6 幻の店
同じ時間にこのペンダントを返しに来い。
そう言ったのは他でもない、あの訳のわからない店の店主、美代だった。ならば、ひとまず言われた通りに、深夜にもう一度向かうしかない。
家に帰り、風呂や食事を済ませて仮眠を取った彼は、深夜一時頃、再び住宅街を歩いていた。
少し寝たとはいえ、深夜に二日連続で起きているのは辛い。住宅街の合間に立てられた照明灯の光を頼りに、ぼんやりとした頭を働かせる。
「幻の店、か……」
火のない所に煙は立たないという。ならば、確かにあの店が幻の店と言われているもので、深夜だけ開店するものなのだろう。
やがて蔦に巻かれた家の近くまで来ると、思わず足を止める。
そこには、夕方見た空き地は何処にもなく、代わりに薄ぼんやりとオレンジの光が漏れている。
見上げると、昨日出入りした小さな店があった。つまり、そういうことなのだ。
「……入ろう」
神隠しに合うなどと言う噂を信じないようにしよう。夕方、男性が言ったように自分が経験したことを信じて行動するしかあるまい。
意を決して店の扉をくぐると、やはりというか、間の抜けた声が聞こえる。
「いらっしゃーい」
カウンターを見ると、美代が変わらずあくびをしていた。そんなに眠いなら、深夜に店を営業してないでさっさと寝ればいいのに、と思う。
しかし、そんな事は言わずに、代わりにペンダントを丁寧に外し、カウンターまで持って行く。
「お、蛍くんじゃない。ちゃんと来たのね、えらいえらい」
「人を何だと思ってるんですか……、商品を押しつけておいて」
ぼそっと言うと、美代はニヤニヤと笑っていた。そして、後ろを向いて手招きすると、雪月についている女性の霊が気づいて、彼女をカウンターまで誘導する。昨日は七人居たのが、今日は三人しかいない。何故だろうと霊達を見つめていると、雪月が口を開いた。
「愛川さん、来たんですか……?」
雪月が小さな声で美代に尋ねる。彼女は頷いてそこに居るよ、と嬉しそうに立ち上がった。
そしてペンダントを手に取ると、月の形をした石を確認するように見る。
何をしているのだろう、と思いつつも、頭にわだかまった疑問を解決するべく、彼は口を開いた。
「夕方、これを返しに行こうとしたらここは空き地でした。なのに、深夜になるとこの店は建っていた。どうしてですか」
「アンタ、同じ時間に返しに来いって言ったじゃないか。全く、もう……」
呆れたようにペンダントをカウンターに置いた美代は、雪月に視線を送ると、周りの霊達がざわめく。
彼女の生活を支えているという霊達は、何故か蛍を睨んでおり、今にも襲いかからん勢いだ。
「光矢大学なら……噂くらい聞いた事あるのでは……」
ぼそっと、聞こえるか聞こえないくらいかの声で雪月が呟く。かろうじて聞こえたその言葉に、蛍は顔をしかめた。
「じゃあ、やっぱり幻の店って言う事ですか。神隠しに合わせるっていう」
「いやいや、ちょっと待ちな。確かにアンタの大学で噂になってる店に間違いはないよ。それは蛍が見たとおり、深夜にしか営業しないからね。でも神隠しっていうのは噂に……なんだっけ。羽?」
「尾ひれです。それじゃ飛んでいってしまいます」
「そうそう、噂に尾ひれがついただけ。アンタの事、神隠しにしてないし」
雪月のツッコミに、うんうん頷いた美代は、そうして説明を終えた。
その言葉に、納得したような、していないような、微妙な表情を浮かべた蛍は、それでもまあいいか、とため息をつく。
「とりあえず、情報を整理させてください」
「うん?どうぞ?」
改めて言うと、美代は面白そうにカウンターの上に座った。おい、それは店の店主としてどうなのだ、と突っ込みたい衝動に駆けられたが、隣から感じる視線じゃない視線に、口をつぐむ。雪月はぼんやりとしているが、周りの霊達は変わらず蛍を睨みつけている。下手な事をして取り憑かれでもしたら迷惑だ。
そして、昨日と今日体験した店の事について、思い出し、自分に言い聞かせるように説明してみる。
「ここは光矢大学で噂になっている幻の店で、夜以外は空き地。深夜になると開店するが、噂とは違い、神隠しには合わせない……」
「そうそう」
「で、ここは……本当に雑貨店なんですか?」
先ほど聞いた事と、昨日の事、そして噂によるものを重ね合わせて、この店の事を少しだけ理解した。しかし、この店のあり方を知っただけで、正体を知った訳ではない。
そう思い、そんな質問を投げかけると、美代ではなく、雪月が頷いてくれた。頭に浮かびあがったのは、幽霊専門、という文字だった。
「お客さんが、幽霊の?」
「はい」
ぶるりと肩を震わせ、改めて店内を見回す。
アンティークな物が多く、その他生活用品も置いてある。外に看板が立っていないため、どういう店なのか分からず入ったのを思い出す。しかし、窓から見える印象を、そのまま受け取って良かったみたいだ。
雰囲気の良い店だと言う事は、昨夜から感じてはいた。しかし、いくら店の中身が良くても、店主と客が可笑しかったら台無しだろう。
生きている客が自分だけしかいなかった事を思い出すと、気分が重くなる。この店は、何処か――おかしい。
「今日は、トウさん達は来ないんですか?」
「ああ、うん。来ないみたい。マミさんがウチに用があるみたいだったけど、ちょっと考えたいって」
「……そうですか」
少しだけ悲しそうな、それでいて安心したように眉を寄せる雪月は、相変わらず目を閉じたままだ。
よく見ると、確かに周囲の霊達が服の裾を掴んだり、囁いたりして彼女を落ち着かせている。先ほど、目の前に来るために歩く時だって誘導されていたし、盲目の彼女が幽霊を頼りに生活しているのは本当の事らしい。
奇妙な光景に慣れないまま、ふと、カウンターの上を見る。
そこには、この洋風の建物の内装には似合わないものが壁に飾られていた。
横が五十センチ、縦が三十センチ以上の額縁は、ふちが緑で和を連想させる。その額縁の中には、毛筆でこう書かれていた。
――死者と生者に繋がりを、安寧を
何かとてつもない物を見た気がして、目を逸らした。昨日は気付かなかったが、この店のおかしさを知ってから発見すると、不気味な物の材料でしかない。
何だ、死者と生者に繋がりって。安寧って。何で死者が前なんだ。幽霊優先なのかよ?
内心、そんな事を考えながら、額縁をもう一度見てしまうが、さすがに薄々感づいてきた。この店は、客が霊しかいないのも、店主に霊感があるのも、盲目の少女を霊が助けている事も、理由がある。
そう、きっと霊感がある自分にも想像がつかないような、そんなものが。
「ところで蛍」
いつの間にかカウンターに座るのをやめていた美代は、そう声をかけると、月のペンダントを掲げる。
「これの効果、どうだった?」
「……何の、事ですか?」
全く意味が分からなくて、首を傾げた。効果、と言われても無理矢理貸しだされて、そのままずるずると先ほどまで着けていただけだ。
見栄えの事を言っているのかと思ったが、予想外に美代が真剣な顔して質問をしているのに気がつき、思案する。
頭の中は、ぐるぐると、今日あった事を思い出す。効果、といっているから、石がパワーストーンなのだろうか。もしかして金運アップしたり?そうだったら嬉しいな。
片隅でそんな嬉しい事を想像するが、違うのは分かっていた。
効果、効果、効果。
「愛川さん、霊の事で何か困ってたんですよね……?」
雪月に問いかけられ、ハッとなる。頷くと同時に、昨夜この店を美代に追いだされた時に言われた事を思い出す。
――だって、あんた霊の事で困ってるんだろう。それでこの店に辿りついた。
霊の事で困っている。そうだ、自分自身はさほど気にしていなかったものの、困っている事はあった。 肝試しの時から、様子がおかしくなったあの背後の女性が原因で、ここに逃げたんじゃないか。
そして、今日一日、その女性の様子は。
「いつもよりもあいつの機嫌が良かった気がする……。それに、霊をあまり見なかった」
自然と口に出ていたその言葉を聞くと、美代はニッと笑い、雪月は安心したように息をついた。心なしか、雪月の周りの霊達も嬉しそうに揺らめいている。
「それなら良かった。霊を見なかったのはおまけみたいなもんだけど、本来の目的が果たされたならそれでいい」
「これ、お祓いグッズなんですか?」
思った事をそのまま口にすると、まさか、と美代は首を振った。光に照らされた金髪が、ゆらゆらと揺れて、楽しげだ。
「このペンダントは霊の心を落ち着かせるんだよ。イメージはアロマ効果のある香りつき消臭剤。分かる?トイレの想像してみ」
「トイレの消臭剤を想像したくないですが、アロマ効果は分かります」
何故消臭剤を持ち出したのか謎だが、言いたい事は分かった。つまり、このペンダントには霊にだけ分かる、気分を落ち着かせる香りのようなものが漂っているのだろう。だからあの幽霊はいつも以上に機嫌が良さそうだったのだ。
道理で明るく笑っていたのか、と合点がいくと、また、額縁に目が行く。自然と見てしまったそれには、その言葉には。何か不思議なものが漂っているような気がした。
ふわふわしたような、切ないような、そんなものが、浮いている気がして、奇妙だ。
そして、後ろを振り返る。いつも何処にでもついてくる女性が、居ない。そう言えば、昨日も店の前でうろついていたと、客の霊が言っていた。
どうして入って来ないのだろう。この店は、むしろ入りやすそうな所だと言うのに。
気づかないうちに、難しい顔をしていたのか、美代がプッと笑った。その様子に、見えない雪月は首を傾げてきょとん、としている。
「アンタ、面白いね。気になるなら聞けばいいじゃないか。どうしてあの女の幽霊はこの店に入って来ないんだって」
見透かされていた。驚きで目を見開くと、相変わらず美代は、悪戯をする時の子供のような顔をしていた。
少しだけ、気持ち悪い、と思う。
この得体の知れない店も、何をしたいのか分からない美代も、隣でひっそりと佇む雪月も。
それでも、言われたからには聞かずにはいられない。
「どうして、ですか」
「悪霊はこの店に入れないからさ」
「あく……りょう」
呟いて初めて実感が湧いた気がした。
今までは、ただの背後霊だと思っていた。ただまとわりつかれているだけだと。
しかし、悪意ある感情で、黒い空気をまとったまま追いかけてくるのは、悪霊なのだ。あの女性に捕まってしまったら、その後どうなっていたか分からないのだ。
そして、悪霊はこの店には入れないと言う。
「この店は……そういう風に出来てるんです。死者も生者も、必要だと感じる人だけが導かれ、商品を手に取る。害のある人は、入れない。そういう……ものなんです」
隣で詳しく説明してくれた雪月の言葉に、美代が説明するより、ずっといいな、なんて考える。美代は断片的で、分かりにくいから、彼女の丁寧な説明は助かった。
しかし、意味を理解しても納得は出来ない。
昨夜、走ってこの店に辿りついた。
かごが欲しかったのに、ペンダントを手に取っていた。
勝手に身体は、ペンダントを買おうとしていた。
まとわりつく女性は、店に入って来なかった。
全て、自身が必要だと感じ、導かれていたというのか。
「額縁の中の言葉、見てたでしょ。これは、この店のモットーなんだよ。私達は、死者にも生者にも安寧をもたらす店を目指してる」
「……つまり?」
「アンタも客なんだから、悪霊について、私たちが手伝ってあげるっていう事よ」
美代の言っている事を、頭の中で数回繰り返して、ようやく理解する。
「あの女を、どうにかしてくれるって言うんですか」
「そう言うこと。まあ、主に動くのは雪月なんだけどね。私は補佐みたいなもんよ。店もやらなきゃだし」
「はい。……頑張ります」
頼んでいないのに、二人は妙なやる気に満ちていた。思わず、頬が引きつって、腕を組んでいた。
何か、訳の分からない事を言われているようにしか見えない。おかげで、自分の思っている以上に声が低くなって出ていた。
「はっきり言っていいですか。滅茶苦茶気味悪いです」
「いいよって言う前に言っちゃうんだ」
揚げ足を取る美代は無視し、雪月を見る。内気な印象を持った彼女は、眉間に皺を寄せていた。
「勝手に導いて、商品押し付けて、結果を見せておいて、ひと儲けしよう、っていう商法なんですか?かなり高くつきそうだし、霊が見えるから信用されるだろうって思ってるんですか。言ってる事のいくつかは本当なんでしょうけど、怪しい所多いですし、信用なりません」
深夜だと言う事を思い出して、一応声を荒げないようにしたが、それでも呪うような声の低さは変えられない。
勝手に向こうで話を進められ、すっかり信じきった所に金をがっぽり取られるというのはよくある心理的商法だ。きっと何処かインチキがあるに違いない。
「インチキに付き合ってる暇なんて、ありませんから」
言いきると、妙な満足感が出てくる。どうやら、自分で思っている以上にこの店に疑問を感じていたらしい。
それに、この店はやはり得体が知れなくて気持ち悪い。そんな所に、自分の事を任せてたまるか、というのが本音だ。
悪霊なら、お祓いに行けばいい。そうじゃなくても、物心ついた時から霊感体質だったのだから、それなりに対処法は心得ている。霊につけ狙われる事も、日常茶飯事だ。
美代を見ると、ぽかんと口を開けており、負かしてやった、と勝気になる。やはり、詐欺の類か。
そんな事を勘ぐっていると、美代はやがて、大口を開けて高笑いを始めた。
「……なっ、」
何故、笑っている?そこはもっと、別の反応があるだろう。例えば、愛想笑いを浮かべて謝るとか、ショックというような表情を浮かべるとか。
というか、女性のくせに男のように笑う人だ。変な所に引いていると、美代は高笑いをしながら、雪月に問いかける。
「あっはっは、あー可笑しい。何、最近の子ってこんなに強気で冷静なの?信じられないのは分かるけどさ。ねえ、雪月」
問われた雪月は、むっつり黙ったままだが、眉間の皺は寄ったままだ。
そして、美代の問いかけには答えず、見えているかのようにこちらを向き、口を開く。
「それって、あまりにも失礼です。私達は親切でそう言っているのに、インチキだなんて!信用ならないのは分かりますけど、そういう言い方はないんじゃないですか!」
予想外に大きな声が店内を響かせる。内気な印象を持った彼女は、感情的になっているようで、意外にもはきはきと反論してきた。
まさか彼女からそんな事を言われるとは思っていなかったが、言われたまま黙っているのは性に合わない。気づくと口論が始まっていた。
「はあ?誰が親切にしてくれって頼んだんだ。悪霊なら俺だって何とか出来るし、こんな詐欺に頼る必要もない。あんたらはそこで指くわえて見てれば?」
「またそんな事を言って!あなたって、人の優しさをそのまま無碍に扱って嫌われる人なんでしょうね!」
「あいにく詐欺まがいの優しさは受けないようにしてるもんでね。あんたこそ、何でも信じて痛い目見てるんじゃないの?可哀そうに」
「あらあら。ふふ」
近くで美代が嬉しそうに笑っている声が聞こえた。しかし、そんな事に構っている暇はない。
気づけば口論はただの悪口の言い合いになり、子供の喧嘩になっていく。
この屁理屈男。うるさい馬鹿女、黙れ。あなたが黙ってくれるまで黙りません。じゃあ俺も黙らない。何それ!お前こそ何だ!
加速していく言いあいに、微笑ましげに見る美代。
そして、支えていた霊達は、予想外の展開に、どよめいている。
客も居ないのに騒がしい店内は、雑貨店という雰囲気を壊し、小学生の教室のようなものに成り変わっていた。
さて何処で止めようかと、ようやく両者が冷静になって来た頃、その音は鳴った。
ちりんちりん。
それは、客を知らせる合図。
自然と言い合っていた口は閉じて、皆が一斉に入口に視線を向ける。
すると入って来たのは、よく見知った顔だった。
背中まで届く長い黒髪に、目が隠れた白い顔。オレンジのワンピースは、生前の趣味が現れ、お洒落だった事を思わせる。
そう、入って来たのは、いつも纏わりついていた悪霊だった。