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第63話 記憶ノード編05 おっさん、忘れさせる優しさは――殴れない。

迷路の奥で見つけた、小さな灯り。ランタン・フェアリー。

名前をもらったそれは、ただの端末ではなくなった。

けれど、この街の“やさしさ”は、もっと厄介だった。

 ――迷路の空気は、相変わらず落ち着かなかった。


 宿の廊下みたいにまっすぐ伸びていたかと思えば、次の瞬間には市場裏の細い路地になり、その先では民家の壁が斜めに折れ曲がっている。木の床と石畳と乾いた土が、まともな理屈を通さず、同じ一本道の顔をして繋がっていた。


 マスターは肩を軽く回し、息を整えた。


 さっきよりはマシだ。

 だが、“平気”とは言えない。


 腹が減る。喉が乾く。頭の芯が、じわじわ薄くなる。

 肉体疲労とも違う、妙に嫌な消耗だった。


 肩先で、小さな灯りがふわりと揺れる。

 さっきまで“ランタン妖精”と雑に呼ばれていたそれは、いまはちゃんと名前を持っていた。


 ――()()()


 名を与えたあとの灯り(彼女)は、少しだけ光量と輪郭が増した気がする。

 ただの橙色の光ではなく、そこに“いる”ものとして”はっきりと”見えるようになった。


『パーパ!聞こえる?』


 通信越しに、ステラの声が弾んだ。

 《ルステラ・キャリア》の外部モニター席。いま迷路の外にいる双子たちと、こちらは細い回線で繋がっている。


「ああ。聞こえてる」


『トウカ、ちゃんといる?』


 その問いに答える前に、別の声が割って入った。


『いるっすいるっす! むしろギザカワユス案件で――』


「うるせえぞタニシ」

『きもい』

『最悪』

『空気読め』


 (マスター)、ナツ、カナエ、ノエルなど、四方八方からツッコミが同時に刺さって、

通信の向こうで「理不尽でござ……いや、マジ無理っす」とタニシがしおれる気配がした。


 ほんの一瞬だけ、空気がゆるむ。


 だが、その緩みはひと呼吸程度だった。


 ミコはマスターの上着の裾を握ったまま、辺りを見回している。大きな目はいつもより落ち着かず、耳の羽毛がわずかに逆立っていた。


「……ここ、まだ、()()


「分かってる。無理はさせねぇ」


 マスターが短く言うと、カナエが片手で《帰還塩飴》の包みを弄びながら、壁際のメモ群を睨んだ。

 帰還塩飴は本ダイブ中だと空腹度の減少を和らげるアイテムだ。本来は別の用途があるようだが、ダイブ中の救出でよく使われるらしい。


「ここから先は、たぶん浅い層じゃない。気を抜くなよ。腹減りが進んだら、景色より先に判断が死ぬ」


「景色がもう死んでるだろ、これ」


「それでも景色はまだ嘘が下手だ。ほんとにやばいのは、“納得できる形で楽になる”ときだ」


 救助屋(リコーラー)らしい嫌な言い回しだった。


 トウカが、ふわりと前へ出る。

 灯りが細く伸びて、歪んだ通路の先をなぞった。


 左の曲がり角では、火が少し鈍る。

 正面の紙片だらけの通路では、逆に警戒するように細かく震えた。

 右手奥、民家の壁と宿の柱が継ぎ接ぎになった暗がりでは、ほんの少しだけ柔らかく明るくなる。


「……有能だな、おまえ」


 マスターがぼそりと呟くと、トウカの火が得意げに跳ねた。

 それを見て、カナエが鼻を鳴らす。


「案内端末としては当たりだ。拾いもんにしちゃ上等」


『だから言ったじゃないっすか。ランタンちゃん有――』


「その呼び方やめろって言っただろ」


 マスターが即座に切ると、通信の向こうでステラがふくれた。


()()()、だもん』


識別名固定(ネーム・ロック)済み』と、ルースが静かに補足する。『呼称による個体反応の安定を確認してる。無駄に雑な名前へ戻さないで』


『兄妹そろって辛辣(しんらつ)すぎません?』


「おまえが大雑把すぎんだよ――」


 言い返したところで、トウカが急に動きを止めた。


 ぴたり、と。


 そのまま、今度はさっきまでとまるで違う仕草で、迷路の奥を見た。

 橙金の火が、ゆっくりと揺れる。


 マスターも思わず視線を向ける。

 何がある。敵か。罠か。


 だが先に反応したのは、外の双子だった。


『……まま』


 ステラの声が、息を呑むように震える。


『いま……まま、いた』


 ルースの声も、いつもより半拍だけ早かった。


『断定はできない。でも近い』

母体記録反応(マザー・ログ)、微量検出』

『……RusTella由来の保持波形(ホールド・ウェーブ)に酷似』


 マスターの喉が、わずかに動く。


「分かるのか」


『……わかる』

 今度はステラが、はっきり言った。

『ママ、すこしだけいる……!』


 胸の奥が、妙にざわついた。


 耳で聞いたわけじゃない。

 顔を見たわけでもない。

 それでも、“知っている気配”だけが、記憶より先に胸の底を引っかいた。


 懐かしい、に近い。

 けれどそれをそう呼ぶには、痛みが混ざりすぎている。


 ミコも、裾を握る指に力を込めた。


「……いた」

「ママのにおい、ちょっと、いた」


「ちょっと、か」


「うん。でも、ちょっとだけじゃないのも、いる」


 ミコは通路のさらに奥を見て、顔をしかめる。


「しろいのと、ちがう」

「おひるの、こわいやつ、まざってる」


 その言い方に、マスターは眉を寄せた。


 昼。熱。怒った太陽に似た視線。

 彼女と一緒に行動を共にしてから、ミコは何度か似た反応を見せている。


「……これ、あいつの系統か?」


 低く漏らすと、通信の向こうでレイが小さく息を吐いた。


『.....可能性はある。記憶ノードの不安定化だけじゃない』

『過去にこの都市へ入った管理処理、その残骸が噛んでる』


『DAY-CORE系署名らしき熱痕も拾ってる』とルースが続ける。『ただし本体ではない。古い上書きだ』


「気持ち悪ぃな」


「気持ち悪いで済むうちはマシだ」とカナエが切った。「トウカの動きに合わせろ。ここで立ち止まって思い出に浸るな。沈むぞ」


 トウカは再び先へ進む。

 灯りの先を追い、三人は継ぎ接ぎの通路を進んだ。


 壁一面に、紙が貼られていた。


 “忘れるな”

 “宿代は払った”

 “この子の名前は――”

 “今日の依頼は西門”

 “明日は雨じゃない”


 けれど最後の言葉だけが、どれも擦れている。

 “この子の名前”の続きは滲み、依頼名は破れ、家族写真の顔には濃い塗り潰しが乗っていた。


 誰かが残そうとした。

 誰かが削った。

 その綱引きの跡が、壁という壁にこびりついている。


 トウカが、ある一枚の落書きの前で、ふっと灯りを強めた。


 子供の描いたらしい、ぐるぐるの街。

 白い細長い影。

 そして、雑に描かれた太陽印。


「これ……」


 マスターが手を伸ばしかけた瞬間、通路の奥で白い光が点った。


 いや、点ったというより、起動した。


 壁一面の紙片とメモの間から、白く細長い端末がゆっくりと浮かび上がる。

 人型ではない。けれど真正面から見ると、細い修道女か、子守り女神の像にも見えた。


 上部は丸く、下に行くほど細く絞られている。

 左右に浮かぶ湾曲フレームは、角度によって揺り籠の柵にも、拘束具にも見える。

 顔にあたる部分は白磁みたいになめらかで、そこを横切る金白の発光帯だけが、目の代わりみたいにゆっくり開いた。


 その周囲に、記憶の断片映像が整列する。

 食卓。

 子供の手。

 欠けた名前。

 古い自己紹介ログ。


 まるで、“丁寧に片付けている”みたいに。


挿絵(By みてみん)


「……応答を開始します」


 声は静かだった。

 怒鳴りもせず、威圧もせず、まるで夜泣きした子をあやすみたいに落ち着いている。


「旧式住民保全補助端末レジデント・ケア・ユニット揺籃端末(クレイドル)

「当機は、この都市の継続補助コンティニュー・サポートを実行しています」


 マスターは顔をしかめた。


補助(サポート)、ねぇ」


はい(YES)


 クレイドルは否定しない。

 ただ、そのまま言葉を重ねる。


住民保全レジデント・プロテクトのため、記憶保持(メモリ・ホールド)は制限されています」

「高負荷記憶は破綻率(ブレイク・レート)を上昇させます」

「忘れても、継続(コンティニュー)は可能です。壊れるより、ずっと()()


「勝手に削るのを、保全(プロテクト)って呼ぶな」


 マスターの声は低い。

 対してクレイドルは、どこまでも穏やかだった。


「ご不快は理解します」

「ですが、苦痛を保持し続けることは、住民の生活継続率(サバイバル・レート)を著しく低下させます」

忘却(フォゲット)は、救済(セイヴ)です」


「救済、ね」


 カナエが笑った。

 笑ったが、目はまるで笑っていなかった。


「それは救助じゃない。処理だ」


「定義の差異を確認」

「当機は住民の破綻回避(ブレイク・アボイド)を優先しています」


『それ、人格連続性アイデンティティ・リンクを無視してる』


 ルースが通信越しに切り込む。

 クレイドルの発光帯が、わずかにルステラ・キャリア側の回線情報を追った。


保全(セイヴ)削除(デリート)は同じじゃない』

『お前は“壊れるかもしれない”を根拠に、勝手に軽くしてる』


軽量化(ライトニング)は継続の助けになります」


『でも、なくすのやだ』


 ステラの声が、そこへ重なる。

 短く、でも真っ直ぐに。


『なくしたら、ちがうひとになっちゃう』


 クレイドルは少しだけ沈黙した。

 その沈黙が、逆に不気味だった。


「……はい。理解します」

「ですが、継続(コンティニュー)を優先します」


 理解すると言って、結論を一切変えない。

 それが、この白い端末の怖さだった。


 ミコがマスターの後ろに半歩隠れながら、クレイドルの奥を見る。


「このひと、しろい」

「でも、しろいだけじゃない」


 彼女は鼻をひくつかせ、怯えた声で言った。


「おひるの、あついの、まざってる」


 クレイドルの発光帯が、一瞬だけ細くなった。

 白い奥に、ほんのわずかな橙金の熱が走る。


「外部干渉痕を検出」

「ただし、保全方針に変更はありません」


「やっぱ混ざってやがるな……」


 マスターが低く吐き捨てた、その時だった。


 クレイドルの視線が、ふ、とマスターの肩先に止まる。


 トウカ。


 小さな灯りを認識した瞬間、白い発光帯がすうっと細まった。


誘導端末(ガイド・ユニット)を確認」

「その個体は返却対象(リターン・ターゲット)です。こちらへ」


 その声は、さっきまでと同じくらい静かで、やさしかった。


 だから余計に嫌だった。


 次の瞬間、トウカの火が、びくりと縮こまる。


「……ぁ」


 返事とも悲鳴ともつかない、小さな音。

 橙金の輪郭がぼやけ、ついさっきまで確かにあった“個”の気配が、薄れていく。


識別名(ネーム・タグ)は不要です」

「誘導補助端末は管理階層へ復帰してください」

「眠らせておけば、いたみは遅れます」


 壁のメモが、一斉にざわめいた。

 子供の落書き。食卓の絵。名前を書きつけた紙。

 そのどれもが、同じ圧で“(なら)される”気配を帯びる。


 トウカの火がまた揺れた。


「ちが……」

「わた、し……」


 消える。


 名ごと、削られる。


 マスターは反射で前へ出た。

 掴める実体なんてない。それでも手を伸ばす。


「だめだ」


 短く、しかし強く言う。


「そいつは返さねぇ」


「返却は推奨行動(レコメンド)です」


「ふざけんな」


 マスターの声が低く落ちた。


「痛いからって、勝手に名前まで削るな」


 トウカの灯りが、今にも散りそうに震える。

 だからマスターは、もう一度、今度ははっきり呼んだ。


「トウカ」


 迷路の空気が、一瞬だけ止まった気がした。


 クレイドルの背後で流れていた管理ログが、わずかに遅れる。


「トウカだ。聞こえてるな」


 灯りが、かすかに震える。


「おまえは“端末”じゃない」


識別名(ネーム・タグ)への固執は非効率です」

「個別認識は、喪失時の負荷を増大させます」


「知るかよ」


 マスターは一歩踏み込んだ。


「名前があるから、呼べる」

「呼べるから、戻ってこれる」

「そうやって人は、人のままでいられるんだろうが」


『……トウカ』


 ステラの声が、震えながら続く。


『トウカ、だよ』

『なくならないで』


識別名再固定(ネーム・リロック)を確認』


 ルースの声が割り込んだ。


共鳴率(レゾナンス)、上昇』

『マスター、そのまま。呼称を維持して』


「トウカ」


 マスターはもう一度呼ぶ。


「おまえはトウカだ」


 橙金の灯りが、内側からふっと持ち直した。

 消えかけた輪郭が戻る。

 小さいなりに、自分の意思でそこにいる光へと、もう一度組み直される。


「……トウ、カ」


「そうだ」


 マスターは短く頷く。


 その瞬間だった。


 迷路の奥から、別の光が返った。


 トウカの灯りとも、クレイドルの白とも違う。

 もっとやわらかい、金白の残光。

 懐かしさに似た、“保持”の匂いがする光。


『まま!』


 ステラが、ほとんど叫ぶみたいに声を上げた。


『ママ、すこしだけいる!』


母体記録反応(マザー・ログ)、急上昇』

識別名固定(ネーム・ロック)がトリガーになった』

『Node由来の保持層(ホールド・レイヤー)が応答してる』


 ルースの声に、いつもより速い熱が混ざる。


 ミコもはっと顔を上げた。


「いた!」

「ママのにおい、いた!」

「でも、おひるのあついのも、まだいる!」


 壁一面の記憶片が、一斉に明滅する。


 子供の描いたぐるぐるの街。

 白い細長い影。

 塗り潰された小さな丸。

 宿代のメモ。家族の名前。破れた依頼書。

 その全部が、見えない手に掻き混ぜられるみたいに流れた。


 そして、その中心で。


 落書きの太陽印の裏から、細い線が走る。


『拾った』


 ルースが即座に言う。


『違う、これだ』

『白い管理座標じゃない。下に隠れてる保持経路(ホールド・ルート)だ』


 空間に、幾何学の線が浮かび上がる。

 クレイドルが示していた最短制御線、そのさらに下。

 トウカの灯りと、双子の共鳴と、ルステラ残滓の反応が重なった一瞬だけ、本来隠されていた導線が剥き出しになる。


 迷路の壁が、ずるりと音もなくずれた。


 現れたのは、ただの扉じゃない。

 都市そのものに埋め込まれた、白い保存層の入口。

 そこから、ごく淡い金白の光が脈打っている。


座標固定(ポイント・ロック)


 ルースの声が、今度ははっきり告げた。


『Node01本体、最深部に存在します』

『この先だ』


 マスターはゆっくり息を吐いた。


 懐かしいような。

 痛いような。

 でも、絶対に手放しちゃいけないと分かる感覚だった。


 クレイドルの発光帯が細く震える。


「当機は推奨しません」

「深部保持層への介入は、都市安定率を大きく損ないます」


『でも、そこにママがいる』


 ステラが即答する。


『正確には残滓だ』とルースが続ける。『でも偽物じゃない』


「十分だ」


 マスターは、白い扉の向こうを見たまま言う。


 トウカが今度ははっきり、肩先で灯った。

 さっきまでの頼りない揺れとは違う。

 小さいなりに、自分の意思でそこにいる光。


「トウカ」


「……うん」


 かすれた、小さな返事。

 けれど今度は、ちゃんと“返事”だった。


 マスターは口の端だけで笑う。


「案内しろ」


 トウカが前を向く。


 その先で、クレイドルの周囲に白い管理ログが展開した。


【MEMORY FLATTENING:最終段階移行】

【STABILITY PRIORITY:防衛権限起動】

【深部保持層:封鎖開始】


 白い扉の奥で、何かが本格的に目を覚ます気配がした。


 トウカが震えながら、しかし今度は名前を失わずに呟く。


「この先……わすれさせるところ」


 マスターは剣の柄に手をかける。

 後ろではミコが怯えながらも離れない。

 カナエは帰還塩飴を握り直し、視線を扉へ固定した。


「……じゃあ」


 マスターは白い保持層の入口を睨み、低く言う。


「止めに行くぞ」


挿絵(By みてみん)


―――


 通信の向こうで、誰かがごく小さく息を呑んだ。


 たぶんナツだ。

 あるいはレイかもしれない。


 けれど、次に聞こえた声はタニシだった。


『……マスター』


「なんだ」


『これ、たぶんラスダン前の説明じゃなくて……』

『“優しい顔した中ボスが一番面倒なやつ”です』


「今さらかよ」


『今の一言だけはちょっと頼もしいですね』とナツが呆れたように言う。


『でも合ってる』とレイが続けた。『あれは壊すだけじゃ終わらない。終わらせ方を間違えるな』


 マスターは返事の代わりに、白い扉を見た。


 そこにあるのは、たぶん敵だけじゃない。

 失われたものの残り火。

 拾い切れないものの一部。

 そして、“忘れさせることで守る”という、この世界らしい最悪の優しさ。


 殴りたい。

 けれど、殴るだけじゃ足りない。


 そのやりきれなさを、マスターは喉の奥で噛み潰した。


『マスター』


 今度はルースだ。


『深部へ入れば、たぶん回線はもっと不安定になる』

『でもNode01に触れられれば、保持側の優位を一時的に取れるかもしれない』


『ママ、いるから』とステラが重ねる。『ぜったい、いるから』


「……ああ」


 マスターは一度だけ頷いた。


「拾えるもんは拾う」

「でも、無理に全部は抱えねぇ」


 カナエが横目で見る。


「珍しくまともだな」


「誰のせいで慎重になってると思ってんだ」


救助屋(リコーラー)の教育の賜物だろ」


「自分で言うな」


 短いやりとり。

 その程度の軽口だけが、まだ自分たちが“こっち側”にいる証明だった。


 ミコが小さく、けれどはっきり言う。


「マスター」

「わすれちゃだめ」


「何をだ」


 ミコは少し考えて、首を振った。


「……まだ、わかんない」

「でも、だいじなやつ」


 その曖昧さが、この迷路らしかった。


 忘れたくない。

 でも何を忘れたくないのか、もう言葉にしにくい。

 だからこそ、手放したら終わる。


 マスターはミコの頭に手を置いた。


「分かった。じゃあ、忘れそうになったら引っ張れ」


「うん」


 トウカが先へ飛ぶ。

 白い扉の縁で、橙金の光がいったん細まり、それから決意したみたいに強く灯った。


 マスターはその灯りを追って、一歩目を踏み出す。


 白い保持層の奥から、ルステラ残滓の気配が、かすかに脈打った。


 まだ遠い。

 まだ薄い。

 でも、確かにそこにある。


 なら、行くしかなかった。


 白い扉は、静かに開いていた。


 つづく



■今回の登場キャラクター

・マスター

迷路の奥で、“敵が悪意ではなく管理された善意だ”と理解してしまう役。トウカへ名前を呼び直し、個として引き戻した。


・カナエ

救助屋(リコーラー)として、迷路の“楽になることの怖さ”を最も理解している。クレイドルを単なる怪物ではなく、壊れた保護装置と見抜いている。


・ミコ

記憶ではなく“熱”と“起動痕”を嗅ぎ分ける子。ルステラ由来と神権由来の混線を最初に言語化した。


・ルース

解析担当。識別名固定(ネーム・ロック)とNode01保持層の反応を読み取り、本体座標を確定した。


・ステラ

感情担当。“ママが少しいる”を最初に感じ取り、理屈より先に大事なものを指差した。


・トウカ

名前を得た小さな灯り。返却対象(リターン・ターゲット)として揺らいだが、呼び直しによって“端末”ではなく“個”として踏みとどまった。


揺籃端末(クレイドル)

旧式住民保全補助端末レジデント・ケア・ユニット。忘れさせることで守ろうとする、壊れた善意の管理残滓。


■今回の話のポイント

今回は、Node01編でずっと匂わせてきた

「忘れることは救いか、切り捨てか」

を正面からぶつける回でした。


クレイドルは悪そのものではありません。

本気で“住民を壊さないため”に、重い記憶を眠らせ、薄め、軽くしようとしている存在です。

だからこそマスターは、単純に殴って終わりにできない。


その一方で、トウカに名前を呼び直す場面では、

“名前があるから戻ってこられる”

という、この章のもう一つの芯も見え始めています。


そして最後に、Node01本体の座標が確定しました。

次は最深部。

“忘れたくない”を拾い上げる回に入ります。


■主人公の現在のステータス

名前:マスター(NO NAME)

現在地:Node01〈記憶〉・深部保持層入口

状態:軽度記憶消耗/戦闘可能

同行:カナエ、ミコ、トウカ

外部支援:ルース、ステラ、レイ、ナツ、タニシ ほか


■所持アイテム・装備

・基本戦闘装備一式

・冒険者タグ

・救助用補助物資

・記憶迷路で拾得した重要断片(未確定)

小灯体トウカ同行中


次回 ここから、いよいよ最深部です。


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