第七話:動き出す影
対岸に陣を張り、双方が睨み合って数日が経った。
風は吹かない。
それはそうだろう、精霊は捕らえてあるのだから。
自然現象には、精霊の力の恩恵が大きい。風の精霊がそこにいるだけで清涼な風が吹く。
「⋯動いたか」
漆黒のフードを被った祈祷師が小さく呟く。
強制力を測るために死ぬはずの将軍を生かしておいたのだが、やはりヤツらは気がついたようだ。
「相変わらず鼻が効くな、“監史者”」
ばら蒔いた餌に食いついたとも知らずに────。
監史者の大層な理念を思い出し、祈祷師はフンっと鼻で笑った。
「歴史は────最善であれば良いのだ」
正しくなど、なくていい。
そんなものは、後からどうとでもなるのだから。
所詮人間は、自分に都合のいいことしか認識しない。きっとすぐに新しい歴史を受け入れるだろう。
そして、いつしかそれが正しいと思い込む。
「────あの男が勝った方が、まだ“マシ”だ」
この戦いは、曹操を勝たせる。
今の歴史のままでは、無駄が多すぎるのだ。
「今のままでは、無駄に人が死に過ぎる⋯」
淡々としていた祈祷師の口元が歪む。何の感情もなかったその声に、どす黒いモノが混じった。
「⋯その為にも、これは渡せない」
手の中に在るモノを見つめる。
それは、両手の平に収まるくらいの小さな箱。カタリっと、箱が動いた。まるで生きているかのように。
内側から、僅かに震える。小さく叩く音が、何かを訴えているようだった。
「────黙れ」
箱を片手で握りしめ、空いた手で印を結ぶ。そのまま箱の上を滑らせた。
たったそれだけで、箱はピタリと止まる。
「完璧だ」
その様子に、祈祷師は暗く笑う。
全ては、自分の思う通りに進んでいる。失敗など有り得ない。
××××××××××
「動いた」
カグヤが呟く。
それはごく小さな呟きで、すぐ近くにいたヒスイにしか聞こえなかっただろう。
「場所は?」
「ここから近いよ」
カグヤは読み取った場所をザウルスに伝え、ヒスイと共有する。
「行くか」
ヒスイの声に頷き返す。
向かった場所は、岩場の洞窟。中に入るとクネクネと入り組んでいた。右往左往していると方向感覚を狂わされる。
洞窟の内部、行き止まりの場所は少し開けた場所だった。よくこんな場所を見つけたものだと感心するが、少しだけ違和感も感じる。
まるで、見つけてもらうために用意されていたかのように────。
(あまりにも、都合が良すぎる⋯⋯)
だが、行かないという選択肢はない。ここに精霊の気配がある以上、確かめなければならないからだ。
開けた場所に入った瞬間、二人の足元に魔法陣が展開した。
「カグヤ!」
ヒスイがカグヤを突き飛ばす。
「────っヒスイ⋯!」
カグヤがヒスイを振り返ると、結晶に囚われたヒスイの姿に、言葉を無くす。
「捕まったのは、一人か」
声がした。
何の感情もない平坦な声。
「────誰」
カグヤの誰何に、声が笑う。
「君達と同じだよ」
「⋯⋯同じ?」
「未来を知る者」
影がユラリと揺れて、人の形になった。
この時代のモノと思われる、祈祷師の服装した人物。
だが、この時代のモノでは有り得ない。
この世界の人間は、影から出て来たりはしない。
「⋯⋯⋯あなたが、精霊を捕まえた?」
「さぁ、どうだろうな」
肯定も否定もしなかった。
だが、“精霊”と聞いても驚かないところをみると、間違いなさそうだ。
「監史者を正しいと思うか?」
不意の問いかけ。
カグヤは眉を寄せる。この人物は、監史者を知っている。
「このままの史実通りに進んで、いいと思うか?」
「⋯⋯⋯」
「救える者を救うのがなぜ悪い?」
祈祷師姿の人物は、尚も問いかける。
カグヤも、監史者が全て正しいとは思っていない。
だが、目的も分からない人物に話すのは、あまりにもリスクが高いし、こちらのメリットがない。
だが、ヒスイをこのままにしてはおけないので、どうしようかと思案する。
────⋯⋯⋯だ。
カグヤが口を開く前に、微かに声が聞こえた。
目の前の人物にも届いたのだろう。
顔は見えないが辺りを伺っているところをみると、仲間ではないようだ。
その時だった。
────ビキッ。
一瞬、何が起こったのか理解が追いつかなかった。
何かが、砕けるような音。
「馬鹿な⋯」
祈祷師姿の人物が、ある一点を見つめて驚いたような声をあげる。
カグヤも祈祷師の見ている先に視線を向けた。
次の瞬間────。
────グシャァァァァー!!!!
結晶が、砕け散る。
キラキラと破片が散った。
「────やってくれたな⋯」
底冷えする声。
地の底を這うようなドスの効いた声とは対照的に、顔は爽やかすぎるほどの笑顔だった。そのギャップが恐ろしい。
絶対零度の微笑み。
カグヤはそんな言葉と共に、ヒスイの二つ名を思い出していた。
(“魔王”降臨⋯)
久しぶりの魔王の降臨に、冷や汗が背中を伝う。
周りの空気が一段重くなった気がする。
「────まさか、あの結界を破るとはな⋯」
苦々しい祈祷師の声。
顔は見えないが、苛立っているのは伝わった。
「今日のところは引くとしよう」
「逃がすか」
ヒスイが伸ばした手は、空を掴む。
まるで煙のように、祈祷師の姿は霞んでいく。
「精霊は────私の手中だ」
そんな捨て台詞を残し、跡形もなく消え失せる。
「カグヤ」
「────はい」
魔王に呼ばれて、思わず敬語で答えてしまった。
それにヒスイが笑う。
あっという間に先ほどの濃密な気配が霧散する。いつものヒスイの雰囲気に戻った、と思った瞬間。
「アイツは、オレがやる」
ヒスイが、空中を睨みつけて呟く。
“やる”が、完全に“殺る”に聞こえた。
引き攣りそうになりながら、カグヤは無言で頷くしかなかった。
遅くなりました⋯!
ごめんなさい⋯。




