4-2動き出す
ミーナがジェームズと放課後運動している、という噂を聞きつけてから、ギルバートは毎日中庭で校舎内を散歩する2人を、物陰に隠れて見張るようになった。
無遠慮でマイペースなジェームズが、さほど運動が得意でないミーナに無理をさせて怪我をさせていないか、そして、ミーナとジェームズが自分を差し置いて良い雰囲気になっていないかを厳しく見張るためである。
ギルバートは、今日も並んで散歩する2人を監視しながら、胸の奥のわだかまりを抑える。
「(ジェームズは体格がオリバーに似ているし、性格もどことなく似ている、ところがある、ような気がしないでもない…。危険だ…)」
ギルバートは物陰から2人を見張りながらぎりぎりと歯ぎしりをする。
しかし、聞こえてくる2人の話し声は、腕をもっと上げろ!大股で!等のスパルタなジェームズの声と、はい!と従順に返すミーナの声ばかりなので、ギルバートはとりあえず今のところ2人はロマンスには程遠いかと安堵する。
そして夜、ギルバートは普段よりも遅くまで勉強するようになっていた。放課後2人を見張らなくてはいけないため、いつもどおりの勉強時間を確保するためにどうしても睡眠時間を削らなくてはいけなかった。
そんなわけで、ギルバートは日中眠い日が数日続いていた。授業中も睡魔が襲う時が少なくなくなっていた。
そして今朝、とうとうギルバートに眠さの限界が来た。
朝は学園に入って初めて起きられず、授業に遅刻しそうなほどだった。同室のレーガからは、大丈夫?とひどく心配された。
このままではまずいと感じたギルバートは、ランチタイムになると昼食もとらずに中庭に向かい、ベンチに座って昼寝を始めた。
ギルバートは一瞬で眠りに落ちた。座ったまま数十分眠り続けた後、ギルバートは、はたと目を覚ました。まぶたをゆっくり開けた時、目の前にミーナが立っていた。
「(…ミーナ…?)」
寝ぼけた頭でギルバートはそう考える。すると、急に意識がはっきりして、反射的にミーナの手や足や顔を確認してしまった。
「(一応何もなかったと認識していたが、もしかしたら見ていないうちに怪我をさせられていたかもしれない…)」
ギルバートはミーナの体に新たな傷がないことを確認すると、安心したようにため息をついた。
「…うん、怪我は増えていないな…」
ギルバートはそう呟いた後、はっとしてミーナを見上げた。ミーナは呆然とギルバートを見下ろしている。
「(し、しまった、俺としたことが、女性の体を凝視するなんて…)」
ギルバートは背筋を伸ばすと、す、すまない…、と申し訳なさそうに目を伏せた。
「無遠慮に体を見すぎた…」
ギルバートが自分の情けなさにうなだれそうになっていると、ミーナが、ううん、と両手をふった。
「えっと、怪我?」
ミーナは不思議そうに首を傾げた。そんなミーナを見上げて、ギルバートは、いや…、と呟く。その時に、ミーナの顎に目が行く。一週間ほど前についていたミーナの傷は、ガーゼは取れたけれどまだ跡が綺麗には消えていない。
「…最近君が、ジェームズと運動をしているようだから。あいつはあまり人に合わせることをしない。君に無理をさせていないかと思って…」
ギルバートは口元に手を当てて眉をひそめる。あとは2人に何も起きていないかも心配で、という言葉を飲み込みながら。
ミーナはギルバートを見つめて目を丸くしたあと、ゆっくり目を細めた。
ギルバートはそんなミーナを見つめて、時が止まったような気持ちになる。
「(…可愛い)」
幼い頃から幾度も思ってきたことを、今も改めて思う。彼女は過剰なほどに可愛い、自分にとっては。どんなに背筋を伸ばして生きると決めていても、彼女を見つめていると気持ちがふわふわとして、浮き足立つ。心が温かくなって、自然と頬が緩み、そうして自分は、父親が散々嫌悪していた軟弱な人間に成り下がる。ギルバートは必死に、緩みそうになる頬や背筋を正す。
「(…君は何も変わってくれなくていい)」
ギルバートはそう心から思う。彼女が自分のために努力してくれる気持ちは嬉しい。けれど、怪我をするくらいなら、自分以外の男と2人で一緒にいる時間ができるくらいなら、そんなことしてくれなくていい。ただそのままの彼女でいてくれればいいのだ。それだけなのに。
「再来週、」
突然ミーナが口を開いたので、ギルバートは、はっとして顔を上げた。ミーナはやたら真面目な顔でギルバートを見つめていた。
「家族の集まりがあるね」
「家族の?」
ギルバートは、相変わらず仲のいい家だな、と心の中で呟く。しかしなぜわざわざ彼女が自分の家の集まりがあることを自分に言うのかよくわからずに、そうなのか、と不思議な気持ちで返した。
ミーナ自身は、なにやら意気込んだ様子でギルバートの方を見ている。ギルバートはさらに良くわからずに少しだけ首を傾げてしまった。
「(…家族の集まりの中で、何かあるんだろうか?)」
「ところで、お昼寝なんて珍しいね」
ミーナが空を見上げて、眩しい日差しに目を細めながら言った。ギルバートはミーナのきれいな横顔に胸が高鳴って、それを誤魔化すように髪をかき上げた。
「ああ…、最近遅くまで勉強してたから…」
そう答えると、ミーナは、ええ…!と驚いたように目を丸くした。そして、真剣な眼差しでギルバートを見つめた。
「すごいなあ本当に、ギルバートのこと尊敬してる、昔から!」
きらきらの瞳でそう言われて、ギルバートはつい固まる。ギルバートは彼女が眩しすぎて見ていられずに、つい目をそらす。
「(だから…だから可愛いんだって…!可愛いんだって……!!許容範囲を大幅に超過している…!)」
「ごめんね、疲れてるのに。それじゃあね」
ミーナはそう言うと背中を向けて歩き出した。ギルバートはつい、ミーナ、と呼び止めた。
「どうかした?」
ミーナは立ち止まってギルバートを振り返った。ギルバートは、ミーナを見つめて口ごもる。ミーナの赤茶色い髪が風に揺らされる。
「(…危ないことはしないで…、他の男と2人でいたりしないで…)」
言いたい本音が喉の奥で詰まる。ギルバートは何度か目を伏せたあと、真っ直ぐにミーナを見つめた。
「…ジェームズは、」
「ジェームズ?」
「オリバーに似てる…か?」
「オリバー?」
ミーナは目を丸くしたあと、うーん、と腕を組んで考え始めた。ギルバートはそんなミーナを見つめながら、いや違うだろ俺…!と自分を責める。
するとミーナは、あっ、と声を漏らした。
「そういえば、いた!」
「え?」
「身近にああいう、こう、背が高くて筋骨隆々な人!オリバーがいたんだ!」
ミーナはそう言って一人で納得したように頷く。ギルバートは良くわからずに困惑する。
するとミーナは、また腕を組んで考え込んだ。
「…でも、体格は似てるけど、オリバーはもっとおおらかじゃないかな。だから似てはない…と思う」
ミーナはそう言って顔を横に振る。ミーナの言葉を聞いて、ギルバートは安心から口元が緩む。
「そ、そうか、ならいいんだ」
そう言いながら、いいか?とギルバートは自問自答する。ジェームズがオリバーに似ていないなら、ミーナがジェームズを、オリバーの面影を求めて好きになる可能性は低い。
しかし、ミーナがオリバーを好きだという現実は何も変わらない。ギルバートは額に手を当てて、いや、と呟く。
「…やっぱりよくない…」
これ以上考えると頭が割れそうだと思ったギルバートは、立ち上がると、呼び止めてすまなかった、と言い残すと、ミーナを置いてふらふらと歩き始めた。
放課後の見守りを終えて、ギルバートは部屋に戻ってきた。すると、自分に手紙が届いていたことに気がついた。
「(…朝、慌てていたから気がつかなかった…)」
ギルバートは手紙が父親からだと確認したあと封を開けた。手紙の内容は、ギルバートの家の親戚と、ミーナの家の親戚が集まって、2人の婚約についての軽い紹介をする、ということが書いてあった。
「(…昼にミーナが言ってたのはこれのことか)」
ギルバートは謎が解けて納得する。しかしすぐに、ん?と呟く。
「(…つまり、オリバーも来るのか…)」
ギルバートは、はっと、点と点がつながったような心地になる。ギルバートは手を震わせて父からの手紙を見つめる。
「(…オリバーに会うから…だからあんなに頑張っていたのか……)」
ギルバートは、ミーナの本当の目的を理解すると、そのままソファーに倒れ込んだ。
ギルバートは、従兄弟のオリバーを思い出す。4歳ほど年上の男性で、頼りがいのありそうな体格と朗らかな笑顔が特徴の爽やかな人物だった。
ミーナの家族やギルバートの親戚で集まるといつもギルバートとミーナとユーリと遊んでくれた。
年上の余裕からか、自分と違い、ミーナに優しく接していた彼を、ギルバートはいつも羨ましく見つめていたことを思い出す。
「(…いや、オリバーはもう既婚者だ。ミーナが好きでいたってどうにもならない)」
ギルバートはふて寝の体勢から起き上がり、足を組むと、うんうん、と頷く。しかし、ここ一週間ほどのミーナの努力を思いだすと、なんとも言えない気持ちになる。
「(…まだ好きなのか…そんなに好きなのか…)」
ギルバートはショックのあまり、またソファーに倒れ込んだ。
翌日、ギルバートは次の授業の準備を暗い気持ちで始めた。
すると、前の席のジェームズがギルバートを振り向いて、誇らしげな顔を見せた。
「ミーナ・ワイアット、前より絞れてきたぞ」
ジェームズは、俺のコーチングの賜物だな、と自画自賛する。ギルバートはそんなジェームズをちらりと見たあと、ああそう、とそっけなく返して授業の予習を始めた。
ジェームズは、そんなギルバートを怪訝な顔で見た。
「…喜ばないのか?婚約者が痩せてきたんだぞ?」
「…別に」
ギルバートはペンを動かしながら不機嫌そうに返す。ジェームズは不服そうにギルバートを見つめる。
「別に、ってなんだよ」
「…俺は別に、痩せてくれなんて頼んでない」
「なにを不貞腐れてるんだ?今はそこまで変化がないかもしれんが、もっと痩せたらもしかしたら可愛くなるかもしれんだろ」
「はあ?」
ギルバートはジェームズを睨む。可愛くなるかもしれない?今の時点で可愛いすぎるくらいだろ、と言いたい気持ちを抑える。
すると、話を聞いていたらしいジャックが、ニヤニヤしながら近づいてきた。
「無念だなあギルバート、アイリーンが好きだった男の花嫁が、あのミーナ・ワイアットだなんてなあ」
散々綺麗なご令嬢たちから想いを寄せられてきた奴の末路を見てられないな、と嘲笑するジャックを、忌々しい気持ちでギルバートは睨む。
そもそもあの日、こいつの挑発に乗らなければ変な嘘をつかずに済んだし、アイリーンが好きだなんて言う噂が広がらずに済んだ。
そんな責任転嫁をしながら、ギルバートは、いやそれは男らしくない、と自分を律する。すべて咄嗟に嘘をついた自分のせいだし、そもそもミーナに直接嘘をついたのはこいつのせいではない。
ギルバートはジャックから目をそらす。
「俺はそもそも、アイリーンを好きだなんて一言も言ってない、可愛いと言っただけだ(…顔を知らんが)」
ギルバートはとりあえず、噂を訂正した。ジャックは、はあ?と声を漏らした。そして、嫌味な様子で目を細めた。
「強がるなよ。アイリーンとのことが実らなくて残念だからってさ」
「……」
ギルバートは、強がってない、と言い返そうとしたが、これ以上こいつと関わるのは時間の無駄だと察し、はいはい、と流すと席を立ち廊下に出た。
廊下の窓から外を見下ろすと、アイリーンとミーナが仲よさげに笑い合いながら歩く姿が見えた。
昨日は気が付かなかったけれど、ジェームズの言う通り確かに前よりも少し痩せたミーナがそこにいた。そこから自信がついたのか、笑顔のミーナが見えて、ギルバートは少し安心した気持ちになる。最近暗い顔でいるところばかり見ていた彼女の、昔のように笑う姿を久しぶりにみられたからである。ギルバートはミーナを見ながらつられるように微笑んだ。
すると、窓越しにギルバートはミーナと目が合った。ミーナはギルバートに気がつくと一瞬で笑顔を凍りつかせた。そして、目を伏せてアイリーンと歩いて去っていってしまった。
ギルバートは、ミーナの表情に傷付きながら、以前ユーリに言われた、暑苦しい古臭い煩い、という言葉を思い出して、力が抜けたように倒れ込み、窓に額をぶつけた。




