第三話:不穏な兆候
────風が、止んだ。
ここ数週間、風が吹いていなかった。
普通ならば有り得ない。
この時期、この地で風が止まることなど────。
諸葛亮孔明は、空を見上げる。
よく晴れた、雲ひとつ無い空。
雲があれば、目で見て風の流れが分かっただろう。
孔明は目を細める。
「⋯妙、ですね」
思案するように、手に持った羽扇で口元を隠す。
近しい者たちにそれとなく尋ねてみたが、誰も風が止んでいることにすら気づいていなかった。
そんなことがあるだろうか。
────作為的。
何者かの意図を感じざるを得ない。
では、何者かとは誰だ。
考えられるのは、今敵対している曹操軍。
だが、普通の人間に、風を止めることが可能だろうか。
普通ではない人間ならば────あるいは⋯。
そこまで思考したとき、何者かの気配を感じた。
「⋯⋯そこにいるのは、誰です」
突如現れた気配。
といっても、分かりやすかった訳ではない。寧ろあまりに自然過ぎて常ならば見過ごしてしまっていただろう。
気づいたのは、異変を探ろうとしていつも以上に周りに気を張っていたからに他ならない。
「────気づくんだ」
驚きと少し楽しげな若い声。
それは、感心しているようにも聞こえた。
ゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、少女と呼べる年齢に見える若い女だった。
予想外の存在に声を失う。
「初めまして⋯でいいのかな」
そう言った少女は、慌てた様子もなく落ち着いていた。その落ち着き払った態度が、見た目の若さにそぐわない。
まるで、何十年も生きているかのような、不思議な落ち着き。
「暢気に挨拶している場合か」
もう一つの声。
こちらの気配には、声がするまで気がつかなかった。
いつ現れたのか、もしかしたらずっとそこにいたのかもしれない。そんなことすら思わせるほど、その男の気配は希薄だった。
だが、この男が只者ではないことは理解出来た。底が見えない。
平静を保ちながらも、嫌な汗が背中を伝う。
未だかつて、会っただけで戦慄させられた相手はいなかった。この男を敵に回してはいけない、孔明はそう直感した。
「⋯⋯君たちは、何者ですか?」
簡単に答えが返ってくるとは思わなかったが、問いかけずにはいられなかった。
「⋯説明が難しいんだけど────」
少女がうーんっと考え込む。その仕草はひどく幼く感じた。見た目に合った、ともいえる。
困ったように少女は男を見る。
男はその視線を受けて小さく嘆息した。
「頭のいい貴方に嘘を突き通すのはしんどいから単刀直入に言う。オレたちは別の世界から来た」
そう言われ、何故かストンと納得した。
常ならば荒唐無稽過ぎて「何を馬鹿な」と一笑にふしているだろうが、今は異常事態。
何が起きているのかを説明してくれるかもしれない人物が目の前にいれば、それを手放すのは馬鹿のすることだ。
「⋯⋯⋯何の、ために?」
男が、わずかに口元を歪めた。
まるで、孔明が疑わずに男の言葉を受け入れると分かっていたかのように。
やはり、この男は底が知れない。
暫しの沈黙ののち、男が口を開く。
「────“流れ”を守るために」
何の、とは聞けなかった。
男の視線が射抜くように孔明を見ている。これ以上は聞くな、そう言われた気がした。
何も分からないに等しいが、それでも今は藁にも縋らねばならない。
風が吹かなければ、この戦いに勝ちはない。
この戦は、必ず勝たねばならないのだ。
どんな手を使ってでも────。
「姿を現した時点で、敵では無い。違いますか?」
彼らの目的が孔明を消すことなら、姿を現す意味がない。
気付かぬ間に消す方が何倍も楽だろう。少なくとも、この男にはそれが可能だ。
「そう思ってくれて構わない」
男が肯定する。
少女の方にも異議はないらしい。全てを男に任せて成り行きを見守っている。
不思議な雰囲気を持つ二人組。
彼らが何者かは分からないが、味方であるらしい。
「承知しました。⋯我らの主に会って頂くことは可能ですか?」
「残念ながらそれは無理だ。オレたちのことは極力伏せてもらいたい」
「⋯そうですか」
それは、何となく予想していた。
彼らのような不思議な存在をあまり広めるのは良くない。何故かそう感じた。
「では、私の部屋へ。滅多に人が来ませんので────」
そう言いながらも、孔明の思考は止まらなかった。
お待たせしました!




