第35話 SAVE POINT 01 前編 最初の朝へ戻る ――やり直しは、救いより先に違和感を連れてくる――
勝ったはずの大会は、その瞬間に処刑ゲームへと変わった。
マスターを狩らなければ、参加者全員が削減される。
そして、酒場そのものにも、管理の手が伸び始める。
誰かが武器を抜く音がした。
乾いた金属音。
ひどく小さい音だったはずなのに、その瞬間、闘技場の全員の意識が一斉にそこへ引っ張られた。
――俺を見ている。
仲間も。
知らない冒険者も。
神権席の連中も。
そして、世界そのものまで。
巨大スクリーンには、まだ赤い文字が残ったままだ。
【SYSTEM】
MANDATORY QUEST:EXCEPTION HUNT
TARGET:NO NAME
カウントダウンが進む。
00:55:58
00:55:57
00:55:56
またどこかで、小さな悲鳴が上がった。
「痛っ……!」
観客席の端、白磁プレートの若い冒険者が、胸を押さえて膝をつく。
HUDが視界の端に割り込む。
HP -1
たった1。
なのに、その1が場の空気を決定的に変えた。
これは脅しじゃない。
本当に削ってくる。
「参加しないと……本当に減る……」
「ふざけんな……!」
「こんなの、クエストじゃねぇ……」
ざわめきが、じわじわと恐怖に変わる。
恐怖はすぐに計算になる。
計算は、誰かを敵にする。
ナツが、俺を見ていた。
目が揺れている。
いつもの真っ直ぐな光じゃない。迷いと怒りと、どうしようもない焦りが混ざっている。
「先輩……」
その声に、責める色はない。
けれど、助けると言い切るほど単純でもない。
コハクは、尻尾をぶわっと膨らませたまま、信じられないものを見るようにスクリーンと俺を交互に見ていた。
「ご、ご主人様を、狩るでござる……?」
「そ、それ、ルールが間違ってるでござる……!」
「だってご主人様は、ご主人様でござるよ!?」
「そこは分かってるわよ!」
ナツが叫ぶ。
「でも、分かってても死ぬのは嫌っスよ!!」
その言葉が出た瞬間、ナツ自身が一番傷ついた顔をした。
ガロは歯を食いしばり、笑わないまま言う。
「世界が、お前を“クエスト”にした」
「勝った報酬がこれか。……反吐が出るな」
ムーニャンが舌打ちする。
「狩るか」
「死ぬか」
「そういう顔をさせるのが、上の連中の趣味アル」
タニシは顔を青くして汗を流していた。
眼鏡の奥の目がせわしなく揺れる。
「む、無理でござる……! こんなの選べないでござる……!」
「だ、だって拙者、まだ死にたくないでござるし……で、でもアニキを殴るとかもっと嫌でござるし……!」
「うわああああどうすればいいでござるかァ!?」
ロキが、そんな混乱を楽しむように、くるりとマイクを回す。
「さぁ〜♬◇ 狩りの時間よぉ〜♬◇」
「ルールは簡単、マスターをハントしなさい♬◇」
「しないと、みんなが削られるわよ〜♬◇」
軽い。
軽すぎる。
だが、その軽さが、このゲームの残酷さを際立たせていた。
俺は笑うしかなかった。
「……なるほど」
「勝ったのに、負けより面倒じゃねえか」
言った瞬間、遠くで嫌な軋みが走った。
ミシ……と。
木材がねじれるような音。
だがここは闘技場だ。木の軋みがするはずの場所じゃない。
空間の向こう――酒場側の座標が、ノイズを帯びて震えている。
【SYSTEM】
RUST NODE:RECALCULATION
PURGE PREPARATION
イツキが顔色を変えた。
「ギルド領域が……!」
ミツキが息を呑む。
「崩れる……始まってる……」
その声を追うように、俺の耳にも、遠い場所の音が混じり始める。
グラスが震える音。
ランタンが擦れる音。
木の梁がきしむ音。
そして。
「マスター……」
ルステラの声。
酒場の奥、誰にも見えないはずの座標から、直接脳に落ちてくる。
「酒場が……消されます」
その一言で、場の温度がさらに下がった。
RUST。
酒場。
あそこは、ただの拠点じゃない。
帰る場所だ。
少なくとも、ここにいる何人かにとっては。
ナツが真っ先に反応した。
「なにそれ……!」
「先輩を狩らせるだけじゃ足りなくて、酒場まで壊す気っスか!?」
神権席。
アマテラスは、丸い棒キャンディを奥歯でバキバキに噛み砕きながら、苛立ちを隠さずに脚を組み替えた。
「チッ……」
「例外ノードまで残すと、処理が重くなんだよ」
その足元には、かみ砕かれたキャンディの白い破片が散っている。
スサノオは楽しそうだった。
「おーおー、派手だなぁ!」
「こういうの、俺は嫌いじゃねぇぞ? 全部壊れて、どこまで立ってられるかって話だろ?」
ツクヨミは静かだった。
静かなまま、俺ではなく――酒場の方を見ている。
「……例外」
「二つとも、残っている」
その言葉を聞いた瞬間、背中が冷えた。
俺。
そしてルステラ。
あるいは、酒場そのもの。
どっちにしても、管理側から見れば“残ってはいけないもの”なんだろう。
ミコトが、倫理層の椅子に座ったまま、指先で頬をなぞった。
「順番を壊すから、こうなるんですのよ」
「でも、面白いですわ。ほんとうに」
「勝利のあとに、もっと大きな負け札が降ってくるなんて」
「趣味が悪いな」
俺が言うと、ミコトは嬉しそうに笑った。
「誉め言葉として受け取っておきますわ」
カウントダウンが進む。
00:54:41
00:54:40
00:54:39
また誰かのHPが落ちる。
「ぐっ……!」
「う、うそだろ……!」
観客席の何人かが、ついに武器を握り直した。
刃の向きが、じりじりとこちらへ寄ってくる。
それは殺意とは少し違う。
生存本能だ。
だからこそ、たちが悪い。
俺は、ゆっくり周囲を見回した。
ナツ。
コハク。
ガロ。
ムーニャン。
タニシ。
イツキ。
ミツキ。
全員が、同じ画面を見せられている。
全員が、“俺を狩らないと削られる”という現実を押しつけられている。
こんなの、仲間割れのための設計だ。
「……なるほどな」
俺が呟くと、ガロが低く返した。
「気づいたか」
「ああ」
俺は笑った。
「大会じゃなかったんだな。最初から」
ロキが拍手する。
「正解〜♬◇」
「これは試験で、選別で、観測よォ♬◇」
「誰が勝つかじゃない」
「誰が削られて、誰が残るか」
「それを見るための、最高のショータイムなのォ♬◇」
ナツが怒鳴る。
「ふざけんな!!」
「そんなのゲームじゃないっス!!」
「そうねぇ」
ロキは、少しだけ笑みを薄くした。
「だから、ここからは“ゲームの外”に入るのよォ」
その瞬間。
闘技場の中央。
光層の座標が、再びまばゆく弾けた。
次の瞬間には、巨大な影が落ちていた。
――ヘラクレス。
棍棒を肩に担ぎ、重い足取りで中央へ出てくる。
一歩ごとに床が鳴る。
さっき光層で勝利をもぎ取った筋肉神が、今度は観客でも対戦相手でもなく、ただ“そこに立つ壁”みたいな存在感で場の中心に立った。
彼はスクリーンを見上げる。
【TARGET:NO NAME】
しばらく黙っていた。
その沈黙だけで、何人かが足を止める。
やがて、ヘラクレスは低く言った。
「……くだらん」
ロキが目を細める。
「おやァ?」
ヘラクレスはマスター――俺をまっすぐ見た。
「これはゲームじゃない」
「処刑だ」
その一言に、場の空気が変わる。
神が、ルールを否定した。
アマテラスが立ち上がる。
「おい筋肉」
「なに勝手なこと言ってんだ」
ヘラクレスは振り返らない。
「勝ち負けに意味があるから、鍛える価値がある」
「努力が届くから、競う意味がある」
「最初から排除だけが目的のルールなど、ただの処刑だ」
スサノオが、にやりと笑う。
「へぇ」
「そこ踏むんだ、お前」
ツクヨミは細い目をさらに細めた。
「……管理規定への反意」
「記録」
アマテラスのこめかみに青筋が浮く。
「チッ……面倒くせぇ」
ヘラクレスは、その舌打ちすら無視した。
「NO NAME」
俺を指さす。
「お前は、まだ死ぬな」
「……随分勝手だな」
俺が言うと、ヘラクレスは鼻で笑う。
「死ぬな、は命令じゃない」
「これは“判断”だ」
「なにが違うんだよ」
「重さが違う」
分かったような、分からないような返答だった。
だが、その言葉には妙な実感があった。
ヘラクレスは、本気でそう言っている。
その直後。
酒場側のノイズが一気に増した。
視界の端に、るすとの映像が二重に重なる。
木製のカウンター。
ネオン看板《GUILD RUST》。
吊るされたランタン。
シーシャの煙。
それらすべてに、黒い走査線みたいなノイズが走る。
グラスが、ひとりでにひび割れる。
クエストボードの依頼書が、貼り替わる速度を超えて、暴走みたいに紙を吐き出す。
受付の端末に、意味不明のログが滝みたいに流れていく。
「るすとが……!」
ミツキの声が震える。
「書き換えられてる……」
イツキが、珍しく感情を露骨に出した。
「やめろ……そこは触るな……!」
淡い光。
酒場の奥、見えない場所にいるはずのルステラの輪郭が、一瞬だけ闘技場の空間に滲んだ。
「マスター」
「世界管理層、侵入確認」
「維持率……低下」
「例外ノード保全……困難」
声が、いつもよりノイズ混じりだ。
落ち着いているようで、その実、かなり危険な状態なのが分かる。
俺は思わず叫んだ。
「ルステラ!」
「お前、無理すんな――」
最後まで言い切る前に。
ツクヨミが、一歩だけ前へ出た。
たった一歩。
それだけで、影層の“静けさ”が場全体を塗りつぶす。
ざわめきが消える。
息を呑む音すら消える。
世界の音量そのものが落ちる。
ツクヨミの唇が、わずかに動いた。
「……終わり」
その瞬間。
黒い波が来た。
影ではない。
闇でもない。
“そこにあったはずの情報を塗り潰して、消していくもの”。
闘技場の床を舐めるように走り、観客席の手前で止まり、酒場側のノイズにまで触れようとする。
「――っ!」
俺が身構えるより先に、ヘラクレスが前へ出た。
棍棒を横薙ぎに振る。
轟音。
純粋な物理衝撃。
理屈も権限もない、ただの圧倒的な質量が、黒い波とぶつかる。
ぶつかった瞬間、空間そのものが悲鳴を上げた。
床が割れ、光が散り、影が千切れる。
しかし。
完全には止まらない。
ヘラクレスの額に汗が浮かぶ。
「チッ……!」
「これは……重いな」
スサノオが笑う。
「おいおい、月の“終わり”を真正面から受けるかよ。好きだぜ、そういうの」
ナツが俺の前に立つ。
「先輩、下がって!」
「ここはあたしが――」
「無理だ」
ガロが即座に切る。
「これは前で受ける類のものじゃねぇ」
コハクも歯を食いしばる。
「で、でも……!」
ルステラの声が、今度ははっきり焦っていた。
「マスター」
「意識維持、困難」
「このままでは――」
HUDが乱れる。
SAN -5
カルマ -1
監視補正 +1
視界が歪む。
足元の感覚が薄い。
呼吸が遠い。
まずい。
本能で分かる。
これは“負傷”じゃない。
もっと直接的に、存在そのものを削られる感覚だ。
ナツの声が遠くなる。
「先輩!!」
コハクの尻尾が見える。
ガロの怒鳴り声も聞こえる。
タニシが泣きそうな顔で何か叫んでる。
ヘラクレスが、まだ前にいる。
あの筋肉神が、真正面で“終わり”を受け止めようとしている。
おかしな話だ。
けれど、その背中が少しだけ大きく見えた。
ツクヨミが、もう一度言う。
「終わり」
今度は静かだった。
静かすぎて、逆に逃げ場がない。
黒が、俺の視界の端から広がってくる。
【SYSTEM】
ERROR
ERROR
ERROR
ルステラの声が、途切れ途切れに響く。
「マスター……」
「維持率……低下……」
「このままでは――」
ナツが前に出る。
「先輩!!」
コハクも叫ぶ。
「ご主人様ぁぁっ!!」
ヘラクレスが棍棒を振り抜き、黒い波を押し返そうとする。
だが、完全には止まらない。
その時だった。
すぐ横で、ひどく小さな声がした。
「……ごめんでござる」
タニシだった。
顔面蒼白。
唇は震え、眼鏡の奥の目は涙で滲んでいる。
HUDには、無慈悲な表示。
HP -3
HP -4
時間経過ペナルティ。
このままじゃ、本当に削られる。
タニシは、震える手で短剣を握っていた。
「拙者……」
「死にたく、ないでござる……」
「兄貴……ごめんでござる……!」
ナツが振り向く。
「タニシ!? やめるッス――」
止める声より早く。
タニシが、泣きじゃくりながら突っ込んできた。
刃は、正確じゃなかった。
綺麗な一撃じゃない。
覚悟の決まった刺突でもない。
ただ、生き残りたくて、必死に押し込んだだけの一撃。
だからこそ、痛かった。
腹の奥に、熱が走る。
息が、止まる。
「――っ」
視界が揺れる。
ナツの悲鳴。
「先輩ぇぇぇッ!!」
コハク。
「ご主人様ぁぁぁぁ!!」
タニシ自身が、一番壊れた声を出していた。
「ご、ごめんでござる……!」
「兄貴、ごめんでござるぅぅぅ!!」
短剣が抜ける。
温かいものが、遅れて流れ出る。
足に力が入らない。
膝が落ちる。
床に手をついた瞬間、自分がもう立てないことが分かった。
ヘラクレスが、舌打ちする。
「チッ……!」
ガロが怒鳴る。
「タニシィッ!!」
だが、もう遅い。
視界の端で、タニシが崩れ落ちる。
自分で刺したくせに、自分が一番泣いている。
マスターのHUDが、激しく乱れた。
【SYSTEM】
致命的損傷を検知
意識維持:困難
音が遠ざかる。
ナツの声も、コハクの泣き声も、ガロの怒鳴りも、もう遠い。
その代わり。
ルステラの声だけが、はっきりと届いた。
今度は、ノイズの少ない、静かな声。
「……この世界は、限界です」
一拍。
「戻します」
「……は?」
「セーブポイントへ」
その単語だけは、妙にくっきり聞こえた。
セーブポイント。
どこかで聞いたような。
いや、知らない。
でも、知っている気がする。
意識が落ちる。
世界が裏返る。
最後に見えたのは、真っ白じゃなかった。
割れた視界の向こうで。
酒場のネオン看板が、一瞬だけ灯って、そして消える。
そのすぐあと。
HUDのど真ん中に、最後の表示が浮かんだ。
【SAVE POINT】
01
そして、白。
完全な白の中で、俺はひとつだけ思った。
――なんだ、これ。
暗転。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、勝ったはずの大会がそのまま“処刑ゲーム”へ変質する回でした。
誰も悪くないのに、誰かを刺さなければならない。そんな最悪のノルマの中で、ついに最初の死へ辿り着きました。
次回は SAVE POINT 01 後半。
壊れた世界が、どこへ戻されるのかを描きます。
■今回の登場人物
・マスター(NO NAME)
勝ったのに狩られる側になった男。
順番を壊し、観測を削った代償として、世界そのものに“排除対象”認定される。
・タニシ
泣きながら最後の一線を越えてしまった男。
裏切りというより、ノルマと恐怖に負けた側。だからこそ重い。
・ナツ
最後までマスターを助けようとした行動派。
怒りも迷いも全部あるのに、身体が先に動くタイプ。
・コハク
ご主人様を守りたい気持ちと、世界の強制ルールの間で引き裂かれる犬獣人。
感情がまっすぐだからこそ、こういう回で一番つらい。
・ヘラクレス
神側にいながら、“これはゲームではなく処刑だ”と断じた筋肉神。
今回の時点では、かなり異質な立ち位置に入ってきました。
・ツクヨミ
静かに終わらせに来る神。
派手さはないのに、一番“終わり”そのものに近い圧を持つ。
・ルステラ
限界を迎えた世界の中で、最後にマスターへ手を伸ばした存在。
今回のラストは、彼女の判断が物語を次段階へ進めた回でもあります。
■マスター現在ステータス(一般視点)
名前:NO NAME(通称:マスター)
冒険者等級:黒曜
HP:致命傷
MP:ほぼ枯渇
SAN:低下
カルマ:微減
危険度:極大上昇
観測度:高水準維持
状態:戦闘不能/意識消失直前
■所持アイテム・装備
・ギルドタグ
・コアストーン欠片
・未確定ログ
・強化革鎧
・ショートソード
・黒マント一式




