第百九話 「風に乗る花」
甲玄では、再び笑い声が溢れ、兵達は誇りを取り戻し、子供達は未来を語るようになっていた。そんな甲玄の中心にいたのはカガリ。彼女の人懐っこく、誰とでも分け隔てなく接する姿は、老若男女を問わず愛されていった。
そんな中でも変わらない男が一人。ヨルヨシである。麟東へ帰ったと思えば数日後には甲玄にいる。将軍家の嫡男として忙しいはずなのに、まるで自分の家のように甲玄へ現れては誰かしらと話していた。
*
それから一年の月日が流れる。十八歳になったカガリは、さらに美しく成長していた。だが本人は全く自覚がない。今日も庭で子供達と一緒に泥だらけになって遊んでいる。
一方、国を支える若者達も目覚ましい成長を遂げていた。カガリと同じく十八歳になったカエンは、若くして軍師補佐に就任していた。ゼンベエやリン斎ですら舌を巻くほどの才覚を見せ、その知略はかつてのホムラを思わせるほどだった。
十三歳になったブジはさらに凄まじかった。元々大柄だった身体は常識外れの大きさへ成長し、今や甲玄で最も大きな男となっている。まだ少年であるにも拘らず、大人の兵士が横に並ぶと子供に見えるほどだった。
そして五歳になったハヤテ。まだ幼子でありながら、その才能は恐ろしいほどだった。誰にも気付かれず背後へ回り込み、誰にも見つからず城中を走り回る。その姿には甲玄の忍達ですら戦慄し、「歴代最高傑作」と口を揃えていた。
新たな世代の新たな力。甲玄は着実に未来へ歩き始めていた。
一方で、もう一人の若者もまた、大きな転機を迎えていた。麟東では将軍であったヨルヨシの父が病に倒れ、この世を去ったのである。そして二十一歳。奇しくもホムラの享年と同じ歳で、ヨルヨシは麟東の新たな将軍となった。国を背負う立場。重責。並の男なら押し潰されてもおかしくない。
しかし数日後にはまた甲玄にいた。
「仕事はどうした!?」
ゼンベエの怒号が飛ぶ。
「やりましたよ! ・・・半分くらい」
「帰れ!」
大広間が笑い声に包まれる。将軍になろうが何になろうが、ヨルヨシはヨルヨシだった。暇さえあれば甲玄へやって来て、カガリと話し、カエンと喧嘩をし、ゼンベエに説教され、リン斎と酒を飲み、ブジと腕相撲をする。そんな日々を繰り返していた。
もちろんカガリも負けていない。ふらりと麟東へ遊びに行っては城下を走り回り、勝手に市場で飯を食い、家臣達と仲良くなる。気付けば麟東でも人気者になっていた。
そしてそんな二人を見ていながら誰一人、決定的な変化に気付かなかった。否、気付いていたかもしれないが誰も口にしなかった。
ある日のこと、カガリが珍しく全員を大広間へ集めた。ゼンベエ、リン斎、カエン、ブジ、重臣達。皆が不思議そうな顔をしている。
そして下座には、カガリとヨルヨシが並んで座っていた。
「何だ急に?」
ゼンベエが呑気に聞く。するとカガリはニヤリと笑い、隣に座るヨルヨシを指差す。
「アタシ、こいつんとこに嫁ぐから」
静寂。
次の瞬間。
「はああああああああああっ!?」
大広間が揺れる。ゼンベエは悲鳴、リン斎は気絶、カエンは絶叫、ブジは硬直。家臣達は混乱していた。
「な、何を言ってんだぁ!?」
「言葉通りだよ!」
「い、いつからだぁ!?」
「結構前!」
「け、結構前ってなんだぁ!」
「秘密♡」
隣ではヨルヨシが苦笑いしていた。
「いやぁ・・・すいません」
「こんの野郎おおおおお!!!!」
ヨルヨシに襲い掛かろうとするゼンベエとカエンを、皆が必死に止める。
だがカガリはどこ吹く風だった。反対する者、説得する者、泣く者、怒る者。その全てをカガリは笑顔で押し切った。
数日後、カガリは本当に荷物をまとめた。
そして出立の日、城門の前には大勢の人々が集まっていた。
「姫様〜! お元気で〜! たまには帰って来てね〜!」
あちこちから声が飛ぶ。カガリは苦笑する。
「別に死ぬわけじゃないよ?」
そう言うが、人々は泣いていた。それほど愛されていたのだ。
カガリは馬に乗る前に振り返る。そこにはゼンベエ、そして甲玄の家族達が並んでいたが、誰も笑っていない。
「なんだよ〜。そんな顔してたら兄様が悲しむよ? ハハハ!」
馬に乗ったカガリが笑う。どこか兄によく似た笑顔で。
「大丈夫! アタシは幸せだよ!」
その一言で、ゼンベエはとうとう顔を覆う。
「ったく・・・」
震える声だった。カエンも顔を背ける。リン斎とブジは隠そうともせずわんわんと泣いていた。
カガリはそんな皆を見渡し、目に涙を浮かべる。
そして涙が溢れないよう空を見上げた。目の前には青い空。あの日と同じ空だった。まるで遠くから見守っているように、優しい風が吹く。
「・・・行ってきます。兄様」
そう呟き、カガリは前を向いて馬を進める。
*
麟東へ移ったカガリは相変わらずだった。天真爛漫、自由奔放。遠慮など微塵もない。しかし、その明るさは人を惹き付けた。特にシロトキは完全に振り回されていた。最初こそ戸惑っていた家臣達も、気付けば全員がカガリの味方になっていた。
そして何より、カガリは既にいたヨルヨシの正室や側室ともすぐに打ち解けた。
「一緒にあいつを支えてやろう!」
満面の笑みでそう言われてしまえば、敵意など生まれるはずもない。三人は姉妹のように手を取り合った。その支えは大きかった。
ヨルヨシは元々優秀な男だったが、家族と仲間に支えられたことで、その才覚はさらに花開く。戦で功を立て、政で成果を上げ、次第に帝からも認められていった。
そしてついに、後に申将軍、酉将軍と呼ばれる二人の男と共に、帝直轄の家臣へ任命される。
帝に仕えた三人は、その卓越した知略と武勇をもって、数々の功績を残した。人々は彼らを「“三英傑“」と称え、その名は後世まで語り継がれる。
だが、その栄光の始まりを知る者達は皆、同じことを語る。三英傑の一人を支え続けたのは、誰よりも明るく、誰よりも自由で、誰よりも人を笑顔にした甲玄の姫、カガリだったと。
完




