第4話 妖狼の指輪 その5
霞は仁南に姿を見せるよう促した。
「ずっといたわけじゃないのよ、いったん外へ出たけどまた戻ってきたら……」
仁南はバツ悪そうな顔をしながら木の後ろから出てきた。
「盗み聞ぎするつもりじゃなかったの、出るタイミングを逃しちゃっただけだから」
霞は仁南の目が潤んでいることにすぐ気付いた。
「お前、泣いてたのか?」
仁南は答えずに慌てて目を擦った。
「ちょっとゴミが」
ベタに言い繕ったが、察した霞は幼い子供をあやすように頭をポンポンした。
「その娘は?」
乃武はそんな仁南を舐め回すように見た。
「仁南は上一条家の末裔だ」
「あの巫女の一族の、どうりで美味しそうな……失礼」
仁南の目には乃武が妖狼であることが映っていたので、美味しそう発言も引っかからなかった。
「上一条家を知ってるんですか?」
「ええ、優れた巫女を多く輩出して、われらもその昔、大勢が破魔の矢の餌食になりましたからね。でも、巫女の血肉は我らにとってご馳走ですから、昔はたびたび青狼様が攫ってきて、我らにお与えくださいました」
「それって……」
上一条家が没落した原因の一端ではないかと、仁南は思わず霞の腕をギュッと握った。
「案ずるな、わたしの加護を持つ者に手は出せん」
「それだけじゃありませんよ、最近は昔のように簡単に人間を食料にせきません、人の子が行方不明になると大騒ぎですから。結音も妖力をつけようにも、昨今では無暗に人を喰うわけにもいきませんからね。それに結音は好き嫌いも激しいし」
「選り好んでおるのか」
「ハイティーンのイケメン限定です」
「ピッタリのがいるぞ」
それは遥のことだとすぐに察した。
「霞さん!」
「結音には早く指輪を試してほしいのです。凌生と違って必ずコントロールできると信じていますから」
「まだはめてはおらんのか?」
「断固拒否しています。そんなだから、他の力のある者たちが我こそはと指輪を狙っているのです。それに妖狐たちも身の程知らずにも騒ぎ出しているし、狛犬、猩々《しょうじょう》どももそうです、青狼様が弱っておられるのに付け込んで、里を乗っ取ろうとしているのです」
「狼の里はデカいからな」
「せめて黒狼様がいてくだされば」
「黒狼とは?」
「青狼様のご子息です、霞様は眠っておられたからご存じないでしょうが、たいへん妖力の強い方で、次期当主と目されておりましたが、訳あって里を離れて三百年くらいになりますか」
「そんな跡取りがいたのか」
「でも、指輪をはめられたことはありませんし、適合者かどうかも不明、しかし違ったとしても、新しい長の側近になっていただきたいのですが」
乃武は大きなため息をついた。
そんな様子を見て仁南は、
「妖怪の世界もいろいろと大変なのね」
同情の目を向けた。
* * *
庫裡のキッチンで、エプロンを着けて包丁を握っている遥を、重賢は訝しげに見た。その視線に気付いた遥は苦笑しながら、
「ちょっとね、仁南を怒らせちゃって、銀杏の森へ行ったから、俺が代わりに夕飯の用意してるんだ」
「お前はまた、なにやらかしたんや?」
「……女心はわかんないです」
重賢はしょんぼりと肩を落とした遥の手元を覗き込んだ。慣れた手つきで玉ねぎをみじん切りしている。
「手慣れたもんやな、隠れた才能か」
遥は料理が得意だった。悠輪寺へ仁南を送ったついでに夕食をご馳走になっていたが、重賢や仁南が作るより自分のほうが上手にできると確信し、たまに作っていた。
「お前はなにをやっても器用なくせに、肝心なとこは抜けてるなぁ、言わなアカンことがちゃんと言えへん」
「そうなのかな……」
遥はあの時、どう言えばよかったのかわからなかった。
「で、ハンバーグか」
「仁南、俺が作ったハンバーグ好きだろ、和尚の分はちゃんと豆腐で作るから」
重賢は一応、動物性食材は口にしない。ただ、禁酒が守れないのが玉に瑕だった。
「ご機嫌直るとエエな」
こんなことで解決しないのはわかっていた。
仁南がなぜ突然あんなことを言いだしたのか? どういうつもりなのか? 問い詰める間もなく銀杏の森へ逃げ込まれては追うことも出来ない。
遥はどうすればいいかわからず、冷静になるためキッチンに入った。料理をはじめると頭の中がクリアになる。しかし今日は違って、さっきのことが甦って頭から離れなかった。
(どうすれば正解だったんだ? お言葉に甘えてって、彼女の言う通りにすればよかったのか? 仁南はそんな子じゃない、そんな軽いノリで体の関係を持ちたくはない)
遥は仁南が他人と距離を取っていることに気付いていた。幼い頃から妖に付き纏われて、周囲の人に悪影響を及ぼさないようにして来た習慣なのだろうが、その必要がない自分にも壁を作っていると感じていた。
(仁南は言いたいことを全部は言わない、頼ってはくれない。自分は頼りにならない存在だからしかたないのか?)
玉ねぎを切っていたせいでショボショボしてきた目を、遥は無造作に服の袖で拭った。




