第59話 記憶ノード編01 おっさん、昨日が怪しい街に入る
温泉を出た一行は、最初のノード反応を追って荒野都市へ向かう。
だが、その街では「昨日」がうまく残らない。
おっさん一行の旅は、笑いのあとに、静かな違和感へ足を踏み入れる。
温泉に入った翌朝というのは、もっとこう、体が軽くなっているものだと思っていた。
少なくとも、四十二歳のおっさんが「よし、旅だ」と胸を張れるくらいには。
なのに現実は、腰が重い。脚もだるい。ついでにいくら寝ても眠い。
「……なんで温泉イベントの翌朝が、回復じゃなくて車の定期点検みたいになってんだよ」
俺が運転席の横でぼやくと、荷台側からナツの明るい声が飛んだ。
「先輩、それもう回復じゃなくて整備対象っすよ! 人間じゃなくて機械寄り!」
「おまえ、朝から失礼だな!?」
「いやでも、温泉のあとに腰が痛いって、だいぶ年――」
「そこまで言うなら降ろすぞ」
「すみません先輩! でも事実っす!」
すぱっと頭を下げるくせに、ぜんぜん反省していない。体育会系の元気ってのは、どうしてこう朝から他人の体力を削るんだ。
その横で、タニシが箱の上にちょこんと座りながら、したり顔でうなずいた。
「いやーしかし、湯治あとの中年主人公。これは旅モノの王道でして。ここで“いてて……”って腰を押さえることで、読者に親近感と悲哀を」
「誰が悲哀だ。勝手に老け演出を盛るな」
「でもアニキ、めっちゃ押さえてるじゃないですか」
「押さえてるのは事実だよ!」
後ろから、ぱたぱたと小さな足音がした。
ステラが荷台の毛布の山から顔を出し、きょとんとした目で俺を見る。
「ぱーぱ、おじさん?」
「その質問、朝イチで刺さるなあ……」
さらに隣で、ルースが窓の外を見たまま、小さく言った。
「……中年」
「追撃やめろ。しかも冷静な声でやるな。じわじわ効くんだよ」
ステラは意味が分かっていないのか、けらけら笑っている。ルースは悪気があるのかないのか分からない顔で、また外へ視線を戻した。
荷台の後方では、工具箱を開いたカケル・テンドーが、片手でネジをくわえたまま笑っている。
「っは、いいねぇ。旅はこうじゃねぇとな。おっさんが朝から壊れかけてて、ガキどもに刺されて、んで俺が機関を延命する。最高に景気が悪くて最高だ」
「景気が悪いを褒め言葉みたいに使うな」
「だって実際、この子も朝から機嫌悪ぃんだよ」
カケルがごん、と車体の横を軽く叩く。旅用に魔改造した《ルステラ・キャリア》の機関部が、ぶすっと不機嫌そうな音を返した。
「都市に入る前に、俺ァ一回ここで潜る。砂が多い。吸気が詰まる。おまえらは先に偵察してろ。俺はマシンを見てから合流だ」
「別行動か?」
「別行動っつーか、いつもの保護者ムーブだろ。おまえらが突っ込んでる間に、俺が帰り道を死なせねぇ。そういう役回りだ」
そう言って、カケルはポケットから例の特別なコインを取り出し、親指で弾いた。
「ま、今回も――おまえらにBETするぜ」
「朝から酒くせぇまま決め台詞やるな」
「景気づけだよ」
「それ、昨日の残りだろ」
「細けぇこと言うな。大人は前日からの連続で生きてんだ」
「だめなおとなー!」
ステラが無邪気に言い放ち、ナツが吹き出す。
ルースだけが無表情でひとこと。
「……再現性が高い」
「おい。双子にまでクズ評価が浸透してるぞ」
荷台に転がる笑いは、まだ柔らかかった。
まだ、その時点では。
―――
笑い声が途切れたのは、ミコが黙ったからだ。
それまで荷台の縁に座って、風を受けながらぼんやり空を見ていた小さな背中が、すっと固まる。
俺は振り返った。
「ミコ?」
ミコは答えない。細い指先だけが、遠くの地平線の向こうを指していた。
「……ここ、あつい」
最初に反応したのはナツだった。
「え? でも、そこまでじゃなくないですか? 朝だし」
「ちがう」
ミコは首を振る。
「熱いじゃない。あつい。やな光」
その言い方に、助手席で地図代わりの端末を見ていたレイが、わずかに目を細めた。
俺はその横顔を見て、胸の奥に小さな引っかかりを覚える。
「……何か知ってる顔だな」
「まだ断定はしない」
レイは短く答えた。
「だが、たぶんミコの感覚は外れていない」
外を見たルースも、小さく息を呑んだ。
「……記録が、揃わない」
今度は、はっきりと分かった。
都市が近づいている。
そして、近づくほどに、双子とミコの反応が悪くなる。
ステラは意味が分からないまま、俺の上着の裾をつかんだ。
「ぱーぱ。なんか……かなしい」
朝の軽さが、すっと薄れる。
笑いの熱が引いて、代わりに別の温度が流れ込んできた気がした。
―――
荒野都市は、遠目には普通だった。
低い石壁。砂に削られた建物。ところどころに立つアンテナじみた柱。細い煙。開いている店。歩いている人影。
なのに。
妙に、静かだった。
人はいる。生活の形もある。だが、そこにあるはずの雑音が、ひどく薄い。
門代わりの見張り台の下で、くたびれた外套の男が顔を上げた。
「……止まれ。どこから来た」
「東側の温泉地からだ。補給と休憩、それから情報収集をしたい」
俺がそう答えると、男はぼんやりとうなずいた。
「東側の……温泉地、か」
そこで話は終わるはずだった。
なのに、男は数秒あと、もう一度こちらを見た。
「……で、どこから来た?」
「いや、今言ったでござるよ!?」
タニシが即座に噛みつく。男は本気で不思議そうに首をかしげた。
「……言った、か?」
ナツが笑おうとして、笑い切れずに口をつぐむ。
俺は軽口を返しかけて、やめた。
男の顔には、悪ふざけの色がまるでなかったからだ。
―――
門を抜けた内側でも、違和感は続いた。
通りの端で水瓶を運んでいた女が、途中で立ち止まり、自分の手元を見ている。
屋台の店主は、品を並べながら同じ順番を二度やり直した。
補給所では、さっき名乗ったばかりの俺たちに、受付の女がまた名を尋ねた。
「お名前を」
「だから、さっき書いただろ」
「……書きました?」
「書いた。そこにある」
俺が台の紙を指さすと、女は紙を見て、まばたきをした。
「あ……本当だ」
紙の横には、さらにいくつものメモが重なっていた。
〈今日の宿泊者を忘れるな〉
〈水の補給、午前〉
〈名前は二回確認〉
〈忘れたら、ここを見る〉
机だけじゃない。
壁にも。柱にも。棚にも。ありとあらゆるところにメモが貼ってある。――異常だ。
この街は、文字で自分をつなぎ止めていた。
ナツが小さく声を落とす。
「……なんすか、これ」
タニシもさすがに笑わなかった。
「いや、……ちょっと……想像よりだーいぶ、ヤな方向なんですが……」
その時、レイが静かに言った。
「マスター、人目の少ない場所へ行こう」
俺はうなずいた。
―――
補給所の裏手。風よけの壁に囲まれた狭い路地で、レイはようやく口を開いた。
「私は、お前たちより先にここへ来ていた」
「やっぱりか」
「実情を見せてから、話したかった。伝聞で済ませたくなかったからな」
レイは壁にもたれ、通りの方を見たまま続ける。
「この街は――すべてを、忘れていく」
「さっきの門番みたいにか」
「ああ。最初はその幅は小さい。だが、長くいるほど“昨日”が薄くなる」
ステラが俺の腕にくっつく。ルースはじっとレイを見ていた。
「病気じゃないのか?」
「少なくとも、普通の病ではない。呪いとも違う」
レイは一度、言葉を選ぶように目を伏せた。
「奪われている、というより……どこかへ預けられている感じがした」
「預ける?」
「全部消えているわけじゃない。残り方が不自然なんだ。人格の芯、強い感情、重要な名前――そういうものだけが、妙にしぶとく残っている」
そこで、ミコが壁に顔を寄せた。
鼻をひくつかせて、小さく言う。
「……焼けたにおい」
ナツが息を呑む。
「焼けた?」
「消えたんじゃない。焦げてる」
レイがその一言に、ゆっくりとうなずいた。
「私も、そう思っていた」
ルースが低くつぶやく。
「記憶だけじゃない。別の処理が、混ざってる」
言葉にしたのは短いひとことだけだったが、その声にはいつもよりはっきりした棘があった。
記録を読む側の子供が、不快そうに眉を寄せている。
ステラは逆に、誰かの悲しみに触れたみたいな顔で、路地の向こうを見ていた。
「ここ、ずっと……かなしいの、ある」
俺は壁に貼られた古いメモを一枚見た。
文字は途中から乱れている。
〈水を〉
〈水を運ぶ〉
〈今日は誰が〉
〈 を忘れるな〉
途中で、何を書こうとしていたのか分からなくなっている。
それがひどく、嫌だった。
―――
そのあと街を少し歩くだけで、異常は嫌でも見えてきた。
同じ自己紹介を二回する店主。
依頼札を手にしたまま、「これ、誰が受けたんだ」と首をひねる冒険者。
子供の顔を見て笑っているのに、その名だけがどうしても出てこない母親。
補助用の古いAI端末も、名前の照合ログだけ不自然に抜けていた。
そして、広場の片隅で、ひとりの子供が壁に貼りつくようにして絵を抱えていた。
ぐしゃぐしゃの紙に、丸い光みたいなものが何度も描かれている。
太陽にも見える。輪にも見える。記号にも見える。
ミコが足を止めた。
「……これ、空の印」
ルースが紙をのぞき込む。
「反復してる。同じ形が、少しずつ崩れてる」
ステラは、その子の顔を見て、そっと俺の手を握った。
「この子、わすれたくないの、もってる」
子供は俺たちを見上げ、きょとんとしてから言った。
「昨日、ここにおねえさんいたよ」
「……おねえさん?」
「いた。泣いてた。みんな、いないって言うけど」
レイがわずかに目を細める。
ナツが何か言いかけて、言葉を飲み込んだ。
タニシが、珍しくふざけない声でつぶやく。
「子供だけ、持ってるんすかね……消えたやつ」
誰もすぐには答えられなかった。
風が吹く。
紙が震える。
その絵の端に、ほんの一瞬だけ、焼け焦げみたいな褐色の筋が見えた気がした。
ミコが空を見上げる。
「……まだ、やな光ある」
―――
日が傾きはじめたころ、宿の一室に案内された俺たちは、最後にもう一度、その街の壁を見た。
寝台の横。窓の下。扉の裏。
どこもかしこもメモだらけだった。
〈朝、水を汲む〉
〈夕方、薬〉
〈泊めた人数を数える〉
〈名前を忘れるな〉
〈忘れたら、ここを見る〉
〈昨日のことを聞け〉
〈昨日のことを聞け〉
〈昨日のことを聞け〉
同じ文が、何度も重ねて書かれていた。
筆跡は途中から乱れ、最後の一枚には、震えた字でたったひとことだけ残っている。
〈わすれるな〉
俺は、その紙から目を離せなかった。
後ろで、レイが低く言う。
「ここでは、昨日が続かない」
その声だけが、妙に静かに響いた。
笑いの抜けた部屋の中で。
まるで、その一文だけは、忘れようがないみたいに。
つづく
■ゲーマーおっさん解説!
記憶を使うゲームって、地味に見えてかなりいやらしいんですよね。『神経衰弱』みたいな定番もそうですが、位置や順番を覚えるゲームほど、少しのズレが命取りになる。さっき見たはずなのに思い出せない、覚えていたつもりが違う。そういうズレがじわじわ効いてくるんです。反射神経じゃなく、記憶と集中力を削ってくるタイプのゲームって、派手さはないのに妙に疲れる。でもその疲れが、妙に気持ちよかったりするんですよね。
【今回の登場キャラクター紹介】
■マスター
腰の痛みと中年ネタを背負いながらも、旅の判断役を務めるおっさん主人公。
今回は、温泉明けのコメディから一転して、都市の異常を最初に“笑えないもの”として受け止める役。
■ナツ
元気と勢いで空気を回す前衛娘。
今回はツッコミ兼ムードメーカーとして活躍しつつ、街の異常に最初に戸惑う側でもある。
■タニシ
茶化し役兼へっぽこ弟分。
今回は前半でしっかりコメディを回しつつ、後半ではさすがに笑えなくなっていく担当。
■ルース
理性・記録・解析を担う双子の片割れ。
Node01〈記憶〉編では主共鳴役として、最初に「記録が揃わない」と異常を拾う。
■ステラ
感情・共感を担う双子の片割れ。
街に漂う悲しみや、子供たちの「忘れたくない」を先に感じ取る。
■レイ
先行調査済みの現地観測役。
この街の異常を、病気でも呪いでもない“別の処理”として見抜いている。
■ミコ
神権の熱や起動痕を嗅ぎ分ける感覚担当。
今回は「焼けたにおい」「やな光」として、記憶異常の奥にある別系統の干渉を最初に察知する。
■カケル・テンドー
旅用マシン《ルステラ・キャリア》の整備担当。
都市突入時は別行動が基本で、今回はコメディリリーフ兼、帰り道を死なせない裏方役として配置。
【今回の話の解説】
第59話は、Node01〈記憶〉編の本格導入回です。
この都市で起きているのは、単純な記憶喪失ではありません。
「昨日が続かない」「会った相手の名前が残らない」「でも人格の芯や感情の一部だけは消えきらない」という、歪んだ半壊れ状態です。
今回はまだ答えを出していませんが、
・ルースは記録の乱れ
・ステラは感情の痛み
・ミコは焼けた記憶の匂い
として、同じ異常を別々の角度から拾い始めています。
また、レイはすでにこの都市を先に調べていたことが判明。
ここから先は、「なぜ記憶が消えるのか」だけでなく、
「消えた記憶はどこへ行くのか」
が重要になっていきます。
【主人公の現在のステータス】
名前:NO NAME(通称:マスター)
状態:旅の初動/軽度疲労/温泉明けで腰やや重め
同行:ルース、ステラ、ナツ、タニシ、レイ、ミコ、カケル
現在地:Node01反応圏の荒野都市
備考:双子との旅に慣れつつあるが、父役適性は毎回現場叩き上げ
【所持アイテム・装備一覧】
・旅用外套
・基本携行武装一式
・補給水
・簡易食料
・携行メモ帳
・冒険者タグ
・ノード探索用の最低限の装備
・《ルステラ・キャリア》関連の整備部品(管理:カケル)
【ひとこと】
温泉のあとに来るのが、癒やしじゃなくて“昨日が残らない街”なの、だいぶこの作品らしくなってきました。
次回から、じわじわとこの街の嫌さと、Node01〈記憶〉の正体に近づいていきます。
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