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アリシア疾走

「っ……はぁ……はぁ……」


私は薄暗い洞窟を駆けていた。この洞窟がこんなにも不気味で、心細いなんて感じなかった。不安と焦りと後悔が私の目から涙となって溢れ出る。


私は彼が何者か知らない。分かっているのは、彼が私を必死になって助けてくれたこと。逃げ回り、牽制しながら致命傷だったはずの私の傷を治した。魔法の並列行使はかなりの集中力が必要で、尚且つ魔力の扱いに長けていないと難しいと聞いた事がある。


「早く……速く!!」


出口までもうすぐといったところで二匹のコボルトが道を塞いでいた。私は彼が自力を上げたかったと言っていたのを思いだした。魔法使いは後衛が基本のクラスだ。前衛で敵を抑えている間に詠唱を終えて魔法を放つ。私の両親も必ず前衛クラスとパーティを組んでいた。レオル様の用にソロで戦える魔導士もいるのも確かだ。彼はこういう状況も考慮していたのかもしれない。


「来たれ走れ、打ち払い焼き払う炎熱の魔球。ファイヤー!!」


詠唱に気付いたコボルトが走り寄って来たが、詠唱を完了した直後に放たれた炎弾でその身を焼かれた。私はまた駆け出し、外を目指す。一秒でも早く、必ず戻ると言った彼のために。


「トーヤ……」


自分でも気付かないうちに口から出た名前。また涙が滲んでくるが、袖で顔を拭って一気に走り抜けた。




洞窟を抜けた私はローブから小さな水晶を取り出した。地面にその水晶を置き、その水晶に手を添える。


「お願い、早く!!」


手から水晶に魔力が流れ、そこから方円状に光が走る。水に小石を投じて出来た波紋のように何度も走り、中心から白い線がいくつか走り出した。脱力感が体を襲うが構っている暇はない。


少しずつ広がる魔法陣は5分ほどかかってようやく完成した。私はローブから小瓶を二つ取り出して、まずひとつ目、魔力回復薬を一気に飲み干した。次いでもう一つを水晶に垂らした。すると、先程完成した魔法陣が白く輝きだした。


「あと一つ……耐えてよ、私」


息があがっているが休むつもりはなかった。水晶を足で地面に押し込み、もう一度魔力を流していく。白く輝いていた魔法陣は中央からなぞるように赤い光が進んでいく。


「っ……」


膝から力が抜けて前のめりに倒れてしまう。赤い光は蛍が散るように舞って霧散してしまった。


「もう…一回……」


もう一度立ち上がって魔力を流し始める。最初は勢いがあったが、徐々に速度を落とし、四分の一程度のところからジワジワとしか進まなくなってしまった。


それから40分ほど耐えて魔力を流し続けてようやくすべてに行き渡った。それとほぼ同時に真ん中の水晶が赤く光だした。


「……テレポート!!」


赤い魔力がアリシアを渦巻き状に包み込んだ。そして、外側から一気に凝縮されていき、視界が赤い光に埋め尽くされて体を浮遊感に包まれた。





一瞬の浮遊感の後、倒れ込んだ私は二日ぶりのギルド長の部屋にいた。回りを見ると、一昨日にトーヤとレオル様と話をしたソファがあり、さらに見回すと驚いた顔をするレオル様がいた。


「驚いた。まさかあそこからテレポートで戻るとは……」


私の計画では、依頼を終えた上で本来帰ってこれない時間で帰ることでレオル様に認めてもらうつもりだった。テレポートは魔法使い数人で使う魔法で、それなりに魔力の扱いが出来ないと使うことが出来ない魔法で、それを一人で使えたなら認めるだろうと考えていた。


「トーヤ君が力を貸したのかな……彼ならやり方さえ分かれば使えない事はないだろうが……」

「レオル様……助けて…ください……」


未だ力が入らない腕に無理矢理力を入れて必死に立ち上がった。私の様子に今度は真剣な目で私みて駆け寄ってきた。


「トーヤが……私……」

「落ち着きなさい」


レオル様は私の体を支えながらソファに連れて座らせてくれた。


「何があったんだい」

「…フェンリルが発生しました」

「なんだって!?」


私はローブから最後の魔力回復薬を取り出して飲み干した。空の瓶を机に置いて大きく深呼吸をした。


「君たちがトロールを倒したのは見ていた。あの後何があったんだ」


レオル様には使い魔を使っての遠見の魔法がある。そう遠くまで見ることは出来ないが、マムル村近辺くらいなら訳はないはずだ。


「地下に空洞があって、私がそこに落ちてしまいました……冷気の充満する洞窟で、そこに氷と雷を纏う狼がいました……私はすぐに逃げました…でも、間に合わなくて背を裂かれました……」


私はローブを脱ぎ、レオル様に背の爪痕を見せた。レオル様は私の背と裂けたローブを交互に見て先を促した。


「傷はトーヤが治してくれました。私はトーヤの協力でなんとか洞窟から脱出をして最短手段だったテレポートでここに戻りました。」

「……つまり、トーヤ君は……」

「生きてます!! お願いします、トーヤを助けてください」


レオル様は手を組んでジッと目を瞑って何かを考え出した。時間にすると数秒に満たないその時間が私にはひどく長く感じた。レオル様は目を開けてゆっくりと私の目を見た。


「アリス。君はここで待っていなさい」


レオル様は立ち上がって自室のクローゼットに向かった。中からローブを取り出して羽織り、先端に宝石の付いた杖を取り出した。


「嫌です。私はトーヤに必ず戻ると言いました。」

「駄目だ!!」


立ち上がろうとした私にレオル様は怒るように言った。声と共に放たれたプレッシャーに私は押し戻されるようにソファに座らさせられた。


「一筋縄ではいかない相手なのはアリス自身が身をもって理解しただろう。トーヤ君が命を張って救った命を無駄に散らすわけには」

「約束したの!!」


私は知らず知らずに涙を流していた。ただのわがままなのはわかっているが、退くわけにはいかなかった。


「問答をしている時間はない。万が一生きているトーヤ君のためにも急ぐ必要があるんだ。」

「万が一じゃない。トーヤは私にまたなって言った。私は必ず戻るって言った。だから!!」


私は未だ放たれ続けているプレッシャーに抗って立ち上がった。レオル様は僅かに目を見開いて驚きを浮かべ、すぐに何かを考えだした。


「……私達が戦うことになったら参加せずにマムル村に戻ること。トーヤ君の生死に関わらず。これを守れるなら連れていこう。」

「ありがとうございます」


レオル様はやれやれとため息混じりに頭を掻いてすぐに気持ちを切り替えた。


「先ずはグラドに伝えに行くか……アリス、行くよ」


私はよろけるからだにムチを打って駆け寄り、レオル様の体に触れた。


「よし、テレポート」


靴をコンコンと打って、私が一時間近くかかった魔法を一瞬で展開するレオル様。実力差に悔しい思いが心の内を巡る。一瞬の浮遊感が体を襲い、すぐにしっかりとした地面の感覚がくる。


「お、何事かと思ったらレオルじゃねえか」

「いきなりすまないな。緊急事態だ」


どうやら王国最強と謳われるグラド様の執務室のようだ。数年前に拝見する機会があって、遠くからお姿を伺ったことがあったが、当時よりも覇気が増しているように感じた。


「どうやらマムル村近郊のダンジョンにフェンリルが発生したらしい。」

「なるほど。なら先ずはダンジョン封鎖と警備用の兵を何人か派遣しよう。それから」

「いや、実は一人が今現在フェンリルと対峙しているらしい」


グラド様はレオル様の言葉を疑うこともなく、対策を提案しましたが、レオル様がそれを遮りました。


「フェンリルに一人でか?」


グラド様の視線が私に向けられます。私の顔を見て一瞬驚いた顔をして、すぐにレオル様に視線を戻しました。


「嬢ちゃんには悪いが、仲間は諦めた方がいい。今となっちゃそこまで苦戦はしないだろうが、俺達が苦戦した相手だ。一人じゃまず勝ち目はねぇよ」

「いいえ……彼は生きています。私とまた会うって約束しました。だから絶対……」


私は少し涙ぐみながら、しかし強い意思でそういいました。グラド様は少し目を細めて私を見たあとレオル様に向き直りました。


「まだまだ若いな。いや、幼いと言うべきか……」

「生きています!! トーヤは……絶対に……」

「……トーヤ?」


私の言葉にグラド様が不思議そうな顔を私に向けました。そして、ゆっくりとレオル様に向けられます。


「あの彼だよ。ほぼ一人でトロールを倒し、瀕死だったこの子を治癒して地上に送り出し、たった一人で死地に残っているのはね」

「フッ……アーハッハッ!!」


グラド様は突然笑いだしました。レオル様も心なしか笑っているように見えます。グラド様はひとしきり笑うと私の頭に手を置きました。


「いいだろう。助けに行ってやろう」


グラド様はそう言って私の頭を撫でて、部屋の戸の前に立ちました。


「ベアト、探索隊の編成と城の守りを任せるぞ」


グラド様が戸を開けると、直立で立っている銀髪の女性騎士が立っていました。


「わかりました。グラド様は?」

「あぁ……少し野良犬を退治してくる」


私に振り返ってニヤリと笑うグラド様。頼りがいのある頼もしい笑みでした。


「レオル、いけるか?」

「あぁ」


レオル様はまた靴の先をコンコンと床に打ち付けて魔法陣を作り出しました。


「行くぞ」

「おぅ!!」

「はい!!」

「テレポート」


一瞬の後、目の前にはあの洞窟がありました。私が地下を脱出してからおよそ二時間。洞窟の見た目に変化は全くありませんでした。グラド様は一度レオル様と顔を見合わせて頷き合い、スタスタと洞窟の中へ入っていきました。


「アリス。約束は守ってもらうよ」

「わかってます」


私は強く頷いてレオル様の後について歩きだした。洞窟内の敵はグラド様が豪腕で殴り倒し、レオル様が放った火魔法で燃え尽きていきました。そして、


「ここか……」


グラド様が例の穴を見ていました。溢れ出る冷気は私が出た時よりも増しているように感じました。


「グラド、油断はするなよ」

「あぁ」


グラド様は風が抜ける音しかしない大穴に飛び込んでいきました。


「アリス……君は戻りなさい。」

「まだ……まだわかりません!!」


レオル様が言いたいことはわかりますが、ここで退くわけにはいきませんでした。


「彼の事は忘れなさい。いいね」


そう言ってレオル様も穴に飛び込み、軽やかに降りていきました。私はレオル様が暗に言った、彼は死んでいるという言葉を受け入れたくありませんでした。


「トーヤ……今、行くから」


私は意を決して穴に飛び込みました。温度の下がる冷気のトンネルを抜け、先程まで私がいた洞窟につきました。そして、私はそこで見た光景に涙を流しました。





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