第41話 おっさん、順番がズレたので、消えた子の話をすることになりました ――早く来た弟分より、見えなくなった“誰か”のほうがまずい件――
タニシの“早着”は、笑い話で済ませてはいけないズレでした。
そして、そのズレと同じ時刻に、ひとつの保護記録が薄くなります。
今回は《るすと》で、消えた子を追うための準備回です。
朝の《るすと》は、表向きだけ見ればいつも通りだった。
木のカウンター。昨夜の酒と煙の匂い。奥でゆらぐランタンの火。
常連たちが起き切っていない顔で飲む薄い茶。ムーニャンの露骨に機嫌の悪い耳。
――ただし。
その“いつも通り”の真ん中で、ひとりだけ朝から全力でうるさい奴がいた。
「だから拙者は被害者でござるよ!? 完全なる被害者! 道が歪み、荷車が跳ね、世界が拙者だけ先に吐き出したのでござる!」
床に座らされ、毛布だけ雑に渡されたタニシが、両手をばたばた、と振って主張する。
ムーニャンは冷えた目で見下ろした。
「朝からうるさいアル。被害者アピールの声量だけ元気アルな」
「元気を失ったら死ぬでござる!」
「死んでから言うアル」
そのやり取りを、俺――マスターはカウンターに肘をつきながら見ていた。
やかましいだけなら、まだ《るすと》らしい。
問題は、受付の双子がぜんぜん笑っていないことだった。
イツキは帳簿と半透明の管理ウィンドウを同時に開いている。
ミツキはその横で、別の記録を照合していた。
二人ともタニシの騒ぎを、BGM程度にしか扱っていない。
俺は目頭を押さえながら言った。
「……お前、ほんとに昨夜からいたんだよな」
タニシが胸を張る。
「そうでござる! 命からがら! 砂にまみれ! 転がり! 蹴られ! 辿り着いたのでござる!」
ムーニャンが眉をひそめる。
「蹴られたのは着いてからアル」
「そこは世界の一部として処理してほしいでござる!」
イツキが、顔も上げずに言った。
「いた。そこはもう確定してる」
タニシの顔がぱっと明るくなる。
「おお! ついに拙者の潔白が――」
「別に信じたんじゃなくて、確認が取れたの」
ばっさり切られて、タニシの顔が崩れた。
俺はイツキを見る。
「確認?」
イツキは指先を滑らせ、管理ウィンドウを一枚だけ前に出した。
「冒険者タグの緊急動画ログ。事故とかロストとか、そういう時だけ自動で切れる簡易記録。常時撮影じゃないけど、前後は拾う」
ミツキが小さく補足する。
「普段は本人も見られません。管理権限で開くやつなので……」
タニシが青ざめた。
「えっ。まさか拙者の、あの見苦しい逃走が保存されていたのでござるか」
ムーニャンが即答する。
「朗報アル。見苦しいのは現在進行形アル」
タニシが床に手をつく。
「朝から心が削られるでござる……」
イツキは躊躇いなく、記録を再生した。
半透明の画面に、短く揺れた砂の景色が浮かぶ。
黄塵圏の手前。荷車の軋み。誰かの声。
その上に、画面ごと二重になる景色。世界が、ほんの一瞬だけ左右にズレたような違和感。
ミツキが息をひそめる。
「ここです……」
記録の中で荷車が跳ねる。
タグの警告音が鳴る。
タニシの視界が派手に回転し、砂と空と木枠がぐちゃぐちゃに混ざったあと――見慣れた《るすと》の入口が、ありえない角度で映り込んだ。
そこで動画は終わった。
俺は眉をひそめる。
「……ほんとに、引っ張られてるみたいだな」
イツキは肩をすくめた。
「みたい、じゃなくて、そのまんま。事情聴取の内容も、緊急動画ログでも確認取れてる」
タニシが震える指で自分を指さす。
「ほ、本当に見たのでござるか……」
「見たよ。レイたちと一緒にキャラバン移動中、黄塵圏の手前で景色が二重化。荷車が跳ねる。タグが異常反応。で、あんただけ《るすと》側に引っ張られて転がり落ちた」
「そこまで冷静に説明されると、拙者がただの転がる素材みたいでござる!」
「実際そうでしょ」
「辛辣!」
ミツキが困ったように笑う。
「でも、“話を盛っているだけ”じゃないのは確かです」
俺は腕を組んだ。
「つまり、お前が速かったわけじゃない」
イツキがやっとこちらを見る。
「うん。“速く移動した”じゃない。“前倒しで接続された”に近い」
「本来まだ到着していない順番で、先に来てしまった感じです」
ミツキの言葉に、俺の胸の奥が冷える。
順番がズレる。
来るはずのないものが、先に来る。
だったら逆に――
先にあるはずのものが、消えることだってある。
その嫌な予感をなぞるように、イツキが別のログを開いた。
「で、問題はそこから」
俺は嫌な顔のまま言う。
「まだあるのか」
「ある。むしろこっちが本命」
イツキの指先が、一行を弾いた。
「タニシの緊急動画ログが走ったタイミングで、別の管理記録がひとつ薄くなってる」
ミツキが、ほんの少しだけ声を落とす。
「……ネムリちゃんの記録です」
その名を聞いた瞬間、胸の奥に引っかかるものがあった。
「ネムリ……?」
知らない名前じゃない。
けれど、思い出そうとすると輪郭が噛み合わない。
「……誰だったか、引っかかるな。知ってる気はする」
ミツキは責めるでもなく頷いた。
「はい。知っていておかしくないです」
イツキが肩をすくめる。
「忘れてるっていうか、順番が噛み合ってない感じかな」
俺は息を吐き、言い直す。
「それで、そのネムリがどうした」
「消えた、じゃない」
イツキの声は淡々としていた。
「“見えなくされてる”に近い」
その言葉に、俺は即座に答えていた。
「観測外し、か」
ミツキの指が、ほんの少しだけ強く端末を握る。
「……完全にゼロになったわけじゃないです。でも、あるはずの場所から、綺麗に外されてる感じで……」
タニシが青い顔で呟いた。
「それは……拙者よりだいぶ嫌な話でござるな」
ムーニャンも珍しく茶化さない。
「ようやく分かったアルか」
ミツキは俺の方へ向き直り、静かに言った。
「ネムリちゃんは、ギルド側でダイブ保護している子です」
「……保護してる子」
イツキが横から短く補う。
「唯一の子供。そこはさっきも説明したでしょ」
「悪い。頭の中で順番が噛み合ってない」
それは言い訳でもあり、本音でもあった。
知っているはずのことが、知識としては引っかかるのに、感覚として繋がらない。
ミツキは責めずに続けた。
「ネムリちゃんは、外に出していい子じゃありません。ギルド管理で、ずっと保護していた子です」
「だから、ただの行方不明じゃ済まない」
イツキの言葉は、短くて冷たい。
けれど、それだけに重かった。
「その保護ログごと、薄くなってるのか」
「はい……完全消失ではないです。でも、見つけにくくされてる感じが強いです」
いつのまにか近くの椅子に座っていたフー子が、煙を吐きながら笑った。
「早く来るも地獄、見えなくなるも地獄。忙しい世界じゃのう」
「楽しそうに言うな」
「楽しゅうはない。じゃが、面白くないとも言わん」
「最低だな」
「知っとる」
そのやり取りの直後、奥の通路から靴音がした。
ギルマスだった。
いつも通りの顔。
だが、目だけが少し硬い。
「ネムリの管理札、まだ返却扱いになってねぇ」
俺は顔を向ける。
「返却じゃない……?」
「死んだ処理でも、正式離脱でもないってことだ。いるのに届かねぇ」
ミツキが唇を噛む。
「ギルマス……」
ギルマスは帳簿とログを一瞥し、鼻を鳴らした。
「子供の保護ログは、そう簡単に消えねぇよ。消えたように見えるなら、誰かが隠してる」
イツキが苦い顔をする。
「言い方が重い」
「重い案件だからな」
その一言で、場の空気がさらに沈んだ。
ネムリは“消失した”んじゃない。
“見えないようにされた”。
そう考えたほうが、よほど自然だった。
そして、そんな異常を見られる奴がいた気がした。
白髪。胡散臭い笑い。助けてもらったような、怒られたような。
「……こういうの、誰か見られるやつがいた気がするんだよな」
イツキが即座に反応する。
「急に雑な思い出し方したね」
俺は眉を寄せたまま続ける。
「白髪で、胡散臭くて……助けてもらったような、怒られたような……」
ミツキが小さく頷いた。
「でもたぶん合ってます。ドクター・ジンです」
「ジン……」
その名が落ちてきた瞬間、輪郭が少しだけ戻る。
「……ああ、たしかに。知ってる気がする」
ギルマスが背を向けながら言う。
「医療区画だ。あのジジイなら、ログの擦れも身体のズレも診る」
フー子が煙をくゆらせる。
「しかもあやつ、気持ち悪いほど鼻が利く」
「褒めてるのかそれ」
「一応の」
俺は椅子から腰を上げた。
「行くぞ。タニシも連れてく」
「えっ、拙者また診られるのでござるか!?」
ムーニャンがタニシの襟首を掴む。
「お前は転がる側代表アル」
「その代表はいらないでござる!」
医療区画は、酒場の暖色から切り離されたような白さを持っていた。
薬品と金属の匂い。古い機材。乾いた空気。
けれど、ここだけは“助かるための技術”が、まだちゃんと残っている。
ドクター・ジンは、俺たちを見るなり最初にタニシを見て笑った。
「ほっほ。こやつ、ただ転がってきた顔ではないのう」
タニシが即座に抗議する。
「また顔で判断されたでござる!」
そのやり取りに、胸の奥で小さな既視感が走った。
ああ、こいつだ。
こういう軽口を叩きながら、目だけはちゃんと見る奴。
「……あんたに会ったこと、あるよな」
ジン老はにやりと笑う。
「あるかもしれんし、ないかもしれん。じゃが、助けられた気がするなら、だいたいわしじゃ」
「雑――」
イツキが切る。
「事実じゃ」
そう言いながら、ジン老の指はもうタニシのタグと手首を見ていた。
視線、脈、タグ、瞳孔。動きに無駄がない。
「ふむ。身体を見れば分かる。こやつ、座標の擦れ跡が出とる」
「分かるのか」
「分かるとも。回収未満、救出未満、接続事故寄り。いちばん質の悪い中間じゃな」
イツキがげんなりする。
「最悪の中間表現きた」
ジン老は気にせず続けた。
「神権ログにも少し擦られとる。雑に殴られたんじゃない。何かの処理の端に引っかかった感じじゃ」
ミツキが不安そうに問う。
「……ネムリちゃんと似ていますか」
ジン老はすぐには答えない。
少しだけ黙ってから、低く言った。
「完全一致ではない。が、同じ川の水の匂いはする」
俺は眉を寄せる。
「同じ水脈の異常、ってことか」
「そういうことじゃ。片方だけ見ても分からん。繋げて見んといかん」
その時、区画の奥、薄いカーテンの向こうから小さな声がした。
「先生。再使用ログなし。初発です」
姿は見えない。
だが、細い手が端末を打つ気配と、灰白色のコートの裾だけは見えた。
一瞬、銀フレームの反射が光る。
ジン老が鼻を鳴らす。
「見りゃ分かる」
「分かっていても記録します」
若い声。淡々としていて、妙に冷静だ。
俺は目を向ける。
「……誰だ?」
「小うるさいが優秀な手伝いじゃ。今は気にするな」
カーテンの向こうの気配は、それ以上前に出てこなかった。
ただ、居ることだけが妙に印象に残る。
ジン老は椅子にもたれながら続けた。
「で、ここから先じゃが。診るだけでは足りん」
「足りないって顔してるな」
「足りん。こういうのは追うだけでも駄目じゃ。繋ぎ戻す側が要る」
「……誰のことだ、それ」
ミツキがすぐに答える。
「タマモさんです」
また、胸の奥がざらつく。
知らないわけじゃない。だが、今の俺の中ではうまく繋がらない名前。
「タマモ……」
イツキが説明を引き取った。
「アンカークラス。ダイブ中に切れかけた接続とか、迷子になった意識とか、そういうのを拾って戻す側の人」
「また知ってる気がする名前だな……」
ミツキが静かに頷く。
「とても頼りになる方です。少なくとも、“まだ残ってるもの”を探すのは上手いです」
ジン老も珍しく素直に肯定した。
「医者は状態を読む。アンカーは、消えかけた先を掴む。役割が違う」
フー子が壁際から笑う。
「ほほ。今度は拾う側を呼ぶか」
俺は少しだけ黙った。
思い出すのを待っていても、たぶん間に合わない。
今必要なのは、記憶の整合じゃない。掴みに行く判断だ。
「……そうか」
ミツキが端末を構える。
「呼びますか?」
「呼ぶ。今すぐだ」
イツキも補助ログを開く。
「遅延したら洒落にならないしね」
タニシがおずおずと手を上げる。
「ちなみに拙者は……」
ムーニャンが即答する。
「転がる側代表アル」
「まだ続くのでござるかその役職!?」
その直後だった。
ミツキの指先が、ぴたりと止まる。
「……待って」
全員の視線が集まる。
「何」
イツキが顔を寄せる。
ミツキは早口にならず、だが確かに言った。
「まだ反応、あります」
俺は一歩、画面へ近づく。
「どこだ」
「薄いです。でも、ネムリちゃんの保護タグ、完全には切れてません」
空中に、小さく明滅する管理線が浮かんだ。
ほとんど消えかけの、細い糸。
それでもゼロじゃない。
区画の入口から、ギルマスの低い声が飛ぶ。
「生きてるとも断言できねぇ。だが、終わってもいねぇな」
遅れて、ルステラの声が静かに割り込んだ。
『推奨:即時対応』
その一言で十分だった。
俺は、明滅する細い光を見る。
待っていれば助かるような線じゃない。
むしろ、待てば待つほど、手の届かないところへ流れていく類の反応だと分かった。
「……だったら待たない」
フー子が細く笑う。
「今度は、早いもん勝ちじゃのう」
俺は頷きもせず、ただ言う。
「行くぞ。今度は、間に合ううちに掴む」
空中に、短い管理ログが走った。
《観測外し個体:残存反応 微弱》
《接続先未確定》
《救出猶予:短》
その文字は、やけに冷たく見えた。
けれど――ゼロじゃない。
まだ、終わっていない。
◆今回の登場人物
マスター(NO NAME)
《るすと》の中心にいる男。順番のズレにまだ頭が追いつかないが、掴むべきものは直感で外さない。
タニシ
転がる側代表。今回は“早着したズレの証拠”として、だいぶひどい扱いを受けた。
イツキ
帳簿と管理ログを読む姉。緊急動画ログの確認や、順番のズレの言語化を担う有能受付嬢。
ミツキ
感覚と補助の妹。ネムリの保護タグの微弱反応を最初に拾った。
ムーニャン
今日も辛辣な猫娘。だが今回は、茶化しすぎず場を締める側でもあった。
ギルマス
短く重い言葉だけ置いていく存在。子供の保護ログの重みを誰より知っている。
ドクター・ジン
胡散臭いのに頼れる老人医師。ログの擦れや神権の“匂い”を読む役。
フー子
風来の魔女。煙を吐きながら、面白がるように世界のズレを眺めている。
ネムリ
ギルドがダイブ保護している唯一の子供。現在、“観測外し”に近い状態で記録から薄くなっている。
タマモ
今回は名前のみ。切れかけた接続や迷子の意識を拾い戻す“アンカー役”。
■主人公の現在のステータス(一般表示)
名前:NO NAME(通称:マスター)
冒険者等級:黒曜
LV:2
HP:32/32
MP:10/10
SAN:78/100
スキル:
・《オーバードライブ Lv.1》
・《削減耐性(小)》
所持アイテム/装備:
・冒険者タグ
・通常装備一式(簡易防具+携行具)
・酒場由来の例外的補正(詳細非公開)
次話――アンカーを呼び、消えかけた子を追います。




