第61話 記憶ノード編03 おっさん、忘れられた側へ潜る
前話の続き、都市規模の記憶沈降対策回です。
今回は《ルステラ・キャリア》内での準備と、記憶迷路への突入まで。
子供だけが持っていた断片と、沈んだ街の入口を描きます。
《ルステラ・キャリア》へ戻った瞬間、車内の空気が妙に現実的で、マスターは一拍だけ戸惑った。
ついさっきまで、知らないはずの子供の写真の前で泣き崩れそうになっていた女がいた。壁の向こうでは、都市そのものが軋むようにノイズを立て、昨日の続きがごっそり抜け落ちていた。
それなのに、キャリアの中では簡易医療区画のベッドにだらしなく転がった男が、ひどく俗っぽい声で呻いている。
「うぉぇ……頭いてぇ……世界が横に流れてやがる……」
カケルだった。
その額に、シズクが無表情のまま冷却パッドを貼りつける。看病というより、暴れる機械に応急封印をかける手つきに近い。
「はい、終わりです。もうるすとに帰ります私」
「待て待て待て待て、そういう切り捨て方ある!? 今の俺、病人だぞ!?」
「自業自得の飲んだくれを病人扱いするほど、私は甘くありません」
「いや昨夜は景気づけっていうか、整備前の気合い入れっていうか……」
「景気づけで潰れる人を、世間では飲んだくれって言うんです」
タニシが横で肩を震わせた。
「朝イチでこの夫婦漫才、火力高ェでござる……」
「火力でも漫才でもありません。た・だ・の常識です」
「つよい......」
ナツが腕を組んで苦笑する。
「カケルさん、完全に怒られてるっスね」
「怒られてねぇ。これは愛ある指導だ」
「ち が い ま す」
「即否定っ!?」
そこまで言ってから、カケルはようやくマスターたちの顔を見た。
レイ、カナエ、ミコ。少し遅れて乗り込んできたルースとステラまで、誰一人、軽口を差し込む顔をしていない。
カケルは額を押さえたまま、片目だけ開ける。
「……あー。こりゃ、二日酔いで誤魔化していい空気じゃねぇな」
シズクもマスターの顔色を見て、処置具を片づけながら表情を引き締めた。
「何がありました」
マスターは短く答えた。
「街ひとつ、沈みかけてる」
その一言で、キャリア内の空気が一段落ちた。
ノエルが小さく背筋を伸ばし、ナツの笑みも消える。タニシは「うわ、マジのやつだ」とでも言いたげに口をつぐんだ。
カケルだけが頭を掻きながら上体を起こす。
「順番に言え。俺の脳みそ、まだ半分しか起きてねぇ」
レイが簡潔に告げた。
「都市規模の記憶沈降だ。住民の昨日が連続していない」
「昨日が……ない?」
シズクが眉をひそめる。
カナエが壁面モニタを起動しながら補足した。
「消えてるんじゃない。表層から下に落ちてる。沈んでる」
「下に、か」
カケルの声から、酔いが少し引いた。
マスターが続ける。
「家の中に、消えた家族の痕跡が残ってた。本人は覚えてない。感情だけ残ってる」
シズクが息を呑む。
「それは……かなり悪質ですね」
「悪質ってより、厄介だ」
レイが静かに言う。
「忘れている側は、自分が壊れていることに気づきにくい」
「しかも街ごとっすからね……」
ナツが低く唸る。
タニシも珍しく茶化さなかった。
「個人の記憶バグならまだしも、都市まるごと“昨日が続いてない”は、ちょっと笑えない案件っす」
そのとき、ミコがぽつりと呟いた。
「……白いの、通った」
全員の視線が集まる。
ミコは床ではなく、もっと遠い、見えない何かの輪郭を追うような目をしていた。
「熱、のこってる。……おんなじ熱が、下にいる」
レイが目を細める。
カナエは何も言わず、ミコの言葉を否定しなかった。
カケルが鼻から息を吐く。
「なるほどな。笑ってる場合じゃねぇのは分かった」
そう言って立ち上がろうとして、足元をふらつかせた。シズクが即座に腕を支える。
「まだ無理です」
「体じゃなくて頭の話だよ」
「どっちもです」
ほんの少しだけ空気が緩み、それがかえって皆の呼吸を整えた。
カナエがモニタへ都市の簡易図を投影する。線の束の一部が、不自然に下へ沈み込んでいた。
「潜るなら人数は絞る。多いと認識が引っ張られる」
「じゃあ私も――」
ナツが一歩前へ出る。だが、その前にレイが短く言った。
「駄目だ」
「えっ」
「今回必要なのは前衛じゃない。異常の中で“戻る判断”ができる人間だ」
ナツは悔しそうに口を引き結ぶ。言い返しかけて、飲み込んだ。
マスターが横目で見る。
「そんな顔すんな」
「してないっス。ただ、先輩を中に放り込んで見てるだけってのが、性に合わないだけで」
カナエが口元だけで笑った。
「だから外に残れ。外がまともじゃないと、切断判断も帰還補助もできない」
ステラがぎゅっとマスターの服の裾を掴む。
「すてらも、いく」
「駄目だ」
マスターは即答した。
ステラが唇を尖らせる。
「なんで」
代わりに答えたのはルースだった。
「感情共鳴が強すぎる。引っ張られる」
「るーすは?」
「僕は外のほうが精度が高い」
淡々とした言い方だったが、それは逃げではなく、冷静な切り分けだった。
「中で壊れるより、外から繋いだ方がいい」
ミコが前に出る。
「わたし、いく」
レイが問う。
「理由は」
「匂う。……あついの、わかる」
カナエが頷いた。
「十分だ。今回、ミコの感知は要る」
タニシが恐る恐る手を挙げる。
「はい。拙者――じゃなくて、自分は外でログ見張る係とか……」
「それはできる」
ルースが即答した。
「言い方が“それならお前でも”なんすよ」
「その通りだから」
「容赦ねぇ……」
ノエルも慌てて手を挙げた。
「あ、あの、私も外でできることやります!」
「バイタル補助と予備物資の整理を頼む」
シズクが素早く役割を振る。
「はいっ」
マスターは一度、全員の顔を見回した。
「中は俺、カナエ、ミコ。外はレイ、ルース、ステラ、シズク、カケル、ナツ、タニシ、ノエル。これで行く」
誰も異論は出さない。それが、そのまま決定になった。
レイが腕を組んだまま口を開く。
「じゃあ条件を切る」
キャリアの空気が、またぴんと張り詰める。
「名前が揺れたら戻れ」
「同じ確認を二度したら戻れ」
「ミコが“熱が近い”と言ったら、その時点で切る」
指を一本ずつ立てるように、静かに言葉が置かれる。
「呼ばれても、すぐに振り返るな」
「置いてある記憶を、勝手に持ち帰るな」
そこで一拍だけ置き、レイは最後の一つを告げた。
「――”保存物になるな”」
タニシがごくりと喉を鳴らす。
「それ、どういう意味っすか」
答えたのはカナエだった。
「沈んだ側は、助けてくれとは限らない。残してくれ、忘れないでくれ、持って行ってくれ。そうやって、人を“容れ物”にする」
シズクが静かに呟く。
「優しい罠、ですね」
「そうだ」
レイの声は低い。
「だから厄介なんだ」
ステラが小さく首を傾げた。
「わすれたくない、って、だめなの?」
ほんの一瞬、誰も答えなかった。
マスターもすぐには言葉が出ない。
代わりにカナエが短く言う。
「駄目じゃない。けど、抱える順番を間違えると沈む」
ルースがモニタから目を離さず続ける。
「処理できない量を抱えると、保持じゃなくて汚染になる」
マスターが鼻を鳴らす。
「要するに、無理すんなって話だろ」
「珍しく理解が早いな」
レイの皮肉に、マスターは睨み返した。
「お前、こういう時だけ言い方きついよな」
「普段からだ」
そこで、ようやく小さな笑いが起きた。
そのとき、ノエルが数枚の紙を抱えて駆け戻ってきた。
「あの、これ……さっきの家の近くにいた子たちから預かりました。落書きみたいなんですけど……」
広げられた紙には、歪な線で描かれた街と、人の形と、ぐるぐるした道があった。
どれも子供の絵だ。雑で、意味なんてないように見える。
だが、その中の一枚を見た瞬間、ミコの眉がぴくりと動いた。
「……これ」
マスターが覗き込む。
「何か分かるのか?」
紙には、家とも迷路ともつかない線の上に小さな丸がいくつも並び、その上から大きな円が見下ろすように描かれていた。
ミコが、その円の縁を指でなぞる。
「これ、空から見た印」
ルースがすぐに紙を取り込み、モニタへ投影した。
「……近似一致」
「何とだよ」
「都市下層の分岐予測。沈降構造に近い」
タニシが一歩引く。
「子供の落書きがマップってことっすか?」
「完全一致じゃない。でも、近い」
別の一枚を見たステラが、嫌そうに顔をしかめた。
「このしろいの、や!」
「白いの?」
ノエルが覗き込む。
紙の端には、棒みたいに細い白いものが立っていて、その下の小さな丸だけが乱暴に塗り潰されて消されていた。
ミコが低く言う。
「……これ、来たやつ」
レイが目を細めた。
「子供は見ていたのか」
「大人より、消し切れてないんだろう」
カナエが短く答える。
「完全に理解してるわけじゃない。断片が残ってる」
マスターは紙を見下ろし、舌打ちまじりに呟いた。
「嫌な話だな。覚えてる方が子供だけとか」
ステラが絵を見たまま、ぽつりと言う。
「でも、いたんだよ」
その声だけがやけに真っ直ぐで、誰もすぐには返せなかった。
接続準備が始まると、キャリアの中は急に忙しくなった。
ルースが補助演算を立ち上げ、壁面に幾重ものログ窓が開く。
ステラはまだ納得していない顔のまま補助共鳴ラインの椅子に座らされていた。
シズクは医療コンソールの前で脈拍と呼吸を確認し、ノエルが予備ケーブルや固定具を手際よく並べる。
ナツは腕を組んだまま落ち着かなさそうに床を小さく爪先で叩いていた。
少し離れたところで、カケルが壁にもたれてその様子を見ている。さっきまでの酔っ払い顔は、もうかなり消えていた。
「……子供のほうが、世界の嘘に雑ってことかね」
「雑なのはこの世界のほうだろ」
マスターが返す。
「消すなら全部きれいに消せって話だ」
「きれいに消せるなら、最初からこんなふうにはなってねぇさ」
カケルはそう言ってから、ふっと息を吐いた。
シズクが三人分の接続端子を最終確認する。
「接続、そろそろ行けます」
「外側同期、保持する」
ルースの声が重なる。
ステラが補助ラインの椅子から身を乗り出した。
「ぱーぱ」
「ん」
「わすれないで」
そのひと言だけで、胸の奥が少し重くなった。
マスターはしゃがみ込み、目線を合わせる。
「忘れてたまるか」
「忘れる前提で対策するべき」
間髪入れずにルースが差し込む。
「お前なぁ」
「事実」
だが、ルースは少しだけ視線を逸らしてから、ぼそりと続けた。
「……だから、帰ってきて」
マスターは一拍だけ止まり、それから苦く笑った。
「それ、最初からそう言え」 ルースの頭をくしゃりとなでる。
ミコがそのやり取りを見て、ぽつりと言う。
「……おじさん、へんなかお」
「うるせぇ」
少しだけ笑いが起きる。
ほんの少しだけだ。でも、それで充分だった。
カケルがゆっくりと立ち上がる。
「いいか。今回のベットはひとつだ」
マスターが振り返る。
「なんだよ、縁起でもねぇこと言うな」
「逆だ。景気づけだ」
カケルは指を三本立てた。
「三人で入って、三人で戻る。配当はそれ以外、認めねぇ」
ミコがきょとんとする。
「……べっと?」
「絶対帰ってこいって意味だ」
カナエが鼻で笑った。
「分かりにくいな」
「俺はこういう言い方しかできねぇんだよ」
シズクがため息をつく。
「本当に、そういうところですよ」
でも、その声はさっきより少しだけ柔らかかった。
ルースが接続信号を立ち上げる。
「同期開始」
低い駆動音がキャリアの内部に満ちる。
照明が一段落ち、壁のあちこちに淡いラインが走った。
「バイタル安定。ノイズ混入あり」
シズクが読み上げる。
「当然だ」
レイはマスターを見た。
「覚えておけ。中で見えるもの全部が、真実とは限らない」
「分かってる」
「いや、お前は分かってない時ほどそう言う」
「うるせぇな」
カナエが最後に言った。
「行くぞ。ここから先は“忘れられた側”だ」
次の瞬間、視界が沈んだ。
暗い。
だが、真っ暗ではない。
最初に見えたのは、宿の廊下みたいな木の床だった。
次に、それが都市の路地へ繋がっていることに気づく。
さらにその先には、さっき見たはずの家の壁があり、そこへ市場の屋台の影が食い込んでいた。
景色の順番がおかしい。
昨日見たものと、見ていないものが、違う継ぎ方で一続きになっている。
遠くで、子供の笑い声がした。
けれど、姿は見えない。
ミコがマスターの袖を掴み、低く言う。
「……熱、下」
カナエが前を見る。
「入口だ」
マスターは息を吸う。
壁の向こう、路地の奥、扉の隙間、あらゆる場所から重なるように声がした。
――忘れないで。
ぞくりと背筋が粟立つ。
そこは地下じゃない。
この都市が落としてきた“昨日”の底だった。
続く
【今回の登場人物ざっくり紹介】
・マスター
本話の視点役。都市規模の記憶沈降に対し、カナエとミコとともに《記憶迷路》へ潜入開始。
・カナエ
ダイブ救出専門職。今回の潜入責任者。沈んだ記憶が人を“保存物”に変える危険を説明した。
・ミコ
神権側の“熱”を感知できる少女。本話では子供の絵に残った白い存在の痕跡と、迷路下層の熱を察知。
・レイ
外側支援と切断判断担当。潜入条件の提示と、帰還のためのライン維持を担当。
・ルース/ステラ
外側補助。ルースは解析、ステラは感情共鳴の支援を担当。短いやり取りの中で、双子としての役割差も見えた回。
・カケル
飲んだくれ整備士……からの復帰。最後は“三人で入って三人で戻る”とベットを宣言。
・シズク
簡易医療とバイタル管理担当。辛口だが有能。
・ナツ/タニシ/ノエル
外側支援組。今回の潜入では、それぞれ監視・補助・物資管理として待機。
【今回の話の解説】
今回は60話ラストで判明した都市規模の異常を受けて、いよいよ《記憶迷路》へ入る準備と突入までを描きました。
子供の落書きだけに残っていた断片は、“大人より先に子供が完全には消されていない”ことの示唆でもあります。
次回からは、忘れられた側へ沈んだ都市の探索に入っていきます。
【主人公の現在のステータス】
名前:NO NAME(通称:マスター)
状態:正常/軽度疲労
現在地:記憶迷路入口
同行者:カナエ、ミコ
外部支援:レイ、ルース、ステラ、シズク、カケル、ナツ、タニシ、ノエル
【現在の主な所持・装備】
・基本携行装備一式
・冒険者タグ
・HUD接続状態
・《ルステラ・キャリア》外部同期ライン
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