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異世界ゲームバー転生おじさん(42)、世界のバグになる。 〜看板は酒場、ノルマは命。AI神権に管理された世界で、名前のないマスターは今日も死に戻る〜  作者: 勇者ヨシ君
第1章 異世界ギルド酒場”るすと”へようこそ!

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幕間 SAVE POINT:未選択肢 μ ――選ばれなかった道が、まだそこにある――

最初を少し変えただけで、世界は静かに軋み始めた。

ログに残らない分岐は、消えたわけじゃない。

今回は、誰にも選ばれなかった“もうひとつの夜”の話です。

深夜の《るすと》は、昼よりも音が少ない。


 笑い声も、ジョッキのぶつかる音も、クエスト帰りの足音も消えたあとの酒場は、別の場所みたいに静かになる。

 ランタンの火だけがゆらゆらと揺れて、木のカウンターに長い影を落としていた。


 俺はその光景を、少し離れた席からぼんやり眺めていた。


 頭は重い。

 身体もだるい。


 けれど、疲労だけじゃない。


 胸の奥に、妙な()()()が残っている。


 最初の()()()()()()()()()()()

 そこだけは、はっきりしていた。


 そのために俺は、ギルマスに聞いた。

 クエストの別の受け方はあるか、と。


 そして、あの最初の流れを変えた。


 たったそれだけのはずなのに、世界の表面が、ほんの少しだけ違って見える。


「……お姉ちゃん」


 カウンター奥で、ミツキの声がした。


「うん。分かってる」


 返したのはイツキだ。

 双子の受付嬢の姉妹は、閉店後の帳簿整理をしていた。


 ぱらり。

 紙をめくる音が、夜の酒場には妙に大きく響く。


「何か、おかしい?」


 ミツキが小声で言う。


「おかしいよ」


 イツキはあっさり答えた。


「ただし、“間違ってる”んじゃなくて、“合わない”」


「合わない?」


「使用マナ量、ボード反応、入口の開閉ログ、補助処理の微増(びぞう)……数字だけなら、今夜は一回、初回クエストに近い流れが走りかけてる」


 そこでイツキの指が止まる。


「なのに、受注記録がない」


「え?」


「失敗ログもない。キャンセルログも薄い。

 でも、始まりかけた数値(スコア)だけ残ってる」


 ミツキが帳簿をのぞき込み、困ったように眉を寄せた。


「……始まったのに、始まってない、みたいな?」


()()ね」


 イツキは面白がるでもなく、怖がるでもなく、ただ淡々と告げた。


「“始まる前に、枝だけ折れた”みたいな数字」


 その言葉に、俺の喉が少しだけ詰まる。


 枝。


 その言い方が、妙に引っかかった。


「煮直した鍋の匂いがするのう」


 いつの間にか、カウンター端のスツールにフー子が座っていた。


 煙を細く吐きながら、いつもの気の抜けた顔でこちらを見てもいない。


 なのに、言葉だけは妙に核心を()めていく。


「わっ……フー子さん、いたんですか」


 ミツキが肩を跳ねさせる。


「おるよ。最初からの」


 フー子はくくっと喉で笑った。


「おぬしらが気づくより、鼻が先に気づいただけじゃ」


「帳簿を見なくて分かるの?」


 イツキが()く。


「見んでも分かる。

 同じ夜をもういっぺん火にかけたくせに、底の味だけ違う」


「同じ夜……?」


「正しくは、“同じになるはずじゃった夜”かえ」


 フー子が紫煙をふっと吐き出した。


「誰かが、選ばんかった枝を捨てきれずに残した」


 ぞわ、と腕に鳥肌が立つ。


 俺はまだ何も言っていない。

 何も説明していない。


 なのに、この魔女は、最初から全部分かっているような顔をする。


「残した、か」


 イツキが帳簿を閉じる。


「捨てたつもりでも、残るもんは残る。ことに――」


 フー子が、ようやくこちらへ視線を向けた。


「選ばれなんだ可能性っちゅうのは、後からよく腐る」


 その目は、からかっているようでいて、少しも笑っていなかった。


 俺は視線を逸らすように、椅子の背にもたれる。


 だるい。


 いや、違う。


 眠い、のか。


「マスター、顔色わるいよ?」


 ミツキが心配そうに言う。


「ちょっとだけ、休む」


「そうしとき。今のおぬし、思ってるより“揺れてる”ぞ」


 フー子のその言葉に、返事はしなかった。


 返したくなかった。


 揺れている。

 それは自分でも分かっている。


 止めた。

 変えた。

 あの最初だけは、前と違う始まり方を選んだ。


 なのに、助かった感じがしない。


 椅子に深く座り直し、目を閉じる。


 少しだけ。

 ほんの少しだけ休めば、頭も整理できるはずだ。


 暗闇の裏に、薄いHUDが浮かぶ。


《フメイノ残留ノイズ、検出》


 ルステラの機械じみた声が、耳の奥で鳴った。


《系統照合中……》


 数秒の沈黙。


《……ショウゴウ不能》


「照合不能?」


 目は閉じたまま、俺は小さく呟く。


《管理系統外ノ可能性》

《オススメしません》


「お前が分からないものを、俺に分かれってか……」


《ネムルコトヲ推奨シマス》


「雑だな、おい……」


 言い終える前に、足場が抜けた。


 眠りに落ちた、とは少し違う。


 意識そのものが、椅子から滑り落ちるみたいに、すとん、と沈んだ。


    ◇


 音が、ない。


 目を開けたはずなのに、最初に分かったのは静けさだった。


 白い演算光ではない。

 黒い闇でもない。


 紫がかった黒。

 それとも、黒く沈んだ紫か。


 上も下も曖昧な空間に、俺だけが立っている。


「……なんだ、ここ」


 声は吸われるように薄く消えた。


 HUDだけがやけに鮮明だ。


《観測対象外領域:仮固定》

《未選択分岐:保持》

《最適化未承認》

《削除待機ログ:隔離》


「未選択、分岐……?」


 意味が分かるようで、分からない。


 その瞬間、空間がぴしりと割れた。


 いや、割れたように見えた。


 目の前に、一つの光景が差し込まれる。


 ギルドの夜。

 クエストボード。

 ギルマスの声。


『ほらよ、新人。最初は黙って潜れ』


 知っている。

 いや、知っていたはずの流れだ。


《WORLD LOAD》

《接続安定》

《代替損耗:発生》


 視界の端で、誰かの影がよろめいた。

 声がする。

 けれど、その顔だけが見えない。


「誰だ、今の……!」


 答えが来る前に、光景は砕けた。


 次の断片。


『受けない。絶対にだ』


 それは、俺自身の声だった。


 ギルマスでも、酒場でもない。

 もっと無理やりに拒絶した何か。


 そのあとに、別の足音。


『え、俺……?』


《補充受注者:仮登録》

《危険割当:再計算》


 胸の奥が、ぎゅっと縮む。


「……俺が避けたぶん、誰かに流れたのか」


 また砕ける。


 三つ目の断片。


 クエストボード横。

 ギルマスの口元が、少しだけ上がる。


『――お前が“前と違う始まり方”を選んだんならな』


 それは、ついさっき聞いたばかりの言葉だった。


 俺はたしかに、あの夜を少しズラした。


 たった一枚。

 たった最初の受け方。


 それだけのはずなのに。


《初期処理:逸脱》

《主経路:再計算》

《観測外反応:発生》


「観測外……?」


 ぞっ、とした。


 今度は光景の向こう側から、何かがこちらを見た。


 目。


 そうとしか呼べない気配。


 姿も輪郭も曖昧なのに、見られている感覚だけが、はっきりとあった。


「……誰だ」


 黒紫の向こうに、揺らぎが立つ。


 人影、に近い。

 けれど、人間の輪郭としてはどこか足りない。


 肩の後ろに垂れた何か。

 空っぽの袋みたいな影。

 角のような、折れた枝のような線。


「これを見せたのは、お前か」


 数拍遅れて、声が返ってきた。


 男でも、女でもない。

 冷たいのに、妙に近い。


『見せた、というより――隠さなかった、が近い』


「何が目的だ」


『目的?』


 声が、少しだけ笑った気がした。


『そんな綺麗なものじゃない』


 揺らぎが一歩、こちらへ近づく。


『私は助けない』


 その一言で、空間の温度がさらに下がる。


『すべての可能性を()()()()()だ』


「助けない、だと」


『救いを欲しがるのは、お前たちの癖だ。

 正解を欲しがるのは、管理者の癖だ』


「管理者……?」


『ひとつを選べば、他は死んだことになる。そう扱うのは、父の流儀だ』


「父? 何を言ってる――」


『だが、死んでいない』


 声は淡々としている。

 怒りも、慈悲もない。


『選ばれなかっただけの未来は、まだ残る』


 背筋が冷える。


 こいつは、さっきの三つを“未来”と言ったのか。


「それで、俺に見せたのか」


『お前が選んだからだ』


「……何を」


『ひとつズラした。

 与えられた始まり方ではなく、自分で始まりを選んだ』


 揺らぎの奥、二つの光が一瞬だけ覗いた。


 眼光、に見えた。


『だから、お前は見える側に片足を入れた』


「ふざけるな」


 思わず声が荒くなる。


「見せられたところで、答えがないなら意味がないだろ」


『あるさ』


 そいつは即答した。


『選ぶ痛みを、自分のものとして引き受けられる』


「それのどこが救いだ」


『救いではない』


 少しの間。


『だから私は、助けない』


 次の瞬間、胸に鈍い痛みが走った。


「っ……!」


 息が詰まる。


 知らない感情が、一気に流れ込んできた。


 間に合わなかった焦り。

 見捨てたような後悔。

 (つか)めたはずの何かを落とした喪失感(そうしつかん)


「ぐ、ぁ……!」


 (ひざ)が折れる。


 選んでいない。

 俺は、その未来を選んでいないはずだ。


 なのに、感情だけが本物みたいに胸を(えぐ)る。


『それは、お前のものじゃない』


 揺らぎが見下ろしている。


『だが、お前が見なかったものだ』


「知らない……!」


 吐き捨てるように叫ぶ。


「こんな感情、俺は知らないはずだ……!」


『選ばなかった未来にも、感情はある』


「黙れ!」


『黙らない』


 冷たい。

 だが、突き放すだけではない。


 それが余計に質が悪かった。


『消されるだけなら、せめて一度は見届けろ』


 その言葉が、胸の奥に棘みたいに刺さる。


 見届けろ。


 ふざけるな。

 そんなものを見せられて、どうしろっていうんだ。


「待て……!」


 空間がほどけ始める。


 黒紫の揺らぎが、霧みたいに薄くなる。


「せめて、名前を――」


 消えかけたそれが、ほんの少しだけ振り返ったように見えた。


『名は、必要か?』


「……必要だ」


 短い沈黙。


『なら、今はこれでいい』


 HUDの中央に、一文字だけが浮かぶ。


《μ》


『読めるようになったら、また会う』


 そこで、全部が砕けた。


    ◇


「……っ!」


 がばりと身体を起こす。


 見慣れた酒場の天井。

 ランタンの光。

 木の匂い。


 《るすと》だ。


 夢――。


 そう片づけようとして、すぐに無理だと分かった。


 後味が悪すぎる。


 胸の奥に残った喪失感が、生々しすぎた。


《フメイノ残留ノイズ、継続》

《情動残滓:高》

《SAN低下ヲ確認》


「勘弁してくれ……」


 額を押さえながら立ち上がる。

 寝ている間に、全身から汗が噴き出していたようで、着ていたTシャツはびっしょりと濡れていた。


 カウンターのほうでは、イツキとミツキがまだ帳簿を見ている。


「へえ」


 イツキが小さく声を漏らす。


「どうしたの、お姉ちゃん?」


「これ、書いた覚えないんだけど」


 帳簿の端を見て、俺は息を止めた。


 小さな記号。


 枝分かれした線にも見える。

 だが、俺にはもう、それが別のものにしか見えない。


《μ》


「……何だ、それ」


 俺の声が思ったより低く出た。


 ミツキが首をかしげる。


「文字、なのかな……?」


「文字とは限らんよ」


 フー子がまた煙を吐く。


 さっきと同じ席。

 まるで、最初から全部見ていたみたいな顔で。


「正解をくれん奴の置き土産じゃ」


「は?」


「助けてはくれん。じゃが、見せるだけ見せて帰る」


 フー子の目が細くなる。


「そういう手合いは、あとでいちばん効く」


 俺は帳簿の端の記号を見つめる。


 夢じゃない。


 少なくとも、ただの夢ではない。


 助けない。

 すべての可能性を見せるだけだ。


 そんなものを見せられて、どうしろっていうんだ。


 ――けれど。


 見せられてしまった以上、もう“知らなかった”とは言えない。


挿絵(By みてみん)


 選ばなかった未来は、消えたんじゃない。


 まだ、こちらを見ている。

■今回の登場人物


・マスター(NO NAME)

最初の強制ダイブだけは止めるべき、という主記憶を頼りに初手を変えた主人公。今回は“選ばなかった未来”の感情だけを見せられることになる。


・イツキ

双子受付嬢の姉。帳簿とログのズレに最初に気づく、合理主義寄りの観測者。


・ミツキ

双子受付嬢の妹。数字より空気で異変を感じ取る共感型。今夜の《るすと》の“味の違い”を直感的に受け取っている。


・フー子

風来の魔女。匂いと勘で、世界のズレを先に嗅ぎつける側。今回も核心だけを濁して置いていく。


・ルステラ

マスターの視界に補助ログを出すAI存在。今回は“管理系統外”の何かを検知するが、照合できない。


・μ

まだ正体不明。助けず、正解も与えず、ただ“すべての可能性を見せるだけ”の何か。

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