ep,080 対峙
翌朝。ショーマは朝の空気を吸うために宿舎の外を散歩していた。
まだ日の出には少し早い頃。山々の向こうを眺めると白い霧がかかっているのが見えた。
まだ人通りのほとんどない道路を大聖堂から離れるように適当に歩いていると、やがて市街地の景色が見えてきた。昨日歩き回った露店街とは逆方向である。あのどこかに、フィオンの家族がいるんだろうか。
ふと、その視界の片隅に、馴染みのある白髪が映ったことに気が付いた。近寄って声をかける。
「おはよう」
「ああ……、おはようございます」
ステアはちょうど大聖堂と市街地の中間の位置に立てられた看板を、じっと屈んで眺めていたようだ。……何が面白いのだろうか。
「何が面白くてこんなの眺めてるんだって顔ですね」
「いや、そんなことは……、まあ、あるけど……」
くすくすと小さく笑うステア。そして、
「これお父さんのお墓なんですよ」
妙なことを言うのだった。
「墓……?」
……看板が墓とはこれいかに。
この国では遺体は燃やされ、灰になった骨を墓石の下に埋めるものだったはずだ。こんなどこにでもありそうな木の板と棒を組み合わせただけの道先案内の看板が墓だなんて、埋められる方にしてはひどい話ではないだろうか。
しかもこんな神様を祀る街でそんな不作法となると、ショーマは何が何やらわからなくなる。
「……私が3歳くらいの時に、お父さんからここの神父さんへ預けられたことはお話ししましたよね」
「ああ」
「お父さんはその時には血だらけでもう死にかけだったんです。私はよく覚えてないですけどね。……神父さんが言うには誰かに追われて出来た傷だったそうです」
「…………」
「それでお父さんは、自分は追われるような罪人だから教会で他の人と一緒に埋葬してはいけないと言ったそうなんです。でも本当に罪人のまま死ぬのは辛いから、せめて死んだ後にでも誰かの役に立ちたい、とも言い遺したそうで」
「うん……」
「……それで神父さんはそういうことならと、看板を立てて、その下へ一緒に骨の灰を埋めてあげたそうなんです。道案内の役割を任せてあげたということだとか。……よくわかんない考え方ですけどね。お父さんも、神父さんも」
「いや……。そんなことないさ」
「そうですか? 適当に頷いてません?」
「ちゃんとわかってるつもりだよ」
「嘘くさいですね」
……それはさておき。
ステアはつまり、朝からこうして父親の墓参りをしていたというわけだ。
「……俺にも挨拶させてくれ」
「ご自由に」
ショーマはそう言って看板の前に屈みこむと、そっと顔の前で両手の平を合わせて軽く頭を下げた。
「……って、なんですかそれ」
「ん、こうするもんじゃないのか?」
「どこの作法ですか……。まあ、別に良いですけど」
そのまま2人で並び、静かに墓前に佇む。
明るい青が広がりだした空の下で、ショーマはステアの両親のことを思った。
自らを罪人だと言い遺した父。それはやはり彼の妻、つまり、ステアの母親に関わることだろうか。
魔族、もとい純魔種であったステアの母。彼女と交わり子をもうけたとすれば、それは確かに罪なことと言えるかもしれない。何しろ敵対する者同士だ。
サキュバスという存在は、男から精を奪って生命力に変えるという。精を奪い続ける限り死ぬことはないから、繁殖はしない。子は作らない。
しかしステアの母は、ステアの父の精を使って子を作った。
2人にどういう物語があってそうなったのかは知るよしもないが、きっと……、愛はあったと思う。
男と女は交わることで子を作る。交わる理由に必ずしも愛が必要とは限らないし、ましてや子を作ることに必ずしも愛があるとも限らないけれど。
ただ少なくとも常識的に考えれば、交わって子を作ろうと思ったのなら、きっとそこには愛があったはずと、ショーマはそう思う。思いたかった。
子をもうけてしまったサキュバスは、その後死んでしまうらしい。
例え命を失ってでも、ステアの母はステアを産みたかったのだ。
夫を愛し、彼との子を産みたかった。命をかけてでも。
そして愛しあう2人のもとに産まれたステアも、きっと愛されていたはずなのだ。
それをろくに与えてもらうことなく、両親はいなくなってしまったけれど。
(……我ながらなんか恥ずかしいこと考えてるなあ)
ふと急に恥ずかしくなる。ステアのことを思えば、別におかしなことではないだろうに。
気を紛らわせるために、話を振ってみる。
「なあ。お前のお母さんってさ」
「……死んじゃってると思いますよ」
「うん……。でも、確認出来たわけじゃないんだろ?」
「……は?」
「サキュバスが子供を産んだら死ぬってのは、お前も伝承でしか知らないんだよな?」
「それは……。……いえ、神父さんがお父さんの口からちゃんとお母さんは死んだって聞いたそうですよ」
「神父さんがちゃんと死体や墓を見つけたわけじゃないだろう」
「そうですけど、……あるわけないでしょうそんなの」
「無いとは言えないな」
「いーえーまーすー」
急に妙なことを言い出したショーマの言葉を、ステアは段々面倒になり適当に否定していく。
「……そうかよ。まあいいさそれで。……でもさ、お前のお父さんの、親戚はどうだ?」
「は? それが何だって言うんです」
「お前のお父さんの親戚なら、お前とも親戚だろう?」
「……?」
「お前のお父さんの兄弟……、つまり叔父なり叔母なりが子供を作っていたら、その子供はお前の甥か姪ってことになる」
だが更に続いた言葉は流石に意図がわからず、上手く返答出来ない。
「……だから?」
だから、聞いてみた。
「会ってみたいと思わないか?」
答えはまた、おかしなものだった。
「……会って、どうするんです。他人ですよ?」
「他人じゃないよ」
「会ったことどころか、顔も名前も知らないんですよ?」
「これから知り合いになれば良いじゃないか」
「……っ。……いやもう意味わかんないですよ。なんでそんな必死なんですか」
「……俺には、そういう人いないから」
「……は」
「少なくとも、この世界には」
「……え」
「……だから、お前のことが羨ましいんだよ」
ステアが苦し紛れに逃れようとして放った言葉は、ますます妙な一言を引き出した。
「いやいや、いないってどういうことですか。捜せばいるかもしれないんじゃないんですか? おにいさんが私に言ったことですよ。筋が通ってないですよ」
「ん、あれ、言ってなかったっけ。……俺は、こことは別の世界から来たんだよ」
「え」
ステアの頭が横に傾いた。
「あれー……、えー……? うーんそれはまた、何と言うか。……そう言えば言われたような言われてないような、皆さんの言動を思い出したら確かにそういう伏線はあったような……」
「伏線て」
「ああ、いやそうですね……。う、うーん」
「…………」
うんうん唸るステアをショーマは笑って見つめる。
彼女がこういう表情をするのは珍しかった。
「……いつか、会いに行こうな。お前の母さんに。……家族に」
「……む。だからお母さんはもう死んでると思いますし、親戚だっていないかも知れないんですよ」
「いるさ。きっと。やる前から諦めるなよ。俺も捜すの手伝ってやるからさ」
「そんな都合の良い話、お話の中じゃあるまいし」
「ぐちぐちうるさいなもう。……見つけるまで、意地でも付き合うぞ俺は」
「は……」
うっすらと頬を染めながら、ショーマは強めの口調でそう言い切った。
ステアも何となく、その言葉の奥に込められたことを感じ取る。
「…………」
「……そうですか。見つけるまで、ですか……」
母親がどうとか、親戚がどうこうとか、あまり本気で言ってるとは思えなかった。
ちゃんとわかっているのだ。そんなのはいないということに。
それでも、見つけるまで付き合うと言うのなら、それは……。
「……!」
「あ……」
そんな約束を交わした時、突然背後から現れた強烈な気配を2人は感じ取った。
立ち上がって、緊張の面持ちで振り向く。
「……アゼル殿から話を聞いた」
ステアがいつも着ているものとよく似た形状の黒い鎧と白いマントを装備し、しかし一目でステアとは違うとわかるほどの長身をした男が、2人に向かってゆっくりと近付いてきていた。
「生きていたのだな」
「……ええ、こちらの方のおかげで」
その男、教会騎士団騎士長、カイゼル・アーダーは厳しい顔つきと冷淡な口調で、長い髪を風に揺らしながらショーマとステアに向き合った。
ショーマはカイゼルの長身から放たれる威圧感に向き合いながらも、そっとステアの様子を窺う。
震えているように、見えた。
「神父さんから聞いたってことは、ちゃんと色々教えてもらえる、ということですかね」
「そちらの者には、な。……だが」
カイゼルは言葉を区切る。何か力を込めた言葉を発しようとしたのが、伝わった。
そして、
「私は……、お前が今も生きていることを良いことだとは思わない」
「……!」
出てきたのは処刑宣告と同義の一言だった。
「今もなおお前は、他者から魔導力を奪い続けているのだろう」
「……それは」
「それは俺も納得していることです。ステアが生きるのに必要な分くらい、俺だけで賄える。問題はありません」
カイゼルのステアへの問いかけを、ショーマが横から答えた。
その言葉には、静かな怒気が込められていた。
はっとしたステアが、その顔を見上げる。
「……君は命を削られていると言っても過言ではないのだぞ」
「だったらどうだって言うんです」
「君の命は君だけの物ではないはずだ。愛する者のため、もっと大事に扱いたまえ」
「そうですね。俺の命は、こいつの物でもある。だから大事に扱いますよ」
「……言葉が通じていないのか」
「そっちこそ」
そのまま言葉もなく睨み合う2人。
やがて、カイゼルの方から沈黙は破られる。
「私は今ここで、この者の命を絶つつもりだ」
「そんなことはさせない」
「……だろうな。ならば道は、ひとつだ」
カイゼルはマントから覗いていた、腰に提げられた剣を引き抜いた。
幅広で、艶のまるでない真っ黒な刀身を持つ大剣。刀身は片刃で、峰に当たる部分は鋸のように細かく刻まれている。
神位剣ゼルグランド。
教会騎士団が唯一保有する『神位剣』であった。
そしてカイゼルは神位剣ゼルグランドを自分の真正面に掲げると、真っ直ぐに地面へと突き立てた。
「……! ……ちょっとおにいさん、わかってますよね」
「ああ、わかってるよ」
ショーマもまた、昨日馬車を降りてから常に腰に提げていた物を取り出す。それは白い宝石が埋め込まれ金色の装飾がつけられた、刀身の無い、柄だけの剣だった。
ショーマは自分の体の内にある魔導エネルギーを、その剣に込めていく。するとその柄だけだった剣に、白く発光する刀身が現れた。
輝宝剣クリスセイバー。
宝石に込められたマナエネルギーに魔導エネルギーを注ぎ込むことで魔力を練り上げ、それによって刃を生成する魔導具であった。今後の旅のためにとメリルが提供してくれた物だ。
ショーマはそのクリスセイバーを、カイゼルの神位剣ゼルグランドと同じように地面へ突き立てた。
「ちょっとー!」
それを見たステアが、青ざめた表情で叫んだ。
それぞれ自分の剣を向け合わせ地面に突き立てる。
互いの意地をかけた『決闘』の挑戦状と、それを受けて立つという合図であった。
「なんだよ」
「わかってんですかこれの意味!」
「わかってるさそれくらい」
「いやわかってるけどわかってないですよね! あの人滅茶苦茶強いんですよ!?」
「だからってあれだけ言われて黙ってられるか」
「あほー!」
むきむきしているステアには見向きもせず、ショーマはただじっとカイゼルを睨み付けていた。
「……準備もいるだろう。陽が最も高くなる頃に、騎士団の詰所まで来い。舞台を整えておく」
カイゼルもまた、既にステアではなくショーマのことだけを見ていた。カイゼルの考える正義を執行するためには、ショーマを排除する必要があると確信していたからだ。
「ああう……」
そしてもはや蚊帳の外の存在と化しつつあったステアはがっくりと膝を落としていた。
※
「……本気なの?」
「ああ」
朝食のために部屋に戻ったショーマとステアがメリルとセリアに事情を話す。流石のメリルもショーマの行動には表情を険しくさせていた。
この地方において決闘とは、互いに相手の命を奪わないことを前提に行う真剣勝負のことを主に指す。
ブランジア騎士団を中心に広まった風習であるが、隣国であるイーグリス騎士団や、本来交流が無い教会騎士団にまで伝わっている。
命を奪わない、と言っても、それは全力で戦ってくれる相手に対して生まれる敬意があるからこそだ。
所詮は模擬戦、命までは取られないだろう。などと言う甘い考えで挑むような輩を相手にした時は、即座に首を跳ね軟弱者として晒し上げられることが許されるという。
厳正なる戦いであることの証明として多くの観戦者を用意することが基本なので、それは当然のこととも言えた。そんな構造上、八百長もあり得ない。
そしていつからか、誇りをかけたとも言えるこの戦いにおいて勝利した者は、相手に対して何でも1つだけ要求を飲ませることが出来るという決まりが生まれていた。
ショーマは決闘の掟に従って、ステアの命を奪おうとするカイゼルを黙らせようとしたのだ。
「でもやっぱり危ないこと、だよね?」
「俺が全力でやる限り少なくとも俺自身の身は大丈夫なはずさ。……まあどっちにしろ、勝たなきゃこいつは助けられないんだけどさ」
セリアが心配し、ショーマが答える。
ショーマ自身の安全は確かにほぼ確実ではある。だがそうだとしても、ステアの命が奪われるようなことがあればセリアは悲しむだろう。もちろんメリルも。
結局ショーマは勝つしかないのだ。
「……ねえ、そのカイゼルって騎士長のこと、貴方が知ってる限りの情報教えなさいよ」
「……え?」
メリルがうなだれているステアに聞いた。
心配した所で何が変わるわけでもない。現実的に対策を講じようと考えたのだ。
情報収集も体を鍛えたり装備を整えたりすることと同じ、戦いの準備だ。聞いたって卑怯なことはあるまい。
「あー、そうですね。……今更決闘の取り決めがひっくり返ったりはしませんもんね」
「そうよ。なら前向きに少しでも勝率を上げる策を練るべきだわ。相手も相手だし、準備しすぎるってことも無いでしょう」
「わかりました……。お話しします。……やはり鍵となるのはまずあの神位剣ゼルグランドですかね……」
※
そして、ステアからの情報を元にいくらかの対策を立てたショーマは教会騎士団の詰所にやってくる。
「こちらです、どうぞ」
騎士に連れられて内部を進む。いざという時に備え丈夫に作られているらしいことが窺える無骨な内装だった。
やがてすぐにも広場に到着する。土を固めた、およそ25メートル四方の広さで、普段は集団訓練などが行われている運動場だった。
広場の周囲には既に大勢の騎士達が観戦のために集まっており、中央にはカイゼルがたった1人で立っていた。腰には神位剣ゼルグランド、腕には鎧に合わせたデザインの兜を抱えている。
改めて見ると、やはり背が高い。2メートルはあるだろうか。体格はむしろ細めに見えるが、鎧の下には鍛え抜かれた筋肉があることは想像に難くない。
「……来たか」
広場は吹き抜けのようになっており、上からは陽の光が真っ直ぐに降ってきている。その下にショーマも立って、カイゼルと向き合った。
1度振り返ってメリルとセリア、そしてステアの様子を見る。
2人はショーマのことを信用しているのか、少しの緊張はあれど不安を感じている様子はなかった。しかしステアはやはり、カイゼルの実力を知っているためか苦しそうな表情であった。
確かに強大な敵だとはショーマもわかっている。けれど、勝機がまったく見えないとまでは思っていない。
今の自分に出来ることの全てを発揮すれば、きっと負けない。
そんな自信があった。
人間と殺し合いはしたくない。自分は魔族と戦うためにこの世界へ喚ばれたのだから。
だがどうしても譲れないものがあるなら、戦わなければいけないこともある。
殺す気は無いし殺してはいけないのだろうが、殺す気で挑まなければならない相手が、そこにいる。
「覚悟は出来たか」
3人が観戦のため広場の隅に移動したのを確認すると、カイゼルが問いかけた。広場の中心部にはもうショーマとカイゼルだけである。
戦いの準備は整った。
「……とっくに出来てるよ」
ショーマはカイゼルの言葉に頷いた。
と言ってもその覚悟とは、カイゼルの聞いたものとは別の覚悟だったが。とっくに、と言うのももちろん今日のことではない。
ショーマはクリスセイバーを抜いて刀身を実体化させる。それと共に強化魔法『マイティドライヴ』を発動させ全身の能力を強化させていく。
自分が未熟な自覚はあった。ならば強力な武器でも魔法の力でも、何にでも頼っていかなければ、大切な人は守れないかもしれない。
みっともないことかもしれない。情けないことかもしれない。
それでも、そうしてでも守りたいものがあった。
誰も失いたくない。そのために持てる限りの力を振るう。
その覚悟は、もうとっくに済んでいた。
「……痛い目を見たくないのなら、今ならばまだ撤回を認めてやっても構わん。恥をかいてでも自身を守りたいと言うなら、止めはしない」
兜を被ったカイゼルが、最後通告だとばかりに投降を薦めた。
ショーマは意外に思う。
そんな程度の男なのだろうかと。
「……今更話すことなんかないよ。後は剣を交えるだけだ」
「ふん。……わかっているではないか」
だがすぐにその考えは否定する。
ここで頷いていようものなら即刻、首とは言わないまでも手か足くらいは切り落とされていたことだろう。
そんな気配を、痛いほどに感じたから。
そしてカイゼルは神位剣ゼルグランドを抜き放つ。その瞬間、強烈な闘気が吹き上がった。
……来る。
ショーマはぐっとクリスセイバーを握り締めた。
正直に言えば話したいことが無いというのは嘘だ。いくらでも言ってやりたいことはある。
だがそれは、勝ってから言ってやることにしようと、決めていた。
負ける気は、無い。
そして、
カイゼルが第一歩を踏み締めたのを合図に、決闘が開始された。