黒汚泥
テーマ「黒」より
「いや、なんでって言われてもね。俺も助けるつもりでやっただけだから」
「人を傷つけておいて助けたつもりだとか大概にしろ、精神病を偽ろうとしても無駄だぞ」
「精神病ね、俺もね、一時期そいつを疑った日もあったよ。俺のさ、頭のお鉢の中身が、いつの間にか蕩けちまってんじゃあないかってね。だから余計なもんが見えるのかも知れんなって」
「余計なものが見える、冗談も休み休みに言え、下らん事ばかり承知せんぞ」
「俺はね、鍵っ子だったんだ。俺はさ、ほら片親だろ、今の時代でも珍しいことじゃないわな。学校から帰ってもテーブルの上に菓子パン一つ。これが夕飯だってんだから笑えるだろ。でもまあ食えない奴よりはましさ」
「今度は泣かせようって魂胆か」
「違うよ、全く違う。俺が初めてあれを見た日の話をしたくてね。帰っても親はいない、やることはないし金もないってんじゃあ、余ってるのは時間だけだろ。だからガキの頃の俺は探検と称して、近所の工場裏に不法侵入したり、当時まだ整備されていなかった下水周りを歩き回ったりしてたんだ」
「それがどうしたと言うんだ、今回の事と関係あるんだろうな」
「あるさ、大有りだ。下水ってのは独特の臭いだろ、夜の夕飯の時間になると生活排水が流れ込むのか、あの泥と生ゴミ、石鹸の混じり合った臭いが登ってくるんだ。俺はそんなのを気にもせず、タイヤやボロ自転車、堆積した訳の分からんヘドロなんかが混じり合った川面を見つめるのが好きだった。あれと同じもんが自分の中にある気がしてね。時折泡が底から溢れるんだ、そいつが弾けるのを見ると心がすっとするんだよ」
「お前、病気だよ。認めたりはしないがね」
「世の中ってのは不思議だ。汚いものは誰しも認めたがらない、目をそらすか見てないふりするだけだろ。俺は違っただけさ。自分の中にも同じものが在る、認めてやらなきゃってな。そしたら見えるようになったんだ。人間についた黒い汚泥にね」
「ヘドロねえ、想像もそこまで行けば大したもんだ」
「上っ面だけの黒さなら優しいもんだよ。でもな、やばいのは浮かんだ泡に表情が付いた奴らさ。ギスギスして余裕がないような奴はいつも歪な泡が波打って、誰彼構わず飛びつこうとしてやがる」
「言っている意味がまるでわからんな」
「要するにそいつら、人を殺したくてうずうずしてんだよ。いつ爆発するかわからない泡抱えて、周りの人間を物色してんのさ」
「傷つけたのはお前だろうが、作り話はもう十分だ」
「俺はさ、ヘドロが取れないか試してみたかっただけだよ。あの膨らみきった真っ黒な歪んだ顔に触れたら、取り除けるんじゃないかってな、でも触れた瞬間弾けちまった。俺は殺されるのが怖くて先に手を出しただけさ。あいつ俺の目にペン突っ込もうとしやがって。あんた捕まえる人間、間違えたよ、目を離していいのかね。今頃あいつどうしてるかわからんぜ」




