14.初舞台(後編)
第二幕後の休憩。観客たちは興奮して、連れと何事かを語り合っている。活気のあるざわめきに手応えを噛み締めながら、オデットたちは第三幕に備えた。
第三幕は再び、ジャンの子爵のソロから始まる。妻の姪であることにも気付かず、年の離れたメイドに熱を上げる子爵。
彼女の名を呼びながら、屋敷中を探し回る彼に、突如背後から忍び寄る影があった。
「お前、人の女に手を出すとは、どういうつもりだ!?」
「ヒッ!」
テノールの大音量に、子爵は声を裏返して悲鳴を上げる。バスのジャンの無理な高音に、客席がどっと沸いた。
モーリスの演じる軍人は、さらにいかつく見えるよう、滑稽なほど衣装や化粧を「盛って」いる。背後には、これまた勇ましく武装した、同年代の青年たち。軍の仲間のうち、非番である友人に協力を仰いだのだ。どう見ても無頼漢にしか思えない姿の彼らに、子爵はあからさまに怯えた。
「ご、誤解だ! 私は、使用人である彼女を労おうと……」
「あんな猫撫で声でか? 年甲斐もなくデレデレとして、見苦しい!」
悪鬼のごとく様相で、容赦なく怒鳴る若い軍人に、また客席に笑いが零れる。「許してくれ」と情けなく同情を乞う子爵に、苛立った軍人が仲間を振り返った。
「何を言っても無駄だ。やっちまおうぜ!」
大声で応えた彼の仲間が、一斉にナイフや剣を取り出す。モーリス演じるメイドの恋人も、躊躇いなく抜剣した。
彼が振り上げた剣が、悲鳴を上げる子爵の身体を、今まさに真っ二つしようとした、その時。
「――少しは懲りたかしら?」
夫人役のアンヌマリーの涼やかなアルトが、舞台上に響き渡る。
驚いた子爵が振り返る横を、メイド役のオデットが恋人のもとへ駆け抜けて行った。寄り添い合う彼らをよそに、夫人はツカツカと夫のもとへ歩み寄った。
「この人はふしだらですが、彼女には何も手出ししておりません。不快な思いをさせてしまったことは謝ります。どうか、この辺で収めてやってもらえませんか」
若い二人に深々と頭を下げる妻を、夫は黙って見上げていた。一方、謝罪を受けた方の二人は、しばらく顔を見合せている。肩を竦めた軍人が、メイドの肩を抱きながら、子爵を見下ろして言った。
「……こんなに素敵な奥さんがいるんだ。悲しませない方が良いんじゃないのか?」
息子ほどの年齢の青年の忠告に、子爵は無言で俯いた。軍人とメイド、軍人の友人が静かに舞台を去り、あとには子爵夫婦だけが残された。
オーケストラの低い演奏だけがしばし流れ、夫人は溜め息のような声で告げた。
「あなたが誰を愛するかは、あなたの自由です。……ですが、あまり、心配させないでください」
夫人の言葉に、子爵は目を見開いて立ち上がった。しばらく気まずそうに視線を逸らしていたが、やがて、子爵は意を決したように、妻をそっと抱き寄せる。夫人は、驚きに息を飲んだ。
「――すまない、私が愚かだった。永遠の愛を誓った相手は、間違いなく君だったのに」
しばらく妻への愛を語っていた子爵は、込み上げる思いとともに、次第に声を張り上げる。そこに、歓喜の滲む夫人の声が重なった。
二人は交互に、歌を交わす。やがて、最高潮に達した音楽に乗せ、二人はかつて結婚式で誓った言葉を、揃って口にした。
『病める時も健やかなる時も、道に迷った時でさえも。共に手を取り、支え合い、末永く一緒に生きていこう』
アルトとバスの落ち着いた響きが、最後の一音と共に空間に溶けていく。
しんと静まり返っていた客席に、やがて割れんばかりの拍手の音が響き渡った。
(すごい……すごい、ジャン、マリー!)
舞台の中央で喝采を浴びる仲間を、オデットは舞台の袖から見つめていた。二人の目にはうっすらと光るものがある。オデットも頬を紅潮させ、舞台の袖から拍手を贈った。
背後から近寄って来たモーリスが、オデットの耳元にそっと囁く。
「……忘れられない光景になるね」
興奮に掠れた声に、オデットはパッと背後を振り返った。満面の笑みを浮かべる彼女に並び、モーリスは拳を握り締めた。
「次は、僕たちの番だ」
「モーリス……?」
「早くあの二人に並び立てるように、頑張ろう。――皆で、『睡蓮座』を盛り上げるんだ」
いつも引っ込み思案な彼が発した力強い言葉に、オデットは目を丸くした。すぐに彼女は頷き、舞台の中央に視線を戻す。
「――そうね」
二人は舞台袖で視線を交わし、笑い合った。
「――お疲れさん!」
興奮の冷めやらない出演者たちは、全員楽屋に残っていた。そこに、頬を上気させたフィリップが姿を見せる。彼は珍しく浮かれた様子で、オデットたちの肩を順に叩いて回った。
「皆、よくやってくれた。大盛況だ! 明日の分を求める客が殺到して、売り場が大変なことになっていた」
フィリップの言葉に、全員が歓声を上げる。はしゃぐ彼らに、ジャンが苦笑しながら言った。
「明日の公演も十八時からだから、今日と同じ時間に稽古室に集合で良いですか? フィリップさん」
「ああ、今日はしっかり寝ろよ」
元気よく全員で返事をして、彼らは予備の衣装を抱えて寮へ向かった。
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