17.花の四重奏
「どうして、父が……。まさか、父の恋人も、彼女だというのか?」
懊悩する貴族の青年の心情を、モーリスが巧みに歌い上げる。客席は、この後の展開を想像しハラハラしている者、行き違いに気付いて苦笑している者、様々だ。
フィリップのオリジナル脚本は、二組の男女の恋を描く喜劇だ。
主人公は伯爵令息。幼くして母と死に別れ、父と二人きりで生きてきた真面目な青年は、ある日友人に、彼の妹を紹介される。互いに一目で恋に落ちた若き二人は、順調に愛を育んでいく。
一方、妻を亡くして以降の十四年、やもめを貫いていた父の伯爵も、とあるサロンで同世代の未亡人と出会う。大切なものを亡くした痛みを抱える者同士、二人は互いに安らぎを見出していく。
父子はある日、恋人が出来たことを、お互いに告白し合った。それぞれが幸せを見つけたことを、二人は喜び合う。
「息子よ。お前の心を射止めたのは、どのような娘なのだ?」
父に聞かれるがままに、息子は恋人の自慢をする。
髪はヘーゼル、瞳は空の青。穏やかで思慮深い、聡明な女性だと、息子は誇らしげに語る。
微笑ましそうにうなずく父に、息子は照れながらも問い返す。
「父上。私の義母になるのは、どのような方ですか?」
息子にそう問われ、父は恥ずかしそうに語り出す。
金髪が美しく、瞳は宝石の碧。控え目で頭の良い、穏やかな女性だと。
恋人について語り合う際、彼らは、互いが語る恋人像が妙に似通っていることに驚く。『父子は惹かれる相手も似るんだな』と、笑い合う二人。
ある日、息子はいつものように、恋人が暮らす王都の邸を訪ねる。そして、どこか人目を気にするようにその邸に入っていく父の姿に気付き、彼は瞠目する。さらに衝撃的なことに、なんと、邸から出てきた彼の恋人が、父の腕を笑顔で引いて家に連れ込んだのだ。父も満更でもない表情で、彼女のされるままになっている。
その姿を呆然と見送った息子は、戸惑いと怒りに震えた。
一週間後、息子は怖いくらいに真剣な表情の父に呼ばれる。
父の口から聞かされた言葉に、彼の頭の血は瞬く間に上った。
「実は、彼女に再婚を申し込んだ。彼女も、お前さえ良ければと言ってくれている」
「何を……!」
息子は気色ばみ、父に掴みかかる勢いで立ち上がる。驚いた父が、息子に問いかけた。
「どうしたのだ、息子よ。何をそんなに怒っている」
「――あなたが、私の恋人を奪ったからだ!」
息子は激昂し、父は言葉を失う。その様子に確信を持ち、息子は父を問い詰めた。
「私は見たのです、父上が彼女に腕を引かれ、笑顔で邸に入って行くのを! 未亡人だなんて嘘をつき、よりにもよって息子の恋人に入れあげ、あまつさえ結婚など……! なんと恥知らずな!」
「息子よ、誤解だ! 彼女は……」
「言い訳無用!」
腰に下げていた剣を抜き、頭上に掲げる息子。父は目を見開いて硬直している。
その剣が今にも、振り下ろされようという時。
「――やめて!」
悲鳴が響き、二人の女性が駆け込んでくる。声に驚き、慌てて剣を振り下ろす息子。
そのうちの一人は、愛する彼の恋人だ。目に涙を浮かべた彼女は、彼の胸に縋りついて声を張り上げた。
「誤解よ。――あなたのお父様の恋人は、私の母なの!」
息子は目を見開く。
へたり込んだ父の元に駆け寄った女性が、青ざめた顔でこちらを見上げる。愕然と視線をさまよわせる彼に、恋人は事情を明かした。
実は、彼女は友人の家の養子だった。正確には友人とは兄妹ではなく、従兄妹関係にあたる。
「幼い頃、父が病気で亡くなったの。男の子がいなかった我が家は、父の弟が継ぐことになったわ。
母と私の将来を案じた祖父と叔父が、それぞれ私たちを引き取ってくれた。母は祖父と養子縁組を、私は叔父と養子縁組を」
「……私の生家はすでになく、一人では生きていけなかったのです」
まだ顔色の悪い女性が、父を支えながら震える声でささやく。恋人に寄り添われたまま、完全に硬直してしまった息子に、父は静かに語りかけた。
「お前が私を見たと言うその日は、彼女の家族に、結婚の許しを乞いに行ったのだ。すでに何度か顔を合わせていたお前の恋人――彼女の娘は、私を笑顔で出迎えてくれた。お前が見たのは、その時の様子だったのだろう。
何せ、複雑な関係だ。彼女たちは、表向きは叔母と姪で、実際は母と娘。……どう告げれば良いのか、迷ってしまったのだ」
「そんな……」
呆然となる息子に、恋人は涙声で叫んだ。
「――私が愛するのは、あなただけよ。信じて」
驚く彼を、恋人はひしと抱き締める。息子はしばらく無言で立ちすくんでいたが、やがてそろそろと彼女を抱き締め返した。
「……すまない。父と愛する人を疑ってしまった弱い僕を、どうか許してくれ」
「シリル……」
「キトリ。――私と結婚してくれないか」
熱い眼差しを向けられ、恋人は涙ぐんでうなずく。柔らかな目で見守る父と母の前で口付けを交わし、二人は永遠の愛を誓い合う。
――そこで、幕が下りた。
「――緊張した……」
万雷の拍手に見送られ、カーテンコールを終えて舞台袖に下がったモーリスがへたり込んだ。共に拍手を浴びたオデットは、クスクスと笑って彼の隣にしゃがみ込む。
「お疲れさま、モーリス。素敵だったわよ」
恋人役をこなし、最後はほぼ密着したまま芝居を続けたせいか、モーリスは気まずそうに頬を赤らめている。練習の間、第一幕も第二幕も完璧に歌い上げる彼が、第三幕では何度も講師のオノレに叱られていた。無事に本番を終え、モーリスは胸を撫で下ろしていた。
前作ではソリスト組の中でも出番が少なかったにも関わらず、二作目でいきなりの主役を完璧にこなした彼を、オデットは素直にすごいと思った。
目を輝かせるオデットに、モーリスは口ごもりながら視線をそらした。
「オデット。君は……」
「え?」
きょとんとするオデットにモーリスが何かを言いかけた時、背後から興奮気味の声が響き渡った。
「――やあ、麗しの歌姫どの!」
驚いて振り返ったオデットに、両腕いっぱいの花束が差し出される。咄嗟に受け取ったオデットに、腕の主――ドゥニ・メルシエがぐっと距離を詰めて言い募った。
「素晴らしい歌だった! すっかり夢中で聞き入ってしまった」
「ありがとうございます……」
勢いに飲まれ、曖昧にうなずくオデットに、モーリスがちらりと目を向ける。一方のドゥニもモーリスを一瞬見やり、すぐに笑顔でオデットに向き直った。
「あなたのおかげで、衣装も評判だった。――もしプレタポルテの店が軌道に乗れば、『睡蓮座』だけじゃなく、君個人の支援者になりたいと思うんだ」
意を決したように告げるドゥニに、オデットは戸惑い顔になる。立ち上げたばかりのオペラホール、しかも付け焼き刃の女優に、そこまで入れ込んで大丈夫なのだろうか。何より、パトロンがつけば、いずれは寮を出て行かなくてはならない。
同室のアンヌマリーと他愛もない会話をし、皆と食事や稽古を共にする生活を、まだまだ手離したくない。
オデットは頬を紅潮させたドゥニに、誤魔化すように笑ってみせた。




