冥加の森
川がせせらいで、木々が萌たち、太陽が水面や葉面を照らし、光が跳ね飛んでいた。夏の盛りをその身に受けて、流れ落ちる滝を背に、水気を感じながら滝の前の飛び石のような丸い扁平の巨石に降魔坐を組み、座していた。冥加の森と呼ばれる森の中の滝はそれほど大きくないながらも豊富な水を湛え、夏の強厳な日差しをも、その身で起こす涼しげな風にて、私の栄気を補ってくれた。
先輩僧からこの修行の地で座禅をせよと命を受け、大人しくそれを受けたのは顔を立てるためであった。私はどちらかといえば、親の後を継いで嫌々仏道に入った身であり、己自身に祓いの力なぞ少しもありはしないと知っていた。そして同時に妖や仏や幽霊といった存在も懐疑的だった。友人僧がそれにまつわる話を広げるたび、何を莫迦なと鼻で笑った。そうした態度がついには本家僧正の耳に触れ、私は罰としてこの地で修行と相成った。
修行の地というだけあり、随分と人里はなれた山中の森にその場はあった。真面目になどやっていられるかとも考えていたが、どうやら見張りの僧がいるようで、先程から視線を感じている。そうなれば無碍に放り出すわけにも行かず、こうして形だけでも修行のふりをしていた。一時過ぎた頃だろうか、目を閉じ経を唱えていると、そのうち滝音と蝉の音がふいに聞こえなくなった。すると川からざぶりと何かが飛び出す音が鳴る、なんだと瞼を開くが、まるで何かに遮蔽されているように真っ暗で何も見る事ができない、すぐに濃厚な青臭さが鼻をついた。べたりと、頭に何かが触れる、悲鳴をあげようにも喉に何かがつかえたように声があげられない。ざぶんと音をたてて飛び込み、それが離れたかと思うと、すぐにがさがさと何かが草を分け広げ近づくき、耳元で、げげげと声をあげた。そいつがべろりと私の頬をなめる、ついには喉の奥から搾り出すような悲鳴があがった。するとさっと視界が開け、気がつけば全てが元に戻っていた。私の体が水でずぶ濡れになり、生臭さが体に染み付いていた事を除いては。
山道から藪木を掻き分け、腰が抜けたのか両手を地面について茶髪の若僧が駆け下りてくる、マジ半端ねえっす、洒落んなんねえと声を張り上げてその顔面は蒼白だ。私の脚にしがみつき、震える若僧に私は修行が足りん、精進するのだなと決まった言葉を投げかけた。
時代は変わっても変わらないで欲しいものもある、今日も御疲れさん。そういって私が滝の前の大岩にざるに載せた饅頭と野菜を置くと、森の奥から雉が一声けーんと鳴いて、同時にげげげと複数の何かが答えた。