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後篇


「その処刑は中止だ」


 静かな声がした。

 群衆たちが歓声を上げる中、静かな、それでも広場中に響く声がした。

 突然に聞こえてきた冷静な声に、あたりに静寂がひろがった。

 ざわめきが静まり、急に人々が正気に返ったように、感じられた。

 そして、広場中が、声をあげた人を見るような気配がした。


「………騎士さま」


 つぶやくような声が私の耳に入ってきた。

 なかなか来ない衝撃に、私は、そっと、目を開ける。

 驚いたり、困惑したりしている表情を浮かべながら、人々は広場の入り口をうかがうように見ていた。

 その先にいる人物は、台の上に結わえられている私には見えなかった。

 音が徐々に私の耳に、戻ってくる。

 静かになった周りの人から、次第にざわめきが広がっていった。

 そして、そのざわめきは徐々に大きくなる。


「騎士さま、こいつは悪魔なんだ!」

「火をつけて、人を殺そうとする、ひどい女なんだ!」

「なぜその罪を断罪してはいけないんですか!?」

「こいつは、バケモノだ!」

 ざわめきはやがて、再び断罪の声になっていく。

 しかし、そんな人たちの声には目も向けず、彼女は私のほうへ近づいてきた。

 そうして。


「処刑は中止だ」


 私の目の前に立ったのは、深い青の眼の、優しそうな眼をした女性だった。


 もう一度そう言うと、私の横に立っていた執行人は、しぶしぶといった感じで斧を下した。

 そうして、私をおさえていた手も緩んだ。

 騎士さまは、私を縛る縄をほどき、それでも立ち上がれない私に手を差し伸ばしてくれた。

 放心状態の私の瞳に映るのは、優しげな表情を浮かべた女性だった。

 栗色の髪を耳の下でひとつに束ね、すらりとしたその身を包むのは、白い軍服。

 白い軍服の裾と襟の部分には、青い糸で刺繍が施されている。この辺りではあまり見かけない、それでも、絵物語ではよく見る、近衛兵の姿であった。国王に忠誠を誓うことことを示す、純白を表す“白”の軍服だ。

 彼女の胸にあるのは、金色の繊細な文様が描かれた勲章だ。これは王国の騎士を表す勲章であり、それが軍服に縫い付けられ、彼女の地位を表していた。

 そして彼女の両耳には、貴族を表す、耳飾りがあった。その石の色は、目と同じく青い。


 私の目の前には、貴族であり、騎士である女性が立っていたのだ。


 差し出しされた手を見るだけで、呆然と、ただ見つめることしかしない私に対して、彼女は優しく微笑みかけてくれた。

 ………微笑みかけられたのなんて、いつ以来だろう。私に対して、微笑みが向けられたのなんて、もうはるか昔のことのような気がする。

 微笑む彼女を、私はまだ呆けたように見ていた。

 彼女は、私の手をそっと取り、起こしてくれた。そして、服に付いた土を払ってくれた。

 ぼぅとした私を気遣うように、彼女は私に向かって小さくつぶやいた。


「お待たせして、申し訳ありません」

 突然の謝罪の言葉に、キョトンとする。

 そんな私に、彼女はもう一度微笑みかけてくれた。そして、その表情を一転して厳しいものに変えて、群衆に向かった。

 彼らは、まだ私の処刑が中止になったことが不服なのだろう、納得がいかない、という表情を浮かべたものばかりだ。そのいら立ちをぶつけるように、大きな声で騎士さまに向かってもひどい言葉を投げかけていた。

「お前も、この女の仲間かっ!」

「悪魔めっ!」

「お前も同罪かっ!」

「お前は、騎士を名乗る詐欺師か!」

 そう言うと、群衆は近くにあった、さまざまなものを私たちに投げつけようとした。

 それはごみであり、小石であり、瓶であり、そして生ゴミであったりした。

 それらがこちらに投げつけられるのだが、不思議と、何かに守られるように、途中で打ち落とされたかのように落ちて、それらはこちらにまで届かなかった。そんな光景を、ぼんやりと私は見つめていた。

 騎士さまは、悪意をあらわにした人たちを見て、群衆には聞こえないように、それでも、近くにいる私にはしっかり聞こえたが、大きく溜息をついた。

 そして、決して大きな声ではないが、よく通る声で言った。


「彼女は、ミュリエラ・サイホーンは、精霊の守り児だ」


 その言葉に、人々には静寂が訪れる。

 そして、私も。

 まじまじと騎士さまを見つめる。


 精霊の守り児。

 これはこの国の貴族の名称でもある。

 世界にいる精霊たち。

 精霊に守られた、選ばれた人間たち。

 それは、彼女のような、私を助けてくれた騎士さまのような優れた人たちのことだ。

 精霊の存在など、ましてや守り児の存在など、私たちの平民の生活には関係ない。

 たしかに、精霊に対して豊穣や健康を祈願することはある。しかし、その恩恵を実感することはあまりない。ここでは、精霊は、神や女神と同様に、崇拝や信仰の対象でしかないのだ。

 王都から離れたこの場所では、精霊など、ましてや精霊の守り児など、ただの遠い存在でしかないからだ。

 精霊の守り児は、この王国の貴族であり、王都にしかいない。

 精霊の加護を持つ貴族たちは、その人にはあらざる力を持って、人の世を治世に導く。

 語り部たちが美しい物語として語る、そして王都に行った人たちが、自慢げに精霊の守り児をみた、と語る、そんな存在。

 そんな存在なのに。

 私が?

 精霊の守り児?

 そんな、まさか。


「そいつが貴族のたねなんて、あるわけないだろう!」

「嘘だっ!それならなぜそいつは人を傷つけるんだ!」

「そうだ、精霊の守り児が、人を傷つけるわけないだろう!」

「この女は、私の娘にけがをさせたんだ。人に向かって火を放つ、ひどい女だ!」


 そんな声に彼女はもう一度言う。

「精霊の守り児は、その力を制御できなければ、精霊の力が暴走する。………彼女が火を放つ前に、彼女に危害を加えなかったか?」


 その声に、ざわざわと人はざわめく。

 その声は、もう先ほどまでの攻撃の様子を失っているようだった。


「彼女自身に危害を加えれば、あるいは、彼女自身がひどく傷つくようなことをすれば、守り児を守るために、精霊は力をふるう」


 最初に炎が上がった時には、叔母の息子とけんかしていた。

 二回目には、石を当てられ、血を流した。

 そして今日は、もうだいぶん前のことのような感じがするが、叔母の息子に、ひどい暴言を与えられた。

 そして、先ほど私に暴言を投げつけた彼らの顔を、騎士さまはゆっくりと見渡し、続ける。


「彼女が傷つくようなことをしなかったと、あなたたちは言えますか?」


 その言葉に、人々は徐々に暴言の言葉をやめ、互いに顔を見合わせた。

 ざわめきはさらに、困惑、から動揺、あるいは後ろめたさ、のような感情へと変わっていった。


「彼女はこの王国にとっては、稀有なる存在です。今後、彼女を傷つけるものがいれば、それはこの王国に歯向かう者として、私が断罪します。そのことを、心にとどめておきなさい」


 そう厳しい表情を浮かべて、彼女は群衆をもう一度、見渡しながら言った。

 町人たちは、まだ納得はいかないという表情を浮かべるものもいれば、顔色が悪いものもいて、まるで興味がなくなったとでもいうような表情を浮かべるものもいた。その誰もが、しぶしぶといったように口を閉ざし、ポツリポツリと帰って行った。


 そんな町人たちを見て、彼女は厳しい表情を一変させて、私に優しく向かった。

「ミュリエラ。突然のことで、びっくりしているかもしれないけれど、あなたは、精霊の守り児なのです」

「は、はぁ…」

 精霊の守り児。

 そう言われても、実感はわかない。

 間の抜けたような返事をした。

 それでも、私に迫っていた死の脅威は、過ぎ去ったのだろう。

 死からは一応遠ざけられたということは、漠然としながらも感じられた。

 あまりの出来事に、ついていてない。死刑になりそうだったのに、騎士さまは私が“精霊の守り児”だという。あまりの展開の速さに、頭がついていかない。ぼんやりし続ける私を、彼女は優しく誘いいざなう。そうして平身低頭で、騎士さまの顔色を伺う青い顔をした市長さまと、一言ふたこと言葉を交わしたかと思うと、市長さまの家へと再び連れて行かれた。部屋の中を案内されて、ある部屋の前で、彼女は市長さまと眼を合わせてうなずいた。そして部屋の扉が開かれた。私は、騎士さまらとともに先程まで閉じ込められていた牢とはまったく異なる、豪華な客室に招き入れられたのだ。

 案内していた市長さまが、ぺこぺこと頭を下げながら、出て行った。部屋にいるのは私と、騎士さま、その二人になったところで、騎士さまが私の前で、片膝をついた。

 突然のことが続きすぎて、私は呆然と彼女を見つめるしかなかった。


「私は、フェリア・タルスと申します。恐れ多くも、炎帝の守り児を、このような状況でしか見つけることができず、申し訳ありませんでした」


 そう言って、頭を下げる。

 まるで、貴族にかしずくように。


「‥‥‥あ、あのう?」

 私はわけがわからず、彼女に向かう。


 どうして彼女は、私に謝るのだろう。

 どうして、私は彼女にひざまずかれているのだろうか?

 どうして、私は貴族である騎士さまにひざまずかれているのだろうか?

 私はいったいどうなったの?

 そして、私は、これいからいったいどうなるの?


 混乱する私を見て、彼女はそっと微笑む。

「私は水の精霊の守り児である、フェリア・タルスと言います。あなたを王都に迎えに上がりました」


 そう言うと、彼女は私に告げた。

 それは、とてもとても、信じられない話だった。

 今後こそ、本当に夢じゃないかと思うほど。


 彼女が言うには、私には火の精霊、それも火の精霊王に近い守護があると言われた。

 精霊を制御する力がなければ、私の感情の振りによって精霊が暴走することがあること。

 そして精霊の守り児は、その力を制御することを学ばなければ、同じことを繰り返すだろうということ。

 王都にいる貴族のように、血族で連なった精霊ではなく、精霊の気まぐれで加護を受ける、『はぐれ精霊の守り児』存在についてを。

 私は、王都に行かなければならないこと。

 王都でそれらの精霊を制御する方法を学び、王都で暮らさなければならないことを。


 父母がわたしを産んで、育ててくれた場所を離れなければならない。

 ここ最近は、嫌な思い出しかない場所ではあるが、それでも私には離れられない場所だ。

 ここには父母の思い出がある。そう思っていた私に、彼女は続ける。


「あなたの危機を私に知らせてくれたのは、あなたの叔母さまよ」


 その言葉に私は眼を見開く。

 そんな、まさか。

 叔母は私に冷たく当たっていた、はず。

 叔母は、私を嫌っていたはず。私を憎んでいた、はず。

 それに、叔母は私が、自分の息子に火を放って殺そうとしたと思っているはずなのに。


 「自分の姉の忘れ形見であるあなたを、本当は愛していた。それでも、何度もあなたの周りで炎が上がることから、もしかして、そう疑ってしまったのですって」


 そう叔母は、騎士さまに告げたという。


「あなたに“火をつける”という悪癖があるのなら、そんなことをしでかすことがないように、始終忙しく、働かせていればよいのではないか。肉体が疲労していればいいのではないか、そう思って仕事を押し付けたりしてみたらしいわ。それでも、あなたは何もしていないのに、突然自分の息子に火がついたのを見て、もしかして自分の息子の暴言が原因で、異常なことが起こっているのではないか。それがどんな原因かはわからないけれど、息子の暴言が原因であるのであれば、あなたには何の責任もないのに、そう言っていたわ」


 叔母は、私が町の人々に拘束され引きずられて牢に入れらようとしていた時に、騎士さまのところに走ってくれたという。そして、騎士さまに、そんなことを申し上げたのだという。

 私が縄で拘束され、市長さまの牢に押し込まれた私のことを心配してくれていた、と騎士さまは私に教えてくれた。

 騎士さまの言葉に、今まで出なかった涙があふれてきた。


 私は叔母に憎まれていると思っていた。

 母に通じる家族なのに、憎まれていると思っていた。

 それなのに。

 叔母は私のことに心を砕いてくれていた。

 わたしのことを心配してくれていたのだ。

 わたしのことをあいしてくれたのだ。

 ただの平民である叔母が、騎士さまに面会を求めるのは、どれほどの勇気がいっただろう。

 嘆願を行うのは、どれほどの度胸がいっただろう。

 断罪を行うために来るといわれていた騎士さまに、私の放免を願うことには、どれほどの覚悟がいっただろう。

 こらえきれず、嗚咽がこぼれた。


 そんな私を、騎士さまはそっと一人にしてくれた。



     *************************************



 そうして、水の精霊の守り児である、フェリア・タルスは、火の精霊王の第一子の守り児である、ミュリエラ・サイホーンを助けた。

 彼女らは、小さな町から王国へと向かう。

 しかし、ミュリエラの持つ強すぎる精霊の加護の力は、王国に動揺を与えた。

 はぐれ精霊としても、かつてない力を持った精霊。そんな精霊に加護を受けた守り児が、この地に存在したのだ。彼女の力をもってすれば、この国の貴族を、王族を、そして国自体の転覆も起こしえるのではないか。長年の享楽にまみれ、さらなる高みを望んでいた王都の貴族たちは、こぞって彼女に取り入ろうと、手ぐすねを引いた。

 しかし、それをフェリア・タルスは予想していた。

 火の精霊王の第一子。それは次世代の炎帝となるべく精霊だ。そんな精霊に守られたミュリエラ・サイホーンは、おそらく“火種”になる。それならいっそ、はじめから中枢近くに、彼女を押しやればいい。

 貴族としても高い地位を持つフェリア・タルス。

 彼女は、王国についた初日に、彼女を皇太子である王子に面会させた。そして、長い時間をかけて、ミュリエラは王子と愛をはぐくみ、結ばれた。そうして、風の精霊王と、火の精霊王の息子の加護をもつ父母のもとに、一人の王子が誕生し、永く安寧で、平和な大国ができたのは、また別のお話。

最終話になります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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