第20話 エピローグ
「聞いたよ。お手柄だったそうじゃないか」
K社の地下スタジオで撮影を終えた遥に、各務原が声をかけてきた。
以前に口にしていたように、本気で遥の写真集を手掛けたいらしく、この頃頻繁に接触してくる。
基本的に依頼を受けたら撮るスタイルの大御所である各務原。
彼の意外過ぎるアクションのおかげで、『グラビアアイドル 空野 かなた』の注目度がさらに高まっている。
今日は各務原の提案で宣材の撮影を行っていた。宣材を業界一のカメラマンである各務原に撮ってもらえるというのは、相当珍しい。大きなステータスになる。
「別に私は何も……警察のおかげですよ」
芸能界の大物、Aプロダクションの社長である大場殺しの一件は、二か月以上の時を経て無事解決した。
大場の死後、Aプロの内紛が面白おかしく情報誌の紙面を飾っていたものだが、犯人である『谷川 雫』が同社のグラドルであったこと、また事件を通じて大規模な児童売春の摘発が行われたことによって世間は騒然としている。
ただし、その一連の事件の解決に遥がかかわっていることは、関係者のごく一部しか知らない。
「Aプロ、ヤバいらしいね」
事件当初は大場の死を悼む声が大半を占めていたのだが、事件の全貌が明らかになるにつれて世論は一斉に手のひらを返した。
少女の夢を蝕む悍ましい実態がクローズアップされ、連日テレビやネットでAプロに対する非難の大合唱。
うわさに聞くところによれば、警察だけでなく政府が動く事態に発展するなどとまことしやかに語られている。
所属していた芸能人も、沈没船から逃げるネズミのようにひとりふたりと離れてゆき、もはや歯止めが聞かない状態である。
「俺が言えた義理じゃないんだろうが……雫ちゃんも少しは報われたのかね」
「……どうでしょう」
各務原の声には哀切の意が込められている。何度となく顔を合わせていただけに思うところがあるのだろう。
大場殺害容疑に加え暴行の現行犯で逮捕された雫は、警察の取り調べに対して全面的に自供している。
彼女を取り巻く壮絶な環境を鑑み、遥の予想通り情状酌量の余地があるという所らしい。世間も雫に対して同情的だ。
弱者に対する権力強者の搾取、その典型的なトラブルのカタチ。
しかし一方的に性を搾取していた権力者たちにしても、対価が命となれば釣り合いが取れない。
金、権力、そして名誉。あらゆるモノを欲しいままにする者たちが最後に求めるモノ、それが命であるのだから。
雫の放った一撃はあまりに強烈だった。ゆえに恐らくこういった揉め事は減少する……はずである。
大場の死を持って、業界の自浄作用が働いてくれることを願わずにはいられない。
幼き頃に抱いた大きな夢に文字通り全てを賭けて駆け抜けた雫。
その結末が――殺人罪で逮捕。やるせない感情が遥の胸に満ちる。
「雫さんに『気をつけろ』って言われました」
そう呟くと、各務原は頷いた。
「確かにちょっと似てるところはあるかもな」
目的のために手段を選ばない性格。
自己顕示欲の強さ。自分に対する自信と不安。
遥もまた、自分と雫には似ている部分があると認めざるを得ない。
一歩間違えれば、自分も雫のように道を誤る未来がありえたのだろうか。
最近はよくそんなことを考えるようになった。
「でもまあ……君は頭がいい。言い方は悪いけど、雫ちゃんという前例があるなら、ちゃんと判断できるだろう?」
どう答えればいいか、遥にはわからなかった。
「ま、とりあえず撮影を再開しよう」
「そうですね」
グラビアアイドル『空野 かなた』は今日も平常運転。
新しいファンを求めて営業に仕事に邁進の日々であった。
★
事件解決後、再びなぎさと会う機会があった。
久々に顔を合わせたなぎさからは、グラビア撮影時のような刺々しい雰囲気はなくなっていた。
「谷川さんのこと、他人事じゃないんですよね」
ポツリと呟くその声に遥はうなずいた。
途方もないほど大きな夢を抱いてしまった。
たどり着くことができるかどうかなんてわからない。
ひたひたと近づいてくる不安に苛まれる日々。
そんなときに、安易な手段で目的地へたどり着ける道筋を示されたら……
自分を強く持って誘惑を撥ねつけることができるか。
いや、そもそもその手段をとることが悪なのか。答えを得ることは難しい。
「そういえば、これ……」
なぎさが差し出してきたのは、遥の処女作であった。
「お話、すごく難しいですけど……少しずつ読んでます」
「ありがとうございます?」
「それで、その……ずっと失礼な態度だったこと、謝らなきゃって思ってて」
「……何をですか?」
「空野さんも私も同じ。夢を叶えるために頑張ってる。私より年下の子が割り切ってるのに……私、カッコ悪いなって」
それはちょっと違うのではなかろうか。
グラビアアイドルであることを恥じるつもりはないが、別に誰に対しても『手段を選ぶな』とまでは言っていない。
彼女の中の『空野 かなた』はいったいどのような人間になっているのだろう?
一度ちゃんと話をした方が良いのではなかろうか。
「私、空野さんのこと応援してます。だから……」
サインしてください。
そう続けたなぎさに、笑顔で答える遥。
彼女との間にあった壁が、ようやく消えてなくなったと実感できた。
★
『かなたプロダクション』代表取締役社長――遥の唯一の上司――であるところの柿本からは思いっきり説教を食らった。
自分に一言も告げずに警察に協力し、容疑者たちと接触したこと。
犯人である雫と一対一で対峙したこと。
ついでに常日頃の不満までまとめてアレコレ。
柿本と出会ってから今までで、これほど猛烈に叱られた記憶がない。
頭上から降り注ぐ重く太い声に身をすくませることとなった。
「ごめんなさい。悪かったとは思ってるんです」
「……自分がかなたさんのお役に立てていないことは承知しています」
「いえ、そんなことないです。柿本さんがいないと、私、困ります」
「そのお言葉だけで十分です。だから――」
絶対に無茶はしないでほしい。
分厚い筋肉の鎧をまとった巨漢に涙ながらにそう諭されて、素直にうなずく遥であった。
自分のことを大切に思ってくれている人がいる。その事実が嬉しかった。
★
「企画、残念だったね」
「まだ言ってる」
心の底から残念そうな我妻に呼び出されたのは、何度めかになるおなじみの喫茶店。
相変わらず客はほとんどいない。他人事ながら、この店の経営は大丈夫なのかと心配になってくる。
我妻の言葉どおり、二度の中断を経た件の企画は、結局お蔵入りとなった。
殺人を犯した雫を除いた二人で続行という話も出たのだが、旗振り役であったAプロが存続の危機に陥るに至って、もはや打つ手なしと誰もが認めざるを得なかった。
多くの人間を巻き込んだ企画だっただけに、不謹慎ではあるが遥自身も内心で残念だったと思っている。
「それで、今日は何の用なんですか?」
「ああ、そうそう。忘れるところだった。遥ちゃんが表彰されることになった」
「……はぁ?」
この男はいったい何を言っているのだろう。
我妻の突拍子のない言葉に思わず眉をしかめる。
「いや、だからさ、警察がお手上げだった大場殺しの解決だけじゃなくって、デカい児童売春の件もあるじゃない。さすがに何にもなしってわけにもいかないってお偉いさんがうるさくって」
「それ、辞退できないんですか?」
我妻フィルタがかかっているせいかもしれないが、めんどくさいことに巻き込まれそうな匂いがプンプンする。
褒められるのが大好きな遥ではあるが、厄介事とセットになっているのなら御免被りたい。
「う~ん、難しいんじゃないかなぁ」
悩ましげに腕を組む我妻だが、その表情はあからさまに面白がっている。ムカつく顔だ。
「僕なんてあの後メチャクチャ始末書したんだぜ」
「自業自得ですよね」
「はっきり言うなぁ」
事件解決への貢献度を鑑みれば、我妻の処遇は随分と酷いのではないかと思うのだが、本人はあまり気にしていないようだ。
前にここで口にした『事件さえ解決できれば他はどうでもい』というのは、嘘ではなかったらしい。変人だと思う。
「山口さんはどうされているんですか?」
「源さん? 児童売春の件でずっと走り回ってるよ」
想像以上の大事に発展してしまったおかげで、捜査一課は大わらわとのこと。
だったら、なぜ我妻が勤務中に遥の目の前でパフェを頬張っているのか、それがわからない。
要領がいいというだけでは説明がつかない。謎だ。
「私、ずっと山口さんに嫌われてましたよね」
「別に嫌ってたわけじゃないよ」
「そうなんですか?」
「源さん、遥ちゃんと同じ年ぐらいのお孫さんがいるらしいから」
「なるほど……」
遥の両親も、グラビアの仕事を始めることを話したらいい顔はしなかった。というか怒りだして喧嘩になった。
年頃の娘を持つ親――あるいは祖父としては、娘(孫)が人前で肌を晒す仕事をすることに対して嫌悪感を持っていてもおかしくない。
「僕は別に気にしないけどね。むしろもっと脱いで」
「警察呼びますよ」
「残念、僕が警察」
「じゃあ山口さんに連絡します」
「それは止めて、マジで」
我妻は真顔だった。遥も真顔だった。
「ま、それはいいとして。なんか浮かない顔だね」
「そうですか? そうなのかな……」
「僕でよければ相談に乗るけど」
その言葉にしばし逡巡し、ポツポツと口を開く。
「私……ミステリーを書いてきて、犯人を追い詰める探偵に憧れていたんですけど」
「まあ、そうだろうね」
探偵が嫌いな人間がミステリーを書くとは思えない。
びっくり仰天するような謎を快刀乱麻に切って捨てる探偵。
そのカタルシスは多くの読者を、そして作者を魅了する。
「でも実際に自分で雫さんと対峙して、追い詰めて……そのときの気持ちが忘れられなくって」
あの時のことを思い出す。高揚感はなかった。
ただ苦い気持ちだけが胸の奥から広がって、今もなお胸中にわだかまっている。
「犯人には犯人の事情があって……でも、犯人の肩を持つわけじゃないんです」
ただ――
「わからないんです」
あれ以来どうにも原稿に手がつかない。
幸い差し迫った締め切りがないおかげで事なきを得てはいるが、いつまでもこのままと言うわけにもいかない。
我妻を見つめていた視線が下がり、きれいに磨かれたテーブルを見つめる。
何がわからないのか、それすらわからない。心が定まらない。
「いいんじゃないの、わからないままで」
「え?」
「僕は……なんて言うかちょっとおかしいよね」
「それはまあ、そうですね……」
「うん、否定してほしかったけど、まあいいや。僕は犯人に同情もしないし逆に嫌悪もしない。言い方は悪いけどゲーム感覚で警察やってる」
「え、それは……」
「だから犯人の事情なんてどうでもいい。被害者の方も同じ」
法の番人たる警察としてそれはどうなのかと突っ込みたくなる。
犯人の方はともかく、被害者をスルーするのはマズいのではなかろうか。
「遥ちゃんは被害者とも加害者とも向かい合おうとするから苦しんでる。正常だと思うよ」
悩んで苦しんで、答えが得られるかはわからない。
それでもいいんじゃないか。我妻はそう笑った。
「僕みたいな頭のおかしい奴よりもずっといいよ」
「我妻さん……」
自分を異常者あるいは異端者と認めている我妻の苦い笑み。
そこにいかなる感情が載せられているのか、遥には窺い知ることができない。
「……と湿っぽい話はここまでにして。次の写真集っていつ出るの?」
シリアスな話をしていたはずなのに、一体どうしてこうなるのか。
つくづく残念な男だと思わざるを得ない。口には出さないが。
「未定です!」
「え~、あれだけ情報公開したんだから、僕の方にもリークしてくれてもいいじゃない」
「ま、真面目な話をしてたと思ったら、なんでそうなるんですか!?」
口から出た。
「僕はずっと真面目だけど。むしろこれが本題」
いったいこの男は何を考えているのか。
遥の理解の及ぶところではない。日本の警察は大丈夫なのか。
とりあえず――
「山口さん呼びますね」
「やめて、マジで」
慌てふためく我妻の姿がおかしくて、つい笑顔が浮かぶ。
「あ、いい笑顔」
「え、ちょっとやめてください。撮影禁止!」
その笑顔は、あるいは初めてだったかもしれない遥の素の表情。
こうして日々は過ぎてゆく。いずれは全て思い出となるのかもしれない。
それがいつになるのかはわからない。遥も、我妻もその日までただ懸命に走り続ける。
夏の訪れを感じさせる夕暮れの日差しが、ガラス越しに二人のテーブルを赤く照らした。
祝、完結!
ここまでお読みいただきありがとうございました!
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