第36話 SAVE POINT 01 後編 最初の事故だった ――知っているはずの始まりが、もう違う――
白く壊れた世界の先で、マスターは“最初の死”から巻き戻される。
戻った先は酒場ではなく、異世界へ来る直前の現代日本。
だが、本人だけが知らない。これは本当の“最初”ではない。
第36話 SAVE POINT 01 後編 ― 最初の朝だと思ったら、最初の事故でした――
白かった。
何もかもが、白い。
上下もない。
床もない。
落ちているのか、浮いているのかすら分からない。
ただ、冷たくも温かくもない光の海に、自分の意識だけが残っていた。
「……は」
声が出たのかどうかも分からない。
喉の感覚がない。肺もない。
それでも、自分が“まだ消えていない”ことだけは分かる。
白の奥に、淡い色が滲んだ。
青。
桃。
それがゆっくり輪郭を持つ。
ツインテール。
片目を覆う透過バイザー。
発光ラインの走る黒いボディスーツ。
ルステラだった。
だが、いつもの彼女と少し違う。
酒場奥で見る半透明の案内役とも違う。
もっと近くて、もっと遠い。
触れられそうで、絶対に触れられない位置にいる。
彼女は片手をこちらへ差し伸べていた。
「マスター」
声は静かだった。
ノイズが少ない。
むしろ静かすぎて、逆に怖い。
「世界維持率、限界値を下回りました」
HUDが、白の中に浮かぶ。
【SYSTEM】
WORLD FAILURE:CONFIRMED
【RUST NODE】
PROTECT:IMPOSSIBLE
【EXCEPTION CORE】
MIGRATION:AVAILABLE
何を言っているのか、半分も理解できない。
だが、ひとつだけ分かる。
――るすとを守れなかった。
それだけは、言葉にされる前から胸の奥へ落ちてきた。
「ルステラ……」
自分の声が、今度はちゃんと聞こえた。
弱い。かすれている。
死にかけた直後の声だ。
「みんなは」
ナツ。
コハク。
ガロ。
タニシ。
ムーニャン。
最後に見えた顔が、順番に浮かぶ。
特に、タニシの泣き顔。
『兄貴、ごめんでござるぅぅぅ!!』
耳の奥で、まだ響いている。
ルステラは一瞬だけ、まばたきした。
「観測中」
その言葉のあと、ほんの僅かに沈黙する。
「……回答を保留します」
「保留って、おい」
「現在、最優先はマスターの座標固定です」
白い空間のどこか遠くで、ガラスにひびが入るような音がした。
一本。
二本。
三本。
世界が、もう保たない。
ルステラの差し出した指先の横に、細いフレームが組み上がる。
光の文字列。
座標軸。
ログ。
【SAVE POINT】
01
その数字を見た瞬間、心臓を直接掴まれたみたいに息が止まった。
「……01?」
初めて見るはずの数字なのに、嫌な既視感がある。
もっと何度も見てきたような、不気味な懐かしさ。
ルステラが、今度は少しだけ人間らしい声で言った。
「戻します」
「どこに?」
「選択済み保存点へ」
「選択……?」
問い返した瞬間、視界の端に妙なログが走る。
【LOG HIDDEN】
【NO DATA】
【PROCESS SKIPPED】
なんだそれ。
問いただす前に、ルステラが手を伸ばす。
白が、裏返った。
クラクションが鳴った。
爆音。
耳を劈く金属音。
冷たい夜気。
街灯の明かり。
アスファルトに濡れた交差点。
次の瞬間、俺は息を吸っていた。
「――っ!」
肺が痛い。
喉が熱い。
心臓が、胸の中で暴れている。
目の前を、トラックのライトが白く塗りつぶす。
横断歩道。
信号の点滅。
コンビニ袋をぶら下げたサラリーマン。
スマホを見たままふらつく高校生。
――知っている。
この景色を、俺は知っている。
「……は?」
意味が分からない。
だが、身体が先に動いた。
「危ねぇ!!」
叫んでいた。
考えるより前に、足が地面を蹴る。
腕を伸ばす。
ぶつかる。
押す。
高校生の身体が横へ弾かれる。
その一瞬、少年の驚いた顔が見えた。
見覚えはない。
でも、この表情ごと全部知っている気がした。
次に来たのは衝撃だ。
鈍いとか鋭いとかじゃない。
身体の輪郭ごと持っていかれるような、理不尽な圧。
世界が横に折れた。
音が消える。
色が千切れる。
視界が真っ黒に塗りつぶされる――はずだった。
だが。
闇の代わりに、ログが走った。
《致命的損傷を検知》
《意識の消失まで 0.9秒》
背筋が冷える。
これも、知っている。
知らないはずなのに。
「なんだ……これ」
痛みより先に、違和感が来る。
事故の瞬間に、人はこんな風にログを読むのか?
いや、読んだことがある。
どこで?
思い出す前に、黒い空間の奥で光が灯った。
誰かがいる。
人影。
輪郭は見えない。
男か女かも分からない。
ただ、こちらを見ている。
なぜか、その“誰か”を見た瞬間、懐かしさが込み上げた。
知らない。
でも、置いていかれたような気がする。
空間のどこかから、機械的な声が響く。
《緊急処理を開始します》
《空間維持プロセス:起動》
《接続先:中間層〈るすと〉》
《プレイヤー識別:未登録》
喉が動く。
「……誰だ」
問いかけた相手は、あの人影なのか、声なのか、自分でも分からない。
影は一歩だけ近づいた。
その瞬間、視界の端に別の文字が走る。
《回収判定:保留》
背筋が、ぞくりとした。
回収。
その単語だけが、嫌に重い。
影が、口を開いた。
「またすぐにお会いしましょう、マスター」
ぞっとするほど穏やかな声だった。
知らない声だ。
なのに、胸の奥が痛い。
「……っ」
言い返そうとした瞬間、空間が崩れた。
黒が白に反転し、白が色を取り戻す。
最初に感じたのは、酒の匂いだった。
次に、木材の匂い。
火。
スープ。
煙。
背中に硬い感触。
床ではない。長椅子か、寝台か。
俺は目を開けた。
石造りの天井。
揺れるランタン。
どこか古いゲームの町みたいな、やけに都合よく“異世界っぽい”内装。
「……え」
喉の奥から、間抜けな声が漏れる。
見慣れない。
いや、見慣れている。
分からない。
身体を起こしかけて、頭がぐらりと揺れた。
その瞬間。
「お、起きた」
女の声。
振り向く。
そこにいたのは、双子だった。
よく似た顔。
だが雰囲気はまるで違う。
一人はやや軽い口元で、帳簿を片手にこちらを見ている。
もう一人は少し柔らかい目で、心配そうに覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?」
「いきなり倒れてたんで、ちょっと焦りました」
言われて、意味が分からなくなる。
倒れていた?
俺が?
どこから?
清楚な雰囲気の少女が、少しだけ首をかしげる。
「……初めて、ですよね?」
隣で帳簿を持った、少し気だるげなもう一人が言う。どう見てもコギャルだ。
「この人、名前、まだ出てないんだけど」
「あ、すみません。わたし、ミツキです」
柔らかい目をした少女が、ぺこりと頭を下げた。
「で、こっちがイツキ。私の姉です。」
帳簿を持った方が、面倒くさそうに肩をすくめる。
「受付やってるから、覚えといて」
イツキ、ミツキと名乗った二人。初めて会ったはずなのに、どうにもそうは思えない。
隣のイツキが帳簿に目を落としながら言う。
「...で。おじさんの名前、まだ出てないんだけど」
その一言で、視界の端にHUDが点いた。
《名前:NO NAME》
ぞくり。
その表示を見た瞬間、妙な安心と不快感が同時に来た。
「NO NAME……?」
思わず口に出すと、イツキが肩をすくめた。
「そーいう表示。たまにある」
「まあ、珍しいけど」
珍しい。
それだけで済ませる顔じゃない。
イツキの視線は、俺を“覚える側”の目で見ていた。
ミツキが笑う。
「でも、ここでは大丈夫です」
「ここ、ギルド酒場ですから」
るすと。
その名前を聞いた瞬間、胸の奥で何かが震えた。
木のカウンター。
ボトルの並ぶ棚。
クエストボード。
煙の残り香。
全部、初めて見るはずなのに、帰ってきた場所みたいに感じる。
遠くで笑い声がした。
グラスが当たる音。
誰かが椅子を引く音。
そのどれもが、妙に懐かしい。
俺は額を押さえた。
「……夢」
口に出したが、すぐ違うと分かった。
こんなに匂いがあって、痛みがあって、細かい埃まで見える夢があるか。
「夢じゃないですよ」
ミツキが即答する。
「たぶん」
「たぶんかよ……」
思わずツッコんだ瞬間、自分で少し驚いた。
なんでこのテンポが自然なんだ。
イツキが、帳簿に何かを書き込みながら小さく呟く。
「……ログ」
「ん?」
「いや、なんでもない」
今の言葉を拾う前に、別の気配がした。
視線。
そちらを見る。
カウンター奥。
薄暗い場所。
誰もいないはずの空間。
そこに、一瞬だけ淡い光が見えた気がした。
青と桃。
ツインテール。
だが、次の瞬間にはもうない。
代わりにHUDの隅に、小さなノイズが走る。
【LOG HIDDEN】
【PROCESS SKIPPED】
「……なんだよ、それ」
思わず呟くと、イツキとミツキが顔を見合わせた。
「どうしたんですか?」
「今、何か見えた?」
答えようとして、言葉が詰まる。
見えた。
けど説明がつかない。
「……いや」
その時だった。
入口の方で、ばたんと扉が開いた。
「おーい! なんか変な顔した新入りが起きたって聞いたっス!」
元気すぎる声。
短槍を肩に担いだ女が、土足で勢いよく入ってくる。
健康的で、まっすぐで、距離が近い。
――ナツ。
その顔を見た瞬間、心臓が跳ねた。
「……っ」
息が詰まる。
ナツはそんなこと知るはずもなく、こちらへ大股で近づいてきた。
「おっ、ほんとだ! 起きてる!」
「大丈夫っスか? ここ、初めてだとだいたいみんな変な顔になるんで!」
変な顔してるのは、お前を見た俺の方だ。
言いたかったのに、喉が詰まる。
だって俺は、ついさっきまでこいつの泣きそうな叫びを聞いていた気がする。
(『先輩ぇぇぇッ!!』)
耳鳴りみたいに、残響だけが蘇る。
ナツが不思議そうに首をかしげる。
「……え、なにその顔」
「いや……」
俺は目を逸らした。
「なんか、お前の声、知ってる気がして」
「おじさん、さっそくナンパっスか?」
「違ぇよ」
「即否定は傷つくっスね!?」
そのやり取りを見て、イツキが肩をすくめ、ミツキが小さく吹き出した。
笑い声。
やけに温かい。
その時、入口の下の方から、別の気配がぴょこっと覗いた。
大きな耳。
ふさふさの尻尾。
桃色の髪。
コハクが、半分だけ顔を出してこちらを見ていた。
「……あっ」
そして次の瞬間、なぜか尻尾をぶわっと振った。
「おじさん、どこかで会った気がするでござる!」
ナツが振り向く。
「は!? 初対面でそれ言う!?」
「いや、ほんとでござる!」
「なんか、すごくご主人様っぽ――」
そこまで言って、コハク自身が口を押さえた。
「……あれ?」
空気が、一瞬だけ止まる。
イツキが目を細める。
ミツキも首をかしげる。
俺は、心臓の音が変わるのを聞いた。
今の、なんだ。
コハクは自分で言った言葉に一番驚いていた。
「い、今のなしでござる!」
「忘れてほしいでござる!」
その慌て方が、逆に不自然だった。
ピエロのような恰好をした男の笑い声が、どこか遠い場所で一瞬だけ聞こえた気がした。
気のせいだと思いたい。
だが、るすとの空気そのものが、ほんの少しだけ“前にもこうだった”と囁いてくる。
俺はゆっくり立ち上がった。
足が少しふらつく。
けれど立てる。
視界の端。
クエストボード。
受付。
扉。
ランタン。
全部が、妙に収まりがいい。
そして確信めいた違和感が、喉元まで上がってきた。
「……なんだこれ」
誰に向けた言葉でもない。
だが、その問いに答えるみたいに、HUDの隅で一瞬だけ青い光が点いた。
【SAVE POINT 01】
【RESUME:COMPLETE】
瞬きする。
消える。
見間違い、だと思いたい。
扉の外では、夜風が鳴っている。
異世界の夜。
初めてのはずの夜。
なのに俺は――
ここから始まることを、少しだけ知っている気がした。
続く。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回は SAVE POINT 01 後半。
死の直後から、事故の瞬間、そして再び酒場へ戻るまでを書きました。
“最初に見える景色”が、もう一度並び始めた回です。
次回からは、最初のはずの世界を、最初ではない違和感と一緒に進めていきます。
■今回の登場人物
・マスター(NO NAME)
最初の死から巻き戻された主人公。
覚えてはいないが、身体と感情の奥に“残り”がある。
・ルステラ
セーブポイントを起動し、マスターを保存点へ戻した存在。
白い空間での彼女は、いつもより明確で、いつもより遠い。
・イツキ
受付の姉。
平然としているようで、ログの違和感を拾い始めている気配がある。
・ミツキ
受付の妹。
柔らかく迎え入れるが、空気のズレには敏感。
・ナツ
元気よく登場する行動派。
本人は何も覚えていないはずなのに、マスター側だけが強い既視感を受ける。
・コハク
初対面のはずなのに、なぜかマスターを“ご主人様っぽい”と感じてしまう犬獣人。
本能が何かを拾っている可能性を匂わせる存在。
■マスター現在ステータス(一般視点)
名前:NO NAME
通称:マスター
等級:未確定
HP:低下から回復途中
MP:不明
SAN:不安定
カルマ:不明
危険度:判定不能
状態:保護直後/記憶混線気味
■所持アイテム・装備
・ギルドタグ(未確定)
・私服一式
・未整理ログ
・保留状態の接続情報




