逡巡の末の覚悟
「はぁ、はぁ、はぁ……」
タギリヒメを担ぎ、イチキシマヒメを連れて逃げるタギツヒメ。
タギリヒメは衰弱しており歩くことがままならず、イチキシマヒメは幼い為に歩くのが遅い。
早く遠くへ逃げなければスサノヲに追いつかれてしまうのは必須であった。
二柱を置いて行けば自身は逃げられるだろう……だが、タギツヒメにそんなことは出来ない。
唯一の姉妹であるから……一柱だけではどうにも出来ないから……理由は幾つもある。
だが、一番の大きな理由は姉妹でずっと一緒に居たいからであった。
どこか遠く……それこそスサノヲの手が及ばず、アマテラスにも知られない静かな所で三柱だけで暮らす。
どんなに辛くとも、どんなに困難な目に遭おうとも一緒であればどうにでもなる―――タギツヒメはそう確信していた。
この高天原にいる限り、誰もスサノヲから自分達を守ってくれない。
タギツヒメは知っていた。
スサノヲが三貴子ゆえに誰も口出しも文句も言えないこと……それを盾に自分の父が横暴の限りを尽くしていることを。
“まち”近くで神々がそう話しているのを天香具山へ向かう途中で聞いていたので確かな話しだ。
皆、陰で文句は言うものの誰も行動はせず、アマテラスでさえ野放しにする。
その事実を知った時、タギツヒメは深く悲観し絶望した。
コウ達には道に迷って倒れた……そう言ったが、本当は自ら命を絶とうと山の中を彷徨い歩いていたのかもしれない。
どちらが本当か……そんなことを考える力すら無かった。
だがコウとネネに拾われ、助けられ……彼から渡された瓜を口にした途端、急に生きている実感と共に死への恐怖が湧き上がり、涙を流してしまった。
そして、改めて自分が姉妹を置いて独り、この世の生からも逃げようとしていたことに気が付いた。
コウがスサノヲを殴った……それが本当か否かは分からない。
けれど、それを聞いて逃げるのではなく立ち向かうこと……前へ歩むことこそが大事なのだと悟った。
ならば、自分も出来るだけあがいてみよう。自分なりに現実を変えてみよう。
タギツヒメは心に誓った。
「こらぁーッ! 待ちやがれぇーッ!」
遠くの方からスサノヲの叫び声が聞こえ、地鳴りのような駆ける音が近付いてくる。
もはや、追いつかれるのもすぐであろう。
しばらくの間、逡巡したタギツヒメであったが、やがてタギリヒメをその場に下ろし、イチキシマヒメの前に屈んで肩に触れた。
「イチ、よく聞いて。あたしはこれからお父様のところに行く」
「えっ……なんで?」
「タギツ……あなたまさか……」
「姉さん、イチをお願い。イチ、姉さんと一緒に遠くへ逃げて……天香具山へ行けば、アラハバキっていうおじさんがいるから……その神様の所に行けば、ご飯くらい貰えるから……」
「やだ……やだよぉ……タギツお姉ちゃんも一緒に……」
「……お姉ちゃんはね。お父様を止めなくちゃいけないから……お姉ちゃんが止めている間に逃げて……」
泣き顔のイチキシマヒメの頭を優しく撫でるタギツヒメ。
もう、覚悟は決まっている。
あとは無事に二柱が逃げ切ることを祈るだけだ。
「それじゃあね……」
「お姉ちゃん!」
「タギツ、お待ちなさい!」
呼び止めるタギリヒメとイチキシマヒメを置き、タギツヒメは元来た道を走る。
あぁ、結局置いてきてしまった。けれど、これで良い。逃げる為じゃない、立ち向かう為に二柱を置いてきたのだ。
タギツヒメはひた走り、やがて止まる。
その目の前には追いかけてきたであろうスサノヲが凄まじい形相で睨んでいた。
「お前ぇ……良い度胸じゃねぇかよ! おい!」
「お父様! これはあたしが勝手にやったこと! 姉さんもイチも関係ない! あの二柱を逃して! あたしが残るから!」
「生意気言ってるんじゃねぇぞ! ガキが!」
スサノヲはそう言うとタギツヒメの胸ぐらを掴み、勢いよく突き飛ばす。
タギツヒメは何も出来ずにそのまま地面に倒れ込んだ。
「お前らは姉妹だ。姉妹の責は全員の責だ! タギリもイチも同罪だ!」
「この……分からずやぁ!」
起き上がったタギツヒメはスサノヲに向かって行き、彼の手に強く噛み付く。
「いっ……てぇ! なにしやがる!」
スサノヲはタギツヒメの頬を思いっきり叩き、彼女を倒す。
タギツヒメが噛んだスサノヲの手からは血が岩から滲み出る水のようにどくどくと流れていた。
「……こんなことして、タダで済むと思うな!」
怒るスサノヲはタギツヒメの髪を乱暴に掴んで持ち上げる。
タギツヒメに抵抗する力は残っていない。
いよいよ、殺されてしまうのか……だが、やれるべきことはやった。後悔はない。
強いていうならコウやネネにお礼だけでもちゃんと言いたかった。
タギツヒメは一筋の涙を流す。
「おらぁ!」
怒号と共にスサノヲの拳が迫る。
タギツヒメはきつく目を閉じた。
「……ッ! なっ!?」
だが、いつまで経っても痛みや衝撃は来ない。
それどころか、スサノヲの驚く声が聞こえる。
「お、お前は……!?」
タギツヒメは恐る恐る目を開けた。
そこにはスサノヲの拳を止める金色の髪をした見知った神がいる。
「よぉ、久しぶりだな。……相変わらず、ろくでもない奴で安心した」
「お、おじさん……?」
「な、なんでこんな所に!?」
拳を止め、タギツヒメの髪を握る腕を掴みながらコウは鋭くスサノヲを睨みつけた。




