二人の鬼と、盆祭り
誰かの話す声が聞こえた。
――さっきの炎は?
――成仏した、というよりはあ、次に行った、のほうが正しいだろお。なかなかあ、見かけない早さだあ。
――引き留めるものが少なかった。ということか。自分自身で留まっていたのかもしれない。
――それよりもお、あのお嬢さんのことだあ。川に落ちてえ、そのままだったあ。能のやつが助けなかったらあ、危なかったかもなあ。
――死者は川に落ちても元に戻るだけなのではなかったか?
――そうだあ。だから、奇妙なのだあ。もしかしたらあ、あのお嬢さんはまだ死んでいないのかもなあ。
――そうか。難儀なものだな。
――うむう、そうだなあ。
チカは、ぱちりと目を開けた。
「おお、目が覚めたかあ。お嬢さん。調子はどうだあ」
チカは起きあがって、ラジオ体操でするように、腕を回した。どこもだるいところはない。チカがそういうと、鬼はものすごい形相で笑った。チカがお盆祭りに来たときに初めて会った、恐ろしげな顔と角を持った鬼だった。
「そりゃあよかったあ。大事なお客様に大事があったらあ、おれたちの面子がまるつぶれだからなあ」
「……そうだな」
もう一人、フードを被った人が静かに言った。その様子を見て、チカは自分がどんな状況にいるのかを知った。
「ねえ、泣いてた鬼さん?」
「おお……それは言わないでくれよう。おれも忘れたいんだよお」
「ご、ごめんなさい……?」
チカが謝ると、鬼はぶるっと顔を振った。
「分かってくれれば、それでいいのさあ。それで、お嬢さんは何を聞きたいんだあ?」
「今日は、何日?」
このお祭りは、お盆祭りらしい。お盆は十三日から十六日までのはずだ。チカにとっては一度寝ただけだけれど、最初にこの場所に来たとき、花火大会から何日も経っていたのだ。
「今日かあ? 今日は八月十六日だあ」
「ええーっ!」
チカがびっくりして叫ぶと、鬼は大げさにのけぞって、そのまま後ろに倒れてしまった。チカがぽかんとしていると、鬼はむくりと起きあがって、角を指でこすった。
「いやあ、こいつは様式美ってやつでさあ。まあ、気にしないでくれよなあ」
そんな鬼を横目に、フードを被った鬼はため息混じりに言った。
「そんなことをしている場合か。お嬢さん、君はつまり、眠っている間に何日も経っていて、びっくりしているんだね?」
フードの鬼の言葉に、チカは頷く。もしこれがクリスマスの前日とか、お正月の前日だったら万々歳なのだけれど、祭りが短くなってしまうなんてなんて損なのだろう。
「なるほど。……そうだな、君は、うらしま太郎の話を知っているか?」
「うん、おじいさんになっちゃう話だよね」
カメを助けた恩で海の底の「りゅうぐうでん」に招待されたうらしま太郎は、おもやげにもらった「たまてばこ」を開けてしまったことで、おじいさんになってしまう。……そういえば、「たまてばこ」を開ける前に、うらしま太郎は村の皆がおじいさんになってしまったと驚いていたっけ?
「概ねそれで合っている。まあ、そのうらしま太郎のように、水にはそういった魔力があるというわけだ。君は、船から隅田川に落ちたんだよ」
チカはなるほどと頷いた。けれど、川に落ちたという話を聞いて、チカは首を傾げた。
「あれ? わたし、なんで川に落ちたんだろう……」
川の中から見たあのきれいな景色は、はっきりと覚えている。けれど、それより前ははっきりと思い出せない。
チカの言葉に、角の鬼とフードの鬼は顔を見合わせた。
「なああ、お嬢さん。隅田川には髪がしだれ桜のように長い女の話があること、知っているかあ?」
そう語る鬼の顔は恐ろしげで、チカは知らずに額にしわをよせたいやな顔になった。
「川っていうのは出会いを運ぶものでなあ。いいところのお嬢さんだったその女は、ある日出かけるために船に乗ったんだがな、その渡し守に一目惚れしちまったんだあ」
「わたしもり、って?」
「ああ、まだ川にちゃんとした橋を掛けられなかった時代になあ。川を渡るためには、船で向こう岸に行くしかなかったんだあ」
チカがなるほどと頷くと、鬼は話を続ける。
「それでなあ、その女は渡し守にどうしても会いたかった。だが本来貴族の箱入り娘。おいそれと出かけられるわけじゃあないわけだあ」
そういえば、チカも外に出かけるときは、おかあさんにしつこく気をつけるように言われる。なんでも、最近は危ない人が多いのだとか。
「だからあ、いつも同じ場所で渡しをしている男に覚えてもらうために、町で一番髪の長い女になろうとしたわけだあ。それで女は毎日髪の手入れをして、渡し守と会うときにはとびきりの笑顔を用意していった。それが幸いして、女はその渡し守に顔を覚えられ、頻度は少ないがお得意さまになったわけだあ」
なんだかあまりおもしろくなさそうな話だった。チカはふーんと相づちをうって、続きを待つ。
「だがあ! 所詮は住む世界の違う人の話。その渡し守は渡しの家同士の婚約でえ、さっぱりした町娘ととっとと結ばれちまったわけだあ。とはいえ婚姻は家の決めること、女もそれは分かっていて、まあ仕方ないと割り切った」
鬼の楽しそうな口調から、これがこの話の大事なところなのだろうけれど、チカにはさっぱり理解できなかった。それでも鬼の口調はどんどん楽しげになっていく。
「ところがそれで割り切れないのが人のさが。しかも男は仕事のさなか、女の見ている前で婚約者と接吻をしやがった。女はすっかり嫉妬して、あてつけにと川へと身を投げた。男は慌てて水面を見たが、そこには女の長い髪が、蛇のごとく蜷局を巻いて、妖しいったらありゃしない。男はすっかり腰を抜かして、慌てて船を岸に向けた」
鬼はそこで、勢いよく自分の膝を叩いた。すごくいい音がして、チカは思わず耳を傾ける。
「その日を境にい、川辺でおなごが神隠しに会うようになたあ。噂ではあ、川から髪のような黒い何かが現れてえ、たちどころにおなごを連れ去ってしまうのだそうだあ。お嬢さんみたいな若いおなごはあ、いつ連れ去られてもおかしくはなあい!」
そう言って、鬼はげらげら笑い始めた。チカはなんだか恐ろしくなって、きょろきょろと周りを確かめた。ここは土手で、川は向こう側にあるみたいだった。安心して鬼たちに視線を戻すと、フードの鬼が、笑っていた鬼の角を掴んで地面に引き倒しているところだった。
「怖がらせてどうするんだ。それに今の話し方はまるで喜劇だぞ。それで怪談をしようなど、貴様には千年早いわ!」
引き倒された鬼は何とかその手を振り払うと、降参とばかりに仰天のポーズをとった。
「いやあ、おれも鬼だからなあ。やっぱり陽気なほうが合ってるんだよお。お嬢さんもそれほど怖がっていないし、いいじゃあないかあ」
フードの鬼はチカにも聞こえるほど大げさにため息を吐いて、それからチカに向き直った。そういえば、このフードを被った鬼は、チカが「つゆはらい」をやった時に船をこいでくれた鬼だ。
「ここで会ったのも何かの縁だ。お嬢さん、一緒に祭りを回ろうじゃないか」
「おお! そいつは名案だあ。もちろん、おれも行くぞお」
フードの鬼は頭をがくんと下げる。フードを被っているので表情はわからなかったけれど、言いたいことを飲み込んだように見えた。
「あ、あの……よろしくおねがいします!」
こういうときは、こう言ったほうがいい。だって、チカは授業を受けるときにいつもそう挨拶する。
フードの鬼と角の鬼は顔を見合わせた。
「しつけがなっいてるいい子じゃあないかあ。そうと決まれば、早速出発だあ。ほら、船を頼むぞお」
「……いいだろう」
フードの鬼は土手を登っていった。チカもその背を追って川へと歩く。
チカが土手を越えると、すでにフードの鬼は船に乗っていて、手招きしていた。いつの間に船に乗ったのだろう。チカは少し驚いたけれど、角の鬼がのっしのっしと船に寄っていくのを見て、慌てて付いていった。
チカが船に乗り込むと、フードの鬼は竿を操って、船を上流へと進ませる。川の流れはまるで止まっているかのように緩やかで、すぐに船は賑やかな祭りの音の中に入っていった。
チカは身を乗り出して色とりどりの屋台を見ていたけれど、ふと、いい匂いがただよってきて、それがどこから来ているのかきょろきょろと周りを探った。それを見て取った角の鬼が鼻をすんすんと鳴らし、低くため息を吐いた。
「おお、この匂いはあ、焼きなすの匂いだなあ。ちょいとお、あっちに行こうじゃあないか」
フードの鬼は無言で竿を操り、いい匂いのする屋台に近づく。
「へいらっしゃい! 秋なすの炒め! 焼きたてだよ!」
チカは目を輝かせて鉄板の上で焼かれるなすを見た。けれど、お品書きを見て、顔をしかめる。
「秋なす、なの? 夏なのに?」
それを聞いた店主は、がははと豪快に笑った。
「いやあ、便利な時代になったもんでなあ。こんな実りのよいなすをいつでも食べられるなんて、昔じゃ考えられなかったもんさ。ま、苦労は絶えないけどな。さあさあ、坊主も亭主もお嫁さんもお嬢さんも、遠慮するこたあないぞ! たんと召し上がってくれ。もちろん料金はいただくがね」
チカはそうかと頷いて、割り箸を取り出した。現れたわたあめから火が上がって、また一回り小さくなる。残りのわたあめを食べようとして、チカははっとして手を止めた。
「なすを食べるまえに、甘いものは……」
チカが言うと、角の付いた鬼と店主が同時に笑った。
「お持ち帰りだな、ほら」
店主はお祭りでよく見る紙でできた容器に、焼きなすを包んでくれた。ちゃっかり、角の鬼も同じものを頼んでいる。
「毎度あり!」
チカは店主に手を振って、船は屋台から離れていく。
わたあめを大事に食べてから、さあ焼きなすだと勢い込む。膝の上に紙の容器を広げて、串でなすをつついて食べる。
「おいしい!」
「うむう、これはなかなかの美味だあ」
なすには揚げ物のように油がしみこんでいて、けれどぜんぜんあっさりとしていて、食べやすかった。ぴりりと辛く、チカがなすを全て食べ終えるころには、額から汗がにじんでいた。それも夏の熱気をはらんだ川上の風がさらっていき、涼しさでチカは目を細める。
「おいしかったー」
チカが満足して言うと、角の鬼は得意げに胸を張る。
「ふふふ、何せえ、年に一度の盆祭りだあ。皆、気合いを入れているのだあ」
「次はどこに行こうか……」
チカはわくわくして、周りの屋台を見渡す。その中になにやらちかちかと光る提灯を見つけて、その屋台を凝視した。
「ねえ、あれはなに?」
チカが聞くと、角の鬼は手を目の上に構えて、その屋台を見た。
「おお、射的のようだなあ。なかなか面白そうだ、行ってみるかあ?」
チカが頷き、フードの鬼が竿を操る。目的の屋台にある提灯はやはりちかちかとせわしなく光っていて、楽しそうな雰囲気を放っていた。角の鬼のいうには射的だそうだなから、チカにできるかはわからないけれど、とにかく楽しみだ。
船から降りて、屋台を乗せた大きないかだに乗ると、チカはいの一番に屋台のカウンターに駆け寄った。その音に気づいて、店主がこちらに振り向く。
「やあ、こんにちは」
店主には、目が一つしかなかった。それも、顔の真ん中に、大きな目が一つ。チカはそれを凝視して、固まってしまった。その不気味さとか、どこかで見たような覚えとか、少し慣れてきている自分もいて、どうすればいいのか分からなくなってしまったのだ。
しばらく固まって、やがて一つ目の店主が両手で顔を隠した。
「……ごめんなさい」
一つ目の店主の謝罪に、角の鬼が陽気な声で返す。
「やあやあ店主。そう恥ずかしがることもないんだぞお。なあ、お嬢さん?」
チカは鬼の言葉にはっとして、はっきりと声を出して頷いた。
「うん!」
すると一つ目の店主は目の端をちらりと手から出して、いいのかと確認する。鬼とチカは揃って頷いた。
「ああ、それはよかった。射的と言えば千客万来、番のせいで泣かれたら、この商売の面汚しでねえ」
「いやいや店主。主は立派な目をしてるぞお。その目ならあ、千里先のりんごも射抜けるだろう」
店主は小さな声でそりゃ買いかぶりというもので、と言いながら、いそいそと射的のてっぽうを用意する。取り出されたてっぽうは狩人が持っていそうな立派なもので、チカは自分の力で持てるかどうか不安になった。
「それはなあ、その台に乗せてやるんだぞお」
チカはなるほどと頷いて、Uの字の台にてっぽうを乗せた。そこまでして、自分がお代を払い忘れていたことに気がつく。
「そいつは後でも構わない。ささ、射的の楽しみは先送りにするものじゃあない」
「おおう、そう言って、客の小遣いがなくなるまでやらせるんだろう?」
「へっへっへ、そんな人聞きの悪い」
店主と鬼の会話を横目に、チカはてっぽうを構えて景品台を見る。そこには駄菓子らしきものの入った箱や、ぬいぐるみや、大きく「玉」とかかれた大きな将棋の駒らしきものがごっちゃに並べられていた。
その中で、チカは見覚えのあるものを見つけた。それは狐のお面で、祭り中に買ってもらったものだった。
なんであんな所にあるんだろう。疑問に思って、けれど自分が射的で当てればいいのだと思い至る。チカは気合い十分でお面を狙い、引き金を引いた。
けれど弾はあさっての方向に飛び、後ろの幕に当たってぽすっと音を落とす。チカは肩を落とした。
横から手が伸びてきて、てっぽうに弾を込める。チカはその方向にいた店主に顔を向けた。
「これは、あと何回できるの?」
「六発でさあ。さあ、どうぞ」
チカはもう一度お面を真剣に狙って、引き金を引く。けでどやっぱり弾は逸れて、別の所にあったお菓子の箱に当たった。
「おお、当たりですな」
一つ目の店主はカウンターにそのお菓子を持ってきて、ついでに銃の弾を込める。その後もチカは頑張って狙ったけれど、うまく当てることができない。いつの間にか、あと一発になっていた。
と、半分涙目になって狙うチカの手を、後ろから支える者があった。
「銃の上に出っ張りが二つあるだろう? それが狙いをつける為の仕掛けなんだ」
それは船の渡しをやっている、フードを被った鬼だった。フードの鬼はチカの手をとって、てっぽうを構える姿勢を教えてくれる。
「別に、ルール違反ではないだろう?」
フードの鬼が確認し、一つ目の店主が口笛を吹く。
「まあ、本人が撃つなら」
チカは教えられた通りに両手でてっぽうをしっかりと固定し、上にある二つの出っ張りを片目で見て、お面の額とその出っ張りが重なる所になるように調整する。
チカの気合いが十分になったところで引き金を引き、その直後、狐のお面は景品台の上で倒れていた。
「やった!」
チカは喜んで一つ目の店主からお面を受け取り、前で被ってからぐるっと回して、右にもう一つ顔があるかのような出で立ちになる。感謝の印に割り箸を取り出して、わたあめを出した。
店主がわたあめを少し燃やし、チカが残りを食べていると、フードの鬼がカウンターの前に立った。
「時に店主。私も一つやってみようと思うのだが」
「へいへい、大歓迎でさあ」
フードの鬼がわたあめを出し、それが燃える。鬼はそれを確認すると、さっそくてっぽうを手に取った。両手でてっぽうを支えたチカとは違って、フードの鬼は軽々と片手で持ち、景品台に向ける。
そこからは、すごかった。てっぽうを片手で持ったことで胴と腕の長さの分だけてっぽうを景品台に近づけることができて、フードの鬼は次々と景品を撃ち抜いていく。これには店主も大目玉だった。
「久しぶりだったが、楽しかったよ。また来よう」
「へへえ、さいですか……」
それから一同は船に乗り込み、フードの鬼が取った駄菓子をつまんで、水かさの増した隅田川を進む。
お菓子があることで、おしゃべりはもっと楽しくなる。気がつくと、射的の屋台は他のと見分けがつかなくなっていた。
「むむう、これははずれかあ。辛あいやつだあ」
チカと角の鬼が同じ形のラムネが十個入った駄菓子を一ずつつまみ、鬼が先に音を上げた。
「やった! わたしの勝ち!」
チカが鬼の首を取ったように喜び、角の鬼が大げさに降参のポーズをとる。
「お嬢さん、次はどこに行きたい?」
それを見計らって、フードの鬼がチカに尋ねる。チカは何かないかと辺りを見渡し、また見覚えのあるものを見つけた。
「むうう? あれはお面屋かあ。お嬢さん、もう一つ欲しいのかあ?」
チカの視線を追って、角の鬼が言う。チカは狐のお面を手にとって、それを見つめた。なんだろう、何か、大事なことを忘れている気がする。
フードの鬼が気を利かせて、船を操る。いつの間にか、チカたちはお面を売る屋台の前まで来ていた。