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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第一章 異界 後編

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64〈怨霊〉


 闇が濃くなるにつれて、乾いた骨が擦り合う音と邪悪な気配が鮮明になる。〈灯火〉によって浮かび上がる柱の影がわずかに揺らぎ、その揺らぎが一点へと収束していく。まるで闇そのものが凝縮されて、実体を得ようとしているかのようだった。


 やがて、暗闇の奥に歪んだ輪郭が浮かび上がる。骨と錆びた武具の残骸だけで構成された巨大な躯体を持つ異形だ。


 関節は不完全で、肋骨は左右で長さが揃わず、脊柱は湾曲したまま固定されている。それでも骨格を維持できるのは、内部に作用する得体の知れない力――呪力とも異なる邪悪な力が、各部位を無理やり拘束しているためだった。


 その骸骨の化け物は、乾いた音を立てながら前進する。身体を動かすたびに骨同士が擦れ、粉末化した微粒子が舞い上がる。それはただの骨粉ではなく、長く瘴気に晒されて変質した有機物の残滓で、化け物が内包する力によって崩壊し、霧のように漂っていた。視界を遮るほどではないが、呼吸のたびに不快な感触を残す。


 空洞の眼窩が砕けた角灯(ランタン)の残骸へと向けられ、次いで柱の陰へと移る。視覚器官を持たないはずのそれは、確かに〝意識〟のようなものを持ち合わせていて、アリエルたちの存在を探り当てようとしていた。空間に残された呪素の残滓を感知しているのか、正確にこちらの位置を捉えていた。


 つぎの瞬間、配置についていた〈ルインゴル〉の戦士たちが同時に動いた。ガロックは柱の影から飛び出し、低い姿勢のまま数歩で加速する。


 足の裏が床を捉える角度は極端に浅く、滑るように前進しながら、最後の一歩で爆発的な加速を得る。筋繊維が一斉に収縮し、重い戦斧を抱えたまま、人間の到達し得ない高さに跳び上がる。そして空中で前転するように身体を回転させ、弧を描くようにして、落下の勢いをそのまま斧に乗せて叩きつけた。


 重力と落下速度をそのまま乗せた打撃力は凄まじく、衝突の瞬間、鈍い衝撃波が大気を震わせた。化け物の身体は大きく弾かれ、接合されていた骨が一斉に飛び散る。肋骨の束が粉砕され、上半身が一瞬だけ崩壊する。


 しかし破壊は持続しない。散乱した骨片が床を転がるよりも早く、得体の知れない力が作用する。砂時計を逆さにしたかのように、骨粉が寄り集まり、骨を形成しながら引き寄せられていく。断面同士は不自然に噛み合いながら再構築され、やがて元の輪郭を取り戻していく。


 そして骸骨の化け物は声帯すら持たないはずなのに、空気を震わせる咆哮を放った。次いで、巨大な腕が横薙ぎに振り抜かれる。その動きは恐ろしく速く、質量と慣性が異常だった。関節の制約を無視した回転が生じ、軌道上の空気が圧縮される。直撃すれば骨ごと押し潰される――その寸前、ヴァロックが大楯を構えながら前へ滑り出る。


 ガロックを庇うように、彼は盾を真正面ではなく、わずかに角度をつけて構えた。衝撃を受け止めるのではなく、受け流すための構えだった。巨大な腕が楯に接触した瞬間、鈍い衝撃が発生するが、その力は斜めに逸らされる。床へ逃がされた衝撃が石材を軋ませ、足元がわずかに沈む。それでもヴァロックは姿勢を崩さず、膝と腰で衝撃を吸収しきる。


 同時に喉嚢が膨張し、低い振動が放たれる。その音は空気だけでなく、化け物の骨格そのものに直接伝わり、共振を引き起こす。再構成されたばかりの接合部は安定しておらず、振動に対して脆弱だった。骸骨の化け物の動きが一瞬だけ鈍り、骨同士の接触が乱れる。


 その僅かな隙を逃さず、ガロックが再び踏み込む。今度は跳躍せず、地表を滑るように接近し、膝の高さから斧を横に振り抜く。狙いは支持構造となっている下肢の骨だった。打撃は脛骨に集中し、支点を失った躯体がわずかに傾ぐ。


 迷宮の闇が揺れ、骨の軋む音が反響する。空気は冷たく張り詰め、振動の余韻が柱の間を走り抜けていく。崩壊と再生を繰り返す異形と、それを計算された手順で切り崩していく双鳴の戦士。戦いは均衡しているように見えながら、その実、わずかな誤差が致命に直結する危うい状態にあった。


〈ルインゴル〉の戦士と骸骨の化け物が激しい戦いを繰り広げる最中、ヴェリスは戦いには加勢せず、ただ状況を見守っているようだった。彼女の四つの眼は淡く光り、観測者としての役割だけに専念しているかのようだった。


 理由は分からなかったが、〈ルインゴル〉の問題に干渉することを避けているようにも感じられた。というのも、あの骸骨の化け物は、この〈迷宮都市〉で混沌の勢力との戦いに身を捧げ、命を落とした〈ルインゴル〉の戦士たちの怨念によって形作られた存在だったからだ。


 アリエルは、ふと迷宮で目にした白骨のことを思い出す。ガロックとヴァロックは、自らの手で同胞(はらから)の無念を晴らそうとしているのかもしれない。


 そのときだった。恐ろしい咆哮が聞こえたかと思うと、ガロックが勢いよく吹き飛び、石柱に身体を叩きつけられるのが見えた。衝撃で柱が震え、粉塵が舞い上がる。


 あの骸骨は、混沌の化け物を――イナゴを思わせる人型の昆虫種族〈奈落の古きものたち〉の群れすらも単独で殲滅させるほどの化け物だ。〈ルインゴル〉の精鋭でも苦戦するのは当然だ。


 アリエルが助太刀しようと動いたときだった。骸骨の化け物の攻撃を大楯で受け止めていたヴァロックの喉嚢が大きく膨らみ、収縮を繰り返すのが見えた。


 その直後、空気が震え、迷宮の石壁が微かに共鳴した。人間の可聴域にない音が共振を起こし、化け物の骨を振動させるのが見えた。その音は、ほとんど認識できない速度で骨を振動させ、音そのものによって全身を崩壊させていくのが見えた。


 骸骨の化け物が腕を振り抜くたびに骨粉が舞い上がり、再生を繰り返しながら崩壊していくのが見えた。そこにガロックが飛び掛かり、斧の強烈な一撃を叩きつける。


 骨の再生が追い付かず、これまでかと思われた瞬間、骸骨の化け物は咆哮を放つ。その衝撃波はすさまじく、ガロックとヴァロックは()す術なく吹き飛ばされる。


 やがて、舞い上がった塵が静かに沈んでいく。そこに姿をあらわしたのは、先ほどまでの巨大な躯体ではなかった。それは――〈ルインゴル〉の骨格を持ち、怨念によって形作られた存在だった。かつてこの迷宮で命を落とした戦士たちの影が、そこに立っていた。


 先ほどまでの無秩序な異形とは異なり、明確な構えを持っていた。関節の位置は合理的に整えられ、無駄な骨片はすべて削ぎ落とされていた。かつて戦士であった頃の記憶が、怨念という形で残留している結果なのだろう。


 灰のように乾いた骨粉がゆっくりと舞い落ちる中、死霊はわずかに重心を落とし、迎撃の姿勢を取った。


 ヴァロックが前に出る。大楯をわずかに傾け、衝撃を受け流す準備を整える。その直後、骸骨の戦士が踏み込んだ。床面が砕けるほどの力で踏み込みながら、骨で形成された棒を一直線に振り下ろす。その強烈な一撃を、ヴァロックは楯で受け流すように逸らした。


 衝突の瞬間、鈍い破砕音が迷宮に反響し、衝撃が分散される。だが完全には衝撃を殺しきれず、ヴァロックは膝を折り、身体を沈める。床に刻まれた衝撃の痕が、死霊の恐るべき力を物語っていた。


 そのわずかな隙に、ガロックが死角へ回り込む。跳躍ではなく、低く滑るような接近――雪原で見せた素早い動きで、前傾姿勢で駆け抜ける。そして上半身をひねり、半回転しながら斧を横薙ぎに振るう。


〈ルインゴル〉の死霊は、脚部が粉砕され、骨片が弾け飛ぶ。だが、砕けた断面から黒い靄のようなものが滲み、周囲に飛び散った骨片を引き戻していく。得体の知れない力そのものが、戦士の骨格を記憶しているかのようだった。


 ヴァロックの喉嚢が再び膨張する。先ほどよりも周期の短い振動が放たれ、低周波が迷宮全体に広がった。柱が微かに軋み、細かな塵が降ってくる。その中心で、骸骨の戦士の動きが一瞬だけ鈍る。


 ガロックはその瞬間を逃さない。踏み込み、体幹を捻り、全身の力を一点に収束させて斧を叩きつける。狙いは頭部ではなく、胸郭の中心――得体の知れない力の核が集中しているであろう箇所だった。


 刃がめり込むと同時に、鈍い抵抗が返る。骨ではなく、目に見えない層を断ち割る感触。直後、内部から力が逆流するように弾け、ガロックの身体がわずかに浮き上がる。


 死霊が反撃に転じる。崩れかけた身体を無理やり繋ぎ直し、ねじれた姿勢のまま腕を振るう。ヴァロックが楯で割り込み、衝撃を受け止めるが、今度は踏みとどまれない。鈍い音とともに吹き飛ばされ、石床に深い亀裂が走る。


 その間にも、骸骨の内部で得体の知れない力が(うごめ)くのが見えた。黒い靄が収縮と膨張を繰り返し、砕けた骨を次々と引き寄せていく。ただの残留思念ではない。迷宮そのものに沈殿した瘴気が、死者の形を借りて凝集している――そう考えるほうが自然だった。


〈ルインゴル〉の戦士たちも、自らが何と対峙しているのかを理解しているのだろう。決して焦らず、しかし一切の躊躇なく間合いを詰めていく。


 やがて、均衡が崩れる兆しが訪れた。死霊の動きがわずかに鈍り、骨格の再生が遅れる。力の揺らぎが骨の継ぎ目に走り、わずかな間が生まれた。その瞬間を、ヴァロックは見逃さなかった。


 喉嚢を大きく膨らませ、呪素を含んだ鳴き声を放つ。低く、しかし鋭い音が迷宮の空間を震わせ、骸骨の戦士の動きが止まる。ガロックもすぐに呼応し、共鳴するような音を鰓から発した。ふたりの鳴き声は重なり合い、やがて空間そのものに亀裂を生じさせる。


 その亀裂から、蒼い炎が零れ落ちるように降り注ぐのが見えた。炎は死霊の身体にまとわりつき、得体の知れない力を侵食しながら骨を覆いつくしていく。蒼い炎は環境に影響を与えることなく、死霊という存在だけを確実に削り取っていく。


 骸骨の戦士は骨格を保てなくなり、徐々に全身の骨を失っていく。残されたのは、核として漂っていた黒い靄だけだった。それは怨念の凝縮体であり、形を持たない異質な存在だった。


 すると、双鳴の戦士たちの鳴き声の音程が変わった。蒼い炎が静かに消失し、黒い靄にも変化が生じる。靄は震え、ほどけながら薄まり、霧散していくように消滅した。


 途方もない年月の間〈迷宮都市〉を徘徊し、混沌の化け物を(ほふ)り、〈オービタリアン〉に恐怖を植え付け続けてきた存在の最期としては、あまりに呆気ない結末に思えた。けれどそれは、熟練した声の使い手である〝双鳴の戦士〟が相手だったからこその、錯覚に過ぎなかったのもしれない。


 ヴェリスが静かに言葉を口にする。

『どうやら、無事に怨霊を浄化することができたようですね』


 祓い清めるというより、強引に消滅させたようにも見えたが、アリエルは反論しなかった。ただ、確認するように訊ねた。


「これで終わりなのか」


 ヴェリスはゆっくりと首を横に振った。

『最後に、ひとつだけ解決しなければいけない問題が残っています』


 彼女の視線を追うと、ガロックとヴァロックが立っているのが見えた。しかし、その様子は明らかにおかしい。ふたりからは、先ほどまでとは異なる濃密で鋭い〝敵意〟が滲み出していた。そしてそれは、アリエルに向けられていた。

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