ep,067 山道を行く
「あ、あの、ショーマさん」
フィオンをドラニクスの別宅から彼女の生活する寮まで送る途中、ショーマは何やら話を振られた。
「ん、何?」
彼女のたどたどしい喋り方は、出会った頃からあまり変わらない。それでも結構馴染んでくれてきている感じはするが。
「実は、その。……教都には私の家族がいるんです」
「……そうなんだ」
そんなフィオンの口からは、意外と言えば意外な言葉が出てきた。
「生まれたのは別の、小さな街なんですけど……。私達の家は、あんまり裕福ではなくて……。あそこは、貧困層にも最低限の食事を保証してくれる所でしたから」
「へえ」
教都では鳳凰神に助けを乞う者は決して拒まないということで、無償で食料の配給なども行っているそうだ。貧困に苦しむ者が移住することも多いという。
「いつだったか、ショーマさんが聞いて、くれましたよね。……どうして、騎士になりたいのかって」
「うん、聞いた。……なるほど、家族に楽をさせてあげたかったんだな」
「はい……。教会騎士と違って、王国騎士なら、しゅ、収入はすごく大きいですし、戦うのが苦手でも、研究職でなら私でも頑張れるかも、っていうことも、ありましたし」
「それで見事に今は魔導研究所に回してもらえたと。良かったじゃないか」
お金のために騎士になる。それは別におかしな話でもない。騎士の全てが正義とか誇りとかそういうもののために戦っているとは限らないのだ。
フィオンがそうであったとしても、ショーマはどうこう言うつもりは無い。むしろ家族のためというのは、中々に立派な目的と言える方だろう。
しかしフィオンにはどうにも後ろめたい気持ちがあるようだった。
「いえ、それは……。皆さんのおかげなんです。……私、皆さんと同じ小隊でちゃんとお役に立ててたとは、言い難い、ですし。私は、凄かった皆さんの、おこぼれみたいな形で、こんなことになって……。だから、その……」
「……そんなことないさ。今のフィオンがあるのは、フィオンが自分で頑張ったからじゃないか」
「……そうでしょうか」
「そうだよ。……それにこれからは1人で頑張らなきゃいけないんだから、そんな弱気は良くないんじゃないか?」
「……そう、ですね。……1人、で」
寂しそうな、不安そうな顔をするフィオンを見て失言だったかとショーマは冷や汗を流す。
「あー……。俺も陰ながら応援してるから、さ」
「……はい」
「そ、それに、……ほら。今まで皆一緒に頑張ってきたことを思い出せば、それは1人でも1人じゃあないと思うんだ」
「……?」
ショーマは勢いに任せて励ましの言葉をひねり出す。
「フィオンが自分で頑張ったから、ってさっきも言ったけど、でも頑張ろうと思ったのは、皆がいたからだろ? それは俺達も一緒なのさ。俺達は皆が一緒になって、お互い生き残るために、前に進むために頑張ろうとしてきた。俺がフィオンを助けたこともあったし、フィオンが俺を助けてくれたこともあった。……俺達には今までそうしてきた、思い出がある」
「……思い出、ですか」
「そういうものが、今の自分を形作っているわけでさ。この体のどこかしらには、皆と一緒だった日々が思い出となって刻まれている。だから、離れていても一緒なんだ、ってこと。……ああ、よくわかんないか。自分で言っててもなんかよくわかんなくなってきたし」
「……いえ。なんとなく、わかります」
「そう?」
フィオンはショーマの言葉を受け入れる。
だが、それだけで割り切れるほど単純な性格でもない。
「はい。……でも、ちょっと難しいです。私が皆さんのために頑張れたと、胸を張って言えるかは」
「……そうかな」
「よく思ってたんです。……第1小隊は、私1人が欠けた所で何の問題もなく続けられるんじゃないか、って。……皆さん、すごい人ばっかりで、私は……」
自分1人が欠けても、何の問題も無い。
その言葉には、ショーマの心にも少しだけ刺さるものがあった気がした。
「そんな風に、言うなよ」
「あ……、ごめん、なさい。……でも、そうですね。せっかく私は皆さんと一緒にいさせてもらって、色々な経験を積ませてもらえましたから……。これからは、その思い出を胸に、頑張ってみようかなって、思います」
「そっか。……大丈夫、か?」
「はい。……ショーマさんとお話しして、ちょっと、元気になれました。……あの時と、一緒です」
フィオンはそう言って、ふわりと笑った。
「……ああ、うん。……そっか」
あの時とはどの時だろうか。色々心当たりがあるような、ないような感じである。
「はい。……道中、お気をつけてください。……えっと、もし私の家族に出会うことがあったら、よろしくお願いしますね」
「うん。……フィオンも、頑張ってな。……リノンさんのこと、よろしく頼む」
「はい。……きっと、力になりますから」
辺りはそろそろ暗くなる。フィオンの暮らす寮の玄関前に到着すると、2人はそこで別れを告げあった。
※
翌日。ショーマ達は教都ブランシェイルへの出発準備を整える。リヨールには結局丸1日弱しか滞在しないことになりそうであった。
北門に馬車を付け最後の確認を行う。フィオンも見送りに来てくれていた。
「じゃあ、そろそろ出すわよ」
「ああ」
王都からの道と違い、騎士団や他の旅行者の姿は無い。ここからは何かあっても自分達だけで対処する必要があった。
「お気をつけて」
「ええ。貴方も頑張ってね。未来の魔導研究員、期待してるわ」
「あ……、は、はい!」
メリルから激励され、フィオンは少しだけ明るい姿を見せた。
そして深く頭を下げた彼女を背に、馬車は進み始める。
馬車はしばらく舗装された街道を進んでいく。メリルの契約竜サフィードは空からそれを、追い越しすぎないよう時々周囲を旋回したりしつつのんびりと追いかけていた。
教都は山間の中腹にある拓けた場所に存在し、そこへ向かうには緩やかな山道を登っていく必要がある。空を飛ぶなりして直線距離で向かうならそう遠くはないが、地上からは回り道をする必要があったり坂道を進む必要があるため、王都とリヨールの間以上の時間がかかる。
道すがらショーマは、しばし物思いにふけっていた。
こうやってブランジアという国で暮らす内に、様々な人に出会ってきた。彼らはこの世界に生き、彼らなりの社会を築いている。
特に騎士団の人達は、長い戦いを乗り越えたことで強い誇りと高い武力を持ち合わせている。彼らは今魔族の脅威に直面しているが、きっとそれを乗り越えていくだろうと思える確信があった。……それこそ、自分のような異世界の人間になど頼らずとも。
そう。ショーマはこの世界の人間ではない。自分はこの世界にとって必要ない存在なのではないか。異分子なのではないか。そう思ったことは何度かある。
何かとレウスも口にしていたことだ。異世界の人間に頼るべきではないと。レウスはただショーマの身を案じてそういうことを口にしたのだろうが、遠回しに自分は必要ない存在だと言われているような気にもなっていた。
フィオンに語った、一緒に過ごした思い出があるから1人ではないという話。あれは、自分に言い聞かせていた所もあるのかもしれない。
自分にはこの世界で過ごしてきた、確かな思い出が誰かの心に刻まれている。……だから、自分はここにいても良い存在なのだ。そう思いたかったのかもしれない。
今のショーマには、フェニアスから教えてもらった魔法がある。元の世界へ変える魔法だ。
やろうと思えばこの世界で刻みつけたもの全てを放り投げて、逃げ出すことが出来る。元の世界の記憶は無いが、そこは自分の生まれ育った世界で、間違いなくもっと多くの思い出があるはずだ。それがあればいずれ思い出すことは出来るだろう。
でも今はまだ……、この世界にいたいと思う。
この場にいるメリルやセリア、ステアとも別れたくはない。もちろんリノンともそうだったし、フィオンやデュラン、バムスにローゼ、……そしてレウスもだ。
本当は、ずっとすぐそばで皆といつでも会えるようなままでいたかった。離れたくなんかない。離れていても思い出があれば大丈夫だなんて、そんなのは誤魔化しでしかないのだ。
改めて思えば我ながら随分といい加減なことを口にしてしまったものである。でも、今更どうしようもない。
1度離ればなれになってしまったのなら、もう1度集うためには多大な労力が必要だ。
今は、そのために行動している。
……頑張らなきゃ。
ショーマは揺れる馬車の中で、見えない未来を少しだけ不安に思うのだった。
※
「この先、別れ道みたいですね」
山道を進む途中、メリルと交代して騎手を任されたステアが前方に見えた看板を読んで告げた。
「そこは右に曲がってちょうだい」
「そっちの方が近いように書いてありますね」
地図を確認したメリルが指示を出し、ステアが了解する。
「見えるのか?」
ショーマは窓から顔を出し前方を見つめるが、看板の存在はわかっても字までは読めない。それくらいの距離がまだあった。
「見えますよー。道案内の看板、大事ですからねえ。よく見ないと」
「ふうん」
「かーんーばーんー」
「いや聞こえてるよ」
「おっと、そうでしたか。大事ですよね、道案内の看板」
「そうだな。迷ったら困るもんな」
「そうですよね!」
「…………」
何がそんなに楽しいのか、ステアは看板の存在を執拗に主張する。看板フェチとかそういうものだろうか。まさか。
「曲がりまーす」
ステアは馬車を引く馬を鞭で叩いて方向転換をさせる。
ショーマも士官学校で馬の扱いは多少習ったが、実際に操れるかは不安が残る。技術のあるメリルやステアがいるのはありがたい所だ。
緩やかな道をまた少し進むと、前方に他の旅人達の姿が見えた。人間男女1人ずつに馬2頭の組み合わせである。人数の割に荷物が多いので、旅の商人とかだろうか。
「またでかい馬車が来たな。どこかの貴族様かい?」
男の旅人が呆れたような声を上げる。確かにこの馬車は貴族様が用意してくれたものではあるが。
「こんにちは。こんな所で休憩ですか」
騎手のステアが声をかけると、メリルも顔を出してくる。
「この道はしばらく通行止めなんですって。……残念だけど」
女の旅人はそう言うと馬車の大きさを見て苦笑する。引き返そうにも大きな馬車では手間もかかる。
「通行止めって、何かあったんですか?」
メリルが聞く。つまらない理由だったら強引に突き進んでやるつもりだった。
「なんでも野生の竜が出たんだってよ。でも教会騎士団が討伐を終えたらすぐに解除してくれるってさ」
「野生の……?」
「ええ。まさかとは思うけど……、あれ、じゃないわよね」
と、旅人は空を見上げる。そこにはぐるぐると旋回するサフィードがいた。
「あれは私のです。……おいで!」
メリルが念じるとサフィードはゆっくりと降下してきて、馬車のそばに降り立つ。
「おおう、大迫力」
「見世物じゃないですよ」
「こりゃ失礼」
近くに討伐対象の竜がいるというなら、空を飛んで目立つサフィードが間違って狙われないとも限らない。降りさせた方が無難である。
「ここに来るちょっと前にあった別れ道のもう一方なら封鎖されてないみたいだぜ? 討伐が終わるまでそんなに時間はかかりゃしないとは思うが……、まあ好きにすると良い」
「わざわざありがとうございます」
メリルは車内に引っ込むと、ショーマ達とどうするか話し合う。
「と言うわけらしいけど、どうしましょうか。なんだったらいっそ討伐に参加するっていうのもありだけど」
「討伐って……。俺、竜って契約された大人しいのしか見たことないけど、野生のってやっぱり狂暴だったりするのか?」
「ええまあ……。人里の近くに出てくるようなのは大抵、よほど好奇心が旺盛か、よほどお腹を空かせているかのどちらかね」
「……食べるの? 人間」
「どちらかと言うと人間の育てている家畜や作物が目当てなことが多いけど、ま、抵抗されたら容赦はしないでしょうね」
「うへ……」
積極的に襲われるようなら返り討ちにするが、そうでないなら意味もなく襲ってくるということは無い。それが竜という生き物であった。
竜は長い命と深い知識、そして強大な力を持ち、およそ天敵と呼べるものを持たない。
長期間食事をしなくても生命維持が出来るため、無用に他者の命を奪うことはあまりしないが、幼い竜の中には好奇心から人里に出てくるものもいるらしく時折こうして騒ぎになることもあるのだった。
「で、どうする?」
「何が」
「討伐しに行ってみるって話。恩を売っておけば見返りに情報が貰えるかもしれないわよ」
「ああ……」
……なるほど、それが狙いか。
魔族との戦いにおいて教会が有している情報が役に立つ可能性は高い。特に騎士団の事情にもそれなりに通じているショーマ達には。
王立騎士団と教会騎士団。2つの組織に協力関係は表向きには無い。かといって裏では筒抜けになっているというほどでもない。必要に迫られればひっそりと協力するが、そうでない時は絶縁したままだ。
前と後ろにそれぞれ『元』と『見習い』が付くとは言え、騎士だったショーマ達が歓迎されるとは考えにくい。そこでメリルは何かきっかけを作っておきたいと思ったのだろう。
だが、
「……いや、ここは任せておこうぜ」
ショーマはそれを否定してしまう。
教会騎士団の実力のほどは計り知れないが、まあ竜の討伐くらいどうにでもなるだろう。封鎖もさほど厳重では無いようだし、きっとその竜はあまり恐れるに足りない相手なのだ。
それならばわざわざ自分達が出向く必要もないだろう。メリルの言うことも一理あるが、勝手に首を突っ込んでも向こうの迷惑になるかもしれないし。
「そう? ……貴方達はどう?」
メリルは意外とあっさり引いたショーマに少し驚きつつ、セリアとステアにも聞く。
「私も……、無理に危ないことする必要は無いんじゃないかな、って」
「私は皆さんの決定に従いますけど」
「……じゃあ、やめときましょうか」
多数決の結果ここは見送ることになる。
「竜が出て困ってる人にとっては、誰がやっつけたって一緒だろ。別に俺達じゃなくたって構わない」
ショーマはどこか投げやりな口調でそう言った。
「まあそうだけど……」
「……?」
その様子に、メリルとセリアは少々違和感を覚える。
「行かないなら行かないで、どうする? ここで待つか、引き返して別の道に行くか」
今度はショーマが聞く。
「え? ええ……、そうね。セリアはどうしたい?」
「へっ? わ、私は別に、どちらでも……」
「ふむ……。じゃあ、引き返しましょうか」
この場で待つ場合、討伐がいつ完了するかわからない。つまり再出発出来る時間が不確定になる。すぐに終わるかもしれないが、遅くなるかもしれない。出来るだけ計画的に行動したい性格のメリルは、結果的に遠回りになるとしてもそちらの方が良いと考えた。
ステアは狭い山道で器用に馬を操りながら、馬車の向きを反転させる。
「おっ、上手いもんじゃないか」
「はあ、どうも」
旅人の1人がその手綱捌きに感心して手を叩く。
「遠回りになるだろうから、休憩には気をつけろよなー」
「気遣いありがとう。それじゃ」
再び顔を出したメリルが礼を言って、馬車は来た道を逆戻りする。サフィードも空を飛ばずに、馬車の後ろをのしのしと歩いてついてきていた。
今度は逆に下り坂となるので、勢いがつきすぎないよう気を付けて進む。
「またこの看板に会いましたね」
「そうだな」
先程にも見た看板のある別れ道を曲がって、また上り坂を進んでいく。こちらは先程の道に比べるといくらか荒れており、利用者が少ないことを感じさせた。
「さっきの道は新しく作られたものだったみたいね。教都への移住者が増えているって話、本当なんだ」
「本当ですよ。戦争の末期頃からですかね、あの頃は色々ひどかったみたいですし」
メリルとステアが交わし始めた世間話にショーマは興味を持つ。
「ひどかったって?」
気軽に聞いてくるショーマにメリルは言いにくそうな顔で答えた。
「……戦争が長引いたせいで物価が上がったりしたから、貧困層はますます苦しんでたの」
「ああ。教都じゃ最低限の食事を保証してもらえるって……。それで人が集まってきたと」
「そう。それにあそこは中立地帯だから、戦場になることも無かったし」
「ふうん。……て言うか、何でそんなに30年も長々と戦ってたんだ? 終わらせようと思えば終わらせられたんじゃ……。実際終わってからは食糧難とかは何とかなったって言うじゃんか」
「それは……、色々、あるのよ」
何やらメリルは口ごもる。
「王立騎士団の連中は戦争が大好きなんだ、ってうちの騎士長さんが言ってましたよ」
するとステアが横から答えた。
「どういうことさ」
「……戦争でたくさん敵将を討ち取れば名を上げられて家の発展になるの」
「それはわかるが……。あ、武勲を上げ続けるために戦争を終わらせたくなかった、とか?」
「それも……、まああるけど……。それだけじゃあ無いからね。色々な人の思惑が絡まりあって、一言では言い切れないものに膨らみ上がっていたんだから」
メリルはややこしい事情をどう伝えたものかと説明に苦しむ。
「あと一応言っておくけど、私達貴族も貧困対策にはあれこれ頑張ってたからね」
「お、おう……」
さっきから言いにくそうにしていたのは、貧困層が苦しんでいる間にも貴族として良い暮らしをしていたことに対する後ろめたさがあったからのようだ。セリアやステアの前ではなおさらである。
「まあ、しょうがないよ……。ね?」
さっきから黙って聞いていたセリアが微妙なフォローを入れる。彼女も戦争でそれなりに苦しんだ身ではあるが、表立って非難するつもりは無いのだった。
「今するような話でもなかったかな……」
「……そうかもね」
半ば無理矢理話を打ち切ろうとした、その時。
「……!」
ショーマは急激に高まった魔力の気配を感じとる。前方、程近く。
岩壁に擬態していたそれが、ゆるりと動き出した。
「!?」
遅れてメリル達もそれに気付く。
がらりと音を立て、その外皮を覆っていた岩と砂が崩れ落ちていく。その下からまず現れたのは、岩よりも硬そうな赤き鱗であった。
それらが形作る影の頂点には、金色に輝く瞳と、鋭く伸びる一本の角があった。
一角竜。
山道に紛れ込み討伐対象となった竜とは、また別の1体であった。
「……まじかい」
それが今、突如ショーマ達の眼前に出現した。