いつか生まれ出る世界
朝になった。主人に捨てられたボクは、定時になると同時に眠っている二人を起こす。
「起きろ、二人とも」
「……うん、トレース」
リリーはまだ眠りこけていたが、ララは思った以上に早く起きた。
「私が何もできなかったから、捨てられちゃったのかな」
「……聞いていたのか」
ボクはララのそばまでよって話しかけた。彼女のサラサラの髪をなでながら、ボクは思う。捨てられたのではない。ボクたちは捨てられたのではない。思い込むように強くそう考えた。
「私は、世界っていう女の人が背負っているものを見て、怖気づいちゃった。あの人と一緒に行けばルオに会うってわかった途端、身体が震えて、怯えて。こんなダメな娘だから、お父さんは私を置いて行っちゃったのかな」
「違う」
ボクは断言した。違う。そんなわけはない。主人がそんなことをするわけがないのだ。
そうは思っていても、ボクはララに納得してもらえるほど理論的な考えを思いつかなった。はは、命令なしじゃ、ボクはこんなものなのか。
「主人は、強くなると言っていた」
「十分強いのに」
主人からしたら、十分な強さでは足りないのだろう。ボクという存在が役に立たないから……。
「トレース、役に立たないって、どういうこと?」
ボクはララの髪をなでる手を止めた。……なんと説明しようか。主人の命令に従えず、命令を為せず、ついに主人からの信用を失った。そんな説明で、納得してくれるだろうか。
「……ねえ、トレース、何があったの? 教えてよ。ちょっと、気になる」
「わかった」
ララに話せば、すこしは楽になるだろうか。もしかしたら、ララが何か言ってくれるかもしれない。聡い子なのだ、もしかしたら。
ボクは守るべきものに頼り、救ってもらおうと考えていた。……愚かな。たとえ虚勢だったとしても、強く見せるべきだったのに。
「……お父さんが出て行ったのは、トレースのせいだ」
「……」
ボクがすべてを話し終わると、ララはそう言ってボクを非難した。
「普段自分は万能無限で、なんでもできるってお父さんに教え込んで、思い込ませて。それで、何もできなかったからお父さんの信用を無くしたんだ。だから、お父さんは……!」
だから、お父さんはトレースを捨てるための準備をし始めたんだ。そう彼女は言った。
「ボクは、捨てられるのだろうか」
「もう半分捨てられたようなものでしょ? たぶん、もしお父さんが帰ってくる前に私たちに何かあったら、今度こそトレース捨てられちゃうよ?」
そうか、ボクは守らねばならないのだ。主人の命令を達するためにも。何者からも、この二人を。しかし、ずっと、四六時中見張るわけにはいかないし、ボクも自信がない。……ならば、この二人を閉じ込めて。
そう一瞬だけ、ボクは考えてしまった。もちろん、実行するつもりなんて、かけらもなかったし、そんなことをすれば即廃棄されることなどわかりきっていた。それでも、一瞬だけ、思ってしまったのだ。
心を見透かす娘を前に。
「トレース」
「なんだ、ララ」
「近づかないで」
ボクはララの顔を見つめた。なぜそんなことを言われるのか、一瞬わからなかったのだ。
「私たち、トレースの道具じゃないよ。トレースの目的を達するためのオブジェじゃないよ。人だよ。生きてるんだよ。閉じ込めて、そのあとどうするの? 逃げないように足の腱を切るの? それともずっと眠らせておく? お父さんが帰ってくるまで、ずっと去勢された動物みたいな生活を私たちに強いるつもりなの?」
「ち、違う」
ララは、リリーのそばまで行くと、ボクからかばうように両手を広げた。
「もしそんなことをしようとしたら、私、自殺するから。飼われるなんてまっぴらごめん。もちろん、リリーにだってそんなことはさせない。私は、お姉ちゃんなんだから」
その瞳の強さに、かつての弱々しいララの影はなかった。妹を持って、強くなったのだろうか。守りたい人ができたことが、ララを変えたのだろうか。
「ボクは、そんなつもりは毛頭ない」
「けど、最終手段としては考えに入ってるでしょ」
「……」
何も言えなかったボクは、ララの信用を失った。脱力すると、壁に背を預け、ひたすらに笑う。
「何?」
「いや、滑稽だなと思ってな」
「妹を守ることが、そんなに変?」
「いや、君じゃない。君は素晴らしい。滑稽なのはボクだ」
主人に最後通告を言い渡され、守るべき対象から嫌われ、信用を失い。ボクは道具としては優秀だと思っていたのだがなぁ。
ボクはララに向き直ると、純粋な気持ちだけを彼女に伝える。
「ボクは、君を傷つけたりしない。君はボクを嫌ってもいい。憎んでもいい。だが、せめてボクに君らを守らせてくれ。君の父親の代わりを、務めさせてくれ」
命令であることも、もちろんある。だが、もしただ『世界を作れ』と言われただけであったとしても、ボクはこの二人を守ろうとしただろう。ボクはこの二人が、愛おしいのだ。主人に対する愛とはまた別の、綺麗な気持ちだった。
何がボクを変えたのだろう。今までなら、いや、主人と最初に会ったときなら、機械的に命令をこなそうとしていただろう。
ミリアと、ララと、リリー。三人の娘と出会い、別れ、再会し、彼女たちの気持ちを知ることで、ボクは少しずつ、変わっていったのだろう。
「……忘れないで。私たちは、人なんだよ」
「ああ、もちろんだとも。キミたちは何より愛しい主人の娘であり、何より大切な仲間なのだから」
ボクは気恥ずかしい思いをしながらも、そう言った。仲間。この言葉が今のボクを強くしてくれるような気がしたからだった。
「では、いきなりですまないが、クラスメイトと別れを告げて来てくれ」
「なんで?」
「新たに世界を創造する。そのため、ついてきてほしいのだ。嫌なら、構わないが」
世界など、いつでも作れる。が、この二人の命は一つしかない。主人なら、きっと娘の命を優先するだろう。
「……わかった。平和な世界が、いい」
「もちろん、そのつもりだ。……だが、いいのか? 友達、なのだろう?」
「平和な世界で平和に暮らすほうがいい」
「……ありがとう、ララ」
主人の命令は、完璧にこなす。それが、ボクの使命。果たしてみせる。
「じゃあ、私はリリーを起こすから、トレースはごはん作って。お別れを済ませたら、帰ってくるから」
「わかった」
ボクは部屋にある小さな台所に向かうと、料理に取り掛かった。
これからの生活は、少し大変だろう。世界を作る、などやり方などわからない。だがやるしかないのだ。
ララとリリーを守りながら、世界をつくる。途方もない努力が必要になるだろう。
だが、やって見せる。何年、何千年かかろうとも。