」
そう言うと、美代は大仰に広げていた手をそのまま雪月に向けて、おいで、と動かした。もちろん、彼女にそれが見えるはずもなく、代わりに一人の女性の霊が雪月を後ろから押すようにして美代の隣に立たせる。
そして、二人は顔をあげ、嬉しそうにこう言うのだ。
「「幽霊雑貨店へようこそ!」」




