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ブレイドの前世

 二日後の昼下がり。

 街道を走る乗合馬車の後部座席で、銀色の髪が陽光を反射して弾んでいた。


「わあぁっ! ブレイド、みてみて! あそこにおおきな鳥さんがいるよ!」

「ああ。あれはロック鳥の幼鳥だな。あまり近づくと親がすっ飛んでくるから注意しろよ」

「ロックちょう……? かっこいい! あ、あっちにはお花がたくさん咲いてる!」


 車窓から身を乗り出さんばかりの勢いで外を眺めるリリアを、ブレイドは片手で支えながら見守っていた。

 深く被せたフードの下で、見慣れない景色に興奮する幼い横顔。

 その純粋な瞳を見ていると、ブレイドの脳裏にふと、過去の記憶が蘇ってくる。

 自分がいかにしてこの理不尽な世界に放り込まれ、そしてこの小さな魔族と出会ったのかという数奇な顛末が。


 そもそも、ブレイドは元々この世界の住人ではない。

 高層ビルが立ち並ぶ「地球」と呼ばれる星で、名もなき会社員としてすり減る毎日を送っていた。


 残業代の出ない深夜労働。

 上司の終わらない説教。

 部下のミスの押し付け合い。


 ギスギスとした人間関係の中で、毎日終電に揺られて帰るだけの空虚な日々。

 そんな折、運悪く世界中で猛威を振るっていた未知のウイルスに感染し、アパートの一室で一人、あっけなく息を引き取った。


『おめでとう! 君を勇者に任命するよ!』


 目が覚めると、白百合の咲く謎の空間で神と名乗る光の玉にそう告げられたのだ。


「……は? なんだって?」

『だから、異世界転生だよ! 魔王の手から世界を救ってほしいんだ。チートもサービスでつけちゃうからさ!』

「断る。残業の無い世界でただ眠りたい。別の人間に頼んでくれ」

『あー、そういうの受け付けてないから。じゃ、いってらっしゃーい!』

「いや待て、話を聞け!」


 という声は届かず、ブレイドは強制的にこの世界に放り出された。


 拒否権なし。完全なブラック企業のやり口である。

 それでも押し付けられたチートと聖剣の力とやらを駆使し、どうにか魔王の城まで単騎で辿り着いた。

 さっさと魔王の首を刎ねて、今度こそ引退してスローライフを送ろう。

 そう目論んでいたブレイドは、玉座の間で待ち受けていた巨大な魔王の言葉に鼻白むことになる。


「人間よ、なぜ我らの領分を侵す? 我らは静かに暮らしたいだけだというのに」

「はあ? 魔物が王都の近くまで攻めてきてるだろうが」

「それは人間たちが無闇に森を開拓し、我らの食料を奪うからだ! 反撃したのを『侵略』とすり替えているだけではないか!」

「……なんだと?」


 ブレイドは眉間に皺を寄せた。

 聞けば、魔王軍に世界を征服する意図など毛頭ないという。

 人間側が領土拡大のために魔族の土地を荒らし、都合のいい大義名分を掲げて『勇者』を送り込んできたのが事の真相だった。


(……前世のクソ上司とやってることが全く同じじゃねえか。下の者に都合の良い嘘を吹き込んで、厄介事を押し付ける……!)


 聖剣の切っ先が下がる。

 戦う理由が根本から崩れ去った瞬間だった。

 だが、事態はそこで終わらない。


「パパをいじめちゃダメー!」


 玉座の奥から、小さな影が飛び出してきた。

 それがリリアだった。

 まだよちよち歩きに毛が生えた程度の幼女が、恐ろしい姿をした魔王を庇うようにブレイドの前に立ちはだかる。

 ぷるぷると小鹿のように震えながらも、その瞳は涙を溜めて必死にブレイドを睨みつけていた。


「り、リリア! 下がっていなさい! この男は危険だ!」

「いやっ! パパはやさしいのに……にんげんさんがいつもこわいことするの!」

「おい、坊主。いや嬢ちゃんか。危ないから引っ込んでろ。別に取って食おうってわけじゃ……」

「リリアが……っ、リリアがにんげんさんのいうこときくから! だからパパをぶたないで!」


 幼い少女は、意を決したように目をギュッとつぶると、小さな両手を前に突き出した。

 まるで手錠をかけられるのを待つ罪人のようなポーズ。

 自らを差し出し、肉親を守ろうとする決死の行動。

 その震える小さな手を見た時、ブレイドの中の何かが完全に冷え切った。


 魔王を討伐する?

 そんな馬鹿な真似ができるはずがない。

 この純粋な子供の絶望と引き換えに得られる平和など、前世のクソッタレな日常以下のゴミだ。


「……あー、わかった。もうやめだ。剣は収める」


 ブレイドが聖剣を鞘に放り込むと、魔王もリリアもぽかんと口を開けた。

 踵を返し、玉座の間から立ち去ろうとするブレイドの背中に、小さな足音がついてくる。


「どこいくの?」

「帰るんだよ。俺はもうお前たちと戦う気はない」

「かえる……。外の世界? リリア、外に出たことない。ついていきたい」


 振り返ると、リリアがブレイドの外套の裾をしっかりと掴んでいた。

 城の奥底でずっと隠れて育ってきた少女にとって、見知らぬ来訪者は『恐怖』から『外の世界への鍵』に変わったらしい。

 魔王は慌てて止めるかと思いきや、複雑な表情でブレイドと娘を交互に見比べ、やがて重々しく口を開いた。


「……勇者よ。よければ、その子を連れて行ってはくれないだろうか」

「パパ!?」

「我はここを動けぬ。だがお前のその理不尽なほどの強さがあれば、この子に広い世界を見せ、守ってやることができるだろう」

「……いいのか? 可愛い一人娘だろうが」

「構わぬ。この子には未来を与えたいのだ」


 ――なるほどな。

 ブレイドは腹の中で合点がいった。


 これは人質だ。

 人間側に帰還する勇者に対し、魔王自身の最愛の娘を預ける。

 それは魔王が今後一切人間に手を出さないという最大の証明であり、同時に「勇者自身」を人間の国に対する抑止力に使うという強かな取引だ。


(……それだけ覚悟があるってことか)


『勇者が匿っている魔王の娘』に手を出せば、国は勇者という最強のカードを敵に回すことになる。


「まあ、飯くらいは食わせてやる。行くぞ、チビ」

「やったー! リリア、外の世界にいく!」


 こうして、かつて敵対するはずだった二人の奇妙な生活が始まったのだ。

 その後、ブレイドは魔王討伐を国に報告したが、上層部によってあっさりと裏切られ、暗殺の毒牙にかけられそうになった。

 人間への未練を完全に絶ち切り、リリアと共に深い森へ姿を消したのは必然の成り行きだったと言える。


「ブレイド? どうかしたの?」


 不意に服の袖を引かれ、ブレイドは回想から引き戻された。

 見下ろすと、リリアが小首を傾げて覗き込んでいる。

 フードの奥で揺れる銀髪がくすぐったい。


「いや、なんでもない。もうすぐ街が見えてくる頃だと思ってな」

「ほんと!? おんせんの街!?」

「ああ。湯煙の都、ルデンだ。到着したらまずは美味い飯でも食いに行くか」

「やったー! リリア、お肉がたくさんたべたい!」

「温泉卵はどうした」

「お肉のあとでたべるの!」


 あはは、と明るい笑い声が馬車の中に響く。

 世界中が敵に回ろうとも関係ない。

 自分を騙した神も、裏切った王国の連中も、どうでもいい。

 この純粋な笑顔を守り抜くことだけが、今のブレイドに与えられた唯一で最高の『クエスト』なのだから。

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