中篇
「っ!!」
炎に包まれた彼を見て、私は驚いた。
なに、これ?
どうして、炎が?
突然のことで、一瞬目を疑ってしまった。しかし、瞬きしても叔母の息子が火に包まれている姿は変わらない。私はすぐに持ってた洗ったばかりでまだ濡れた上着を使って、火を消そうとした。
彼は、私が火を消そうとしていることが分からないようで、恐怖に満ちた声をあげて、逃げ惑う。
逃げ惑う彼の周囲の火を、数度上着を持ってたたいて、火を消そうとした。
ようやく炎が消えた。
あたりに広がる、焦げた衣類のにおい。
大きな泣き声のような声をあげて、彼は呼吸を荒げて横たわっていた。
彼の脇で、私は言葉もなく、膝をついていた。
彼のことに気を取られて、私は気付かなかった。
彼の少し後ろに、庭から現れた叔母と隣人の姿があったことに。ちょうど、家の影になるところに、顔を青くした叔母と隣人が、立っていたことに。
「………まさか、本当にあんたは」
かすれたような声が聞こえた。
はっとして私を顔を上げた。そこには真っ蒼な顔をした叔母と隣人が、私たちを見やっていた。
この子を殺そうとしたのかい?
ささやくような声で、叔母は私に問いかけた。
私は、声なく首を振る。
そうではない。
そんなことはしていない。
そんなこと、しようとしていない。
そんなこと、しようと思わなかった!
それなのに。
「……人殺しだ、人殺しがいるよ!」
呆然とする叔母の横で、隣人が大きな声で叫んで、大通りに向かって走り出て行った。
そして、私は言葉を忘れてしまったかのように、叔母たち親子の姿を呆然と眺めていた。
叔母は、息子のもとへそろそろと向かい、息子のそばに崩れ落ちるように座り込んだ。そして横たわった彼を優しく起こして、彼の顔を覗き込んだ。彼の表情に何を見たのか、叔母は彼をそっと抱きしめた。
息子は、一瞬体を硬くしたように震わせ、そして、母親にすがるように抱きついた。
抱きしめられたまま。彼は声を震わせるように、泣き始めた。
「っ!」
突然のことだった。
私は後ろから押し倒された。そして後ろ手に回った両手が、荒い縄で締められて捕えられた。
「この、恩知らずめ!!」
そう口汚く罵るように叫ぶのは先ほどの隣人だ。私を押し倒し、おそらく家からとってきたのだろう、荒縄で私を拘束した。
「いや、なにっ――」
突然のことで、訳がわからず、隣人の拘束から逃れようと、体をくねらせた。しゃべるとするも、頭も地面に押さえつけられる。
逃れることは、かなわなかった。先ほどの隣人の声を聞いて集まったのか、数人の町の人たちが私たちの前に現れ、彼らは隣人を手伝うために、私を押し倒す手となった。
「恩知らずめっ!自分を育ててくれた恩人の子を、殺そうとしたのかい!」
人々はそう言うと、今度は私の体を縄で締めつけて、拘束していった。
「お前みたいな恐ろしい子が、こんなふうに野放しになるなんて、許されないことだよ!」
私を憎憎しげに見ながら、隣人は言った。
押し倒された状態で、私は隣人を見上げていた。その周りにいる人たちの冷たい視線。さげすむような、憎むような視線に、私はいつの間にか囲まれていた。
そうして、まるで罪人のように縄で縛られ、引きずるように街中を歩かされた。
町中の人々が、とらえられた私を見て、縄で引きずられる私の姿を見て、ひそひそと悪意の声をささやいた。
「この子は、とうとう自分を育ててくれた恩人の息子を殺そうと、火を放ったんだよ!」
「人殺しの恩知らずめ!お前は悪魔だ!」
「いつかはやると思っていたよ。この化け物め」
私を引きずっていく人たちが、大きな声で私に向かってののしりながら、言い広めていく。
そんな彼らの声を耳にして、町の人たちの悪意はどんどん膨れ上がっていくようだった。
私を締めつけている縄を引っ張って、時折は私の髪を引っ張って転がし、私がこけてもお構いなしに、町中を引きずられた。
投げかけられるのは、ひどい言葉。
「人殺し」
「悪魔め」
「火つけ魔が」
「化け物め」
「しんでしまえ!」
悪意を持って、投げつけられた言葉たちが私に突き刺さる。
引きずられるように連れられる私に、いろいろなものが投げつけられた。泥やごみ、小石などだ。
時々硬い小石が、私の額にあたった。痛みのために、投げつけられる石を避けようと、顔をそむけた。
いやだ。
怖い。
やめて。
痛い。
どうして?
もう、いやだ。
さまざまな感情が私の中であふれかえっていた。しかし、突然の仕打ちに、私はうまく反応することができなかった。
縛られる苦痛。
引きずられる痛み。
投げかけられる、心を刺す言葉。
向けられる憎しみの視線。
まるで他人事のように、心がついていかない。
どうして、こんなことになるの?
いったい、どうしてこんなひどい目にあうの?
どうして、私ばっかりこんな目にあうの?
どうして?
わからないままに、私は町中を引きずられ、罵声を浴びせられ、小石をぶつけられた。
そうして市長の家まで引きずられ、市長の家の地下にある牢に投げ込まれるように、閉じ込められた。
閉じられた牢の前では、見知らぬ大柄な男が私に向かって、ひどく酷薄そうな笑みを浮かべて立っていた。そして、わけのわからないままに、そのまま死刑を宣告された。
「お前は、今日の日の沈む一刻前に首を切られるのだ」
その日の夕刻、私は死刑となるらしい。
そんな彼の言葉を、呆然と聞く。
「それは、今日のその時間、わざわざ王国の騎士さまがこの地にやってこられるからだ。お前のような火つけの化け物を断罪するために、な」
憎しみに満ちた、侮蔑の表情を浮かべ、彼は続ける。
「お前の死刑は、今回のことがなくても、以前から早くするべきだと言われていたんだ、狂ったやつめ」
そう吐き捨てるように、牢番はいった。
そこまで言われても、私は口を開くことができなかった。
人の悪意が、私の心をどこか遠いところに追いやってしまったようだった。
「お前はいつかは人を殺すだろう。その前に我々は、お前の道を正してやらなければならないのだ」
そう吐き捨てると、彼は立ち去った。
日の暮れる一刻前に、断頭台に連れていくために、もう一度来る、と告げて。
あまりの出来事に、私は牢の中で、縛られたままに横たわっていた。
肉体的な痛みは、まるでどこかに痛みを感じることを忘れてきたように、全く感じなかった。
呆然と、牢番にかけられた言葉を反復していた。
死刑?
どうして?
私は悪いことなどしていない。
人を殺そうとなんてしていない。
化け物なんかじゃない。
道を正す?
私は何か間違ったことをしたの?
火なんてつけていない。
人を、殺すなんて恐ろしいこと、私はしていない!
それなのに、どうして、死刑にされないといけないの?
どうして、殺されないといけないの?
どうして、私ばかりがこんな目に会うの?
現実が、まるで幻のように、ぼんやりとする。
まるで、これは現実ではないようだ。
そう考え、私は思った。
そうだ。
本当は夢なのかもしれない。
今の世界は、今ここにいる自分は、悪い夢の中にいるだけなのかもしれない。
目がさめれば、私を父が抱きしめてくれるかもしれない。
母が微笑んで、頭をなぜてくれるかもしれない。
三人で、幸せに暮らしているかもしれない。
暖かい、風景が思い浮かべられる。
思い浮かべた理想の姿に、私は切実に思った。
それなら、早くこの夢がさめてほしい。
現実に、私を戻して欲しい。
この悪夢から、どうか目を覚ましたい。
どうか、お願い。
夢から目覚めて!
どのくらい時間がたったのだろうか。ぼんやりと、横たわりながらこの現実を否定していた私の前に、牢番が立っていた。予定の時間が来たのだろう。
予定の時間?
私はこれから、どうなるの?
どうなったのだっけ?
そう思う私に向けて、牢番は罵声を浴びせる。
「ほら、出てこい!」
屈強な牢番が、私を縛った縄を持って、牢から引きずり出す。
これはきっと夢だ。
引きずられて連れていかれるのは、町の広場だ。
たくさんの人たちが、広場にすでに集まっていた。
拘束されて、縄で引きずられる私の姿をみて、彼らは憎しみの表情をうかべながら、ひどい言葉を投げかけてきた。
広場の中央には木でできた演説台が置いてあり、その上に持ちあげられる。
そして、目の前に映る、大きな木の台。
演説台の上には、見慣れない大きな木の台が置いてあった。
一体これはどういうことだろう。
なんで、こんなことに?
どうしてこんなことになったのだろう?
目の前に置いてある大きな木の台に、荒々しくうつぶせに、前屈するように腰を折って、押しつけられる。
むせかえる、すえた木の匂い。
これも、きっと夢だ。
押しつけられた状態で、腰を縛っていた縄が、改めて断頭台に強く結わえられる。
結わえられた私の姿を見て、人々は興奮したかのように、声を大きくしていく。
私の周りで、ひどい声を投げかけてくる町の人の姿。彼らの言葉が、耳に入ってくる。
悪魔の子。
人殺し。
火の魔物が。
化け物め。
しんでしまえ!
これも、きっと夢だ。
私の目の前で、群集に大きな声をかける人がいる。白い服を着た、神父さまだ。
彼は、軽蔑するような表情を浮かべ、こちらを時々睨みつけるように見る。
彼の言葉が、私の耳に途切れ途切れに聞こえてくる。
火を放ち‥‥
悪魔の所業‥‥
人を陥れ、傷つけ、混乱を‥‥
いまだかつてない残虐な‥‥
この者に、
死刑を!!
断罪の言葉に、町の人から歓声が上がる。
これも、きっと夢だ。
私を押さえつける人の手。
近くを通る、鋭い斧の気配。
そして、横たわる台の、しみついた、血なまぐさい、木のにおい。
消えない、黒い血の跡。
すべての音が消え、群衆の叫びが遠くなったように感じられた。
まるで遠くから自分を見ているかのように、すべてのことがゆっくりと、だがはっきりと感じられる。
私の後ろに人が立つ。
黒い衣を頭からまとう、執行人だ。
彼が断頭台に上がったことで、いっそう、群衆たちが興奮する。
群衆たちが、熱狂したように何か叫んでいる。
その言葉は、私にはもう理解できなかった。
執行人の持つ、鋭い刃を持つ斧。
一度私の目の前に見せ付けるように横切ったそれを、私は他人事のように見ていた。
斧を持つ手は、幾度か斧を上下に振っている。
まるでこれから行うことの予行演習のようだ。
これもきっと、夢だ。
自然と、目を閉じる。
私をおさえつける手に、いっそうの力が込められる。
私のうしろにたつ執行人が、私に近づいてきた。
そして。
振り上げられる。
その音。
その刃。
そして。
‥‥‥神さま。
お願いします。
ゆめから、目覚めさせて‥‥