ep,094 黒き竜の少女
「今日は酒場に行きましょう」
「まあ、定番だな」
メリルとジェシカのことはひとまず置いておいて、この日もショーマはステアと組んで情報収集に当たった。
進捗で言えば昨日はろくに進まなかったので、今日はその分を補える程度の結果を出しておきたい所であった。
「うーん、昼間っから酒臭いですね」
「そうだな」
酒場が盛るのは夜中が定番だが、この酒場は昼間からも盛況なようだった。交易商や冒険者の往来が盛んなこの都市らしい光景である。定住する家を持たなければ昼も夜もあったものでは無いのだ。
「うわあ。まるでろくでなしの博覧会です」
「頼むから余計なこと言って騒ぎは起こさないでくれよ」
酒飲みが嫌いなのだろうか、ステアは客達の様子にぶつぶつと暴言を吐きながら店内を進む。
「取り敢えず何か頼もう。……ミルクをふたつ」
ショーマ達はカウンター席に並んで座り注文を取る。
話を聞くならまずは店主だろう。そのためには客として注文を取るのが道理だ。
「酒場でミルク頼む人初めて見ました」
「はは、まったくだな」
ステアの嫌味に店主が同意する。店主ならそういう客ぐらいたまに見るだろうが、まあそういう愛想笑いだろう。
「お前にはまだお酒は早いよ」
「あ、そっすか」
「はいミルク二つね」
ジョッキに注がれた大量のミルクが差し出される。ちょっと量が多い気がするが、まあこんなものだろう。
「なあ店主さん、ゼヴィナスって都、聞いたことないかな」
「んー……どうだったかな。ところで坊ちゃん嬢ちゃん、ミルクだけだと味気無いだろう。軽食もあるがどうだい? 昼飯にはちょっと早いか?」
ショーマのいきなりの質問に、店主はわざとらしく話を逸らすのだった。
「じゃあオムライス下さい。出来るだけ大盛りで」
「あいよ」
勝手に追加注文をするステアに横目を向けつつも、ショーマは特に注意をしない。正直こういう場には慣れていないのでステアに頼りたい気持ちがあった。元教会騎士団所属のステアの方が、こういった場での経験があるだろうから。
大量の米を炒めはじめた店主がじわじわといった風に語り始める。
「んー……たまにそういうことを話してるお客さんはいたっけな。魔族と何やら関係があるとかないとか。ちょっとずつだが噂が広まっている印象があるなあ……どうだったかな」
店主の態度に、少しずつだがショーマもこういう場の乗り方がわかってきた気がした。
「……俺にもオムライス下さい」
「あいよ。……ああそうそう、この街の東に少し行った所の山間でちらほらとゼヴィナスとかいう古い都の遺物らしき物が見つかるようになって、どこだかが積極的に高値で買い取ってるって話を聞いたよ。……どこの組織だったかな」
「私達遺物そのものには興味なくて、その都市に行ってみたいんですよ」
「そうなのかい? 見た目の割に勇敢と言うか怖いもの知らずなんだね、おたくら」
「ついでに言うとお金儲けにもあんまり。いや興味無くは無いですけど、どっちかというと人捜しがしたくて」
「人ォ? あー……んー……」
店主はこちらが冒険者らしく金儲けの話を聞きたがっていたように感じて話を返していたようだが、目的が人捜しと知るや複雑な表情を見せ始めた。
「何ですか」
「ゼヴィナスに向かって帰って来た人間はいないって聞くよ。冒険者に険を冒すなとは言いたかないけどさ、金を追うならそこには未来があるが、人を追うならそこには過去しかない。どういう関係のお相手かは知らないが、人生には諦めも必要だよ、若人。あそこは……駄目だ」
その言葉に顔を見合わせるショーマとステア。
この店主は冒険者を相手にすることの多い職というだけあって、まさしく冒険を求める者を焚き付けることには積極的なようだ。
しかしその目的が人捜しであるとなると……それが好意のある相手でも敵意のある相手でも、止めようと考えるようだ。特にそれが、死都ゼヴィナスに関わる話となると。
「ただ単に危ないからやめろと言っているようには聞こえないですけど……何かあるんですか?」
「そうだな、ただの人捜しなら止めないよ。勝手にどうぞってね。けどあそこは……行こうとした奴も、行こうとした奴に手を貸した奴にも、ろくな事が起こらない」
「そんなこと言われましても……ねえ?」
ろくなことが起こらない……。それはある程度の情報を有しているショーマ達には、魔族達がゼヴィナスへの侵入者達を密かに始末している、という風に考えられた。
そして魔族達が執拗にそういうことをするということはつまり、魔族の拠点である死都ゼヴィナスが実在する証拠とも取れる。
だがそこまで来て『手を貸した奴にもろくな事が起こらない』と聞かされると、これ以上の情報収集は難しいのではないかという疑念も同時に浮かんでしまう。
……どうしたものか。
「どうしてもっていうなら……いっそ神頼みかな」
「は?」
妙なことを言いだす店主。首を傾げると、カウンター席の端を顎で示された。
ショーマ達が視線を向けると、そこには、
「……!?」
いつの間に居たのか全然気が付かなかったが、白いワンピースドレスを纏うどう見ても十代前半かそこらの少女が、ジョッキに並々と盛られた酒を煽っている姿があった。
それだけならまだ呆れるくらいだが、その少女についてはそれだけでは済まなかった。
少女は長く美しい黒い髪と、こめかみの辺りから斜め上方に伸びる『角』を有していたから。
店主の言葉を聞き、少女が首をひねった。
髪と同じく黒く輝く少し吊り上った大きな瞳が、じっと見つめてくる。
「……神様?」
「……如何にも」
ショーマの問いかけに少女が返答した。
その声音は正に人間の少女らしく、一見して異質な存在だとはとても思えない……普通のものであった。
しかしそのたった一言の内に込められた、少女自身の尊大さは確かに十分感じられた。神かどうかはともかく、少なくともその少女が見た目通りの年月を生きてきたようにはとても感じられない。
「えっと……初めまして。俺はショーマ。こっちはステア」
「うむ、自分から名乗るとは結構だぞ。故あって現在このような姿をしておるが、確かに妾は神位にある竜だ」
「わらわって……」
やけに時代がかった口調の自称竜神の少女に、ステアはつい眉をひそめてしまった。
そんなステアのことはひとまず放っておいて、ショーマは少女に再び問いかける。
「君に……ゼヴィナスという都のことを聞けば、教えてくれるのかい?」
店主の言った神頼みという言葉。どうにも半信半疑ではあるが全くのでたらめを言うとも思えないので、直接聞いてみることにした。
「ふむ。だが話を聞きたいなら……酒場には酒場のルールというものがあるのではないか?」
少女はいたずらめいた笑みを浮かべながら、いつの間にか空になっていたジョッキをこれ見よがしに振って見せるのだった。
「店主さん」
「あいよ」
少し唖然としつつも、ショーマは少女に酒のおかわりを注文する。
「二番目に高いので良いぞ」
「え」
図々しい注文が追加されてしまったが、ひとまずは断らずにおいた。
「ふふ、殊勝な心がけだぞ。それで良い」
「はぁ」
くつくつと笑う少女。機嫌は悪くないようだった。そこへ更に店主から酒の注がれたジョッキが差し出されたことで、今度は朗らかにも見える笑みまで浮かべるのであった。その様子は本当に見た目通りの少女にさえ思える。飲んでいるのが酒でなければ。
「ご苦労だ店主。……では答えよう。妾は神としても竜としても結構な力の持ち主である故……世の中のことは大体知っているし、わかる。ゼヴィナスへの行き方も知っているし……貴様らが異世界人と半魔の存在であることも、わかる」
「……!」
「!」
その言葉に、半信半疑の気持ちが信寄りに近付いていく。流石に一目見ただけでこちらが只者ではないことを見抜かれては、少女もまた只者ではないということが確信出来たから。
「俺達、そこに行かなくちゃいけない理由があるんだ。教えて……くれるかな」
「ふむ、構わぬが……店主がこの話は聞きたくなさそうにしているでな。まずはこれを飲み干してから、場所を変えて話そうか」
「……わかった」
結構な額の酒代と食事代を支払うことになって頬を引きつらせながらも、ショーマは自称竜神の少女を連れて酒場を後にした。ステアが何故だか少女に向けて不満そうな顔をしていたが、はっきり意思表示してくるわけでは無いので放っておいた。
「順を追って話せば長くなるので結論からはっきり言ってしまうがな」
街の人通りの少ない道を歩きながら、少女の話を聞くことにする。
内緒話というのは歩きながら行うのも一つの手である。誰かに内容を断片的に聞かれてしまうことはあれど、内容の全てを聞かれることは滅多に無いからだ。
「今は死都と呼ばれているゼヴィナスの都だが……現在はこの世界と隔絶された異空間に存在しているようだ」
「異空間……?」
「先ほど言った通り、妾はこの世界のことなら大体なんでもわかるが、わかるのはこの世界にあるもののみ。もはやこの世界に存在しないゼヴィナスのこと全てを正確に知ることは出来ぬ」
「ほー、つまり役立たずってことですか」
「ぬかせ小娘」
「こむっ……!?」
ステアが隙有りとばかりに嫌味を言ったが、ばっさりと返す刃で切り捨てられてしまう。
「ゼヴィナスという都は現在この世界に存在しないが、ゼヴィナスへの入り口は存在するのだ。その場所と、その入り口を開くための方法ならば妾も知っている、ということだ」
「それは……どこに」
「うむ。店主も言っていたこの街より少し東に行った山間……そこに、空間の裂け目が隠された神殿がある。そこから断絶された二つの世界を繋ぎ門を作れば、ゼヴィナスへ辿り着くことは可能だ。……そこには、貴様らが捜すフュリエスという娘も居るであろうな」
「!」
情報収集を始めてから日が浅いにも関わらず、早々にかなり有益な情報を得ることが出来てしまった。謀られている可能性が無いわけでは無いが、少女の何かと知った口振りはある程度信用に足るものだとショーマは思う。
しかし同時に、世の中そう上手い話ばかりではないはずだと不安にもなる。
少女の教えてくれた話の価値は、高級な酒程度で釣り合うものだろうかと。
「……教えてくれて、ありがとう」
「うむ」
「でも、事はそう簡単な話では、無いんじゃないか?」
「ふ、やはりそれくらいは気付くか」
ショーマの疑念に、少女はにやりと笑った。その笑みには、熟練した老獪さが垣間見えた。
「貴様も相当な力を持っているようだが……その貴様とてやはり界と界を結ぶことは難しいであろう」
「君がそう言うなら、そうなのかもね」
「そうだとも。だからこそここからは取引の話だ。……妾が界を繋ぐための協力をしてやるから、その為の力を取り戻す協力を、貴様がしてくれたまえ」
自称竜神の少女は、自身と同じ色を持つショーマの瞳を真っ直ぐに見据え、そう提案したのだった。
※
具体的な相談については宿に戻って全員で行うこととなった。
少女を連れ帰ってきたことを知りメリルとセリアはまた何か言いたげにしていたが特に何も言ってくることは無かった。
「妾がこんな姿になってしもうたのも、全てあの小憎たらしい魔族気取り共が原因でな」
食事中、少女は聞いてもいないのに身の上語りを始めた。気になるのは確かなので止めなかったが。
「彼奴らめおこがましいことに竜を、ましてや神位にあるこの妾をも取り込もうとしたのだ。流石に周到な下準備をそのためにしておったようだが、ふん。こうして打ち払ってやったわ」
「けれどその代償に、大きく力を消耗してしまった……と?」
「うむ。人間の姿を選んだのは消耗が少ないから体を休めるのにはちょうど良いからだ。それに人間は食料や酒を造るのも上手いしな」
「神様でもやっぱり食べたり飲んだりすれば、力は回復するのかい?」
「うむ。特に酒はな。良い。……しかし、そうは言っても妾の膨大なる力が回復しきるのに、それだけではちょいと時間がかかりすぎてしまう。やはり、本来居るべき場所に居なければ、な」
魔族との戦いで力を消耗した竜神の少女は、自らの竜として、神としての力を取り戻すためにある場所へと赴かねばならないという。それは……
「竜の谷だ」
「野生の竜が数多く生息する地ですね」
竜に関する知識に明るいメリルが補足した。
「それはどこに?」
「この街から北に少し行った所よ。そんなに遠くは無いわ」
竜の谷の存在はダグラス城塞周辺の交通が不便な理由の一つである。ただでさえ険しい山岳地帯に、野生の竜が群生する一帯があるというのは脅威でしかない。
「……そこな赤毛のお嬢さんも、妾がしゃんとしておればひどい目に遭わなんだかもしれんかったな」
「え?」
ふと竜神の少女が、セリアに対してぽつりと呟いた。まさかの言葉にセリアは必要以上に体を強張らせてしまう。
「彼奴らの試みは失敗に終わったが、それ故目標を下方修正し、神位に無い只の竜を魔に堕とそうと試みたのだ。その結果……貴様が傷を負う羽目になってしまった。妾にも責任の一端が無いとは言えぬ」
教都ブランシェイルに向かう途中遭遇し、セリアが負傷することとなった原因である一角竜の暴走。それは魔族が竜神を魔族化させる試みに失敗したが故の結果だったのだ。
「……本当に何でも知っていらっしゃるんですね」
不意に告げられた真実に、セリアは何だかずれた返答をしてしまうのだった。
この少女は本当に何でも知っている。ショーマ達がこれまで経験してきたことも、まるで見て来たような口振りだ。
「竜でありおまけに神位にもある者としていちいち個人に謝罪することは出来ぬが……妾の申し出を罪滅ぼしの一環だと思いたければ思ってくれて構わぬ」
竜神の少女は、穏やかな瞳でそう口にした。
「上から目線ですね」
「ちょっと黙っててくれるか」
隙あらば少女に対し嫌味を言いたそうにするステアにショーマは釘を刺した。
(何が気に入らないんだろう……)
出会ってからずっと少女を目の敵にしているらしい様子のステアに疑問を抱く。ただの性格の不一致のようにも思えるが。
「私としては、別にそんな……誰かに責任を求めたりとかは、考えていないです。結果論ですけど、色々と……丸く収まったわけですし。あのようなことが二度と起こらなければ良いな、とは思いますが」
「ええ。……そのためにも、この竜神様のお力を取り戻して差し上げるのに協力するのは、悪いことじゃないと思うわ、私も」
セリアとメリルは二人とも竜神の少女に対して協力的な態度を見せる。
二人が良いと言うならショーマに反対する理由は無い。こうして情報収集は一時中断、一行は竜の谷を目指すこととなるのだった。