4-1動き出す
アイリーンとランチタイムを楽しんでいたミーナは、鬼の形相をしたジェームズに連れ去られてしまった。
ジェームズは中庭までミーナを連れてくると、ベンチに座らせた。そして、ランチの乗ったトレーを持ったまま、ひどい迫力でミーナを見下ろした。ミーナはその覇気に体を縮こまらせた。
「…確かに、俺はきちんと食えといった。しかし、適量をという意味だ。これまでどおりバカスカ食っていたら痩せられんに決まってるだろ…!お前が食っていたのは大盛りのミートソースパスタ、コーンクリームスープ、それにケーキ!明らかに食べ過ぎだ!」
ジェームズはそうぴしゃりと言い放つと、彼の手にあるトレーをミーナに見せつけた。ミーナはそのトレーを恐る恐る見た。
「いいか、チキンとサラダ、それにコンソメスープ、それと少しのパンだ。三食は基本、これと同じ物を食え。夜はこれのパン抜きだ」
「そ、それだけ…」
「ケーキなんか言語道断だ!」
「アイリーンが食べていたから、ケーキは食べても構わないのかと…」
「ダイエットをしていないのなら食べても構わない。がしかし、お前はダイエット中だ!その余分すぎる脂肪を減らしてから適度に楽しむのならいい。今は駄目だ!絶対に!!」
ジェームズに叱られてしゅんとなりながら、ミーナはジェームズから提示された食事を見つめた。食事を極端に制限していたころよりは食べられるとはいえ、この量でこれからしばらく生きていくのかと思うとミーナはうんざりした。
「それと運動だ!食って動く、これが基本だ!」
「うんどう…」
自分の人生に関わりのなかった単語が頭に響く。
ギルバートはそんなミーナを見つめて、おい、と話しかけた。
「お前は本気で、ギルバートのために痩せたいんだな?」
「はっ、はいっ!」
ミーナは背筋を伸ばして、ギルバートを見上げてそう答えた。ギルバートはそんなミーナをじっと見たあと、口角を上げた。
「なら、今日から俺とトレーニングだ。放課後みっちり走るぞ!」
「えっ」
そして放課後、ミーナはアイリーンからカフェテリアでケーキを食べながらお話をしようという誘いを断って、約束したジェームズのもとへ向かった。言われた通り体操着を着て向かうと、同じように体操着を着たジェームズが腕を組んで待ち構えていた。
ミーナはジェームズのもとへ向かうと、頭を下げた。
「きょ、今日からお願いいたします!」
「うむ。まずは準備体操だ!」
そう言われて、ミーナはジェームズの見様見真似で体操を始めた。
準備体操のはずが、それを終えた時点でミーナはそこそこ疲れていた。ジェームズは、よし、と言うとミーナの方を見た。
「それじゃあ今から走るぞ。初日だからな、今日は軽くにするか」
ついてこい、と言うとジェームズは走り出した。そのスピードにぎょっとしながら、ミーナは慌てて彼を追いかけた。
「(…はっ、はやすぎる…!)」
ものの数十秒で、ミーナは限界に達した。ミーナは必死にジェームズについていこうとするが、距離はどんどん離れていく。ジェームズはそんなミーナを振り返り不服そうに眉をひそめる。
「こういうのはジョギングとすら言わない、散歩だぞ!」
「ご、ごめんなさい…!」
ミーナはジェームズに怒られて、またなんとか気合を入れて走るけれど、体が気合についていけず、ジェームズからどんどん距離が離れる。それに焦ってさらに足を動かす。すると足がもつれて、ミーナは顔から地面に倒れ込んでしまった。
「あーあーあー、なにやってんだ…」
呆れたジェームズが、走ってミーナのところまでやってきた。ミーナは体と顎に鈍い痛みを感じながらよろよろと起き上がった。ジェームズはミーナに手を貸して立ち上がらせた。ミーナは、ごめんなさい…、と情けない気持ちでうつむきながら言った。ジェームズは腕を組んでため息をつくと、仕方がない、と言った。
「しばらくは散歩で手を打ってやる。ほら行くぞ」
ジェームズはそう言うとスタスタと歩き出した。ミーナは自分の体についた砂をはらいながら、は、はいっ!と返事をして追いかけた。
こうして、ジェームズとの散歩が始まった。散歩というから歩くだけかと思ったら、ジェームズの言う散歩はとにかく速度が速く、しかも、腕をよく振れ!大股で!などと注文がつけられ、かなり息の上がる運動だった。
ミーナは恐る恐る隣を歩くジェームズをちらりと見たあと、あの…、と声をかけた。
「どうして私なんかを手伝ってくださるんですか?」
「あ?ギルバートの婚約者がそんなだらしないなんて許せないからだ」
そうはっきりと言われて、ミーナの胸に突き刺さる。
「家格だって見合ってないのに、見た目までこんなんじゃああいつが気の毒すぎるだろ。あいつ、お前との婚約が学校で知れ渡った時に項垂れてたぞ」
「えっ…」
ジェームズの言葉にミーナは言葉を失う。ジェームズはそんなミーナを怪訝な目で見る。
「そりゃそうに決まってるだろ。なんだその予想外だみたいな顔は」
「そ、そう…ですよね…」
ミーナは頭の中ではわかっていたのに、実際にそうだと言われるとかなりショックだった。
するとジェームズが、しかし!と声を上げた。
「俺は変わろうと努力するやつは好きだ!お前にその気があるのならいくらでも協力するぞ!」
ジェームズからの頼りがいのある発言に、ミーナは絶望から一筋の光を見る。ミーナは、お願いします先生!と必死に歩きながら声を上げた。
初めてジェームズと運動をした翌日の朝、ミーナは彼に言われた通りの朝ご飯を食べた。物足りない気がしたが、水をたくさん飲んでごまかした。
体は所々痛かった。ケガをしているのもあるが、それ以上に、あじわったことのないほどの筋肉痛がミーナの体を襲っていた。
教室に向かうと、アイリーンがミーナの顔を見て目を丸くした。そして、心配そうに眉をひそめた。
「どうしたのそれ…」
アイリーンに言われて、ミーナは顎に手を当てた。昨日のトレーニング中にこけたために、顎に傷をつけてしまったのだ。ミーナは苦笑いを浮かべて、転んじゃって…、と言った。アイリーンは、ええっ、大丈夫…?とミーナの周りを何度も回って心配そうにケガを確認した。
すると、ガーベラとその友人たちが、ミーナの方を見て笑っているのが見えた。
「顔にあんな大きな傷だなんて…」
「恥ずかしい…」
「ほんと昔からどんくさいんだから」
彼女たちはミーナに聞こえるくらいの音量でそう言い合うとくすくすと笑った。
ミーナは恥ずかしくて目を伏せると、自分の席にすごすごと戻った。そんな彼女たちに気づいていないらしいアイリーンは、ずっと心配そうに、痛くない?と聞いてきた。
その日のランチも、ミーナはジェームズに言われた通り朝とほとんど同じものを食べた。
目の前では、クリームをたっぷり使ったパスタと美味しそうなケーキを頬張るアイリーンがいて、羨ましくて堪らなかったけれど、ぐっとこらえて、ミーナはちょっぴり飽きてきたチキンを口に運んだ。
すると、鋭い眼光のジェームズがミーナの食事を覗きに来た。ミーナは驚きのあまりチキンを詰まらせて軽く咳込んだ。
ジェームズはミーナの食事を確認すると満足そうに微笑んだ。
「うんうん、俺の言うとおりにしているな」
ジェームズは、その調子だぞ、と言うと歩き出した。すると、彼の後ろにいたギルバートと目が合った。ギルバートはミーナを見るとはっと目を見開いた。
「その怪我…、どうしたんだ」
ギルバートはミーナのところに来ると心配そうに尋ねた。ミーナが答えるよりも先にジェームズが、転んだ、と言った。ギルバートは、はあ?とジェームズの方を見た。ジェームズは立ち止まると、昨日、と話し始めた。
「一緒にランニングしてたら転んだんだよ」
「はあ?なんでお前と彼女が走ってるんだよ」
ギルバートが眉をつり上げてジェームズを睨む。ジェームズは余裕のある笑みでギルバートの肩を軽く叩いた。
「俺に万事任せろと言っただろ?」
「なっ…、怪我をさせて良いとは言ってないぞ!」
「ランニングくらいで転ぶほうがどうかしてるだろ。…いや、ランニングとはいえないなあれは。ジョギング…いや、ジョギング以下だ。その程度で転ぶんだから向こうに問題がある」
「普段していないんだから仕方ないだろ!もっと気をつけてくれよ!」
「大丈夫だって、しばらくは散歩で妥協するから」
「何が大丈夫なんだ、何がっ…!」
「ほらほら、2人のランチの時間を邪魔するなって。もう行くぞ」
怒りが収まらないギルバートの背中を押しながら、じゃあまた放課後、とジェームズはミーナに手を振った。
「…ねえミーナ、あの男と運動してるの?」
2人が去るやいなや、アイリーンがミーナにそう詰め寄った。ミーナは苦笑いを漏らしながら、うん、と頷いた。
「痩せようとしていたら協力してくれて…」
「…だからそんなランチなわけね」
アイリーンはじっとミーナのランチプレートを見た。ミーナは、う、うん…、とまた苦笑いした。
アイリーンはミーナの目をじっと見つめた。彼女のきれいな瞳に見つめられて、同性ながらミーナはどぎまぎしてしまう。
「…またどうして、ダイエットなんか?」
アイリーンはそう尋ねた。ミーナは言葉に詰まる。
ギルバートと婚約したから、彼にとって恥ずかしい存在にならないように、ということをアイリーンに対しては言えず、ほら私どんくさいから、だから見た目くらいはちゃんとしようかなって、と誤魔化して笑った。
アイリーンはそんなミーナの方をまっすぐに見つめた。そして、ミーナの手の上に自分の手を重ねた。ぷくぷくして、怪我までしている自分の手の上に、細くて長いきれいな手が乗って、ミーナは胸が痛む。
「あの日、ガーベラに言われたから?」
アイリーンに言われてミーナは言葉を失う。アイリーンはミーナの手を自身の指で優しく包んだ。
「そんなこと気にしなくていいの。ガーベラにひどいことを言われたからって、無理に変わる必要なんかないわ。それに、ガーベラがいなくても私がいるわ。…それじゃあだめ?」
ミーナは胸が詰まるのを感じる。ガーベラに崖から突き落とされるような衝撃を与えられたのに、なんとか今もこうしていられるのはアイリーンがいてくれたからだ。そんなことを改めて思うほどに、胸がしめつけられる。
「(…彼女がもっと嫌な女の子だったらよかったのに…)」
ミーナは目の奥から涙がにじむのを感じる。いっそ彼女を嫌いになれたら、そうしたらもっと楽になれるのに。
アイリーンは、それに、と忌々しそうに眉をひそめた。
「あのジェームズとかいう男、野蛮な男の中でもさらに粗暴そう。またミーナが怪我をさせられたりしたら大変よ。痩せるにしたって、あんな男に頼るのなんてやめておきましょうよ」
アイリーンがそうミーナに訴える。ミーナは一瞬固まったあと、うーん…、と考え込んだ。
「それじゃあ、アイリーンはどうやってそのスタイルを維持しているの?」
ミーナは、これまで自分とほとんど同じ量を食べ、デザートまでぺろりと平らげながらも、常に女性らしくかつスマートなスタイルを維持するアイリーンに尋ねた。するとアイリーンが、どうやって?ときょとんとした顔をした。
「何にも。食べたいだけ食べて寝てる」
「えっ…運動は?」
「だいきらい。一切しない」
「……」
ミーナは持って生まれたものの差に打ちひしがれながらも、…しばらくジェームズにお願いして、それから考えようかな…、と苦笑した。するとアイリーンはひどく不服そうに口をとがらせた。
1週間ほど、ミーナはジェームズから言われた通りのものを食べ、そして彼と一緒に散歩を続けた。
時折ケーキを食べたい衝動に襲われるものの、食事の量にも多少慣れて、ジェームズとの散歩も日課になりだした頃の朝、鏡に映る自分が前よりも引き締まっていることに気がつく。
幾分かすっきりした頬を両手で触りながら、先生ってすごい!とミーナは感動していた。
痩せた実感を得たために浮き足立つミーナは、朝食に向かう前に手紙が来ていることに気がついた。それは両親からで、再来週ミーナの家の親戚と、ギルバートの家の親戚が集まるから来るように、と書いてあった。ミーナとギルバートが結婚するため、その軽い紹介のためだろう、と思うとミーナは気が重くなった。しかし、まだもう少しその集まりまでは時間がある。だから、今の時点からまたさらに痩せられるだろう。そうしたら今よりも自信を持って参加できるかもしれない。そう意気込むと、ミーナは小さく深呼吸をした。
手紙を受け取った日の昼休み、ミーナはアイリーンとのランチを終えると、更に痩せるために一人で中庭にやってきた。
さあ歩くぞと意気込んだ時、中庭のベンチで座ったまま寝ているギルバートを見かけた。
「(お昼寝なんて珍しいな…)」
ミーナはそっとギルバートの前に立った。そして、しゃがみ込んでギルバートの顔をそっとのぞき込んだ。
普段は無愛想にしているけれど、無防備な今は昔と変わらない顔をしていてミーナはなんだか安心する。
長いまつげに、綺麗な銀髪が木漏れ日に照らされてきらきらとしている。何度も彼に声をかける女子生徒を見かけたことを思い出してミーナは胸が騒ぐ。
「(相変わらずかっこいいなあ…、…好きだなあ…)」
ミーナはそう心の中で呟いて目を伏せる。昔から気も口調も強くて、それでも彼だけはミーナを笑う男たちを本気で怒って追い回してくれた。
「(でもアイリーンのことが好きなんだよなあ…)」
ミーナは申し訳ない気持ちで蹲りたくなる。結婚する未来は変えられない。けれど、少しでも彼の隣に立ってみっともなくはなれる。
ミーナは、もっとがんばって、少しでも痩せて綺麗になる、とそう意気込むと、ゆっくり立ち上がった。
すると、寝ていたギルバートがゆっくりまぶたを開けた。ギルバートは目の前にいるミーナに気がつくと、はっと目を見開いた。そして、ミーナの顔や手や足をばっと確認した。ミーナは突然のことに少しおびえながらもどきどきしていた。
「(…も、もしかして、痩せたことに気がついた…?)」
「…うん、怪我は増えていないな…」
ギルバートはそう呟いた後、はっとしてミーナを見上げた。
「す…、すまない、無遠慮に体を見すぎた…」
「う、ううん、えっと、…怪我?」
「…最近君がジェームズと運動をしているようだから。あいつはあまり人に合わせることをしない。君に無理をさせていないかと、思って…」
ギルバートは口元に手を当てて怪訝そうに眉をひそめる。そんなギルバートを見つめてミーナは目を丸くしたあと、ゆっくり目を細めた。
「(…優しいなあ)」
変わらないギルバートの優しさに、好きだと思う気持ちとこれ以上好きになりたくない気持ちがせめぎ合う。
ミーナは一度目を伏せたあと、再来週、と話しかけた。
「家族の集まりがあるね」
「家族の?」
ギルバートは、そうなのか、と不思議そうに頷く。ミーナは心の中で、せめて並んでも笑われないように頑張る!と意気込む。ミーナの様子にギルバートは首を傾げる。
「ところで、お昼寝なんて珍しいね」
ミーナがギルバートに話しかけると、ギルバートは、ああ…、と軽く髪をかきあげた。
「最近遅くまで勉強してたから」
ギルバートの言葉に、もうすぐテストだっただろうかとミーナは背筋が凍るけれど、その予定はまだ先だとすぐに気がつく。
ならなぜ、と疑問に思うけれど、もとよりテストなどとは関係なくギルバートは努力していたことを思い出し、すごいな、とミーナは声を漏らした。
「本当に、ギルバートのこと尊敬してる、昔から!」
ミーナは大真面目に言った。生まれてはじめて痩せる努力を始めたミーナにとって、この1週間ですらかなりきついのに、種類は違うとは言え努力を継続するギルバートを改めて素直にすごいと思ったのだ。
ギルバートはそんなミーナを見て目を丸くしたあと、たいしたことじゃない、と目をそらした。ミーナは、ごめんね、疲れてるのに、と言うとギルバートの前から立ち去ろうとした。するとギルバートが、ミーナ、と呼び止めた。
「どうかした?」
振り向くと、何かを言いたげに口ごもるギルバートがいた。ミーナは首を傾げてギルバートを見つめた。ギルバートは意を決したように口をひらいた。
「…ジェームズは、」
「ジェームズ?」
「オリバーに似てる…か?」
「オリバー?」
ミーナは予想外の人物の名前に目を丸くしたあと、うーん、と腕を組んで考え込んだ。そして、あっ、と声を漏らした。
「そういえば、いた!」
「え?」
「身近にああいう、こう、背が高くて筋骨隆々な人!オリバーがいたんだ!」
ミーナは、前にジェームズのような圧力のある人は自分の身近にいないと思っていたけれど、オリバーがいたんだとそう思い出す。しかしすぐに、うーん、と考え込んだ。
「…でも、体格は似てるけど、オリバーはもっとおおらかじゃないかな。だから似てはない…と思う」
ミーナはそうギルバートに返す。オリバーは体こそ鍛え上げていて迫力があるが、性格はもっと穏やかでおおらかだ。昔から遊んでくれた優しい彼を思い出しながら、ずけずけデブだのだらしないだの責めてくるジェームズを思い浮かべてミーナは顔を横に振る。
するとギルバートが少しだけ安心したように口元を緩めた。
「そ、そうか、ならいいんだ」
「(…なにが?)」
「いや、…やっぱりよくない…」
「(…どっち?そしてなにが?)」
ミーナはギルバートを困惑しながら見つめる。ギルバートは立ち上がると、呼び止めてすまなかった、と言ってどこかへ行ってしまった。
ミーナは首を傾げつつも、運動のため散歩を開始した。




