第159話 夢ノード編18 ナイトメア中枢 ――帰る場所ができたなら、怖い夢は怒り出す――
帰還放送は、夢層校舎全体へ届いた。
けれど、帰る場所ができたことで、帰れなかった夢が怒り出す。
各ゲーム領域の成果が集まる先は、ナイトメア中枢でした。
優しいチャイムが鳴り終わったあと、夢層校舎は一瞬だけ静かになった。
放送室のスピーカーから流れた帰還放送は、確かに届いた。購買部、図書館、水泳部、風紀委員会棟、保健室。ばらばらに分かれていたゲーム領域が、細い白い線でつながっていく。
だが、その静けさは安心ではなかった。
静かすぎる。
まるで、泣き声が息を止めているみたいだった。
【各ゲーム領域攻略成果:統合開始】
【帰還放送:暫定開通】
【ナイトメア中枢座標:出現】
【警告:未処理児童ログ多数】
「帰る場所作ったら怒る夢とか、性格悪すぎるだろ」
俺が通信越しに呟くと、ヘルメスの声がいつもより少しだけ低く返ってきた。
『音の経路、全部ここに戻ってる。帰還放送、届いたんだけど……届いた先で、何かが怒ってる』
ルステラの女生徒アバターが、俺の隣で淡いログを浮かべる。夢層限定八割出力。髪の先にはまだノイズが走っているが、その目はまっすぐ中央の扉を見ていた。
【N.M.E.-01系中枢反応】
【単純攻撃:非推奨】
【未処理児童ログ破損リスク:高】
「つまり、殴って解決はなし、と」
『推奨シマセン』
「最近、推奨されることのほうが少ないな」
俺が苦笑した直後、廊下の先に巨大な扉が現れた。
卒業式会場のような、体育館の両開き扉。
その上に、黒い文字が浮かぶ。
【夢層中央ホール】
―――――
扉を開けると、そこは体育館だった。
いや、体育館だけではない。
壇上には白いマイクと黒い卒業証書の山。天井には巨大なスピーカーと壊れた時計。左側には購買部の売店窓口があり、右側には図書館の本棚が壁のように積み上がっている。床の一部は水泳部の黒い水面になり、奥には風紀委員会の校則ポスター、さらに白い保健室のカーテンが揺れていた。
夢層学園の全ゲーム領域が、ひとつの悪い夢に混ざっている。
中央の床には、白い帰還線と黒い終端線が絡まり合っていた。
『アニキ、中央ホール出張購買部っす! 予約席チケット、帰還おにぎり、あと売れ残り牛乳!』
購買部窓口からタニシが顔を出す。
「売れ残り牛乳だけ妙に現実的だな」
『現実の在庫管理は夢より怖いっす!』
『牛乳は猫に回すアル』
ムーニャンの通信が割り込む。
『有料っす』
『友情価格にするネ』
『友情とは値引き交渉ではないっす!』
そのくだらないやり取りに少しだけ空気が緩みかけた瞬間、体育館の照明が落ちた。
『みんな、帰る場所ができたと思ってるんだ』
校内放送から、少女の声。
壇上に、ひとりの女の子が立っていた。
ナイトメア・メアリ。
ただし、姿が安定しない。案内役腕章をつけた少女になったかと思えば、濡れた水泳部員、黒い腕章の風紀委員、保健室の患者、放送部のDJ、そして卒業証書を抱いた生徒へと、次々に変わっていく。
どれも本物ではない。
誰かの怖い夢を借りた影だ。
『帰れる子はいいよね』
『でも、帰れなかった子は?』
『席があるって言われても、座る体がない子は?』
『名前を思い出したら、もっと痛いだけだよ?』
壇上の後ろに、子供たちの影が並ぶ。
顔はない。胸元の名札は空白。泣いている子、怒っている子、ただぼんやり立っている子。彼らの声が、低いBGMになって体育館を満たしていく。
【ナイトメア中枢:出現】
【攻略条件:未定義】
【警告:未処理児童ログ多数】
【撃破時、未処理ログ破損リスク:高】
「……なるほどな」
俺は、拳を握りかけて、やめた。
殴る相手じゃない。
まだ、な。
―――――
『ダーリン、囲んじゃいます?』
黒い水面の端に立ったポメ子が、水流を指先にまとわせる。普段なら過剰なくらい湿度の高い声だが、今は慎重だった。
ルースがすぐに警告を出す。
『待ってください。メアリ本体影の周囲に未処理児童ログが結合しています』
『単純攻撃時、ログ破損リスクが高いです』
カイロも床の線を見て、短く言った。
『切れない。切れば、子供ログごと落ちちまう』
ガロが隣で低く頷く。
「なら切るんじゃないぞ」
『分かってる』
その返事は、前より少しだけ柔らかかった。
ポメ子も水流を収める。
『沈めて封じるのも駄目ね』
『ポメ子、分かってて偉いぞ』
『ダーリンに褒められたので、あとで水分補給デートを要求します♡』
【要求却下ヲ推奨】
『あらあら愛人AIさん?』
【正規補助AIデス】
「今それやるときじゃねえ!」
俺のツッコミに、ほんの少しだけ笑いが生まれる。けれど、壇上のメアリは笑わなかった。
『余裕だね』
『じゃあ、これは?』
メアリの顔が、七瀬こころに似た。
案内役腕章。震える手。泣きそうな声。
『案内しなきゃ』
『連れていかなきゃ』
『わたしが案内できなかったから、みんな泣いてる』
【七瀬心音?】
【案内役】
【罪悪感:上昇】
ステラが一歩前に出た。
「違う。こころちゃんは、泣いてた」
「泣いてた子を、役割だけにしない」
保健室側から、ネムリの細い声が届く。
『こころちゃんは、こわかった』
『でも、ネムリを連れていかなかった』
俺は、その声に頷いた。
『その一回の拒否が、こころの証拠だ』
メアリの表情が、ほんの少し歪む。
『証拠?』
『一回だけ逆らったくらいで、何が変わるの?』
『連れていった子のほうが、多いのに』
体育館の泣き声が強くなる。
黒い卒業証書の山が、ざわざわと震えた。
―――――
ルースが全領域のログを照合する。
『攻略条件を再定義します』
『ナイトメア中枢から、未処理児童ログを分離してください』
『メアリ本体影の恐怖供給線を遮断してください』
【攻略条件更新】
【対象:未処理児童ログ群】
【目的:恐怖供給線からの一部分離】
【注意:N.M.E.-01本体影への直接解放は不可】
「怖い夢を殴るんじゃない」
俺は言った。
「まず、中で泣いてる子を引き剥がす」
タニシが予約席チケットを束で掲げた。
『卒業できなかった皆さーん! 購買部特製、予約席チケット配布っす! 今なら青春風おにぎりはつきません!』
「つかないのかよ」
『在庫切れっす!』
それでも、チケットは光った。
【仮席:生成】
【未処理児童ログ:一時固定】
ポメ子が黒い水面へ手を伸ばす。
『沈めない。浮かべる』
水底に沈んでいた泣き声のようなログが、泡に包まれて上がってくる。
カイロは黒い終端線を切らず、指先で縛った。
『終端線を保留線へ変える』
「焦るな。切るな。縛れ」
ガロが横で支える。
ミコは保健室カーテン側で、白いログの呼吸を見ていた。
「声を急がせない。呼吸を見る」
カナエ/タマモが割れた呼び鈴を鳴らす。
「呼ばれたら返せるようにする。帰るかは本人が決めること」
ヘルメスは天井スピーカーへ手を伸ばし、音の経路を一本ずつ分けた。
『全体放送じゃ弱い! 一人ずつ届ける! 名前がなくても、席番号なら届く!』
ステラは、空白の名札を抱きしめる。
「名前がないなら、いまは空白でいい」
「空白は、消えたって意味じゃない」
少しずつ、子供たちの影がメアリの背後から離れ始めた。
だが。
『やめて』
メアリの声が、初めて震えた。
『怖い夢を取らないで』
『それがないと、わたし、何でできてるの?』
体育館の床が黒く割れる。
『泣き声を返したら、わたしが消えちゃう』
『怖がらせないナイトメアなんて、いる意味ないよね?』
俺は、答えられなかった。
メアリを理解できていない。
だから、今はまだ手を伸ばせない。
―――――
メアリが腕を振る。
分離しかけた子供ログが、黒い線で引き戻された。タニシの予約席チケットが破れかけ、ヘルメスの音声経路がノイズで埋まる。
【警告:ログ破損】
【帰還不可分岐:発生】
【未処理児童ログ:破損率上昇】
「まずい!」
俺の視界が、一瞬だけ白く弾けた。
失敗する未来が見えた。
引っ張る順番を間違えた。先に恐怖供給線を剥がそうとしたせいで、子供ログの足場が消える。帰る席も、呼び声も、名前の空白も、全部が追いつかない。
砕ける。
泣き声が、二度と戻らないノイズになる。
「……見えた」
俺は息を止めた。
「そこを引いたら、砕ける」
【破損分岐照合】
【失敗結果:ログ破損/帰還不可】
【上書候補:作戦順序変更】
頭の奥で、何かが熱を持つ。
使えるのは短い時間だけだ。ここで派手にやれば、夢層中枢に例外ログが残る。Z.E.U.S側の観測も上がる。分かっている。
それでも、今は見分けなければいけない。
「二秒だけ借りるぞ、ルース、ステラ、補助頼む」
「わかったよパーパ」「父さん了解です」
【オーバードライブ:限定起動】
【稼働時間:二秒】
【観測度上昇:警告】
【ミル/バル/エティ並列補助:低出力】
【ルステラ・キャリア迷彩:展開】
【ルース・ステラ補助】
世界が遅くなる。
泣き声の線。メアリの笑い声のノイズ。こころの案内役契約残滓。ネムリの細い声路。タニシの予約席チケット。ポメ子の泡。カイロの保留線。ヘルメスの放送経路。
全部が、細い光の糸になって見えた。
「今回は、見えりゃいい。殴る必要はねぇからな」
俺は、分離手順を一手だけ変える。
【死線上書:限定適用】
【対象:未処理児童ログ分離手順】
【上書内容:恐怖供給線分離前に、仮席/声路/保留線を固定】
「今の失敗を、上書きする」
タニシのチケットが先に光る。
『予約席、先に確保っす!』
ヘルメスが個別放送を差し込む。
『席番号、送る! 名前がなくても、今は届く!』
カナエ/タマモが呼び鈴で座標を固定する。
「そこ。動かさない」
カイロが終端線を保留線へ縛る。
『切らない。落とさない』
ポメ子が泣き声ログを泡で浮かせる。
『沈めない。今度こそ、浮かべる』
それから、俺は右手を伸ばした。
【GOD RELEASE AUTHORITY:STANDBY】
【対象:N.M.E.-01 / NIGHTMARE-MARY】
【条件照合】
【対象背景理解:不足】
【直接解放:不可】
「だろうな」
俺は短く笑った。
「まだ、あいつの中身までは分かってねぇ」
ルースが叫ぶ。
『対象を変更してください』
『未処理児童ログ群であれば、解放条件の一部を満たせます』
ステラが頷く。
「この子たちなら、分かる」
「帰れなかった子たち」
俺は壇上のメアリではなく、その背後で震える子供たちを見た。
「名前がないから終わりじゃねぇ」
「帰れなかったから、いなかったことにしていいわけじゃねぇ」
「怖い夢の燃料にされていい子なんて、一人もいない」
【対象変更:未処理児童ログ群】
【GRA:限定起動】
【解放権限:部分行使】
【恐怖供給線:分離開始】
<iコード|1248824>
「――剥がせ」
白い光が、黒い泣き声の中へ走った。
―――――
『だめ』
メアリが叫ぶ。
『その泣き声は、わたしのものだよ』
『返したら、わたしが空っぽになる!』
「人の泣き声を、燃料にすんな」
俺は歯を食いしばる。
GRAは万能じゃない。メアリ本体には届かない。理解できていない相手の根っこを、都合よく剥がすことはできない。
だが、今、泣いている子供たちが何を奪われたのかは分かる。
卒業できなかった。名前を失った。帰る席がなかった。
それを、少しだけ返す。
【未処理児童ログ:一部分離】
【恐怖供給線:低下】
【ナイトメア中枢:不安定化】
子供たちの影の一部が、壇上の後ろから離れた。
顔はまだ見えない。名前もない。けれど、胸元に白い仮席チケットが灯っている。
メアリは後退した。
その顔が、今度はこころに似る。
『まだだよ』
『名前を思い出したら、責任も思い出すよ』
メアリは、笑った。
『ねえ、心音ちゃん』
その瞬間、ステラが目を見開いた。
「今、呼んだ」
ルースのログが走る。
【メアリ側ログから、心音呼称を確認】
【本名候補:七瀬心音】
【確度:上昇】
【本人承認ログ:未取得】
「自分で証拠出したぞ、あいつ」
俺が言うと、メアリは口元を歪めた。
『証拠じゃないよ』
『呪いだよ』
壇上に、黒い卒業証書が一枚残る。
【卒業証書:七瀬■■】
【本人承認待ち】
【案内役契約残滓:最終干渉準備】
ネムリの声が、保健室側から届いた。
『こころちゃん』
『名前、こわくても……呼んで』
かすかな声が、もう一つ混ざる。
『……わたし、は』
こころの声だった。
でも、その先はまだ届かない。
体育館が軋む。黒い卒業証書が、壇上でゆっくり開いていく。
【次段階:本人承認フェーズ】
【対象:七瀬こころ】
【本名候補:七瀬心音】
【警告:案内役契約残滓、最終干渉】
俺は、壇上を見上げた。
「次は、こっちが聞く番だな」
泣き声は、まだ残っている。
怖い夢も、まだ消えていない。
でも、少なくとも一部の子供たちは、もうメアリの燃料ではない。
「お前は誰だ、七瀬こころ」
黒い卒業証書の中から、白い名前の欠片が浮かび上がった。
心。
音。
まだ、本人が呼ぶのを待っている名前だった。
■ 今回のお話について
今回は、ナイトメア中枢の前哨戦でした。
放送部音ゲーで帰還放送が流れたことで、各ゲーム領域の攻略成果が夢層中央ホールに集まりました。
けれど、帰る場所ができたからこそ、帰れなかった子供たちの怖い夢が怒り出しています。
今回マスターは、GRAをメアリ本体影へ直接使おうとして失敗しています。
理由は、まだメアリ自身の背景を理解できていないからです。
その代わり、メアリに燃料として使われていた未処理児童ログに対して、GRAを限定起動しました。
倒すための力ではなく、泣き声を怖い夢から剥がすための救助権限として使っています。
■ ゲーマーおっさん解説
今回のゲームネタ的には、『MOTHER2』『UNDERTALE』、そして少し『OMORI』の方向です。
『MOTHER2』は、終盤の怖さや、単純な攻撃だけではどうにもならない決着の雰囲気が印象的な作品です。
敵を倒すというより、祈りや想いが攻略になる感じがあります。
『UNDERTALE』は、戦うだけでなく、どう向き合うかが選択になるゲームです。
今回のメアリ本体影も、殴れば終わる相手ではありません。中に未処理児童ログが結びついているため、雑に攻撃すると救うべきものまで壊れてしまいます。
そして『OMORI』は、夢、罪悪感、子供時代の未処理感情という点でかなり近いです。
怖い夢の中にあるものを、ただ消すのではなく、そこに何が残っているのかを見る。
夢ノード終盤は、まさにその方向へ進んでいます。
今回のマスターのスキル使用も、RPGの必殺技というより、ADV終盤の「正しい対象を選ぶ」イベントに近いです。
GRAをメアリではなく、未処理児童ログへ向ける。
ここを間違えるとバッドエンド、という感じですね。
■ 登場キャラクター紹介
マスター/NO NAME
今回の中心。ナイトメア中枢でGRA限定起動と《オーバードライブ》短秒数使用を行った。
メアリ本体はまだ理解不足で解放できなかったが、未処理児童ログを恐怖供給線から一部分離することに成功した。
ナイトメア・メアリ
N.M.E.-01の本体影。夢層に残った怖い夢や未処理児童ログの泣き声を燃料にしている。
今回は「心音ちゃん」と呼んでしまい、七瀬こころの本名候補をさらに強める証拠を出した。
七瀬こころ
案内役契約から一時停止中の少女。
本名候補は七瀬心音。今回は本人承認の直前まで近づいたが、まだ自分では名乗れていない。
ネムリ
保健室の声路越しに参加。こころがネムリを連れていかなかったことを証言し、こころ本人の証拠を支えた。
ルステラ
夢層限定八割出力の補助AI。オーバードライブ使用時の迷彩補助と、GRA使用時のログ警告を担当した。
ルース
解析担当。メアリ本体へのGRA直接解放が不可であること、未処理児童ログなら一部条件を満たすことを見抜いた。
ステラ
名前と声の係。こころを役割だけにしないよう守り、メアリが「心音ちゃん」と呼んだことに気づいた。
タニシ
購買部担当。予約席チケットを配布し、未処理児童ログの仮席を作った。地味に重要。
ポメ子/ポセイドン
水底に沈んでいた泣き声ログを、沈めず浮かせる役を担当。海底編と水泳部ホラーを経て、守り方が変わってきている。
カイロ
終端線を切らず、保留線へ変える役を担当。前回の風紀委員デスゲームでの成長が反映されている。
ガロ
カイロの隣で支える大人。焦るな、切るな、縛れと助言し、カイロが終端判断に寄りすぎないよう見守った。
ミコ
保健室側で声路と呼吸を確認。子供ログを急がせず、呼ばれた時に返せる状態を支えた。
カナエ/タマモ
同一人物。リコーラーでありANCHOR-07。割れた呼び鈴を使い、子供ログの帰還座標を固定した。
ヘルメス
帰還放送を個別ログへ届ける役。全体放送ではなく、一人ずつ届かせることで未処理児童ログの分離を補助した。
■ 主人公の現在のステータス
名前:NO NAME
通称:マスター
等級:翠玉相当以上/紅玉査定候補
状態:夢ノード攻略中/GRA限定起動後/オーバードライブ短秒数使用後
現在地:るすと学園・夢層中央ホール
所持権能:NODE05由来【観測迷彩】
使用スキル:【オーバードライブ:限定起動】【死線上書:限定適用】【GOD RELEASE AUTHORITY:限定起動】
危険度:高
観測度:上昇中
備考:未処理児童ログの一部分離に成功。メアリ本体影へのGRA直接解放は、背景理解不足により不可。次段階は七瀬こころ本人承認フェーズ。
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