僕の知らない世界
半ば無理に、起き上った。がらがらと音を立てて、たくさんの瓦礫が周りに落ちる。組み敷いている世界さんを見ると、驚いた表情をしていた。僕は立ち上がろうとして、脚が動かないことに気づく。自分の足を見ると、ぐちゃぐちゃになっているのが見えた。詳しいことは見えないからわからないけど、瓦礫の下敷きになって、赤い液体が流れ出てるから、間違いないと思う。
「……ごめん、ちょっとどけそうにないや。もうちょっとだけ待ってね」
痛みがないのは幸いだった。たぶん麻痺してるんだろうけど、今はそっちのほうが都合がいいや。
「な、何考えてるの!? し、死んじゃうかもしれなかったんだよ!?」
「まあ、今生きてるし」
僕はあははと明るく笑って見せた。さっきから暗い顔ばかりしていたから、笑ってほしくて。……無理だということは、わかっているけど。
「な、何を笑ってるの? あ、あなた私の翼、見たでしょ!? 怖くなかったの!?」
「うん。きっとしまってくれる、って信じてから」
僕がそういうと、世界さんは苦い顔をした。
「私の翼は、私は、妹を殺すような人間だよ。それでも、信じたの?」
「君のしたことは、救いだよ」
はっとした表情になって、世界さんは僕を見る。
「苦しみから解放してあげるっていうのも、立派な優しさだと思うんだ」
僕は自然と、そんな言葉が出ていた。確かに、妹を殺すっていうのは悪いことなのかもしれない。でも、僕には世界さんが悪いことをしたようには見えなかった。だから、彼女には罪悪感を持ってほしくなくて。
「……何にも知らないのに、そんな気の利いたセリフは、言えるんだね」
「うん。どうしてだかは僕も知らないけど」
ニコリと務めて明るく微笑むと、僕は瓦礫だらけになった周りを見渡す。
すると右のほうで、瓦礫がもぞもぞと動き、中からトレースが出てきた。
「ちっ。あの二人、周りを瓦礫の山にしないと気が済まないのか? 忌々しい……」
「おーい、トレース!」
僕は手を振ってトレースを呼んだ。彼女は僕のほうを向くと、一瞬で僕のすぐ前まで移動してきた。
「どうした、主人。敵がまだいるから気をつけろ。……主人、足が……」
そういうとトレースは、僕の手を取り、引き上げた。え、まだ瓦礫の下に足が……。
「……二秒もあれば治るが、構わないな」
「え、でも、痛いのは……」
トレースにつりさげられる格好になっている僕は、下を向きながら言った。足を見ると、膝から下が完全にちぎれていた。今度は僕の足を潰した瓦礫に目を向ける。ほかの瓦礫よりも格段に大きく、重そうだった。そんなものに潰されたら、まあ、ちぎれちゃうよね。これが世界さんの足でなくてよかったよ。
「……すまん、主人」
「いだあああああああ!?」
「すまんと言った」
両足に突如として襲ってきた痛みに身を震わせること数秒、足が元通りになっていた。素足のまま、瓦礫の上に立つ。トレースが手を離してくれて、僕の様子を見た後、世界さんのそばまで行った。
「大丈夫か。気を確かにな」
「……全部、知ってたのね」
差しのべられた手に構わず、世界さんはうめいた。トレースは、何も言わなかった。
「どうして教えてくれなかったの?」
「教えて、信じたか?」
「……でも、心の準備くらいはできたかも」
「受けるショックは変わらんだろう。さあ、手を取れ。逃げるか戦うかしないと、お前まで死ぬぞ」
世界さんは自力で立ち上がると、背中から漆黒の翼をはやした。それは今までで一番雄大で、一番、恐ろしかった。黒い邪気のようなオーラが彼女の翼から立ち込め、翼にある羽も一枚一枚が大きくなっていた。
「……戦う。死んでも戦う」
「落ち着け」
トレースがなだめようと近づくと、世界さんは翼をはためかせた。まるで、誰も近づくなとでもいうように。
「落ち着いてなんていられない。私は皐に約束したんだよ。あいつを殺すって!」
「君には無理だ」
そうトレースが言うと、世界さんはすさまじい形相でトレースをにらんだ。
「無理でも、殺す」
「……死ぬぞ?」
「死んでも、いい」
それは、鋼の決意だった。もう遅いのかもしれないけど、僕は妹さんを世界さんに見せることを、後悔していた。悲しむでもなく、泣くのでもなく、怒り猛り、殺意にとらわれてしまうなんて。
「主人、彼女はこう言っているが、どうする?」
「僕は……ルオと戦う」
世界さんは、少しだけ驚いたような表情をした。
「……私のことなんて、ほっとけばいいのに」
「僕も、ルオが許せない。僕は、彼を倒す」
僕だって、決意する。絶対にルオを倒すんだ。もうこんなこと、やめさせないと。
「主人の意向に従おう。……奴らを探さねばな」
「その必要はないよ」
後ろから瓦礫を踏み分ける音をさせながら、ルオがそう言った。僕は声がしたほうを向き、彼の姿を確認する。僕とは違って、五体満足。白い長そでの上着と下のジーンズには埃一つついていない。
彼の隣には、白いドレスに身を包んだオリジンが侍っていた。
僕は腰からコンシャンスを抜刀し、構える。世界さんは、背中の翼から一際大きな羽をつかみ、引き抜いた。それはまるで剣のように固く、ちょっと振ったくらいではしなりさえしないような雰囲気を持っていた。
「ルオ。皐の仇、とらせてもらう」
「君の妹さん、すごく楽しかったし、気持ちよかった。ありがとう」
次の瞬間には、世界さんはルオに向かって突撃していっていた。僕の隣を、ものすごい風が駆け抜けた。その風の勢いに目を少しつぶって、再び瞼を開けるころには、世界さんは、劣勢を強いられていた。
「どうして!?」
「当たり前だ。彼女は一般人だぞ」
加勢したいのだけれど、彼女の翼が……。
「トレース、彼女の力、強くしてあげられない!?」
「無理だな。人の身では耐えられまい。オリジンが来てる。応戦を、主人」
!
僕は向かってきたオリジンの手の平を、剣をクロスさせて受け止める。彼女の手の平は真っ白に光っていて、受け止めた剣身からはシュウウという音が聞こえてきた。……熱?
「よく受け止めましたね」
「……うるさい! 僕は君に構っている暇はないんだ!」
剣で捌いて、思い切り体重をかけてきていたオリジンの体制を崩す。そこで、僕は彼女の両手をどちらも切り落とした。ぼとりと地面に落ちたあと、それは跡形もなく消えた。
「トレース、あとは任せた! それから、身体強くするの、よろしく!」
「了解!」
ぐん、と僕の体に力が宿る。一直線にルオを目指す。
「世界さん! 加勢するよ!」
世界さんは聞こえていないみたいだった。目いっぱい翼をはためかせてルオに威嚇しているこの状況じゃ、加勢なんてできない。……どうすれば?
「ルウ、オリジンを御したの? すごいね」
「お前の相手は、この私だ!」
世界さんが思い切り振った羽の剣は、ルオにあっさり躱される。ルオはその腕と彼女の肩ををつかむと。
「ルオ、やめろ!」
「嫌だ」
僕は思わず、目と閉じ、耳をふさいでしまった。それでも、片腕を力づくでもぎ取られた世界さんの悲鳴は、嫌というほど聞こえてしまったけど。
再び目を開けてルオのほうを見ると、彼は世界さんの首をつかんで、締め上げていた。彼女の右肩から下なく、血が止めどなく流れ出していた。彼女は苦しそうにうめき、背中の翼もぐったりとして動かない。さらに手に力を籠めようとしたルオに、僕は思わず叫んでいた。
「ルオ! もうやめて! なんでこんなことするの!?」
「なんで? 俺はこの女が嫌いなんだ。仲間になれと言ってもならない上に邪魔をする。何度達磨にして犯して捨ててやろうかと思ったくらいだよ。ま、達磨にはするんだけどね」
僕はコンシャンスを握る手に力を込めた。許せない。今すぐにでも切りかかって、倒したい。でもそれはできない。世界さんが、殺されてしまう。……そんなのは嫌だ。僕の、大切な……。僕のことを好きと思ってくれた、大切な人なのに。
「……ふん」
そんな僕の気持ちをあざ笑うかのようにルオは息を吐いて、じたばたともがく世界さんに残った腕をつかんだ。
「や、やめて、お願い!」
「やめろルオ!」
「動くな、ルウ」
それだけ言うと、今度は世界さんの腕をねじりきった。痛ましい悲鳴が、耳をつんざく。僕は罪悪感でいっぱいになる。なんで助けてあげられないの。強くなったはずなのに。トレースの力も持っているのに。
「俺は、力持ちだからな。さあ、ルウ、どうする?」
「どうするって?」
もはや痛みで何も考えられないのか、ルオにされるがままになってしまった世界さんを見ながら、僕は答える。
彼女は大丈夫だろうか。……痛みでおかしくなっちゃったりとか、しないのかな。本当に大丈夫なのかな。早く助けてあげなきゃ。
「うん? 俺、この子殺すけど、ルウは? 止めてみる?」
……止めるために何をしなければならないのだろう。また、ゲームなのだろうか。
「今度はゲームじゃないよ。俺は、こいつを殺さないと気が済まないから」
「なんでそんなに……世界さんのことを殺そうとするの!?」
「邪魔なんだ。だからだよ」
めきめきと、彼女の首から嫌な音がする。ダメだ。決めなきゃ。迷っている時間も、話し合いの時間も、ない!
「させるか!」
そう思った僕はトレースに強化してもらった体を使って、行動していた。