第4話 妖狼の指輪 その4
狼族の重鎮である乃武が里から出て下界に赴くことは珍しい。
五百年以上生きている妖狼だが、見た目は三十歳くらいの落ち着いた雰囲気の男性。
そんな彼が、悠輪寺の門前ですました顔をしながらウロウロしている様子は滑稽に見える。
「お前でも、ここの結界は破れないか」
霞が脇戸から顔を出した。
悠輪寺には妖怪が容易に入れないよう、住職の重賢が護符で結界を張っている。
「霞様、お久しぶりでございます」
乃武は丁寧なお辞儀をした。
「重賢に用か?」
「いいえ、ここへ来れば霞様にお会いできると思ってまいりました」
「わたしか?」
霞は脇戸を大きく開けて、
「とりあえず入るがいい」
「結界が」
「わたしが招いているのだ、壊さずに通れるだろ」
「それなら」
さっきまで一緒にいた流風は、訪問客が乃武らしいと聞いて、別の出口から去った。多くの人狼を殺してきたばかりの流風は、仲間ではないとわかっていても、それを生み出した妖狼と顔を合わせたくはなかった。
霞は乃武を伴い、真っ直ぐ本堂へ進んだ。
「すっかり綺麗に建て直されたのですね」
本堂の正面で立ち止まった乃武は、新築されたお堂を見上げた。
彼が以前訪れた時は、まだ旧本堂だった。
だが、元の本堂と構造は同じで、建物の周りは幅3メートルくらいお堀が廻らされており、正面に本堂の入口へと渡る小橋がある。
二人はそれを渡った。
橋の中ほどで急に空気が変わった。
ピンと張りつめた冷気が乃武の頬を撫でたかと思うと、次の瞬間、周囲の風景が一変した。
そこは深い森の中、お堀も小橋も本堂も消え、銀杏の木々が立ち並ぶ静寂に包まれた森になっていた。
「ここが霊木大銀杏の守る、霊気に満ちた森なのですね」
乃武はその霊気を吸い込むように大きく深呼吸した。
「お前は初めてだったか」
「ええ、力が漲ります」
妖はそこの霊気に触れると癒され妖力を増す。
「で、なんの用だ? 青狼の側近が里から出るとは珍しい」
霞は表情を険しくした。
「いよいよなのか?」
妖狼の寿命は千年ほど、長である青狼は二千年以上生き続けているが、死期が近づいているという噂は耳にしていた。
「最期に一目、霞様のご尊顔を拝したいと申されまして」
「それだけではないだろ、タヌキめ」
「狼でございます」
「わたしの後ろ盾があることを示して、自分亡き後、里の安寧を図っているのだろ」
「聡いお方ですね」
「当主候補筆頭の結音はまだ若い、まだ十九の赤子同然ですから心の準備が出来てないんですよ、青狼様の容態を知り、すっかりビビってしまい……。凌生のようになるのを恐れているのです」
霞の脳裏に、あの日、指輪の力を受けきれずに自滅した凌生の姿が浮かんだ。
灰色だった凌生の毛は真っ黒に変色し、ハラハラと抜けると同時に、全身から黒い靄が立ち昇った。そして靄が消えると凌生の体も跡形も無く消失していた。
「しかし、指輪が発動した時、妖力を奪われなかったのは結音だけだった、それは指輪を受け入れられる器である証拠なのです」
結音は納得していないが、それが逃れられない現実なのだ。
古くから狼族に伝わる二つの指輪、それを手にしたものは、すべての狼族の妖力を集めることが出来る優れものだ。現在は青狼の元にある。
ただ、指輪をはめた誰もがその力を使いこなせるわけではない。すべての妖狼の膨大な妖力を受け入れることが出来る器がなければならないのだ。
器が小さければ自滅する。
かつて凌生という妖狼が、当主の座を狙って指輪をはめたことがあった。しかし彼は、狼族すべての妖力を受けきれずに黒い靄となって消え失せた。その時、指輪に妖力を奪われなかった結音は、指輪を受け継げる可能性を見出され、次期当主候補となったのだ。
「なのに、まだ大学生活をエンジョイしたいなのとわがままを言って、とうとう逃げました」
「ここには来てないぞ、真琴のところではないか?」
「そのようですね、でも、霞様にお会いできたのなら、目的の半分は」
言いかけて、乃武は急に目を閉じ、鼻を上にあげた。
「おや? なにか美味しそうな匂いがしますね」
鼻孔をヒクヒクさせて、匂いを確認する。
「やっと気付いたか、狼の鼻も大したことないな」
霞は木の陰に隠れている仁南に向かって言った。
「まだいたのか? 出て来い」
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妖狼の結音は『金色の絨毯敷きつめられる頃』の『第8章 青狼』と番外編 『誕生日は彼をディナーに』に登場しますので、読んでいただければ幸いです。




