ep,069 君と共に
最初はちょっとした興味でしかなかった。
噂になっていた彼の隣に偶然座れたから、話をし始めたくらいで。
でも一緒にいる内に、彼のことを少しずつ知っていく内に、それだけじゃないと思うようになった。
平民の、何の取り柄も無いような私にも、彼は変わらず接してくれた。
……別に私にだけというわけじゃあなかったけれど。
そう。彼は誰に対しても優しくて、真剣だった。
でも、それでも良かった。
私が頑張っていれば、彼はちゃんと私のことも見ていてくれていたから。
それが嬉しかった。
私も自然と彼のことを気にするようになっていって……。
好きに、なった。
一緒にいたいって、彼のために何かしたいって、思うようになった。
毎日が楽しくて、幸せだった。
想いが報われなくても、そばにいられれば、彼のために何か出来れば、それだけで良くて。
そうしていられた間は、本当に幸せだった。
でも、
もう助からないよね。
こんなことになっちゃったら、さすがに。
痛いし、寒いし、息も苦しい。
「…………!」
彼の声が聞こえる。
あなたの腕の中で死ねるなら、それも良いかな。
思ってたより、ずっと力強くてたくましい腕だったんだね。
「…………!!」
いつも私を励ましてくれた温かい声。
いっぱい、励まされてたんだよ。
あなたのおかげで、頑張ってこれたんだよ。
これでもう、聞けなくなっちゃうのかな。
……やだな。
「わた、し……」
もっと声を聞きたいよ。
もっと一緒にいたいよ。
そばにいるだけなんて嫌だよ。
抱き締めて、欲しいよ。
わたし、まだ……、
「…………しにたくないよ……」
※
ショーマのかざした手から膨大な魔力が溢れだし、いくつもの光の帯が立ち上っていく。
それらはセリアの抉れた脇腹に注がれてなお溢れたものだった。
魔力によって傷を癒やすなどというものではない。魔力によって肉体を作り上げるという行為を、ショーマは行いつつあった。
骨を作り、臓器を作り、血肉を作る。それを時間をかけて肉体に馴染ませていく。魔力による治癒とは元々そういうものだが、程度というものがあった。
魔力によって作られたそれらは、実質的には代替物でしかない。栄養を補給して、自分の体に新たな血肉を正しい手段で作り出してもらうまでの、繋ぎなのだ。
こんな大がかりな再生は出来ることではなかった。
それでもショーマはやろうとした。
自然のルールをねじ曲げても、人の限界を踏み越えても。
彼女を死なせるのは嫌だった。
嫌なものは嫌だった。
※
だがそんな隙だらけのショーマを黙って見過ごす一角竜ではない。
膨大なまでに吹き荒れるその魔力こそは、自分が身を危険に晒してでも求めたものである。
「ああああァァッ!!」
しかしステアもまたそれを見過ごすはずもなかった。伸ばされていく一角竜の首に、力任せの一撃を叩きつける。
ステアは思う。
……今更、何を憤っているのだろう。
都合よく良く魔導力を補給出来る相手とだけ思っていれば良いのに。
へらへら笑って相手をしていれば、簡単に自分を信用してくれるしょうもないお人好し。
ただ、それだけの人。
この期に及んであの人から、いや、誰かから好かれたいだなんて思ってなんかいなかったはずなのに。
せめて出来るだけ誰かに迷惑をかけないように、生きるのに必要なだけの魔導力を貰えれば、それだけで良かったのに。
……ああ。これはさすがに、嫌われたじゃすまないな。
そう思ってしまった。
そう思うということは、本当は嫌われたくなかったと思っていたということだ。
……知らない間に随分とほだされてしまったのかな。
それとも……。
ああ……。もう、くそ。
全部あいつが悪いんだ。
「ううああァァッ!!」
吠え猛るステアからほとばしる魔力に危機を察した一角竜は、未だ混濁する意識の中で必死に考えを巡らす。
この偶然の遭遇を無為にするのは理性が拒む。しかし目の前の自分に似た、しかし決定的に違う不思議な魔力を持つ者は、間違いなく危険だと本能が告げている。
迷う背中を押したのは、ふと少し離れた場所から轟いた雷鳴にも似た咆哮だった。
それの主は、親であるが今はもう違うモノ。
魔に堕ちた自分とはもはや相容れないモノだった。
ここであれにまで捕まってはもうどうしようもない。
躊躇いを捨て、翼を広げ大地を踏みしめ大空へ飛び立とうとする。
「逃がすかッ!!」
ステアは飛翔し始めた一角竜に向かって高く跳躍する。その勢いのまま剣で一角竜の顔面を縦に一閃する。鱗ごとその下にある肉と、右側の金色に輝く瞳を斬り裂き、鮮血を噴き上げさせた。
一角竜はそれでも逃げる。翼を持たないステアでは追うことは出来ない。
「くそっ……」
そのまま力を失い落下する所を、一角竜に比べればずっと小さい翼竜の爪に捕まえられた。
「あ……、どうも」
「どうもじゃないわよ……。追い払ってくれたのは、ありがたいけど」
翼竜サフィードの背に乗ったメリルが口にした。
脱力した体で更に上空を見上げれば、あの一角竜は更に上空へと飛び続け、しまいには雲の中に飛び込んで姿を隠してしまった。
少し離れた場所から聞こえた咆哮も気にはなる。怒りは引っ込めて、また周囲を気にする必要があった。
地上に降りたメリルは、一目散にショーマとセリアの元に向かう。
「……あ、」
そしてその状況に、言葉を失いかける。
空から状況は見ていた。ステアが間に合わないと悟り、ショーマだけを助けたこと。セリアの体が一角竜の魔力に穿たれたこと。そしてショーマがセリアを異常なまでの魔力でもって治癒していたこと。
見ていることしか出来なかった、とも言えるが。
「……どうなのかな」
そう、ショーマがぽつりと呟いたのが聞こえた。
見ればセリアの体は……、抉られた脇腹は、一見すると元と変わらない白い肌に戻っていた。それでも辺りには鮮血が飛び散っているし、着ていた服は破れたままである。
肉体だけが、元に戻っている。
「治った、の……?」
「……わからない」
問いかけにショーマはぼんやりとした声で答えた。
メリルもすぐそばまで駆け寄って、直接セリアの様子を見る。
脈はゆっくりだがある。息遣いもわずかだがある。呼吸に合わせてお腹も上下している。
破れた服を少しめくってみれば、今までの体と新しい肉は、少しだけ肌の色に違いがあった。新しい方が幾分白い。
そっと触ってみると、ひんやりとしている。血を失ったせいなのか、新しく作られたからなのかはわからないが。
とにかくどこかで休ませるべきと考える。目も閉じられたままだし、体力を活性化させる必要があるのは間違いない。
ああ、でも。
「ちゃんと、生きてる……」
そうだ。生きている。
胸の奥から熱いものが込み上げてくる。
大切な友人を、失わずに済んだ。
でも、まだ泣いてはいけない。ちゃんと目が覚めてから、無事で良かったと笑いあってからでないと。
「ほら、しっかりして。この子は大丈夫だから。ちゃんとした所で休ませてあげれば、きっとちゃんと起きてくれるから……」
メリルが声をかけると、うつむいたままだったショーマもゆるりと顔を上げる。虚ろな目に、少しずつ光が戻っていく。
「ほら」
「……うん」
ショーマは横たわったままのセリアを抱き抱えた。未だ冷たいその体に、自分の体温を移そうとするように。
「……馬車持ってくるね」
メリルはそれを見て、ほんの少しだけもやもやとした気持ちを抱きながらも立ち上がった。
周囲を見渡して、危険が去ったことをもう一度確認する。そしてサフィードと、その場に座り込んだままだったステアの元に戻っていく。
「ほら、貴方も」
「あ、はぁ。そうですね……」
「……もう」
覇気の無いステアを立ち上がらせ、馬車が止められていた岩影に向かって駆け出していく。
「……!」
そこへ、山道の向こうからがしゃがしゃと鎧の擦れる音を立て駆けてくる一団が視界に入った。
飛び上がった一角竜の子供を見てやって来た教会騎士達の一団であった。
「遅い……」
思わずメリルは誰にも聞こえないようぼやいた。
「無事ですか……。って、あ、お前……!」
一団の先頭にいた騎士が声をかけてきたが、すぐに見知った顔がいたことに気付き露骨に嫌そうな声を出した。表情は兜に隠され見えなかったが。
「……どうも。……あの、怪我人がいます。治癒はしましたが休める所が必要です」
ステアは視線を逸らして、感情を込めないようにそう告げた。
まさかかつての同僚に再会して早々助力を求めることになるとは、考えたくもなかったことであろう。
「……この先に登山者向けに用意された休憩用の小屋がある。ベッドもあるから、ひとまずそこへ運ぶと良い」
「どうも。……それから、竜、逃げていきましたよ」
「ああ、わかってる。……怪我人運ぶの、手伝おうか」
「……お願い、します」
捨てられた者と捨てた者。お互いにわだかまりはあったが、それでも一応場をわきまえるだけの分別は残っていた。
※
一角竜との交戦地点から少し山道を上った先にある休憩小屋。
誰が建てたかも記録が残っていない程古い建物だったが、教都への参拝者などが時折利用するため教会が定期的に清掃や修繕を行っており、設備に不備はなかった。
2人用の寝室が2つと共用の水道、それに暖炉がある程度の小さなものだったが、それでもいざという時には頼りになる。
ショーマとメリルは未だ目を覚まさないセリアを着替えさせ寝室のベッドに寝かせる。そしてすぐそばに置いた椅子に座り特に何をするでもなく、眠る彼女を見つめじっと待ち続けていた。
一方ステアは見張りという建前で小屋の玄関先で1人座り込んでいた。どうにも顔を会わせ難かったのだ。
それに、話をしたがっている相手もいた。
「……よう、本当にいいのか」
「いらないです」
黒い鎧を纏った青年が兜を脱ぎ複雑そうな顔を見せる。
彼もかつてステアと共に教会騎士として戦った者達の1人だ。彼女の魔導エネルギー吸引能力の被害にあったことで、騎士団から追い出すのに賛同した者の1人でもある。
それでも教会騎士として善良な一般人の怪我人を守るためにこの小屋の警備を申し出た所だったが、それはステアに拒否されてしまった。そんなことより野生の竜とやらをとっとと何とかしに行けとのことである。
一角竜の討伐は結局失敗に終わり、親竜子竜共にいずこかへ飛び去っていったのを確認しただけである。もう戻ってこない可能性は高いが、依然警戒は維持されたままだ。
ステアの言う通りでもあるので、さっさとこの場からは離れたいのだが生来の真面目さがそれを邪魔する。命に関わるほどの怪我を負った人間を放っておくのも気が引けるのだ。
「じゃあ、な」
「…………」
とは言え結局、自ら警備をすると言ったステアに確認をもう一度取ることでようやくこの場を立ち去る決心をするのだった。
小屋の近くで休憩させていた部隊に号令をかけ、一団は再び山道を登り始めていった。
それを見送り1人残されたステアは地面に突き立てた愛用の剣を見つめると、ひっそりと膝を抱え寂しげに俯いた。
「……何だよ、くそぅ」
※
「脈拍も呼吸もだいぶ落ち着いてきてる。……もう、大丈夫だと思う」
「……そっか」
メリルがセリアの容態を確認する。最低限の医療知識しか持っていなかったが、セリアの状態が良くなってきていることはそれでもわかった。
致死レベルの重症を再生させたショーマの力。もう今更驚きもしないかとは思っていたが、いくらなんでもこれは次元が違っていた。魔法は有能であっても万能ではない。死者の蘇生やそれに準ずるものなどはその代表と言えた。
それでもやってのけた。……もうそういうものなのだと、深く考えることもせずに納得してしまおうかと思う。
「疲れが取れたら、自然に目覚めると思うわ」
「……うん。……良かった」
じっとセリアを見つめたまま、ショーマは相変わらずぼんやりと答えていた。
「私、出てるね」
「……え?」
「その子が目覚めた時に、最初に出会えるのは、貴方でいてほしいから」
メリルは椅子から立ち上がると、背を向けてそう伝えた。
「……うん、わかった」
ショーマは少しだけ思い悩んだが、すぐに聞き入れた。
「……あのね」
「ん」
「セリアのこと、助けてくれてありがとう。……本当に、心からそう思ってる」
「……うん」
そしてドアノブに手をかけ外に出ようとすると、ショーマがふと思い出したように口を開いた。
「あのさ……、話したいことが、あるんだ。……後で」
「……うん」
その言葉にはぼんやりとした生返事を返し、メリルは部屋を出ていった。
彼女がその時何を考えていたのか、今のショーマには考える余裕がなかった。
※
……どこかで、戦いというものに油断があったのだと思う。
経験もそれなりに積んできた。
自分の力に自信もついてきた。
ずっと気を引き締めてきたつもりだった。
けれど、実際はちっとも出来ていやしなかった。
こんなことになって、ようやく気が付いた。
本当に、情けない。
外も暗くなってくる頃になった。
ショーマはそっと、眠っているセリアの手を握りしめる。
柔らかい肌。か細い指。少しひんやりとはしているが、確かに体温を感じられる。
ちゃんと、生きている。
生きているなら、色々な話がしたい。ずっと思い悩んでいたことにも、ようやく覚悟が決まった。
こうなってやっと決められるなんて、本当にヘタレとしか言いようがないが、それでも……、間に合わなくなる前で本当に良かったと思う。
穏やかに眠るその姿をじっと見つめていながら、どれくらい経った頃であろうか。
そっと、彼女の目が開かれた。
「ぁ……」
「……おはよう、セリア」
精一杯の優しい声で、彼女を迎え入れる。
「しょーま……くん、だ……」
「うん。俺だよ。……夢とかじゃ、ないから」
「そうなんだ……。うれしいな……」
「俺も、嬉しいよ」
「……えへへ」
目を覚ましたセリアは弱々しいとは言え、確かに笑っていた。
「……あのさ」
「……ん?」
「あ……、いや。……具合、どうだ? 体に変な感じとか、しない?」
「……ううん。……あ。なんか、ちょっと、ふわふわしてる……、かも」
「おかしい所があったら、すぐ教えてくれよ」
「うん……、だいじょうぶ」
つい事務的な話を振ってしまう。気になることではあるが、そうではないのに。
「……ショーマくんが、助けてくれたんだよね」
「ああ……。何とかなって良かった。……本当に」
「うん……。私も、よかった。まだ、ショーマくんと、お別れしたくなかったから……」
話を続けているうちに、段々とセリアの声にも元気が戻ってくる。もう無理に休ませなくても良い。もとい、話を先送りにする理由も無いようだ。
それにこんな風に言われてしまっては、ショーマもさすがに覚悟を決めるしかない。
「セリア。……大事な、話をしたいんだ」
「……うん」
「……いいかな」
「……いいよ。……聞きたい」
まるで何を言われるかわかっているような、そんな態度だった。
他人に何かを頼む時には、勇気がいることだ。改めて思う。
……勇気、か。
遠く離れた親友に背中を押されたような気になると、ショーマはふっと一息を吐いて、ようやくその言葉を発する。
「俺と、ずっと一緒にいてほしい」
「……ずっと?」
「ああ。ずっとだ」
「ずっとって、どれくらい?」
「明日も、明後日も、1年後も10年後も50年後も、ずっと」
「…………」
「…………」
「……うん」
「……それで、その。……俺は、セリアだけじゃなくて、他の皆ともずっと一緒にいたいって、思ってる」
「……他の、みんな?」
「メリルとか、リノンさんとかも、だよ。……セリアひとりだけ、じゃなくて」
「……どうして、そう思ったの?」
「それは……。俺は、皆同じくらい……、好きだから。……ずっと悩んでたけど、決められなくて。でもセリアがこんなことになって、ようやく決心がついたんだ。死んじゃうかもしれないって思ったら、もう我慢出来なくなった。
……決めるの遅すぎだってのはわかってるし、それ以上に都合良すぎるってわかってる。でも、そうしたいんだ。誰か1人とだけじゃなくて……、大好きな皆と、俺は、ずっと一緒にいたい。
セリアは……、いや、他の皆も嫌だって思うかもしれないけど、でも俺は、」
「……いいよ」
「俺は……、……え?」
「……いいよ。それでも」
「あ……、えっと。それはまた、ずいぶんとあっさり……」
「だって……。私も、そうしてくれるのが良いな、って、思ってた、から」
「……それって」
「私ね……。たぶん、ショーマくんの1番にはなれないって、思ってたの。……諦めてた。でも、2番か3番くらいなら、とも思ってて……。2番目3番目でも、あなたと一緒にいさせてもらえるなら、良いかな……、って」
「俺は……、そんな、順番をつけるようなことは、」
「うん、しないよね。そういう人だって、わかってたよ。だからこそ、そういうことにはならないんだろうな、とも思ってて……。だから、ショーマくんからそうしたいって言うなら……、私としては、願ったり叶ったりって言うか……」
「う……」
「きっとみんなも良いって言ってくれるよ。ショーマくんが悩んで出した答えだもん。……わかってくれる」
「……そう、かな」
「そうだよ。……だって、そんなショーマくんだから、……好きになったんだもん」
※
「セリア……」
「……ねえ、もう1回言ってくれない、かな」
「……えっと、……何を?」
「好き、って」
「…………。俺は、セリアが好きだ。ずっと一緒にいてほしい」
「……うん。私も、好き。一緒にいたい」
「…………うん」
「えへへ……。……ショーマくんの手、あったかいね」
「……そう、かな」
「うん、そうだよ」
「……ああ、えっと」
「…………」
「あ、う。あ、そうだ。メリルにも、このこと話しておかないと……。大事なことだし」
「……あ」
「え?」
「あの……、」
「……ん?」
「今は、まだ、こうしてたい、かなって……」
「……こう、って?」
「ショーマくんのこと、……ひとりじめ、したい……」
「……う」
「だめ?」
「いや……、うん……。今くらいは」
「うん。……ありがとう。……わたしの、王子様」
「……なにそれ」
「ふふ……。わかんないかな?」
「……結構前にもそんなこと言ってたよな」
「うん……。えへへ」
「……じゃあセリアのことは、お姫様みたいに扱ってあげないとだめなのかな」
「……扱ってくれるの?」
「そうしてほしいなら、する」
「じゃあ……、……して、ください」
「……うん。それじゃあ……」
「……わ」
そっとひざまずくと、握っていた彼女の手に口づけをする。
窓の向こうから、夜空に煌めく星々が2人を淡く照らしていた。




