ep,070 一夜明けて
朝。ショーマは窓から容赦なく差し込む陽射しに照らされて目を覚ました。
「ん……?」
そこは山小屋の一室であった。
いや、それはわかるのだが、昨晩の記憶が少しばかりあやふやだ。
セリアが大怪我をして、それを治して、ここにやって来た。
それから彼女が目を覚ますのを待って、それで……。そう、大事な話をしたのだった。
ずっと一緒にいたい、と。
そこまできて今の自分の格好にようやく気付く。そして、あの後何があったかも。
「あー……」
軽く部屋を見渡してみる。部屋の反対側にもう1つ置かれたベッドは綺麗なまま。誰もいない。
そして床を見ると、自分の着替えが綺麗に畳まれて置かれていた。あんな丁寧なことをした覚えはない。
「…………」
部屋には自分以外誰もいないことを確認すると、とりあえずいそいそとその服を着ることにする。
他の皆は外だろうかと、部屋の扉を開けてまた辺りを見渡す。
部屋の正面は廊下を挟んで壁になっており、右を見ればロビーと玄関。左を見れば廊下の突き当たりにもう1つの部屋への扉がある。要するにこの小屋は壁1枚を挟んで部屋が2つ並んでいたわけだ。
防音にはあまり期待出来そうにない。今更そう気付いて、頬を冷たい汗が伝っていく。
ふと、じっと見つめていたその部屋の扉が開かれた。きい、という音が建物の古さと安っぽさを感じさせる。
「あ」
出てきたのはセリアだった。
目が合う。
「……おはよう」
「う、……うん」
セリアはセリアで、ショーマの顔を見た途端顔を真っ赤に染めてしまう。色々と思い出しているのだろう。
ここは無理矢理意識を反らそうと、ショーマは話を振ってみることにした。
「具合は、どう?」
「あ、う、うん。……結構、平気です……。今は、ちょっと、体を拭いてて……」
「そっか、体を……」
その一言に、ついこちらも色々と思い出してしまう。そうしないためだったのに。
「ここ、お、お風呂無いもんな! 水道は、来てるみたいだけど……」
「う、うん。そうなの……」
何となく気まずい雰囲気が広がってしまう。再び話を戻す。今度は少し、真剣に。
「本当に、大丈夫か? ……お腹」
セリアが脇腹に負った負傷ははっきり言って致死級のものだった。かなり強引に治してしまったので、もしかしたら何かの拍子にそこが崩れ、また傷が開くようなことになるかもしれないと考える。となるとどうにも不安が拭いきれなかった。
「うん……。正直、まだちょっと違和感はあるけど……。でも不安な感じはしないよ。……むしろ、なんだか安心出来るくらいで」
「……安心?」
「うん……。ショーマくんがしてくれたから、かな……?」
「いや、それは……」
急にのろけたようなことを言うセリアに、ショーマは何とも不安が残った。
実際の所は2人の知るよしも無いことであるが、セリアの体の一部……、治癒が行われた部位は、ショーマの作った魔力によって形成されていたたため、そのショーマのそばにいることで自然と彼の魔導エネルギーが体に取り込まれるようになっていたのだった。
元の持ち主の魔導エネルギーが供給されることで肉体は安定が保たれ、それがセリアには安心という感覚として表れていた。
「一応、激しい運動とかはまだ控えた方が良いかも。念のためにさ」
「激しい、運動……?」
「……あ、いや、走ったりとか、戦ったりとか。……ごめん」
「謝らないでよ……」
「ああ……、うん、そうだな……」
また余計なことを思い出して顔が熱くなってしまう。
「あ、そうだ。メリルとかステアは……。そっちにいる?」
また話題をそらす。
「え、ううん。ここには誰も……。ステアちゃんは玄関の外にいたみたいだけど」
「……そっか。メリルは、出掛けてるのかな」
「ごめんね。私も、まだ起きたばっかりだから」
「いや、いいよ。……ちょっと探してくる」
「うん……。あ、私も一緒に行こうか?」
ショーマがメリルを探してどうするつもりかは、セリアにもわかっていた。だからその時自分が一緒に話した方が、何かとスムーズに話が進むかもしれないと考えた。
「いや。ちゃんと俺の口から言うよ」
「……そう、だね。……それが良いかも」
ショーマは少し考えてからそれを断る。セリアもすぐにその思いを理解してくれた。
「ん。じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
「……うん。行ってらっしゃい」
心を通じ会わせたからこその柔らかい笑顔に見送られて、ショーマは小屋の外に出る。
よく晴れそうな空が広がっていた。
※
「よう、ごくろうさん」
「……おはようございます」
玄関先に座り込み見張りをしていたステアに声をかける。
「昨日からずっと続けててくれたんだな」
「ええ、まあ」
「ありがとうな。……休まなくて大丈夫か?」
「はい。体の作りからして違いますから」
「……作り?」
「私人間じゃないですし」
「それは……、半分だけだろ」
「そうでしたね」
背を向けたまま、どこか投げやりに言うステアであった。
「……あのさ」
「なんですか」
彼女がそんな態度でいるのには、何となく心当たりがある。
「助けてくれてありがとな」
「いえ……。私は、ほら。言ってみれば、……命を秤にかけて、あの人を見捨てたようなものですし」
ステアはあの時、ショーマを助けるために敢えてセリアを助けなかった。それがショーマにとっては許しがたいことだろうとはわかっていても。
「それは、ほら。2人まとめては助けられないと思ったからなんだろ」
そう。いくらステアであっても、あの時2人まとめて助けることは出来なかった。だからといって言い訳をするつもりも無かったが。
「……それでも、」
「それでも俺のことは助けてくれたじゃないか」
「っ。…………むう」
許してはもらえない。覚悟はしていたけれど、それでも後悔は一晩中していた。
なのに今こうして、あっさりと許されそうになっている。……あくまで結果だけ見れば2人共助かったからのこととは言え。
そしてそれは、ステアの心にひどく戸惑いをもたらすものだった。
「……実を言うとな、俺、あの時お前にひどいこと言いそうだったんだ。ごめんな」
「……してないことを謝られても、困りますよ」
「そっか。……じゃあ、お礼を言うのが遅くなって、ごめん」
「…………」
「セリアも結局助かったんだから、良かったよ。……助けられたのは、お前のおかげでもあるわけだし」
「…………」
「あー、……それにさ、」
「あーもーもういいですよもー! ちゅーか助けられなかったのにお礼言われるっておかしいでしょうが! ばか! ばーか!」
「……お、おう」
「…………ぁう」
ステアは頭がぐちゃぐちゃになり、つい怒鳴り散らしてしまった。
思わず顔が熱くなる。
ショーマが助かったのはステアのおかげだ。
セリアが傷ついたのはステアのせいだ。
けれど、ショーマがセリアを助けられたのは、ショーマを助けたステアのおかげだ。
礼を言われること、罵声を浴びせられること、どちらもした。なのにショーマは礼だけを言った。それどころか、謝罪までした。
そしてステアは、その真っ直ぐな気持ちを素直に受け入れられることが出来ないくらいには、ひねくれていた。
まだまだ気持ちの整理がつけられそうになかった。
「ところでさ」
「あっ、はははい!?」
「……どうした」
「い、いえ……。なんでも」
「……メリル、知らないか? 小屋の中にはいないみたいなんだけど」
「ああ……、日が出てから割りとすぐに起きてきてあっちの方に行きましたよ。川があるみたいです」
ステアは岩壁の隙間から見える林の方を指差した。日が出てすぐということならさほど時間も経っていない。すぐに追い付けそうだ。
「そっか、ありがとう。……ちょっと話をしようと思っててさ」
「はあそうですか」
「……その内お前とも、ちゃんと話さなきゃな」
「…………はっ?」
ステアは不意を突かれ変な声を出してしまう。
「じゃあ、行ってくるよ」
「え、あ、ちょっ……」
その言葉の真意を理解する前に、ショーマは小走りで駆け出していく。そのせいで、微笑みを浮かべていた横顔はほんの一瞬しか見えなかった。
けれどもその顔は、しっかりと心に焼き付いていた。
焼き付いて、彼女の心に小さな変化を起こさせようとしていた。
「……むぅ」
※
山間を流れていく水の流れを、メリルはそばに控えるサフィードと共にじっと見つめていた。
そして思う。昨夜のことを。
ショーマもセリアも大切な人だ。幸せになることを望まないわけではない。
けれど、その2人が一緒になることで幸せになるというのは、……自分でも嫌になるが、望んでいない。
「私、ひどいな……」
あの2人が一緒になってしまったら、自分は邪魔なだけではないのか。そう思ってしまう。
それは、嫌だ。
セリアは親友と言える人物で、自ら弟子にしたいとまで言った。嫌いなわけがない。
ショーマだって、……彼は、そう。自分のことを、支えてあげたいと言ってくれた。嬉しかった。自分も同じように支えてあげたいと思った。
ずっと自分にとって大切な人でいてくれると思っていた。
なのに、なのに彼は、あの子と一緒になってしまった。
あの夜、薄い壁の向こうからは色々な声が聞こえてきていた。聞いてはいけないと思ったけれど、聞きたくもなかったけれど、……聞こえてしまった。
部屋を出ていこうにも、扉を開けても廊下を歩いても音を立ててしまう。音を立てたら気付かれてしまう。だから結局、静かに声を圧し殺して部屋にこもることしか出来なかった。
元はと言えば壁の薄さも考えず隣の部屋になんか入った自分がいけなかったことなのだが、しかしこんな形でまた自分の注意力の無さを恨めしく思うことになるとは考えもしなかった。
薄い壁を1枚隔てて、どうして、こんなにも違う思いをしなければいけなかったのだろうか。
ふつふつと、心のそこに暗い感情が芽生えてくる。
そんな時、ふっとサフィードが首を上げて遠くの方に目を向けた。
「……どうしたの?」
何かを感じ取ったらしいサフィードは、腰を上げてそちらの方に歩みだしていく。
「……?」
メリルは不審に思いながら、その後を追った。
「これは……」
川岸から少し離れ、林に入って少し進んだ所にそれはあった。
地面に大きめの穴が掘り返されている。そしてそこからは、濃厚なマナエネルギーが溢れだしていた。
マナ溜まりである。
更にその周囲は木々が不自然になぎ倒されており、何か大きな生き物がここにいたことを示していた。
更に周囲を観察すれば、木々がなぎ倒されているのはこの辺りだけであることがわかる。どこかから歩いてやって来たのではなく、空から降りてきたと推測が出来た。
「ひょっとして……」
即座に思い浮かぶのは、昨日交戦した一角竜である。大きさもちょうど合うし、空から降りてきたというのにも合う。
更に観察すると、枯れ葉に紛れて分かりにくいが、確かに足跡も残っていた。どうやら間違いは無さそうだ。
マナ溜まりにやって来た一角竜。
以前騎士団から発表された、動物の魔族化に関する情報が思い出される。
……竜が、魔族になった?
少々信じがたいことではあるが、そういうこととしか思えない。
それなら、あの一角竜がやけに狂暴だったことにも説明がつく。
そんなことを考えていると、そばに控えていたサフィードが再び歩き出した。
「あ……」
のそのそと、マナ溜まりに向かっていく。
「ちょ、ちょっと、駄目よ……!」
慌ててメリルはサフィードの進路を塞ぐように立つ。
まさかこの大切な相棒まで魔族になってしまうのだろうかと、不安がよぎる。
じっと視線が交錯した。
サフィードとは、メリルが8歳の時に契約を交わした。
兄達が育成していた竜達の中にいた1体の蒼い翼竜と、メリルは自然に仲良くなった。こっそりと父の倉から拝借した宝石を代価に契約を交わし、その竜にサフィードという名を与えた。
1人と1体は、共に時を過ごし信頼を重ね、絆を紡いでいった。
物言わぬ竜は、言葉が無くとも確かに心を通わせているはずだった。
だからこそ、竜は主の思いを遂げさせようとした。
ばさりとその大きな翼が広げられ、メリルの体を包むようにして閉じられていく。
「え……、な、なに……?」
サフィードが念じると、マナ溜まりからマナエネルギーが溢れだしていく。それらはメリルごとサフィードの体を包み込んでいった。
「や……、やだ、やめてよ……。サフィード、お願い……!」
竜との契約によりメリルとサフィードの間には力の共有が行われている。そのため流れ込むマナエネルギーもまた、それぞれの体に1人と1体分、通常の2倍ずつの量であった。
それほどの濃密なマナエネルギーは、マナに対する耐性の高い人間種の体をも侵食していった。
「あ……」
そして、その魂が歪む。
※
「いないし……」
川辺にやって来たショーマだが、周囲を見渡してもメリルの姿は無かった。もっと上流か下流の方だろうか。
どちらを探すべきか悩んでいると、ふと不思議な気配に気付く。
魔族の群れを見つけた時のような、しかしそれでいて敵意を感じない、どこか暖かみのある感覚。
「あ」
そちらに顔を向けてみると、林の向こうからメリルがやって来るのが見えた。探しにいく手間が省けたと安堵する。
「お、おはよう。メリル」
少し緊張しつつ、ショーマは言葉をかける。
話をしてもセリアのようにあっさりと、とはいかないだろうと予想する。しっかりと自分の気持ちをわかってもらうためには、厳しいことを言われる覚悟も必要だった。
「……あの子は、もう大丈夫なの?」
ぼそりとメリルが口を開いた。セリアのことを聞いているのだろう。そう言えば目覚めてからまだ顔を合わせていないらしい。
「うん、元気に、してる……。まだ完調ってわけでもないけどさ」
「そう……」
それを聞いて、そっと視線を落とす。
なんだか元気が無いように見えてしまい、ショーマは心配になる。元気付ける意味も兼ねて、自分の気持ちを伝えようとした。
「あのさ、メリル」
「……?」
「大事な、話。昨日言った話を、したいんだ」
ぎゅっと握りしめた拳に汗が浮かぶ。
メリルは、認めてくれないかもしれない。
でも、自分は真剣に思っているのだから、絶対に納得させたい。
「……大事な、話……」
「うん」
「……私も、あるよ。……大事な話」
ちょっと意外な返事が返ってきた。いや、そうでもないかもしれない。昨日の戦いではメリルにだって色々と思う所はあったはずだ。……自分と同じようなことを、考えたかもしれない。
「でも……」
「……え?」
「ここじゃ、だめ」
どん、と背中が押された。
前のめりに押し倒されて、そのまま背中を押さえ付けられる。
首を回して見上げれば、そこにはサフィードがいた。
「ちょ……、おい」
状況が理解出来ずにいると、背中を押し付けている前脚から魔法の術式が展開される気配を感じた。
その力によって、意識が途絶えていく。
「なん……、で……」
もう1度メリルに視線を戻す。
しかし彼女は、何もせずにただ虚ろな目で見つめているだけだった。
※
意識の途絶えたショーマから、サフィードは脚を離す。
メリルはショーマのそばに座り込み、そっとその体を抱き締めた。
どこにも行ってしまわないように。
暗く沈んだ心が魔に触れることで、その魂が歪む。
その心は往古より続く悪意に蝕まれる。
悪意は狂気を増幅させ、凶行に走らせる。
その者を、人は魔族と呼んだ。