第17話
第17話
森の奥で、枝が軋んだ。
満月に照らされ、春先の枝に残った雪がぱらりと崩れる。
巨体が木々の間をゆっくり進む。
異様に静かだった。
針金のように固く黒い体毛。長く太い腕。
その周りには、特有の腐肉のような臭気が漂っていた。
大狒々は、ふん、と鼻を鳴らした。
風に混じる微かな気配。
それは血の匂いではない。
――人間の匂いだ。
黄色く濁った瞳が、じっと森の向こうを見据えた。
夜はまだ浅い。集落の家々には明かりが灯り、煙突からは煙が上がっている。
木を組んだ柵の向こうの櫓には、数人の見張りの姿があった。
大狒々は動きを止めて、木の陰の闇に紛れてそれを見つめ続けた。
やがて満月が真上に来る頃、見張りたちは交代のため建物へ入っていく。その頃には、ほとんどの建物の灯りは消え失せていた。
大狒々は、くつくつと喉の奥で濁った息を漏らした。
今日で”3回目”だ。確かに、いつもこの時間に見張りが手薄になる。
十分に集落を観察した大狒々は、静かに踵を返し、森の奥の根城へと戻っていった。
ああ、明日は”いい夜”になりそうだ。
山の洞窟では、若いオスが待ちきれない様子で足を踏み鳴らしていた。
我が孫ながら、いまいち思慮が足りない。「狩りはいつだ」と急かし吼える姿に、大狒々は仕方のない奴だと息を吐く。
まだ若く、血気盛んなのはいい。だが、真の強者は我慢を知らねばならない。
獲物を観察し、備え、隙を突き、確実に狩りをするのだ。
ゆくゆくは群れを率いていく身なのだから、これからより多くを学ばせねばならぬ。
他の若いオスたちも、続々と巣穴から出てきて騒ぎ始めた。冬で籠っていた彼らにとって、退屈でならなかったのだろう。
偵察に出ていた息子たちも帰ってきて、状況を話し合う。街道に馬車の一団がいるが、10人程度で問題はなさそうだ。
だが、念のため集落に着く前に片付けておいた方が良いだろう。息子に3頭つけ、夕刻に襲わせる。終わり次第合流する流れとなった。
孫はずるいと吠えているが、ワシと一緒に集落へ向かい一番槍をやってもらう。
――とはいえ、自身にとっても久しぶりの狩りなのだ。
年甲斐もなく、興奮で血が滾るのを止められない。
別に、食うものに困っているわけでないのだ。
大狒々にとって、人間を狩るなど、ただの娯楽にすぎないのだから。
ああ、”いい夜”になりそうだ。
若者たちは魔獣の顎骨や、かつて人間から奪った鉄塊を括り付けた石槌などの自慢の得物を掲げ、明日の夜に狂乱を見ていた。




