21.新しい王と誠の条件
クーデター未遂から一週間後、アルデナ王国は静かに動いた。
国王アデル三世が、病床から王位継承の意思を正式に表明した。後継者はレイン・アルデナ第一王子。即位の儀式は三か月後。それまでの間、レインが摂政として実務を担う。
第二王子ダグラスは「クーデターへの関与を認めないが、混乱の責を取る」という形で王位継承権を返上した。表向きは自発的な辞退だが、実態は証拠の前に選択肢がなかっただけだ。
この話をエレナから聞いた時、誠は宿の部屋で静かにお茶を飲んでいた。
「思ったより速かったですね」
「父王は以前から継承者を決めかねていました。昨夜の件が最後の後押しになったんだと思います」
「第二王子は今後どうなりますか」
「王宮から離れて、北部の領地に移ることになるようです。側近たちは拘束されたままです」
ケントも含めて、だ。
誠はお茶を一口飲んだ。
「エレナさん、一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「今回の件で、エレナさんの立場は変わりましたか」
エレナが少し考えた。
「……変わりました。ヴェスト伯爵家は第二王子派に近かった経緯があります。ただ私自身は田中さんと動いていたので、直接的な関与はない。レイン殿下もそれは理解しているはずです」
「不利な立場にはなっていませんか」
「今のところは大丈夫です。ただし、新体制で生き残るためには、何らかの形でレイン殿下との関係を作る必要があります」
「特区の件が使えます。エレナさんが持っている王宮の情報と人脈は、特区の設立に直接役立ちます」
「……私をうまく使う気ですね」
「お互い様です」
エレナが少し笑った。
「わかりました。田中さんの顧問契約の話が動いたら、私の立場も整理しましょう」
◆
レインからの呼び出しは、その翌日に来た。
今度は王宮の正式な執務室だった。摂政としての執務が始まっているらしく、レインの周囲には官僚や側近が何人もいた。前回までの私的な面会とは、雰囲気が全く違う。
誠は部屋に入りながら、素早くMAPを確認した。室内の人数と配置。危険度は低い。
「田中さん、来てくれてありがとうございます」
「お招きありがとうございます」
レインが立ち上がって、誠と向かい合った。周囲の官僚たちが、誠を観察している。
「正式なお話をさせてください。王国商業顧問としての条件書を用意しました」
側近が書類を持ってきた。誠はカメラで翻訳しながら読んだ。
内容は以前の打ち合わせより整理されていた。顧問契約の期間、報酬、守秘義務、商業制度設計への関与範囲、そして誠が求めていた「独立した商人としての自由の保証」。
全部で十二条。
三条目を読んで、誠は少し止まった。
「この条文ですが」
「どこですか」
「『顧問としての立場において、王国が要請する調査活動に協力すること』とあります。調査活動の範囲が明確ではないと感じます」
レインが少し頷いた。
「どう修正しますか」
「『商業制度および経済に関連する調査活動に限る』という一文を追加してください。政治的な調査や諜報活動は対象外にしたい」
側近の一人が何か言おうとした。レインが手で制した。
「追加します」
「ありがとうございます。それと七条目、」
「どこですか」
「『顧問は王国の商業政策に関して意見を述べる義務を有する』とあります。義務というのは強すぎます。権利に変えてもらえますか」
レインが少し目を細めた。
「……義務だと困りますか」
「義務にすると、私の意見が王国の政策決定に責任を持つことになります。私はあくまで外部の助言者です。決定するのは殿下であるべきです」
「なるほど。変えましょう」
「あと十一条目」
「まだありますか」
「最後です。『契約の解除は双方の合意による』とあります。私の側からの一方的な解除を認めてほしいです。ただし、三か月前の通知を条件にします」
今度は室内が少し静まった。側近の一人が誠を見ている。王に対して一方的な解除権を求めるというのは、この世界では相当に図々しい要求に映るのだろう。
レインがしばらく誠を見た。
「……理由を聞かせてください」
「私が王国に縛られる状況になった場合、私の商人としての独立性が失われます。それは長期的に見て、王国にとっても損失です。私が自由に動ける状態だからこそ、外から新しい知識や情報を持ち込めます」
室内が静かだった。
レインが少し考えてから言った。
「……三か月の通知を条件に、認めます」
側近の一人が小声で何か言った。レインが首を振った。
「記録してください」
書類に修正が加えられた。誠はもう一度全体を読んだ。三か所の修正が反映されている。
「サインします」
誠はボールペンを取り出してサインした。レインが羽根ペンでサインした。
側近が証人として署名した。
それで終わりだった。
レインが誠を見た。
「田中さん、一つ言っていいですか」
「どうぞ」
「あなたは今日、私が用意した条文を三か所修正させました。その全てが、あなたの独立性を守るための修正でした」
「そうです」
「なぜそこまで独立にこだわるんですか」
誠は少し考えた。
「縛られると、動けなくなります。動けなくなると、新しいことができなくなります。私の価値は、誰も思いつかないことをすることです。その価値を守るためです」
レインがしばらく誠を見た。
「……わかりました。その条件で進めましょう」
「ありがとうございます」
「特区の件も、正式に検討に入ります。担当者を決めて、田中さんと協議させます」
「よろしくお願いします」
握手した。今日の握手は、前回よりも少し力が入っていた。
◆
執務室を出ると、廊下でエレナが待っていた。
「どうでしたか」
「三か所修正して、サインしました」
エレナが少し目を見開いた。
「摂政殿下の条文を、三か所も修正させたんですか」
「必要な修正でしたから」
「……普通はそういうことをしません」
「普通の商人はそうかもしれませんが、私は条文の内容が大事なので」
エレナが少し首を振った。それからまた笑った。
「まあ、それが田中さんらしいですね。内容を聞かせてください」
誠が三か所の修正内容を説明すると、エレナが一つ一つ頷いた。
「……全部正しい修正です。特に一方的な解除権は、よく認めさせましたね」
「三か月前の通知を条件にしました。それなら王国側も準備できます」
「殿下は何と言っていましたか」
「独立にこだわる理由を聞かれました」
「何と答えましたか」
「縛られると動けなくなる、と」
エレナがしばらく誠を見た。
「……田中さんはいつも、そういうことを自然に言いますね」
「本当のことですから」
「でも、言える人は少ないです」
廊下の窓から、王都が見えた。石造りの建物が続いて、遠くに王都の外壁が見える。その向こうには平野が広がっている。
誠はその景色を少し見た。
「エレナさん」
「はい」
「今日から正式に顧問になりました。特区の話も動き始めます。しばらく忙しくなりますが、引き続きよろしくお願いします」
「もちろんです」
「報酬の話をそろそろ正式に決めませんか」
「……金貨ですか」
「情報の質と量に応じて、金貨一枚から三枚の範囲で」
「最低が一枚ですか。先月は銀貨でしたよね」
「実績が出ましたから」
エレナが少し口を尖らせた。
「……では、金貨二枚を基準にして、特に重要な情報は三枚にしてください」
「わかりました。書面にしましょう」
「またですか」
「また、です」
エレナが小さく笑った。
◆
その日の夕方、アリアに報告しに行った。
ギルドは通常通り開いていた。アリアが窓口で書類を整理していた。
「顧問契約、サインしました」
アリアが顔を上げた。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます。それと特区の話が正式に動き始めます。ギルドへの影響が出てくる前に、オーレンさんとも話し合いを進めたいです」
「わかりました。調整します」
アリアが少し間を置いた。
「田中さん、一つ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「顧問になって、何が変わりますか」
「商売は今まで通りです。ただし王国の商業制度の設計に関わる仕事が増えます。特区が動けば、その運営にも関わります」
「ここにいる時間は減りますか」
「……増えるかもしれません。特区はここから近い場所を想定しているので」
アリアが少し考えた。
「特区の運営の件、以前聞かれましたよね。どこで働くか、という話」
「はい」
「……まだ答えを出していませんでした」
「急がなくていいです」
「でも、そろそろ決めた方がいい時期ですか」
「特区が動き始めるまでには、決めてもらえると助かります」
アリアがしばらく書類を見ていた。
「……田中さんは、私にどちらを選んでほしいですか」
「アリアさんがやりたい方を選んでください、と前に言いました」
「言いました。でも今日はもう一度聞いています」
誠は少し間を置いた。
「……正直に言うと、特区にいてほしいです。あなたが規定に詳しくて公平な判断ができる人間だからというのは本当ですが、それだけじゃなくて」
「それだけじゃなくて?」
「特区が正しく動くために、信頼できる人間が必要です。私が信頼できると思っている人間の中で、アリアさんは一番です」
アリアが少し動きを止めた。
「……一番ですか」
「そうです」
アリアがゆっくりと視線を落とした。耳が赤い。
「……わかりました。考えます」
「はい」
「でも田中さん」
「なんですか」
「今日みたいなことを、さらっと言うのはやめてください」
「本当のことですが」
「……だから困るんです」
アリアが書類に向き直った。会話は終わりだという雰囲気だ。
誠はカウンターを離れた。出口に向かいながら、ガルドが外で待っているのをMAP越しに確認した。
今日はガルドと少し話したいことがあった。
◆
ギルドの外でガルドと合流した。二人で王都の通りを歩いた。
「旦那、今日はどうでしたか」
「顧問契約を結びました。三か所修正しました」
「三か所、ですか」
「必要な修正でした」
ガルドが短く頷いた。
「旦那、一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「あの夜、俺を連れて行ってくれた場所のことです」
「はい」
「俺は今も、あそこで見たものをうまく理解できていません。でも一つだけ、確認したいことがあります」
「なんですか」
「旦那はあそこから来て、こちらに来ています。それはいつまで続くんですか」
誠は少し考えた。
「わかりません。続けたいとは思っています」
「こちらに残るつもりはないんですか」
「残るという概念が、少し難しいんです。あちらには帰れる場所があります。でも今はここの方が、やりたいことがあります」
ガルドが少し考えた。
「……旦那が続けたいと思っている間は、俺も続けます」
「ありがとうございます」
「礼はいいです。ただし」
「報酬は上げてください、ですか」
「そうです」
「金貨に変えます」
ガルドが少し目を見開いた。
「銀貨十枚から、ですか」
「今までの仕事への感謝も含めて。金貨一枚で」
「……それは」
「ガルドさんがいなければ、昨夜乗り越えられませんでした。それだけの価値はあります」
ガルドがしばらく黙っていた。
「……わかりました。受け取ります」
「よろしくお願いします」
二人で王都の夕暮れの中を歩いた。石畳がオレンジに染まっている。
誠はGATEを確認した。今日の夜は現代に戻れる。土曜日のさやかとのご飯が近づいている。
顧問契約。特区の設立。ガルドの金貨。アリアの「一番ですか」という顔。
全部が、少しずつ前に進んでいる。
◆
夜、現代のアパートに戻った。
さやかからLINEが来ていた。
『土曜日の件ですが、場所変えていいですか。田中さんのアパートの近くのご飯屋さんの方が落ち着いて話せそうで』
『大丈夫です』
『それと田中さん、話してくれる内容によっては驚くかもしれないですが、その後も普通に接する自信はあります。大丈夫です』
誠は少し間を置いた。
『なぜ急にそれを』
『なんとなく、田中さんが構えてるなと思ったので。先に言っておこうと思って』
『読まれていますね』
『三年間の先輩観察の成果です』
誠は少し笑った。
『わかりました。土曜日、話します』
『楽しみにしてます』
スマホを置いて、ノートを開いた。
今日の記録を書く。顧問契約サイン。三か所の修正。特区の協議開始。ガルドの報酬を金貨に変更。エレナとの報酬契約も更新。
最後に一行書いた。
土曜日、さやかに話す。
それがどんな話になるのか、まだ完全には決めていない。ただ、話せる気がするのは確かだった。
ここまで来るのに、ずいぶん時間がかかった。
でもこのくらいの時間が必要だったのかもしれない、と今は思う。
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次話予告:第22話「さやかを異世界へ」
土曜日のご飯の席で、誠がさやかに話す。
「信じられないかもしれませんが、全部本当のことです」
さやかの反応と、初めての異世界同行。
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