17.スパイが紛れ込んだ
最初におかしいと思ったのは、ヴェルノとの取引が始まってから二週間後のことだった。
ガラン向けの石鹸の第一回供給を終えて、次の供給量を調整していた時だ。ミラが珍しく黙ったまま宿の部屋に入ってきて、ドアを閉めてから言った。
「田中さん、少し気になることがあります」
「なんですか」
「先週、ヴェルノさんとの取引条件を調整しましたよね。供給量と納期の変更」
「しました」
「その内容を、私とガルドさん以外に話しましたか」
誠は少し考えた。
「アリアさんには報告しました。書面の更新があったので」
「エレナ令嬢には?」
「変更の概要だけ話しました」
「それ以外には?」
「……いません。なぜですか」
ミラが少し表情を固くした。
「昨日、王都の商業区域で、あの変更内容を知っている人間が別にいました」
「誰ですか」
「デルガン商会の若い商人です。仕入れの話をしていたら、『田中商会はガラン向けの供給量を今月から増やしたそうですね』と言ってきました。私は驚かないようにしながら、どこで聞いたか探ったんですが、はっきりとは教えてくれなくて」
誠は少し黙った。
変更した取引条件が、外部に漏れている。それも、アリアかエレナ以外のルートで。
「他に漏れていた情報はありますか」
「確認中です。ただ、もう一つ気になることがあって。先月、新しく雇ったアルバイトの荷物運びの男がいますよね」
「ロッドですか」
「はい。あの人の動きが少しおかしいです」
「おかしいというのは」
「荷物を運ぶ時間以外に、宿の周辺をうろうろしていることがあります。私が尾行のプロなので気づきましたが、普通の人は気づかないと思います」
誠は少し考えた。
ロッド。二十代の若い男で、王都商人組合のルーカスが紹介してきた人物だ。荷物の運搬と在庫管理を手伝ってもらっていた。
「ルーカスさんはロッドとどこで出会ったか、わかりますか」
「確認していません」
「確認してください。それとロッドの動きを、今日から詳しく観察してほしいです」
「はい。ただし田中さん、もし本当にスパイなら、今すぐ解雇するより少し泳がせた方がいいかもしれません」
「どういう意味ですか」
「泳がせて、誰に情報を渡しているかを突き止めてから動く方が、背後関係まで把握できます」
誠は少し考えた。ミラの言う通りだ。スパイを追い出すだけでは、依頼主がわからない。
「わかりました。泳がせます。ただしロッドに渡る情報は、私がコントロールします」
「どうやってですか」
「おとりの情報を流します」
ミラが目を細めた。
「おとり、ですか」
「本物の取引情報ではなく、少しだけ変えた情報をロッドの耳に入るようにします。その変えた情報が外部に出れば、確実にロッドが情報源だとわかります」
「なるほど。それで依頼主まで辿れますか」
「辿れなくても、情報が出たタイミングで誰が動くかを見れば、依頼主の候補が絞れます」
ミラが尻尾をぱたぱたさせた。
「面白いですね。やってみましょう」
◆
翌日から作戦を実行した。
おとりの情報は二種類用意した。
一つ目、「来月からエレナ令嬢の鉱脈採掘権を買い取る予定がある」という話をロッドの近くで、わざと聞こえるように話した。実際にはまだそういう話は出ていない。
二つ目、「王都北区に新しい倉庫を借りる予定がある」という話を、同じく聞こえるように流した。こちらも実際には検討していない。
それぞれ違う内容で、どちらの情報が外に出るかで、ロッドが何を優先して報告しているかもわかる。
ミラがロッドの動きを二十四時間体制で観察し始めた。
「経費は」
「請求してください」
「ありがとうございます」
結果は三日で出た。
ミラが戻ってきた時、珍しく少し興奮した顔をしていた。
「動きました。昨夜、ロッドが王都南区の小さな酒場に入りました。中で三十分ほど過ごして出てきました。私は外で待っていたんですが、ロッドが出た後に別の人間が出てきました」
「誰ですか」
「……第一王子殿下の側近の一人です。顔は王宮の茶会で見ていたので確かです」
誠は少し間を置いた。
第一王子。レインの側近がロッドと接触していた。
「どちらの情報が出ましたか」
「今朝、エレナ令嬢の鉱脈の話が、王宮の商業担当の官僚の耳に入ったという情報を別ルートで掴みました。倉庫の話は出ていません」
鉱脈の話だけが出た。つまりロッドは鉱脈の話を優先して報告した。
エレナの財産状況に、第一王子が興味を持っている。その情報を得るためにロッドを送り込んだ。
誠は少し考えた。
レインとは書面での協力関係を結んでいる。しかしその一方で、誠の周辺に情報収集の人間を送り込んでいた。信頼しつつも監視している、ということだ。
「ガルドさんに連絡を取ってください。三人で話したいです」
◆
宿の部屋に三人が集まった。
誠が状況を説明すると、ガルドが腕を組んで黙った。ミラが尻尾を膝に抱えて考えている。
「第一王子ですか」
ガルドが低い声で言った。
「側近が関与していました。殿下が直接指示したかどうかはわかりません」
「でも側近が勝手に動くとは考えにくいですね」
「そうです」
ミラが言った。
「どうするんですか、田中さん」
「ロッドはしばらくそのままにします。知っているふりをして、管理できる情報だけを渡す状態を続けます」
「泳がせ続けるんですか」
「そうです。今、ロッドを解雇すると、レインの側近に気づかれたことがわかります。気づかれていないと思わせたまま、こちらが情報をコントロールする状態が一番有利です」
ガルドが少し考えた。
「……旦那、第一王子に対してどう動くつもりですか」
「今は動きません。ただし、この件を記録しておきます」
「証拠として、ですか」
「念のためです。レインとは協力関係がありますが、向こうが完全に信頼しているわけではないことは、最初からわかっていました。こちらも同じです」
「信頼していないんですか」
「信頼と確認は別です。信頼しながらも確認する。それが長続きする関係の作り方です」
ガルドが短く頷いた。
「それと、エレナさんに連絡が必要です」
「鉱脈の件が漏れたことを伝えるんですか」
「はい。エレナさんが知らないまま王宮が動くと、予想外の方向から圧力が来る可能性があります」
◆
エレナの屋敷に向かうと、エレナは落ち着いた顔で話を聞いた。
怒るかと思ったが、そうではなかった。
「……予想はしていました」
「していましたか」
「父の財産のことは、王宮でも以前から興味を持つ人がいました。鉱脈の話は、知る人が増えれば必ず漏れます」
「対応できますか」
「鉱脈の採掘権については、すでにギルドへの登録手続きを始めています。登録が完了すれば、権利関係が公式に確定します。王宮が介入しようとしても、法的な根拠がなくなります」
「それは知りませんでした。いつから動いていたんですか」
「田中さんが鉱脈の話をした翌日から、父に確認して手続きを始めました」
誠は少し驚いた。
「早いですね」
「田中さんがいつも言っているじゃないですか。先手を打て、と」
「私はそんなに明確に言いましたか」
「言葉では言っていませんが、行動でいつも示しています」
エレナが少し口の端を上げた。
「それと、田中さん」
「はい」
「第一王子が私の財産に興味を持っているということは、私との協力関係もレインの目に入っているということですよね」
「そうなります」
「……つまり、私の動きも観察されている可能性がある」
「あります」
「わかりました。気をつけます」
エレナが少し間を置いてから言った。
「田中さんの周りには、色々な人間が近づいていますね。王子、大司教、ガランの商人、そして今度はスパイ」
「ご迷惑をかけています」
「迷惑とは思っていません。ただ」
「ただ?」
「あなたの周りにいると、退屈しないですね」
誠は少し笑った。
「それは褒め言葉ですか」
「……どちらとも取れるように言いました」
エレナが珍しくいたずらっぽい顔をした。
◆
アリアへの報告は、ギルドの閉館後に行った。
ロッドの件を説明すると、アリアがしばらく黙った。
「……私がヴェルノさんとの取引変更を書面で処理したことが、きっかけになった可能性がありますか」
「それはないと思います。アリアさんが書類を外部に漏らすとは考えていないし、書類自体はギルドの内部で管理されています」
「でも、私がロッドの近くで話を聞かれた可能性は」
「あります。ただし今回の件でアリアさんを責める理由は何もありません」
アリアが少し考えた。
「今後、取引関係の話をギルドで処理する際は、もう少し気をつけます」
「お願いします。ただし、いつも通りに動いていてください。急に慎重になると、何かに気づいたということが伝わってしまいます」
「……なるほど。おとりの話と同じですね」
「そうです」
アリアが誠を見た。
「田中さん、第一王子の件はどうするつもりですか」
「今は動きません。記録して、様子を見ます」
「レインの側近が関与していたことを、殿下に直接伝えないんですか」
「伝えると、こちらが気づいていることがわかります。向こうが知らないと思っている状態の方が、今は有利です」
アリアがしばらく考えた。
「……田中さんは、人を信頼しながらも、確認することをやめないんですね」
「信頼と確認は別だと思っています」
「私にも当てはまりますか」
誠は少し驚いた。
「アリアさんは信頼しています」
「確認は?」
「……していません」
「なぜですか」
誠は少し考えた。
「アリアさんが動く理由を、最初から見ているからです。帳簿の写しを作った理由。前任の同僚のために動いた理由。全部、計算じゃなかった」
アリアが視線を落とした。
「……それで信頼できると判断したんですか」
「はい」
「根拠として、弱くないですか」
「弱いかもしれません。でも信頼というのは、最終的にそういうものだと思います」
アリアがしばらく黙っていた。
それから小さく言った。
「……私も、田中さんを信頼しています。確認なしで」
「理由は」
「田中さんが動く理由を、最初から見ているからです」
誠はアリアを見た。アリアが視線を上げた。少し赤い。しかし今夜は逸らさなかった。
少し間があった。
「……では、また明日」
「また来ます」
ギルドを出た。
夜の王都の石畳が、月明かりで少し光っていた。
誠は歩きながら、今日の出来事を整理した。
ロッドの件は引き続き監視を続ける。エレナの鉱脈は登録手続きが進んでいる。第一王子の件は記録して様子見。
全部、手が打てている。
しかし今夜一番頭に残っているのは、アリアが言った言葉だった。
「私も、田中さんを信頼しています。確認なしで。」
理由まで同じ言葉で返してきた。
誠はポケットの中のスマホを握った。
GATEの通知が来ていた。
「新機能が解放されました」
誠は足を止めた。スマホを取り出して確認する。
「???」と表示されていた二つのロック項目のうち、一つが変わっていた。
「STORAGE ― データの保存と転送機能」
どんな機能かはまだよくわからない。しかし解放条件が何だったのかも、表示されていない。
ただ、GATEは今日の何かに反応して、新しい機能を開いた。
誠はしばらくその通知を見ていた。
何がトリガーになったのか。
おとり情報。スパイの特定。信頼と確認の話。アリアとの会話。
どれかはわからない。
しかしGATEが「謎の条件を満たした」と判断したのは確かだ。
誠はSTORAGEのボタンを押してみた。説明文が表示された。
「異世界と現代の間で、データを保存・共有する機能です。テキスト、画像、記録をGATEのクラウドに保存し、どちらの世界でもアクセスできます」
これは便利だ。今まで手書きのノートや現代でのバックアップに頼っていた記録管理が、GATEのクラウドで一元管理できるようになる。
誠は今日の記録をSTORAGEに入力した。ロッドの件。エレナの鉱脈。第一王子の側近。アリアとの会話。GATEの新機能解放。
全部、どちらの世界でも見られるようになった。
◆
現代のアパートに戻って、さやかにLINEを送った。
『今日も色々ありました』
少しして返信が来た。
『お疲れさまです。副業ですか』
『そうです。スパイがいました』
『スパイ!?』
『情報を盗む人間です。特定できました』
『田中さんの副業、どんどんスケールがおかしくなっています』
『気のせいです』
『絶対気のせいじゃないですよ。大丈夫でしたか』
『大丈夫です。信頼できる人たちが動いてくれました』
『その人たち、本当に大切にしてください』
『しています』
『田中さん、一つ聞いていいですか』
『どうぞ』
『その信頼できる人たちの中に、田中さんのことが好きな人、いますか』
誠はしばらくスマホを見た。
『……なぜそれを聞くんですか』
『なんとなくです』
『なんとなくで聞きましたか』
『田中さんが大切にしている人たちのことが気になっただけです』
誠は少し考えた。
『わかりません』
『わからないんですか』
『鈍いので』
『知ってます』
さやかからそれ以上は来なかった。
誠はスマホを置いて、天井を見た。
信頼できる人たちの中に、誠のことが好きな人がいるか。
わからない、と答えた。
しかしわからないと言いながら、今夜のアリアの顔が頭から離れなかった。
鈍いのか、気づかないふりをしているのか、自分でもよくわからない。
誠はノートを閉じた。
今夜はもう考えない。やることがまだたくさんある。
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次話予告:第18話「同盟か、独立か」
第一王子から最後通告が届く。
「正式に王家の庇護下に入れ」
誠が提示した第三の選択肢とは。
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