4章-3
「君たちを見てると、たまにいいところのご息女だというのを忘れそうになるな」
「やだなーノルドさんったらー☆わたしはただのワケあり探索者ですよー?」
「ああ、そうだったそうだった」
適当に棒読みを返せば、ノルドもそれ以上は追及することなく、また小枝を焚火に放り込んだ。
いくら皆が寝静まっているとはいえ、余計なことは言わないでほしいものである。
(むしろ、今はノルドさんのほうがいいところの子息っぽいけどね)
先ほどの紳士的なふるまいを見ても、彼のほうがよほど貴族らしい。
もっとも、初期の様子から察するに、ノルド自身は貴族を嫌ってそうだったが。
「……もったいないよな、君の髪」
「え?」
ぼんやりと考えていたルーシャの耳に、また甘やかな声が届く。
内心戸惑いつつも彼を見れば、大切なものに向けるような柔らかい視線があった。
「せっかくきれいなのに、いつもフードの中に押し込めてるだろ? やっぱり、もったいないと思ってな」
「隠せと言ったのはノルドさんじゃないですか」
「そりゃ、オレの立場ではそう言うしかないだろ。希少性が高すぎる」
「……ごもっともで」
何より、この髪はルーシャの正体に確実に結びつく特徴だ。
だからこそ、今後も晒すつもりはない。今一緒に行動している調査チームの面々にも。
「でも、改めて見ると、きれいだ。君たちと一番最初に縁を持てたのは、オレにとっても幸運だったのかもな」
「急にどうしたんですか。もしかして、ノルドさんも酔ってます?」
「オレは一滴も飲んでないぜ。迷宮内で酔っぱらうのはさすがにナシだろ」
確かに、ソロ探索者が酔っぱらうなど自殺行為だ。そう考えると、飲酒程度ものともしない(と思しき)ベテランたちは、肝が据わっている。
「まあ、何だ……君に思うところがある、というか」
「えっ!? 何か問題行動してましたか、わたし」
「いいや? そういうのじゃなくて――嫌だったら、答えなくてもいいんだが」
歯切れの悪い言い方のノルドは、いくらか逡巡した後、何故か大きな手のひらをルーシャの頭に乗せてきた。
(は?)
予想外すぎて、避けるタイミングを逃してしまう。
どう間違っても手が当たる場所ではないので、確実にわざとだ。
「何を……」
「君は、誰かから価値を否定されるような扱いを受けているのか?」
抗議しようと口を開いて――うっかりそのまま固まってしまった。
心当たりは、もちろんある。
何しろルーシャは、いずれ捨てられることが決まっている〝つなぎ婚約者〟なのだから。
「……どうして、そう思ったんですか?」
「本当は、以前から気になってたんだ。君は自分の能力が認められることを、見ていて驚くほど喜んだからな。探索者になったばかりの頃は特に、価値証明に必死になってるように感じた」
近しい者に顧みられない子どもの特徴だと、ノルドは続ける。
「所詮オレは依頼で共闘する程度の仲だ。追及するのはお門違いだし、そもそも聞かないと先に言ったからな。今日までは『君が愚痴ってきたら聞く』程度の姿勢だったんだが……」
頭に乗ったままの手が、ルーシャの髪を優しく梳く。
毛布でぐしゃぐしゃになっていたそれが、サラサラと指の間を滑り落ちた。
「ローガンたちに『何もしなくていい』って言われて、不安だったんじゃないか? 比較的まともな寝床でも、寝つけないぐらいに」
「…………」
そんなことはないと言いたかったのに、言葉が口の中で消えてしまった。
自分は心配されるほど神経質ではないし、ただ楽しくて探索者をしているだけだと。
(そう答えたいのに)
うまく、声にならない。
ノルドは返事を催促することなく、またゆっくりと髪を撫でた。
「夕食の前にも言ったが、あいつらは君を気遣ってるだけだ。おっさんの集まりの中で若い女の子が不快に感じないように、気を回していた。決して君を『使えない』なんて思っちゃいない。それはわかるよな?」
「……はい」
「でも、やることがないと、居づらかったか?」
「…………」
無言のまま、頷く。
できることがないと居心地が悪くて、いたたまれないと思っていた。
(それが責任感とかじゃなくて、承認欲求……マイナスの感情起因だったなんて)
自分自身にちょっとガッカリだ。
つい視線を落としてしまえば、ノルドの手は慰めるようにぽんぽんと優しく触れてきた。
「……お嬢ちゃんは、とても優秀な探索者だ。誰が何と言おうとも、オレが保証する」
「わたしも、そうありたいと、思います……」
「――それから、君はちゃんと、魅力的な女の子だ」
「へ?」
毛色の違う褒め言葉に、パッと頭を上げる。
年上らしいスマートな慰めをしてくれたと思ったノルドは――意外にも、むずがゆそうに頬を紅潮させて、こちらを見つめていた。
「……ノルドさんって」
「なんだ? 先に言っておくが、お世辞じゃないからな」
「いえ――やっぱり友達いないんですか?」
「どこから出てきたんだよ、その感想は!?」
彼はテンポよくツッコミを入れた後、そのまま空を仰いだ。
(いやだって、この人わたしたちより十歳も年上なのに……)
こんな小娘一人慰めるだけで照れるなんて、人付き合いが少なかったとしか考えられない。
「くっそ、らしくないことするんじゃなかった……」
「ちゃんと嬉しかったですよ。ただ、女の子じゃなくて『女性』呼びしてほしかったですね。わたし一応成人してるので」
「オレにとっては、君はずっとお嬢ちゃんだよ」
「拗ねないでくださいよ……」
「拗ねてない!」
ぐしゃっと前髪をかき上げてそっぽを向く彼に、つい笑いがこぼれてくる。
(この人は、たくさんの人たちに慕われる、優秀な探索者なのに)
こんな素の格好悪い姿を知っている人間は、迷宮区画にどれだけいるだろう。
そう考えると、自分たちが特別なように感じてきた。
(って、こんなことでわたしの欲求を満たしたら駄目ね)
ノルドはルーシャを慰めようと慣れないことをしてくれたのだから、厚意をからかっては失礼だ。
気持ちを落ち着かせて、ついでにほったらかされた焚火を魔法で調整しておく。
「――いらないと言われたので、わたしも捨ててやろうと思ってたんですよ」
そうして少しだけ言葉をこぼせば、根が真面目らしいノルドはちゃんとこちらに向き直ってくれた。
「……この国に、そんな馬鹿な人間がいるのか?」
「いるんですよ、これが。希少性を比較して、わたしが負けただけでもあるんですが」
ルーシャでも『聖女』には敵わない。まあ、勝ちたいとも思わないけれど。
「だが、君の婚約者は……いや、そうか。ワケありなんだったな」
ノルドは小さく呟くと、こちらに追及はせずに頷いた。
正体が知られている身としては、とてもありがたい反応だ。
「後悔させてやろうって気合いを入れて迷宮に来たんですが、やっぱり根っこでは気にしていたのかもしれませんね。探索者生活を楽しんでいるつもりだったのに、あー恥ずかしい!」
「それは誰でも持っている感情だろ。恥ずかしいものか。……むしろ、指摘したオレが悪かった」
「とんでもない」
ノルドに指摘されなければ、眠れないほどモヤモヤした原因に気づけず、不調のまま明日を迎えていた。
その上、彼はルーシャがほしかった言葉を与えてくれたのだから、救い以外の何ものでもない。
「ノルドさん、改めてありがとうございました。あなたがいてくれてよかった」
「おっと、ずいぶんな殺し文句だな」
「ええ。ノルドさんがいてくれなかったら、ぼけーっと曇り空を眺めて寝不足になっていたので」
「確かに、それよりはオレのほうがマシか」
自然に落ちる笑みが、心地いい。
実兄も実姉もいるのに、『お兄ちゃんがいたらこんな感じかな』と思ってしまうのは失礼だろうか。
「……もう今夜は眠れそうか?」
「さっきよりは、たぶん。でも、寝てしまうのが惜しい気もします」
「なら、好きなだけ起きていればいい。寝落ちた君を運んでやるぐらいの親切心は、オレにもある」
「……重くて持ち上がらなかったら凹むので、歩ける内に戻りますよ」
「おいおい、普段から槍担いでる男を見くびるなよ。君ぐらい片手でいける」
(重い魔物の依頼は、わたしの魔法頼りなのに?)
声に出さずともジトッとした目線で伝わったのか、「鉄鋼ネズミは別だろ」と困ったような返事が聞こえる。
そんな軽口すらも温かい、なんとも平和な夜だ。
「おい、誰か! 手を貸してくれ!!」
――だからそう、完全に油断してしまっていた。
ここはロマンチックな夜景スポットなどではなく、命のやりとりをする迷宮なのに。
「出たぞ――新種の魔物だ!!」




